学位論文要旨



No 126894
著者(漢字) 古泉,文子
著者(英字)
著者(カナ) コイズミ,アヤコ
標題(和) ヒト甘味受容体による味覚修飾タンパク質および低分子甘味物質の受容機構の解析
標題(洋)
報告番号 126894
報告番号 甲26894
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3647号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三坂,巧
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 東原,和成
 東京大学 特任准教授 寺田,透
 東京大学 特任准教授 朝倉,富子
内容要旨 要旨を表示する

甘味を呈する物質には、糖類、アミノ酸、配糖体、人工甘味料、甘味タンパク質などがあるが、分子量も化学的構造も大きく異なり、それらの性質は多種多様である。哺乳類において、これら全ての甘味物質は、Gタンパク質共役型受容体(GPCR)であるT1R2とT1R3のヘテロマーから構成される甘味受容体によって受容される。T1R2、T1R3は、代謝型グルタミン酸受容体(mGluRs)などと同じクラスC GPCRファミリーに属し、その構造は2つのlobeから構成されるamino terminal domain(ATD)、ファミリー間でよく保存された9つのCys残基を含むcysteine-rich domain(CRD)、7回膜貫通ドメインであるtransmembrane domain(TMD)の3つのドメインに大別される。近年、いくつかの甘味物質についてはT1R2-T1R3上の作用部位が明らかになり、甘味受容体には複数の甘味物質作用部位が存在することがわかってきた。

甘味を呈する物質として興味深いのが、酸味を甘味に変化させるというユニークな性質(味覚修飾活性)を持つ味覚修飾タンパク質である。味覚修飾タンパク質には、Curculigo latifolia由来のネオクリン(NCL)とRichardella dulcifica由来のミラクリン(MCL)の2種類が存在する。MCLがそれ自身は甘味を示さず、酸の存在下で初めて甘味を生じるのに対し、NCLはそれ自身が甘味を呈するうえ、酸の存在下ではさらに甘味が増強される。また、味覚修飾活性には持続性が認められ、一度これらを口に含むと、NCLではその後30~60分、MCLでは1~2時間にわたって、酸を味わう度に強い甘味が感じられる。このように両者の活性はよく似ているものの、アミノ酸配列の相同性は低く、構造上も共通性がほとんど無いと予想されるため、これらの分子レベルでの受容機構については不明であった。また、低分子甘味物質の受容については、近年T1R2-T1R3との相互作用が明らかになりつつあるが、大きさや電荷など化学的性質の異なる甘味物質がどのように受容されるのかについて全容は示されてはいない。

本研究では、味覚修飾タンパク質の酸誘導性の甘味活性の客観的な評価系を用いて、NCLおよびMCLの受容に必要な領域の同定ならびに、味覚修飾活性を示すメカニズムを明らかにした。またヒト甘味受容体(hT1R2-hT1R3)の点変異体を用いた解析から、hT1R2-hT1R3が化学的性質の異なる低分子甘味物質をどのように認識しているのかについての知見を明らかにした。

1.ヒト甘味受容体におけるネオクリン相互作用領域の解析

ヒトはNCLの甘味を感知できるが、マウスは嗜好しないことから、hT1R2-hT1R3とマウスT1R2-T1R3(mT1R2-mT1R3)のアミノ酸配列の相違に着目し、NCLの作用する受容体上の領域を探索した。T1R2、T1R3はともに約850アミノ酸から成り、ヒトとマウスにおける相同性は約70%である。ヒトとマウスのキメラT1Rを作製し、これらをGタンパク質とともにHEK293T細胞に発現させ、NCLへの応答をカルシウムイメージング法により計測することで、NCLの受容に必要なhT1R2-hT1R3の領域の一部を同定した。

まず、NCLの受容に必要なサブユニットを同定するため、ヒトおよびマウスのT1R2、T1R3を組み合わせてHEK293T細胞に導入した。hT1R2+hT1R3導入細胞はNCLに応答したのに対し、hT1R2+mT1R3導入細胞は応答しなかったことから、hT1R3がNCLの受容に必要であることを見出した。次に、ヒトとマウスのキメラT1R3を作製し、ATD、CRD、TMDのどのドメインが受容に関与するのかを調べた結果、hT1R3のATDがNCLの受容に必要であることを明らかにした。T1R3のATDは、これまでに他の甘味物質の作用部位として報告のない領域であり、T1R2-T1R3と甘味物質の相互作用に関して新たな知見をもたらすものである。さらに、キメラT1R3を用いた実験により、ATDのうち201-400残基の領域など複数の領域にNCL受容に必要な部位が含まれることを示唆する結果を得た。

一方、中性条件で得られたNCLの結晶構造をもとに予測された酸性条件でのNCL構造モデルと、mGluR1のATDの結晶構造を鋳型に作製したhT1R2-hT1R3のATDの立体構造モデルとのドッキングモデルを、分子動力学計算により得た。hT1R3の201-300残基のうち、ヒトとマウスで異なる残基の多くは、lobe1とlobe2から構成される溝付近に多く存在していた。培養細胞を用いた実験により得られた結果は、NCLがこの溝付近に作用するというモデルを支持する結果であると考えられる。

2.ミラクリンの味覚修飾活性機構の解析

MCLについて甘味受容体との相互作用に関してはこれまで報告がなかったが、官能評価においてMCLの酸誘導性の甘味がhT1R2-hT1R3に作用する甘味阻害剤ラクチゾールにより抑制されることから、MCLもhT1R2-hT1R3に作用することが予想された。hT1R2とhT1R3、Gタンパク質を導入したHEK293T細胞の応答を評価した結果、MCLをあらかじめ前処理した場合に、pH 4.8~6.5の範囲においてpHの低下に伴う細胞応答の増加が見られた。このpH-応答曲線は、pH 5.7のとき最大応答の約半分の応答を示し、官能評価の結果をよく反映していた。またpH 5.0において濃度応答関係を解析したところ、0.01~100nMの範囲で濃度依存的な応答の増加が見られ、EC50値は0.44nMであった。この値は他の甘味物質のEC50値に比べて2桁以上小さく、MCLが非常に低い濃度で受容体に作用することが示唆された。さらに一度受容体に結合したMCLが、酸で刺激するたびに繰り返し受容体を活性化するという官能評価の結果を反映する結果を得ただけでなく、中性pHにおいて他の甘味物質によるhT1R2-hT1R3の活性化を抑制することを見出した。

以上の結果から、MCLは舌上でhT1R2-hT1R3に不活性型(アンタゴニスト)で保持され、酸を味わうと受容体上で活性型(アゴニスト)に変化し、pHが中性になると不活性型に戻る(図A)、またこの状態のMCLは他の甘味物質による受容体の活性化を抑制する(図B)という、味覚修飾活性のモデルが考えられた。NCLの味覚修飾活性のモデルは以前に提唱されているが、本研究から、MCLとNCLはいずれもpH依存的にアゴニストとアンタゴニストの平衡状態が変化するという点で共通であることが示唆された。

さらに、ヒトとマウスのT1R2-T1R3のキメラ受容体を用いた解析を行った結果、MCLの受容にはhT1R2のATDが必要であることを見出した。NCLはhT1R3のATDを必要としたことから、MCLとNCLはともに味覚修飾活性という共通の性質を示すが、両者は受容体の活性化に必要とするhT1R2-hT1R3の領域が明確に異なっていた。また、受容体を活性化するpH範囲や受容体に対する親和性においてもMCLとNCLは大きく異なり、これらの結果はそれぞれの一次構造の相同性の低さに起因するものと考えられた。

3.ヒト甘味受容体における低分子甘味物質群の相互作用部位の同定

hT1R2-hT1R3が化学的性質の異なる多種類の低分子甘味物質をどのように識別するのかを明らかにするため、アスパルテーム、D-トリプトファン、サッカリンナトリウム、アセサルフェムカリウム、スクラロースについて、hT1R2-hT1R3における各々の相互作用部位の同定を試みた。これらは、mGluR1のGlu結合部位に相当する領域、すなわちhT1R2 ATDのlobe1とlobe2の境界面においてhT1R2-hT1R3と作用することが示唆されていたが、その詳細な相互作用については明らかにされていなかった。

まずmGluR1の結晶構造を鋳型に、hT1R2-hT1R3のATDの立体構造モデルを作製し、分子動力学計算により各低分子甘味物質とのドッキングモデルを得た。hT1R2とmGluR1とのアラインメントから、mGluR1のGlu結合に関与する残基に着目し、相互作用が予測されるアミノ酸残基に点変異を導入した変異体を作製した。これら点変異体を一過的に培養細胞に導入し、カルシウムイメージングにより、変異を導入した残基の低分子甘味物質の受容への関与を応答性の変化により判断した。特に強く関与していると思われる10残基について、変異体の安定発現細胞株を作出し、各種甘味物質に対する濃度応答関係を解析した。

その結果、hT1R2 ATDのlobe1とlobe2の境界面における相互作用は、今回用いた全ての甘味物質に重要であること、また境界面の入り口における相互作用は、受容体の活性化のためのclosed構造をとるのを推進する役割を果たすことが、分子モデリングにより示唆された。これらの結果から、甘味受容体の活性化機構には、mGluR1の活性化機構と共通点が認められた。その一方、今回用いた低分子甘味物質の相互作用部位は、hT1R2 ATDのlobe1とlobe2の境界面によって構成される同一の領域内に存在するが、各々の化学的性質によって異なるアミノ酸残基を必要とするという興味深い現象も示された。

まとめ

本研究では、ヒト甘味受容体における、味覚修飾タンパク質NCL、MCL、および化学的性質の異なるいくつかの低分子甘味物質の作用領域・部位を明らかにした。その結果、味覚修飾タンパク質と低分子甘味物質がhT1R2-hT1R3の異なる部位に作用することを明らかにした。さらにNCLとMCLについて味覚修飾活性の生じる機構の一端を明らかにしただけでなく、いくつかの性質が明確に異なることを示すことができた。本研究は、新たな低カロリー甘味料の開発などに役立つのみならず、T1R2-T1R3の属する他のクラスC GPCRの活性化機構の解明に役立つことが期待される。

1.Koizumi, A., Nakajima, K., Asakura, T., Morita, Y., Ito, K., Shimizu-Ibuka, A., Misaka, T., Abe, K., Biochem. Biophys. Res. Commun., 358 (2) 585-589 (2007)2.Nakajima, K., Morita, Y., Koizumi, A., Asakura, T., Terada, T., Ito, K., Shimizu-Ibuka, A., Maruyama, J., Kitamoto, K., Misaka, T., Abe, K., FASEB J., 22 (7) 2323-30 (2008)3.Masuda, K., Koizumi, A., Misaka, T., Hatanaka, Y., Abe, K., Tanaka, T., Ishiguro, M., Hashimoto, M., Bioorg. Med. Chem. Lett., 20 (3) 1081-1083 (2010)4.Koizumi, A., Tsuchiya, A., Nakajima, K., Ito, K., Shimizu-Ibuka, A., Briand, L., Asakura, T., Misaka, T., Abe, K. "Human sweet taste receptor mediates acid-induced sweetness of miraculin" (submitted)

図.ミラクリンの味覚修飾活性のモデル

審査要旨 要旨を表示する

甘味を呈する物質は、分子量、化学的構造が大きく異なり多種多様である。なかでも味覚修飾タンパク質と呼ばれるネオクリン(NCL)とミラクリン(MCL)は、酸味を甘味に変化させるというユニークな性質(味覚修飾活性)を示し、一度これらを口に含むとその後数十分は、酸を味わう度に強い甘味が感じられる。哺乳類において、甘味物質はGタンパク質共役型受容体(GPCR)であるT1R2とT1R3のヘテロマーで受容される。

本研究では、甘味受容体の活性化機構を明らかにすることを目的とし、分子レベルでの知見が乏しい味覚修飾タンパク質とヒト甘味受容体(hT1R2-hT1R3)の相互作用について、また化学的性質の異なる様々な低分子甘味物質の受容機構について明らかにした。本論文は5章から成り、第1章は序論、第2、3、4章が本論、第5章が総括と今後の展望である。

第2章では、hT1R2-hT1R3におけるNCLの作用領域の解析を行った。ヒトはNCLの甘味を感じるがマウスは感じないことから、ヒトとマウスのT1R2-T1R3のアミノ酸配列の相違に着目し、NCLの作用する受容体領域を探索した。ヒトおよびマウス、または両者のキメラ型のT1R2、T1R3をGタンパク質とともにHEK293T細胞に発現させ、NCLへの応答をカルシウムイメージング法により計測した結果、これまでに他の甘味物質の作用部位として報告のない領域、hT1R3のN末端細胞外領域がNCLの受容に必要であることを見出した。さらにその領域において、必要な残基を含む領域を一部同定した。本研究で得られた結果は、中性でのNCLの結晶構造をもとに作製された、hT1R2-hT1R3のN末端細胞外領域とNCLとのドッキングモデルを支持すると考えられた。

第3章では、MCLの味覚修飾活性機構の解析を行った。官能評価においてMCLの酸誘導性の甘味はhT1R2-hT1R3に作用する甘味阻害剤ラクチゾールにより抑制されることから、MCLもhT1R2-hT1R3に作用することが予想された。MCLに対する応答をカルシウムイメージングにより評価した結果、MCLをあらかじめ前処理した場合に、pH 4.8~6.5の範囲においてpHの低下に伴う細胞応答の増加が見られた。また濃度応答関係を解析した結果、MCLは他の甘味物質に比べて低濃度で受容体に作用することが示唆された。さらに一度受容体に結合したMCLが、酸で刺激するたびに繰り返し受容体を活性化するという官能評価を反映する結果を得ただけでなく、中性pHにおいて他の甘味物質による受容体の活性化を抑制することを見出した。またMCLの受容に必要な受容体領域を明らかにした。本研究で得られた知見をもとに、MCLは舌上でhT1R2-hT1R3に不活性型で保持され、酸を味わうと受容体上で活性型に変化しアゴニストとして作用する一方で、pHが中性に戻ると再び不活性型になり、アンタゴニストとして機能するという味覚修飾活性のモデルが考えられた。MCLとNCLはpH依存的にアゴニストとアンタゴニストの平衡状態が変化する点で共通であるが、一方で受容体を活性化するpH範囲や活性化に必要な受容体領域、受容体に対する親和性は異なることが本研究により示唆された。

第4章では、化学的性質の異なる低分子甘味物質の認識機構を明らかにするため、アスパルテーム、D-トリプトファン、サッカリンNa、アセサルフェムK、スクラロースについて、hT1R2-hT1R3における各々の相互作用部位の同定を試みた。代謝型グルタミン酸受容体(mGluR1)の結晶構造を鋳型に、hT1R2-hT1R3のN末端細胞外領域の立体構造モデルを作製し、各甘味物質とのドッキングモデルを得た。hT1R2においてmGluR1のGlu結合部位に対応する残基を中心に点変異体を作製し解析した結果、一部の甘味物質の結合に関与すると思われる残基が10残基見いだされた。これらの残基について、点変異体の安定発現細胞株を作出し、各甘味物質に対する濃度応答関係を解析した結果、今回用いた低分子甘味物質はいずれもhT1R2のN末端細胞外領域の2つのlobeで構成される同一の領域に結合するが、各々の化学的性質によって異なるアミノ酸残基を必要とするという新たな知見を得た。

以上、本研究で得られた成果は、味覚修飾活性機構について新たな知見をもたらしたのみならず、今後新たな低カロリー甘味料の開発やT1R2-T1R3の属する他のクラスC GPCRの活性化機構の解明に役立つことが期待される。食品科学研究において本研究は、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51982