学位論文要旨



No 126897
著者(漢字) 諸岡,信克
著者(英字)
著者(カナ) モロオカ,ノブカツ
標題(和) 鱗翅目昆虫の摂食モチベーション調節ペプチド(HemaP)の構造および機能に関する研究
標題(洋)
報告番号 126897
報告番号 甲26897
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3650号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長澤,寛道
 東京大学 教授 片岡,宏誌
 東京大学 教授 東原,和成
 東京大学 准教授 永田,宏次
 東京大学 准教授 作田,庄平
内容要旨 要旨を表示する

植食性昆虫の周期的な摂食行動は、環境などの外来性の要因だけでなく、体内の栄養状態などの内因性の要因により構築されている。この周期的な摂食行動は、体液中の様々な因子よって調節されていると考えられている。近年、カイコ(Bombyx mori)の幼虫体液から、摂食行動のモチベーションを上昇させる62残基のペプチド性因子(Hemolymph major anionic peptide: HemaP)が同定された1)。カイコ幼虫にHemaPを注射すると、食餌量の増加と活発な探餌行動が観察される。体液中のHemaP濃度は、カイコ幼虫の周期的な摂食行動に先行して増加し、食餌により減少する。このように、HemaPは、カイコ幼虫の摂食行動の周期性を調節する。データベース検索によって、相同性は低いものの4種の鱗翅目昆虫でHemaP様分子の存在が見出された。しかし、カイコ以外での生理活性は、確認されていない。HemaPは、α-ヘリックスに富む二次構造を有するという特徴を持つ。他種のHemaP様分子も、α-ヘリックスに富むことが予想されているため、HemaPの特徴的構造が機能発現に重要な働きをしていると考えられる。本博士論文では、先ずHemaPの活性が他の昆虫で保存されているか確認し、その後、比較生物学的な見地から、HemaPの構造活性相関を検討し、さらに、HemaP分泌調節と体液中の他の因子との相互作用を明らかにすることによって、新規摂食行動調節ペプチドであるHemaPの機能解明を目指した。

第1章 HemaPの構造活性相関の解析

カイコと同じ大型鱗翅目昆虫であるエビガラスズメ(Agrius convolvuli)から、2種類のカイコHemaP様分子を単離した。それぞれの分子質量から、p6692とp6894と命名した。p6692とp6894の一次構造を決定した結果、両ペプチドは同一のアミノ酸配列を有し、カイコHemaPと32%の相同性を有していた。分子質量の違いは、p6894の5残基目に付加した1残基のα-GalNAcよることを、付加糖の蛍光誘導体のHPLC分析、およびレクチンとの親和性による解析から明らかにした(図1)。CDスペクトルを測定した結果、p6692とp6894は、カイコHemaPと類似したα-ヘリックスに富む二次構造を有することが分かった(図2)。そこで、p6692とp6894は、エビガラスズメHemaP (A-HemaP)であると命名した。p6692とp6894、および大腸菌発現組換え体をエビガラスズメ幼虫に皮下注射し、2時間行動を観察した結果、3種類のペプチド投与群において、同程度の生理活性が認められた。すなわち、A-HemaPは、カイコHemaPと同様の摂食行動調節活性があり、HemaPによる制御システムが鱗翅目昆虫種間で保存されていると推測された。また、A-HemaPの糖の有無は、二次構造と活性には影響しなかった。

カイコHemaPとA-HemaP (p6692)に交差活性が認められなかったことから、HemaP分子内には活性に重要な領域があると予想された。そこで、カイコHemaPを用いた構造と活性の関係を調べた。先ず、N末端およびC末端を部分欠損した16種類のHemaPを調製した。それぞれを生物検定に供した結果、10残基目から30残基目のアミノ酸配列を含む部分欠損HemaPに生理活性が観察されたため、この領域をコア領域とした。コア領域のみのペプチド(hmp10-30)には生理活性がないことから、カイコHemaPの活性発現には、コア領域とその片側あるいは両側に数残基のアミノ酸残基が必要であることが分かった。コア領域は、カイコHemaP中に、3箇所存在する推定α-ヘリックス領域のうち、N末端側のα-ヘリックス領域とほぼ一致したため、次にα-ヘリックス領域の重要性を検証した。α-ヘリックスを安定化するTFE (2,2,2-trifluoroethanol)を用いて、カイコHemaPのCDスペクトルを測定した。その結果、TFE濃度が高いほどHemaPのα-ヘリックス含有量が増加した。これは、HemaPが、α-ヘリックスを形成しやすい分子であることを意味する。水中でのCDスペクトル分析では、コア領域に数残基伸張させたペプチドのα-ヘリックス含量が、コア領域を含まないペプチドより高かった。

コア領域のアミノ酸配列は、種間の相同性が低いため、HemaPの種特異性に貢献していると考えた。そこで、カイコHemaPとA-HemaPのコア領域を交換したキメラHemaPを調製した。キメラHemaPを、カイコおよびエビガラスズメ幼虫注射した結果、同種のコア領域を有するキメラHemaPを投与された群でのみ生理活性が認められた。以上の結果から、HemaPの活性発現にはコア領域が重要であり、種特異性は、コア領域のアミノ酸配列によることが示された。

カイコHemaPは、ゲルろ過クロマトグラフィーにおいて、二量体に相当する時間に溶出した。既に調製した各部分欠損HemaPの溶出時間を解析した結果、コア領域を含むペプチドが二量体に相当する時間に溶出した。また、hmp10-30は、カイコHemaPのコア領域を有するキメラHemaPとヘテロ二量体に相当する時間に溶出したが、異種のキメラHemaPとは、二量体に相当する時間に溶出されなかった。このことは、コア領域が、HemaPの種特異的な二量体形成に重要であることを示唆している。

第2章 カイコの組織培養を用いたHemaPの分泌調節機構の解析

絶食時に分泌されたHemaPは、摂食後に再脂肪体に吸収されることから、HemaPの濃度変動は、摂食状態に応じた脂肪体と体液間のHemaPの移動で作られると考えられている1)。この分泌制御の仕組みを明らかにするため、組織培養したカイコ幼虫の脂肪体から培地中に分泌されるHemaP量を分析した。その結果、培養時間の長さに係らず、培地中のHemaP量は一定であったため、培地中の栄養状態に変化がなければHemaP濃度は一定に保たれると考えた。培地の半分量を経時的に交換しながら脂肪体の組織培養を行った結果、培地中のHemaP濃度は、周期的に変動している可能性が示された。よって、栄養状態の変化とは無関係に、脂肪体はHemaPの分泌と再吸収を自律的に調節している可能性が示唆された。

体液中のHemaP濃度は、カイコ5齢の摂食期を通じてほぼ一定に保たれていた。カイコの生活環では、摂食行動を行わない時期があるので、体液中のHemaP濃度が生育段階を通じて変動をするかどうかを、抗HemaP抗血清を用いたELISA法で定量した。その結果、体液中のHemaP濃度は、カイコの脱皮変態の時期と一致して変動した。real-time PCRにより、この変動はHemaPの転写レベルの変動であることが示された。HemaPの転写レベルが、JHやエクジステロイドにより制御されているか、現在解析中である。以上の結果から、体液中のHemaP濃度は、摂食行動を調節する小さい短期的変動と、脱皮変態のタイミングと同調した大きい長期的変動があることが明らかになった。

第3章 HemaP結合タンパク質の精製および機能解析

体液中のカイコHemaPの挙動を、密度勾配遠心およびゲルろ過クロマトグラフィーで解析した結果、HemaP結合タンパク質の存在が示唆された。カイコ幼虫の体液をHemaPアフィニティーカラムに供した結果、約30 kDaのタンパク質が特異的にHemaPと結合することが分かった。N末端アミノ酸配列解析の結果、このタンパク質は、機能未知の30Kタンパク質の1つ、30K6G1であった。大腸菌発現組換え30K6G1 (r30K6G1)を、HemaPアフィニティーカラムに供した結果、r30K6G1とrHemaPの結合が認められた。次に、カイコ幼虫にr30K6G1を注射した結果、摂食関連行動の長さが減少した。また、16時間絶食させて、摂食行動のモチベーションを上げたカイコ幼虫にrHemaPとr30K6G1の混合液を注射した結果、r30K6G1とrHemaPの混合液は、rHemaP注射で惹起される摂食行動開始時間を早める活性2)を顕著に抑制した。以上の結果から、30K6G1はカイコHemaPと複合体を形成し、カイコ幼虫のHemaP感受性を低下させている可能性が示唆された。

総括

本研究から、HemaPは脂肪体からの分泌と再吸収によって、体液中のHemaP濃度の変動を作り出し、その結果、摂食行動の周期性が作り出されるものと考えられる。HemaPは、活性に必須なコア領域のアミノ酸配列によって種特異的な活性発現を示すが、HemaPによる摂食行動の調節機構は、鱗翅目昆虫で保存されていることが推定された。HemaPの濃度変動と食道下神経節のドーパミン量には負の相関関係が見られることから1)、HemaPの濃度変動を神経系が感知する機構を明らかにすることによって、HemaPの摂食行動における役割を明らかにすることが出来ると考えられる。また、脂肪体によるHemaPの分泌と吸収を調節する、体液中の因子を同定する必要がある。これらを解明することによって、体液中の因子(HemaP)を介した摂食周期調節機構を解明できるものと考える。

1. Nagata, S., Morooka, N., Asaoka, K., Nagasawa, H., (submitted)2. Nagata, S., Morooka, N., Matsumoto, S., Nagasawa, H., (2009) Ann. N.Y. Acad. Sci. 1163, 481-483.

図1:鱗翅目昆虫のHemaP相同分子のアミノ酸配列のアライメント

図2:カイコHemaPとA-HemaPのCDスペクトル

審査要旨 要旨を表示する

植食性昆虫の周期的な摂食行動は、環境などの外来性の要因だけでなく、体内の栄養状態などの内因性の要因により構築されている。この周期的な摂食行動は、体液中の様々な因子よって調節されていると考えられている。近年、カイコ(Bombyx mori)の幼虫体液から、摂食行動のモチベーションを上昇させる62残基のペプチド性因子(Hemolymph major anionic peptide: HemaP)が同定された、これをカイコ幼虫に注射すると、食餌量の増加と活発な探餌行動が観察される。体液中のHemaP濃度は、カイコ幼虫の周期的な摂食行動に先行して増加し、食餌により減少する。データベース検索から、相同性は低いものの4種の鱗翅目昆虫でHemaP様分子の存在が見出されたが、カイコ以外での生理活性は確認されていない。本論文は序論とそれに続く3章からなる。

まず、序論において、上記の背景を述べた後、第1章ではHemaPの構造活性相関について述べている。カイコと同じ大型鱗翅目昆虫であるエビガラスズメ(Agrius convolvuli)から、2種類のカイコHemaP様分子(p6692とp6894)を単離した。両ペプチドの一次構造を決定した結果、両ペプチドは同一のアミノ酸配列を有し、カイコHemaPと32%の相同性を有していた。分子質量の違いは、p6894の5残基目に付加した1残基のα-GalNAcよることを、付加糖の蛍光誘導体のHPLC分析、およびレクチンとの親和性による解析から明らかにした。CDスペクトルを測定した結果、p6692とp6894は、カイコHemaPと類似したα-ヘリックスに富む二次構造を有することが分かった。そこで、p6692とp6894を、エビガラスズメHemaP (A-HemaP)と命名した。p6692とp6894、および大腸菌発現組換え体はエビガラスズメ幼虫に対して同程度の生理活性を示したことから、A-HemaPは、摂食行動調節活性があり、HemaPによる制御システムが鱗翅目昆虫種間で保存されていると推測された。

カイコHemaPとA-HemaP (p6692)には交差活性が認められなかった。そこで、N末端およびC末端を部分欠損した16種類のHemaPを調製し、生物検定に供した結果、10残基目から30残基目のアミノ酸配列を含む部分欠損HemaPにのみ生理活性が観察されたため、この領域をコア領域とした。コア領域のアミノ酸配列は、種間の相同性が低いため、HemaPの種特異性に貢献していると考え、カイコHemaPとA-HemaPのコア領域を交換したキメラHemaPを調製した。キメラHemaPを、カイコおよびエビガラスズメ幼虫に注射した結果、同種のコア領域を有するキメラHemaPを投与された群でのみ生理活性が認められたことから、活性の種特異性は、コア領域のアミノ酸配列によることが示された。カイコHemaPは、ゲルろ過クロマトグラフィーにおいて、二量体を形成していることが示唆された。

第2章では、カイコの組織培養を用いてHemaPの分泌調節機構を解析した。HemaPの脂肪体からの分泌は、培養時間の長さに係らず、培地中のHemaP量は一定であった。培地の半分量を経時的に交換しながら脂肪体の組織培養を行った結果、培地中のHemaP濃度は、ほぼ一定に保たれていたことから、脂肪体はHemaPの分泌と再吸収を自律的に調節していることが示唆された。

体液中のHemaP濃度は、カイコ5齢の摂食期を通じてほぼ一定に保たれていた。体液中のHemaP濃度が生育段階を通じての変動を調べた結果、HemaP濃度はカイコの脱皮変態の時期と一致して変動した。real-time PCRにより、この変動はHemaPの転写レベルの変動であることが示された。以上の結果から、体液中のHemaP濃度は、摂食行動を調節する小さい短期的変動と、脱皮変態のタイミングと同調した大きい長期的変動があることがわかった。

第3章では、HemaP結合タンパク質の精製および機能解析を行った。体液中のカイコHemaPの挙動を、密度勾配遠心およびゲルろ過クロマトグラフィーで解析した結果、HemaP結合タンパク質の存在が示唆された。カイコ幼虫の体液をHemaPアフィニティーカラムに供した結果、約30 kDaのタンパク質が特異的にHemaPと結合することが分かった。N末端アミノ酸配列解析の結果、このタンパク質は、機能未知の30Kタンパク質の1つ、30K6G1であった。大腸菌発現組換え30K6G1 (r30K6G1)を、HemaPアフィニティーカラムに供した結果、r30K6G1とrHemaPの結合が認められた。次に、カイコ幼虫にr30K6G1を注射した結果、摂食関連行動の長さが減少した。また、16時間絶食させて、摂食行動のモチベーションを上げたカイコ幼虫にrHemaPとr30K6G1の混合液を注射した結果、r30K6G1とrHemaPの混合液は、rHemaP注射で惹起される摂食行動開始時間を早める活性を抑制した。以上の結果から、30K6G1はカイコHemaPと複合体を形成し、カイコ幼虫のHemaP感受性を低下させている可能性が示唆された。

以上、本論文は、昆虫の体液中に存在するペプチドHemaPの構造と摂食行動における機能を初めて解明したもので、学術上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の価値あるものと認めた。

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