学位論文要旨



No 126900
著者(漢字) 吉田,拓実
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,タクミ
標題(和) シロイヌナズナの転写因子HsfA1の高温ストレス応答と成長制御における機能解析
標題(洋)
報告番号 126900
報告番号 甲26900
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3653号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 篠崎,和子
 東京大学 教授 吉村,悦郎
 東京大学 教授 藤原,徹
 東京大学 准教授 澤,修一
 東京大学 講師 刑部,祐里子
内容要旨 要旨を表示する

序論

植物は行動の自由が無いために、周囲の環境ストレスに順応するための複雑で精巧なしくみを持っている。中でも様々なストレスに対応して遺伝子発現が制御されることは、中心的な順応システムの一つと考えられる。遺伝子発現の制御には各遺伝子のプロモーター中に存在するシス配列に作用する転写因子の機能が重要である。モデル植物のシロイヌナズナにおいて、乾燥ストレス誘導性遺伝子として単離されたRD29Aの発現を制御するシス因子としてDRE配列が同定されている。このDRE配列に特異的に作用する転写因子としてDREB1AとDREB2Aが単離され、その機能に関して多くの研究が行われた結果、環境ストレス耐性獲得機構においてこれらの転写因子が重要な機能を果たしていることが明らかにされた。

一方、DREB2Aの発現自体を制御する因子に関する研究はこれまでに行われていなかった。シロイヌナズナのストレス応答において重要な機能を持ち、応用面でも大きな可能性を秘めているDREB2Aの発現制御機構の解明は、植物が環境ストレス耐性を獲得する仕組みをより深く理解するために重要なテーマと考えられた。DREB2A遺伝子は乾燥や高温ストレスによって強く誘導されるが、高温ストレス応答に関しては発現のピークが非常に早い。このためDREB2Aの高温ストレス応答における制御因子を明らかにすることは、植物の高温ストレスに対する初期応答の解明につながることが予想された。植物の高温ストレス応答では、これまでにHSFを中心とした遺伝子発現制御のネットワークに関しては多くの解析が行われているが、DREB2Aの高温ストレスによる発現を制御する因子に関する報告はない。また、植物の高温ストレスに対する初期応答の制御機構についても未解明な点が多く存在している。

そこで、本研究では高温ストレス下でのDREB2Aの発現制御機構を解析すると共に、未だ発現制御が明らかにされていないHsfA2等の高温ストレスに関与する主要な遺伝子の発現制御機構も含めた植物の高温に対する遺伝子発現の初期応答機構の解明を目的とした。

1. 高温ストレス下におけるDREB2Aの転写活性化因子の解析

これまでに、当研究室ではDREB2Aの発現制御機構を解明するために、プロモーター解析が進められてきた。特に高温ストレス応答に関しては、プロモーター中にあるHSEを含む配列が重要であることや、シロイヌナズナの葉肉細胞を用いた一過的遺伝子発現系で、シロイヌナズナの数種のHSFがこのHSE配列を介して転写を活性化することなどが示されたが、植物中で実際にDREB2Aの発現を制御する因子の同定には至っていなかった。

DREB2Aを制御する候補を絞り込むために、21種存在するHSFの発現パターンを調べた。オンライン上の遺伝子発現データベースであるGENEVESTIGATOR(https://www.genevestigator.com/gv/index.jsp)によりHSF全体の遺伝子発現パターンを比較し、さらに、定量的RT-PCRやプロモーター-GUS融合遺伝子導入植物の染色による発現解析を行った。発現解析と転写活性化解析の結果からHsfA1 サブファミリーに属するHsfA1a、HsfA1b、HsfA1dの三遺伝子がDREB2Aの発現を制御する有力な候補であると考えられた。

これら三遺伝子のそれぞれの過剰発現体やそれぞれの変異体を解析したが、DREB2Aの高温誘導性は影響を受けなかった。そこで三遺伝子全てが働かなくなったhsfa1a/b/d三重変異体を作出して解析したところ、DREB2Aの高温ストレス応答が消失することが確認できた。これにより、DREB2Aの遺伝子発現はHsfA1a、HsfA1b、HsfA1dの三遺伝子によって機能相補的に行われていることが明らかになった。また、hsfa1a/b/d三重変異体においても、DREB2Aの乾燥ストレス応答性は維持されていたことから、DREB2Aの発現誘導は、高温と乾燥で全く異なる制御機構に基づいていることも明らかになった。

2. HsfA1a、HsfA1b、HsfA1dによる高温ストレス応答の制御

DREB2Aの高温ストレス下での発現制御はHsfA1a、HsfA1b、HsfA1dの3つの遺伝子が機能相補的に働くことによって行われていることが明らかになった。そこで、これらの三遺伝子を介した高温ストレス応答機構を明らかにすることを目的とし研究を行った。

HsfA1a、HsfA1b、HsfA1dが制御する遺伝子を広く把握するためにhsfa1a/b/d三重変異体を用いたマイクロアレイ解析を行った。通常の生育条件下ではhsfa1a/b/dと野生型株の間で遺伝子発現の差は殆ど見られなかった。一方、高温ストレス処理1時間において野生型株と変異体の間で、発現量が2倍以上減少する遺伝子が713個存在していた。その内プロモーター中にHsfのシス配列であるHSEのコア配列が存在するものは467個あり、これらはこの三つのHsfA1転写因子により直接制御されている可能性が高いと考えられた。発現量が減少していた遺伝子の中には、これまで高温ストレス下において発現誘導される機構が明らかになっていなかった主要な転写因子HsfA2も含まれていた。HsfA2の発現は定量的RT-PCRでも解析し、hsfa1a/b/d三重変異体において高温ストレスによる発現誘導が消失していることが明らかになった。その他にも、高温ストレス耐性の獲得に重要とされているが、それ自身の発現制御機構が明らかになっていなかったMBF1c、BI1、DGD1の発現も減少していた。発現が大きく減少した遺伝子には分子シャペロンが多く、HsfA1a、HsfA1b、HsfA1dは高温ストレス下におけるタンパク質の保護に関する機能において非常に重要な役割を持っていることが明らかになった。多くの遺伝子が誘導されなくなったhsfa1a/b/d三重変異体は野生型株と比較して、明確に高温ストレス耐性が低下していた。

HsfA1a、HsfA1b、HsfA1dの三遺伝子は高温ストレスの前後で発現量があまり変わらないため、高温ストレス時において、その活性レベルは転写後調節などによって制御されていると予想された。各々のHsfA1タンパク質の動態を調べるために、GFP融合タンパク質を過剰発現したシロイヌナズナを作出し解析したところ、HsfA1b、HsfA1dは高温ストレスにより核に移行することが明らかになった。これまでに、動物などではHSFの局在をHSP90が制御していることが知られている。また、シロイヌナズナにおいてもHsfA1dとHSP90が相互作用することが報告されていた。GFP融合タンパク質を過剰発現したシロイヌナズナをHSP90阻害剤であるGDAで処理すると、HsfA1b、HsfA1dの局在は、高温ストレス下とほぼ同等の変化を示した。このことからHsfA1b、HsfA1dの高温ストレスによる局在変化はHSP90によって制御されていると考えられた。一方、GDA処理した野生型株において、DREB2Aの遺伝子発現は高温ストレス時の約20分の1程度しか上昇していなかったことから、HSP90による局在変化以外にもHsfA1の活性化を制御する機構が存在すると考えられた。

3. HsfA1サブファミリー遺伝子による生育制御機構の解析

HsfA1サブファミリー遺伝子は、HsfA1a、HsfA1b、HsfA1dの3つにHsfA1eを加えた4つの遺伝子で構成されている。高温ストレス下での遺伝子発現の制御は3つのHsfA1によって行われていると考えられるため、HsfA1eは別の役割を担っている可能性が予想された。そこで、HsfA1eの機能及びHsfA1サブファミリー全体の機能の解析を試みた。

hsfa1a/b/dにhsfa1eを交配する事で、hsfa1b/d/e三重変異体及びhsfa1a/b/d/e四重変異体を作出した。hsfa1a/b/d/e四重変異体の遺伝子発現の変化を調べるためにマイクロアレイ解析を行ったところ、hsfa1a/b/d三重変異体ではほとんど変化がなかった通常の生育条件下でも遺伝子発現が大きく変化していることが示された。このことから、HsfA1サブファミリー遺伝子は高温ストレス下だけでなく、通常の生育条件下においても遺伝子発現制御に重要な役割を果たしていることが明らかになった。通常の生育条件でも遺伝子発現が変化している四重変異体では、発芽から枯死するまで、常に生育が遅れることも観察された。

4. 総括

本研究によって、高温ストレス下においてHsfA1a、HsfA1b、HsfA1dの三つの遺伝子が機能相補的にDREB2Aを含む多くの高温ストレス誘導性遺伝子の初期応答を制御していることが明らかになった。HsfA1bとHsfA1dはHSP90の作用により高温ストレスを受けた直後に核へ集積することも明らかとなったが、下流遺伝子の発現誘導には核移行以外にも何らかの活性化の制御を受けていることも示された。また、通常の生育条件下において、HsfA1eを含む四つのHsfA1サブファミリータンパク質は、種々の遺伝子の発現を制御し、植物の生育を支えていることも明らかにした。

審査要旨 要旨を表示する

第1章では、本研究の背景および目的について述べた。植物は周囲の環境ストレスに順応するために遺伝子発現を複雑に制御している。この制御には各遺伝子のプロモーター中に存在するシス配列に作用する転写因子の機能が重要である。転写因子DREB2Aは高温や乾燥耐性獲得に機能する転写因子として知られている。DREB2A遺伝子は乾燥や高温ストレスによって強く誘導されるが、高温ストレス応答に関しては発現のピークが非常に早い。このためDREB2Aの高温ストレス応答における制御因子を明らかにすることは、植物の高温ストレスに対する初期応答の解明につながることが予想された。

そこで、本研究では高温ストレス下でのDREB2Aの発現制御機構を解析すると共に、高温ストレスに関与する主要な遺伝子の発現制御機構も含めた高温に対する遺伝子発現の初期応答機構の解明を目的とした。

第2章では、高温ストレス下におけるDREB2Aの転写活性化因子の解析について述べた。これまでに、DREB2Aのプロモーター解析の結果から高温誘導にはHSEを含む配列が重要であることや、シロイヌナズナの数種のHSFがこのHSE配列を介して一過的遺伝子発現系において転写を活性化することなどが示されていた。

本研究では、DREB2Aを制御する候補をさらに絞り込むために、21種存在するHSFの発現パターンを調べ、HsfA1 サブファミリーに属するHsfA1a、HsfA1b、HsfA1dの三遺伝子がDREB2Aの発現を制御する有力な候補であると推測した。

hsfa1a/b/d三重変異体を作出して解析したところ、DREB2Aの高温ストレス応答が消失することが確認できた。これにより、DREB2Aの遺伝子発現はHsfA1a、HsfA1b、HsfA1dの三遺伝子によって機能相補的に行われていることが明らかになった。

第3章ではHsfA1a、HsfA1b、HsfA1dによる高温ストレス応答の制御について述べた。

HsfA1a、HsfA1b、HsfA1dが制御する遺伝子を広く把握するためにマイクロアレイ解析を行った。高温ストレス処理1時間において野生型と変異体の間で、発現量が2倍以上減少する遺伝子が713個存在していた。発現量が減少していた遺伝子の中には、高温ストレス応答に重要な転写因子HsfA2も含まれていた。発現が大きく減少した遺伝子には分子シャペロンが多く、HsfA1a、HsfA1b、HsfA1dは高温ストレス下におけるタンパク質の保護に関する機能において非常に重要な役割を持っていることが明らかになった。

HsfA1a、HsfA1b、HsfA1dの三遺伝子は高温ストレスの前後で発現量がほとんど変化しないため、高温ストレス時にのみに働く活性制御機構の存在が予想された。GFP融合タンパク質をシロイヌナズナに発現させ、HsfA1タンパク質の動態を調べたところ、HsfA1b、HsfA1dは高温ストレスにより核に移行することが明らかになった。さらに、HSP90阻害剤であるGDA処理による実験から、HsfA1b、HsfA1dの高温ストレスによる局在変化はHSP90によって制御されていると考えられた。一方、GDA処理した野生型において、DREB2Aの遺伝子発現はほとんど上昇していなかったことから、局在変化以外にもHsfA1の活性化を制御する機構が存在すると考えられた。

第4章ではHsfA1サブファミリー遺伝子による生育制御機構の解析について述べた。HsfA1サブファミリー遺伝子は、HsfA1a、HsfA1b、HsfA1dの3つにHsfA1eを加えた4つの遺伝子で構成されている。そこで、HsfA1eの機能及びHsfA1サブファミリー全体の機能の解析を試みた。

hsfa1a/b/d/e四重変異体を用いてマイクロアレイ解析を行ったところ、通常の生育条件下でも遺伝子発現が大きく変化していた。HsfA1サブファミリー遺伝子は、通常の生育条件下においても遺伝子発現制御に重要な役割を果たしていることが明らかになった。このような四重変異体では、発芽から枯死するまで、常に生育が遅れることも観察された。

第5章では、本研究で得られた結果を総合考察した。本研究によって、高温ストレス下においてHsfA1a、HsfA1b、HsfA1dの三つの遺伝子が機能相補的にDREB2Aを含む多くの高温ストレス誘導性遺伝子の初期応答を制御していることが明らかになった。HsfA1bとHsfA1dはHSP90の作用により高温ストレスを受けた直後に核へ集積することも明らかとなったが、下流遺伝子の発現誘導には核移行以外にも何らかの活性化の制御を受けていることも示された。また、通常の生育条件下において、HsfA1eを含む四つのHsfA1サブファミリータンパク質は、種々の遺伝子の発現を制御し、植物の生育を支えていることも明らかにした。

本論文は、高温ストレス下において遺伝子発現誘導される転写因子遺伝子であるDREB2Aの発現解析を行うことで、その高温による発現誘導を制御する転写因子としてHsfA1ファミリーを同定し、HsfA1ファミリーが多くの高温ストレス誘導性遺伝子を制御す鍵転写因子であることを明らかにしたものである。また、HsfA1ファミリーの細胞内局在や転写活性化能に関する知見は、高温ストレスの受容から耐性獲得遺伝子群の発現にいたる全容の解明に貢献するものと期待される。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51984