学位論文要旨



No 126901
著者(漢字) 吉田,拓也
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,タクヤ
標題(和) 植物ホルモンのアブシシン酸応答性遺伝子発現機構に関与する転写因子AREBの機能解析
標題(洋)
報告番号 126901
報告番号 甲26901
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3654号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 篠崎,和子
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 浅見,忠男
 東京大学 准教授 澤,修一
 東京大学 講師 刑部,祐里子
内容要旨 要旨を表示する

序論

水はすべての生命の源であり、植物においては分布域や生産性を決める最も重要な要素の一つである。植物ホルモンアブシシン酸(ABA)は植物の水利用に深く関係しており、種子の成熟や発芽、気孔の閉鎖、乾燥ストレス誘導性遺伝子の発現誘導などで重要な役割をはたしている。乾燥や高塩濃度などの水ストレス時にはABAの細胞内濃度が上昇し、ストレス耐性に機能する多くの遺伝子の発現が誘導される。これらABA誘導性遺伝子の多くはそのプロモーター領域にABA応答配列(ABRE)をもち、ABRE配列に結合するタンパク質としてAREB/ABF転写因子が単離された。シロイヌナズナゲノム中には9個のAREB/ABF転写因子が存在するが、そのうちAREB1, AREB2, ABF3は乾燥、塩、またはABA処理により栄養生長期の植物体で発現が強く誘導され、ABAを介した乾燥ストレス耐性の獲得に機能する主要な転写因子であることが主に過剰発現体を用いた解析から示唆されていた。しかし、これまでこれら3個のAREB/ABF転写因子についての網羅的な解析はなされておらず、その機能がどの程度重複しているかは明らかにされてこなかった。

本研究では、植物の水ストレス応答機構におけるABRE配列を介したABAシグナル伝達の分子機構を解明する目的で、シロイヌナズナのAREB/ABF転写因子の機能解析をおこなった。また、AREB1をイネに過剰発現させることで乾燥ストレス耐性イネの作出を試みた。

1.シロイヌナズナAREB/ABF転写因子の機能解析

1-1.水ストレス誘導性AREB1, AREB2, ABF3の機能解析

水ストレス応答におけるABAシグナル伝達の正の制御因子として同様の機能をもつことが示唆されていた水ストレス誘導性転写因子AREB1, AREB2, ABF3について、その機能的重複性を明らかにするため、まずAREB/ABFタンパク質についてその細胞内局在性および転写活性化機構を解析した。AREB1, AREB2, ABF3は既に報告されていた組織特異的遺伝子発現パターンに加え、タンパク質の細胞内核局在性についても類似していることを、GFP融合タンパク質を用いた解析により示した。また、AREB1についてのみ遺伝子発現誘導に加えリン酸化による活性化を受けていることが報告されていたが、葉肉細胞由来プロトプラストを用いた一過的発現実験によりAREB1, AREB2, ABF3が最大活性化を示すには共通してABAが必要であることを明らかにした。このABAによる活性化は、イネAREB/ABFオルソログにおいても同様であった。SRK2Dタンパク質キナーゼはAREB1のリン酸化を制御する重要な上流活性化因子の一つであるが、AREB1, AREB2, ABF3はSRK2Dと植物細胞内の核で相互作用することが示された。以上の結果は、AREB1, AREB2, ABF3タンパク質がその機能や細胞内局在性について類似していることを示しており、機能重複が存在することが示唆された。

機能的に重複していることが考えられたAREB/ABF転写因子について、先行研究で用いられた過剰発現体に付随する異所的発現の問題や、機能重複による問題を回避するため、areb1 areb2 abf3三重変異体を作出し、AREB1, AREB2, ABF3の植物体における機能を解析した。areb1 areb2 abf3三重変異体は野生型植物やその他の一重および二重変異体と比較して顕著に乾燥ストレス耐性が低下しており、栄養生長期の主根の伸長におけるABA感受性も著しく低下していた。さらに、areb1 areb2 abf3三重変異体を用いた網羅的なトランスクリプトーム解析により、areb1 areb2 abf3三重変異体では水ストレス時に水ストレス応答性遺伝子発現が大きく損なわれていることが示された。このマイクロアレイ解析により同定された新規AREB/ABF標的遺伝子には多数のLEAタンパク質遺伝子、グループA PP2Cタンパク質脱リン酸化酵素遺伝子、種々の転写因子遺伝子が含まれており、その多くはプロモーター領域にABRE配列を保持していた。

以上の結果から、AREB1, AREB2, ABF3が乾燥ストレス応答でのABAシグナル伝達を介したABRE配列依存的な遺伝子発現制御において中心的な転写因子として協調的に機能し、その活性化にはABAが必要であることを明らかにした。

1-2.ABAを介した水ストレス応答におけるABF1の機能解析

ここまで、AREB1, AREB2, ABF3が水ストレス応答でのABAを介したABRE配列依存的遺伝子発現制御において、中心的な役割をはたす転写因子であることを明らかにした。また、最近の報告によりこのAREB/ABF転写因子による遺伝子発現制御が3個のSnRK2タンパク質キナーゼを介した発現制御系の一部として機能していることが示され、同時に、AREB1, AREB2, ABF3以外の因子がSnRK2の下流で機能していることが示唆された。AREB1, AREB2, ABF3は系統樹上で同一の群に属するが、この群に含まれるABF1は水ストレスによる遺伝子発現誘導が顕著でないことから水ストレス応答への関与は解析されてこなかった。そこで、水ストレス応答時のAREB/ABF転写因子の役割を総合的に理解することを目的に、ABF1が水ストレス応答におけるABAシグナル伝達に関与しているかどうかを明らかにするため、areb1 areb2 abf3 abf1四重変異体を作出し、areb1 areb2 abf3三重変異体と比較解析をおこなった。

areb1 areb2 abf3 abf1四重変異体はareb1 areb2 abf3三重変異体と比較して栄養生長期の主根の伸長においてわずかなABA感受性の低下を示した。また、マイクロアレイ解析により、四重変異体において水ストレス時に顕著に発現が低下している遺伝子のうちSnRK2の標的遺伝子に含まれる遺伝子の数が三重変異体と比較して増加していることが示された。さらに、ABF1タンパク質はAREB1, AREB2, ABF3と同様にその最大活性化にABAを必要とし、根における細胞内局在はAREB1と類似していた。以上の結果から、ABF1が栄養生長期のABAシグナル伝達においてAREB1, AREB2, ABF3と重複した機能をもっていることが示唆された。

2.シロイヌナズナAREB1過剰発現イネの解析

AREB/ABF転写因子はシロイヌナズナのABAを介した遺伝子発現制御において中心的な役割をもっているが、シロイヌナズナとイネではABRE配列やAREB/ABF転写因子などABAを介した遺伝子発現制御に関与する因子が共通して保存されていることから、AREB/ABF転写因子が水ストレス耐性イネの分子育種に有用であることが考えられた。AREB1はシロイヌナズナのAREB/ABF転写因子のうち最も解析が進んでおり、活性化型AREB1を過剰発現したシロイヌナズナは乾燥ストレス耐性が向上することが報告されている。そこで、AREB1および活性化型AREB1をイネに過剰発現させることで乾燥ストレス耐性イネの作出を試みた。

AREB1を過剰発現する形質転換イネは幼植物体においてわずかな生育の遅延を示したが、乾燥ストレス耐性の向上を示した。また、出穂期の植物体ではコントロール植物と比較して乾燥ストレスによる葉の老化が遅れ、乾燥ストレスによる収量の低下が緩和された。これらの結果から異所的に発現したシロイヌナズナAREB1がイネの乾燥ストレス耐性の獲得に寄与していることが示唆された。

結論

本研究により、水ストレス誘導性転写因子AREB1, AREB2, ABF3が水ストレス応答におけるABAを介したABRE配列依存的な遺伝子発現制御において中心的な役割をはたしていることを明らかにした。また、AREB/ABFの最大転写活性化にはABAが必要であることを示し、その機構が陸上植物で保存されていることを示唆した。さらに、網羅的なトランスクリプトーム解析によりAREB/ABF転写因子の新規標的遺伝子を多数同定し、ABAを介したABRE配列依存的なLEAタンパク質遺伝子、PP2Cタンパク質脱リン酸化酵素遺伝子、種々の転写因子遺伝子の発現が乾燥ストレス耐性の獲得に重要であることを示した。加えて、シロイヌナズナAREB1をイネに過剰発現させることで乾燥ストレス耐性が向上することを示し、AREB/ABF転写因子が水ストレス耐性イネの分子育種に有用であることを示唆した。

Yoshida T, Fujita Y, Sayama H, Kidokoro S, Maruyama K, Mizoi J, Shinozaki K, and Yamaguchi-Shinozaki K. (2010) AREB1, AREB2, and ABF3 are master transcription factors that cooperatively regulate ABRE-dependent ABA signaling involved in drought stress tolerance and require ABA for full activation. Plant J 61: 672-685.
審査要旨 要旨を表示する

第1章では、本研究の背景および目的について述べた。植物ホルモンのアブシシン酸(ABA)は、乾燥や高塩濃度などの水ストレス時に細胞内濃度が上昇し、それが引き金となってストレス耐性に機能する多くの遺伝子の発現が誘導される。これらABA誘導性遺伝子の多くはそのプロモーター領域にABA応答配列(ABRE)をもち、ABRE配列に結合するタンパク質としてAREB/ABF転写因子が単離された。シロイヌナズナゲノム中には9個のAREB/ABF転写因子が存在するが、そのうちAREB1, AREB2, ABF3は乾燥、塩、またはABA処理により栄養生長期の植物体で発現が誘導される。主に過剰発現体を用いた解析から、これら3個のAREB/ABF転写因子がABAシグナル伝達の正の制御因子として乾燥ストレス耐性の獲得に関与していることが示唆されていたが、AREB1, AREB2, ABF3についての網羅的な解析はなされておらず、その機能がどの程度重複しているかは明らかにされてこなかった。

本研究では、植物の水ストレス応答におけるABAシグナル伝達の分子機構を解明する目的で、シロイヌナズナAREB1, AREB2, ABF3転写因子の機能解析をおこなった。また、AREB1をイネに過剰発現させることで乾燥ストレス耐性イネの作出を試みた。

第2章では、シロイヌナズナAREB/ABF転写因子の機能解析について述べた。ABAを介した水ストレス応答において同様の機能をもつことが示唆されていたAREB1, AREB2, ABF3について、その機能的重複性を明らかにするため、AREB/ABFタンパク質の細胞内局在性や転写活性化機構を解析した。AREB1, AREB2, ABF3タンパク質は細胞内核局在性、ABAによる転写活性化、およびSRK2Dタンパク質キナーゼとの相互作用について同様であり、これらの結果からAREB1, AREB2, ABF3が機能的に重複した転写因子であることが示唆された。

機能的に重複していることが示唆されたAREB/ABF転写因子について、さらに植物体における機能を明らかにするため、areb1 areb2 abf3三重変異体を用いて解析をおこなった。areb1 areb2 abf3三重変異体は野生型植物やその他の一重および二重変異体と比較して顕著に乾燥ストレス耐性が低下しており、栄養生長期の主根の伸長におけるABA感受性も著しく低下していた。さらに、網羅的なトランスクリプトーム解析により、areb1 areb2 abf3三重変異体では水ストレス時に水ストレス応答性遺伝子の発現が大きく損なわれていることが示された。このマイクロアレイ解析により同定された新規AREB/ABF下流遺伝子の多くはプロモーター領域に機能的なABRE配列を保持しており、多数のLEAタンパク質遺伝子、グループA PP2Cタンパク質脱リン酸化酵素遺伝子、転写因子遺伝子が含まれていた。

以上の結果から、AREB1, AREB2, ABF3が水トレス応答時のABAによるABRE配列を介した遺伝子発現制御において中心的な転写因子として協調的に機能し、その活性化にはABAが必要であることを明らかにした。

第3章では、シロイヌナズナAREB1をイネに過剰発現させることで乾燥ストレス耐性イネの作出を試みた。AREB1を過剰発現する形質転換イネは幼植物体においてわずかな生育の遅延を示したが、乾燥ストレス耐性の向上を示した。また、出穂期の植物体ではコントロール植物と比較して乾燥ストレスによる葉の老化が遅くなり、乾燥ストレスによる収量の低下が緩和された。これらの結果から異所的に発現したシロイヌナズナAREB1がイネの乾燥ストレス耐性の獲得に寄与していることが示唆された。

第4章では、本研究で得られた結果を結論としてまとめた。本研究により、シロイヌナズナAREB1, AREB2, ABF3が水ストレスに応答したABAによるABRE配列を介した遺伝子発現制御において中心的な役割をはたしていることを明らかにした。また、AREB/ABFの最大転写活性化にはABAが必要であることを示し、その機構が陸上植物で保存されていることが示唆された。加えて、網羅的なトランスクリプトーム解析によりAREB/ABF転写因子の新規標的遺伝子を多数同定し、ABAによるABRE配列を介したLEAタンパク質遺伝子、PP2Cタンパク質脱リン酸化酵素遺伝子、転写因子遺伝子の発現が乾燥ストレス耐性の獲得に重要であることを示した。さらに、シロイヌナズナAREB1をイネに過剰発現させることで乾燥ストレス耐性が向上することを示し、AREB/ABF転写因子が水ストレス耐性イネの分子育種に有用であることが示唆された。

本論文は、乾燥ストレス下において合成される植物ホルモンのABAによる遺伝子発現制御機構に関わる転写因子を同定し、その標的遺伝子群を明らかにすることで植物の乾燥ストレス耐性の獲得機構におけるこれらの転写因子の役割を明らかにしたものである。また、同定された転写因子をイネ等の作物に導入することで高い乾燥耐性を付与することも明らかにしたことから、環境ストレス耐性作物の分子育種法の開発にも貢献するものと期待される。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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