学位論文要旨



No 126902
著者(漢字) 申,喜淳
著者(英字)
著者(カナ) シン,ヒスン
標題(和) 腸管上皮細胞におけるクロロゲン酸の抗炎症効果
標題(洋) Anti-inflammatory effect of chlorogenic acid in intestinal epithelial cells
報告番号 126902
報告番号 甲26902
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3655号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 教授 尾崎,博
 東京大学 特任教授 加藤,久典
 東京大学 准教授 戸塚,護
内容要旨 要旨を表示する

近年、従来の栄養素の供給源としての機能だけではなく、病気の予防などに関わる生体調節機能を持つ食品が注目を集めている。このような機能性食品は、癌、糖尿病、高血圧といった生活習慣病を予防するための重要なアイテムとなることが期待されており、社会的に大きな注目を集めている。一方、近年、食生活の変化に伴って消化管に関する疾患が急激に増加している。中でも潰瘍性大腸炎及びクローン病に代表される炎症性腸疾患は、爆発的な増加が見られ今後もその増加が懸念される疾患である。また炎症性腸疾患は、やはり近年増加の一途を辿り近い将来死因の第一位を占めることが予想される大腸癌のリスクファクターでもあり、炎症性腸疾患の予防・改善は大腸癌の予防・改善にもつながる。このような背景のもと、食品による炎症性腸疾患の予防・改善は、21世紀に人々が健康な暮らしをおくる上で必要不可欠であると思われる。炎症性腸疾患では、酸化ストレスや炎症性サイトカインなど様々な刺激が腸管上皮細胞に作用し、それらの刺激によって炎症性サイトカインであるinterleukin 8(IL-8)が過剰に分泌される。IL-8は好中球などの免疫細胞を誘引し、誘引された免疫細胞から分泌される活性酸素種や炎症性サイトカインは再び腸管上皮細胞に作用する、といった炎症ループが腸炎症の病態を悪化させていると考えられる。

そこで本研究では、酸化ストレスや炎症性サイトカインなどによって腸管上皮細胞から分泌が誘導されるIL-8に注目し、コーヒーなどに多く含まれるポリフェノールの一種であるクロロゲン酸とその代謝物がIL-8産生に及ぼす影響について検討するとともに、その機構を解析することとした。

第一章.腸管におけるクロロゲン酸及びコーヒー酸の抗炎症作用

実際の炎症性腸疾患の発症時には、酸化ストレスや炎症性サイトカインなどが同時に腸管上皮細胞を刺激することから、本研究では酸化ストレスとして過酸化水素(H2O2)、炎症性サイトカインとしてtumor necrosis factor alpha(TNF-α)を用い、ヒト結腸癌由来の腸管上皮モデル細胞であるCaco-2細胞に同時刺激することで実際の炎症性腸疾患と近い実験系を構築した。刺激の条件としては2mMのH2O2で30分間、10ng/mlのTNF-αで細胞を24時間同時刺激し、これによって誘導されるIL-8分泌量をELISA法で測定した。その結果、H2O2とTNF-αの同時刺激によって誘導されたIL-8分泌は、単独刺激によって誘導されたIL-8分泌に比べ、非常に高いIL-8分泌量を示した。この相乗効果はIL-8のタンパクレベルだけではなく、mRNA及び転写レベルでも確認された。またH2O2とTNF-αの同時刺激によって誘導されたIL-8産生亢進はmitogen-activated protein kinases(MAPKs)のシグナル経路ではなく、nuclear factor kappa B(NF-кB)のシグナル経路を介していることがNF-кBの転写活性、NF-кBのサブユニットである p65の核内移行を確認することで明らかとなった。このことからIL-8が産生される炎症性腸疾患の機構にはNF-кBのシグナル経路が深く関与し、重要であることが示唆された。

そこでこの実験系を用いて、クロロゲン酸とその代謝物がIL-8産生に及ぼす影響について検討することとした。その結果、クロロゲン酸はH2O2とTNF-αの同時刺激によって誘導されたIL-8産生を抑制した。またクロロゲン酸の代謝物であるコーヒー酸とキナ酸を調べた結果、コーヒー酸は強い抑制効果を示した反面、キナ酸にはIL-8産生を抑制する効果は認められなかった。さらにdextran sulfate sodium(DSS)によって誘導される大腸炎マウスモデルを用いて、クロロゲン酸とコーヒー酸の影響を調べた。C57BL/6マウスをコントロール群、DSS群、クロロゲン酸-DSS群、コーヒー酸-DSS群の四群に分け、クロロゲン酸-DSS群にはクロロゲン酸、またコーヒー酸-DSS群にはコーヒー酸を、DSSを投与する一週間前から胃内強制投与した。それ後、大腸炎を誘発するために、DSS群に3%のDSSを8日間自由摂取させ、クロロゲン酸-DSS群とコーヒー酸-DSS群には引き続きクロロゲン酸とコーヒー酸の投与を行った。実験開始15日間後にマウスを解剖に供し、大腸炎の指標として体重変化、下痢、血便、結腸の長さ、組織学的変化、炎症性サイトカインを測定した。その結果、DSSによって誘導された体重減少、下痢、血便、結腸の収縮といった大腸炎の症状が、クロロゲン酸及びコーヒー酸投与群では有意に軽減された。さらにクロロゲン酸とコーヒー酸投与群では、DSSによって誘導された粘膜及びクリプトの損傷やリンパ球の浸潤などが改善され、特にクロロゲン酸投与群では炎症性サイトカインであるMIP-2、IL-1βなどのmRNA発現が強く抑制されることが認められた。

以上より、クロロゲン酸とその代謝物であるコーヒー酸はin vitroでH2O2とTNF-αによって誘導されたIL-8産生を抑制するとともに、in vivoでDSSによって誘導された腸炎症を予防する効果を示し、腸管におけるクロロゲン酸及びコーヒー酸の抗炎症作用が認められた。

第二章.腸管上皮細胞におけるクロロゲン酸及びコーヒー酸の抗炎症機構の解析

第一章で見出された腸管におけるクロロゲン酸とコーヒー酸の抗炎症作用に対し、その作用機構を解析することとした。第1章ではH2O2とTNF-αの同時刺激を用いたが、H2O2とTNF-αの相乗作用があることからその機構の解析がより複雑になると判断し、まずそれぞれ単独で刺激した際のIL-8産生亢進に対するクロロゲン酸とコーヒー酸の作用を検討した。その結果、TNF-αによって誘導されたIL-8産生においてクロロゲン酸とコーヒー酸は抑制する効果はみられなかったが、H2O2によって誘導されたIL-8産生においてクロロゲン酸とコーヒー酸は抑制する効果が認められた。さらにIL-8のmRNA発現量、転写活性までクロロゲン酸とコーヒー酸が抑制することを見出した。次にIL-8発現の上流に位置する転写因子であるNF-кBに注目し、その転写活性とp65の核内移行への影響を調べた。その結果、クロロゲン酸とコーヒー酸はH2O2によって誘導されたNF-кBの転写活性及びp65の核内移行を抑制し、さらにいずれもI kappa B kinase(IKK)のリン酸化を抑制した。しかしながらNF-кBを活性化することが知られているTNF-αに対してはクロロゲン酸とコーヒー酸は抑制する効果を示していなかったことから、次にH2O2によって特異的に誘導されるprotein kinase D(PKD)の活性に対する作用を調べた。その結果、クロロゲン酸とコーヒー酸はH2O2によって誘導されるPKDのリン酸化を抑制した。PKDの活性化には細胞内のreactive oxygen species(ROS)が関与していることから細胞内のROSを調べた結果、クロロゲン酸とコーヒー酸はH2O2によって誘導された細胞内のROSを除去することが見出された。つまり、クロロゲン酸とコーヒー酸は腸管上皮細胞において酸化ストレスによって産生された細胞内の活性酸素を除去することでIL-8産生亢進を抑制することが明らかとなった。

またクロロゲン酸とコーヒー酸の抗炎症効果をもたらす化学構造の活性部位を調べるため、構造類似体を用いて構造活性相関の解析をおこなった。その結果、クロロゲン酸とコーヒー酸がIL-8を抑制する抗炎症作用を示すにはカテコール基が必須であることが明らかとなった。さらにカテコール基を含む構造類似体であるプロトカテク酸とジヒドロキシカフェ酸はH2O2によって誘導されたIL-8を抑制する効果を示し、その抑制効果の強さはジヒドロキシカフェ酸≦クロロゲン酸<コーヒー酸<プロトカテク酸であることが示された。これらの抗炎症能は完全に抗酸化能とは一致しないが、抗炎症、抗酸化能にはカテコール基が重要であることが明らかとなった。

クロロゲン酸とその代謝物であるコーヒー酸は、コーヒーをはじめ多くの日常的な食品に含まれているので、本研究で見出されたクロロゲン酸とコーヒー酸の抗炎症作用は、これらの食品に新しい付加価値を与えるとともに、新規な抗炎症食品の開発などにも役立つものと期待される。

<腸管におけるクロロゲン酸の抗炎症作用>

審査要旨 要旨を表示する

近年、食生活の変化に伴って潰瘍性大腸炎及びクローン病に代表される炎症性腸疾患が急激に増加している。炎症性腸疾患では、酸化ストレスや炎症性サイトカインなど様々な刺激が腸管上皮細胞に作用し、炎症性サイトカインであるinterleukin 8(IL-8)が過剰に分泌される。IL-8は好中球などの免疫細胞を誘引し、さらに活性酸素種や炎症性サイトカインを産生誘導し、腸炎症の病態を悪化させていると考えられる。本研究は、酸化ストレスや炎症性サイトカインなどによって腸管上皮細胞から分泌が誘導されるIL-8に注目し、コーヒーなどに多く含まれるフェノールカルボン酸であるクロロゲン酸が細胞のIL-8産生に及ぼす影響について検討するとともに、その機構を解析したもので、2章からなる。

第1章第1節では、酸化ストレスとして過酸化水素(H2O2)、炎症性サイトカインとしてtumor necrosis factor(TNF)-αを用い、ヒト結腸癌由来の腸管上皮細胞株であるCaco-2を同時に刺激することで実際の炎症性腸疾患時の細胞と類似した実験系を構築した。

第2節では、この実験系を用いてクロロゲン酸がIL-8産生に及ぼす影響について検討した。その結果、クロロゲン酸はH2O2とTNF-αの同時刺激によって誘導されたIL-8産生を抑制した。またクロロゲン酸の代謝物であるコーヒー酸とキナ酸を調べた結果、コーヒー酸は強いIL-8産生抑制効果を示した反面、キナ酸には効果は認められなかった。一方、dextran sulfate sodium(DSS)によって誘導される大腸炎マウスモデルを用いて、クロロゲン酸とコーヒー酸の影響を調べた。その結果、DSSによって誘導された体重減少、下痢、血便、結腸の収縮といった大腸炎の症状が、クロロゲン酸及びコーヒー酸投与群では有意に軽減された。さらにクロロゲン酸とコーヒー酸投与群では、DSSによって誘導された粘膜及びクリプトの損傷やリンパ球の浸潤などが改善され、特にクロロゲン酸投与群では炎症性サイトカインであるMIP-2、IL-1βなどのmRNA発現が強く抑制されることが認められた。以上より、クロロゲン酸及びコーヒー酸はin vitroでH2O2とTNF-αによって誘導されたIL-8産生を抑制するとともに、in vivoでDSSによって誘導された腸炎症を予防する効果を示し、腸管におけるクロロゲン酸及びコーヒー酸の抗炎症作用が認められた。

第2章第1節では、腸管におけるクロロゲン酸とコーヒー酸の抗炎症作用に対し、その作用機構を解析することとした。その結果、TNF-αによって誘導されるIL-8産生についてはクロロゲン酸とコーヒー酸は抑制効果を示さなかったが、H2O2によって誘導されたIL-8産生についてはクロロゲン酸とコーヒー酸で抑制される効果が認められた。さらにIL-8のmRNA発現量、転写活性もクロロゲン酸とコーヒー酸で抑制されることを見出した。次にIL-8発現の上流に位置する転写因子であるNF-кBに注目し、その転写活性とp65の核内移行への影響を調べた。その結果、クロロゲン酸とコーヒー酸はH2O2によって誘導されるNF-кBの転写活性及びp65の核内移行をいずれも抑制し、さらにI kappa B kinase(IKK)のリン酸化も抑制した。次にH2O2によって特異的に誘導されるprotein kinase D(PKD)の活性に対する作用を調べた。その結果、クロロゲン酸とコーヒー酸はH2O2によって誘導されるPKDのリン酸化を抑制した。PKDの活性化には細胞内のreactive oxygen species(ROS)が関与していることから細胞内のROSを調べた結果、クロロゲン酸とコーヒー酸はH2O2によって誘導された細胞内のROSを除去することが見出された。つまり、クロロゲン酸とコーヒー酸は、酸化ストレス刺激を受けた腸管上皮細胞内で産生された活性酸素を除去することで上皮細胞におけるIL-8産生亢進を抑制することが明らかとなった。

第2節では、クロロゲン酸とコーヒー酸の抗炎症効果をもたらす化学構造の活性部位を調べるため、各種の構造類似体を用いて構造活性相関の解析をおこなった。その結果、クロロゲン酸とコーヒー酸が細胞のIL-8産生を抑制する作用を示すにはカテコール基が必須であることが明らかとなった。

本研究は、食品成分であるクロロゲン酸及びコーヒー酸が腸管上皮細胞における炎症性サイトカインIL-8の分泌亢進を抑制することを見出し、DSSマウスモデルにおいてこれらの大腸炎予防・改善効果を検証するとともに、その作用機構の一端を分子レベルで解析したもので、学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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