学位論文要旨



No 126903
著者(漢字) 城,景子
著者(英字)
著者(カナ) タカギ,ケイコ
標題(和) 酵母における生体膜構成リン脂質ホスファチジルエタノールアミンの動態に関する分子遺伝学的研究
標題(洋)
報告番号 126903
報告番号 甲26903
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3656号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 准教授 舘川,宏之
 東京大学 准教授 堀内,裕之
 理化学研究所 主任研究員 小林,俊秀
内容要旨 要旨を表示する

生体膜の主要な構成成分であるリン脂質は、膜の脂質二重層間で非対称的に分布しているというモデルが広く受け入れられている。このうち、ホスファチジルエタノールアミン(PE)は、細胞膜において脂質二重層の内層側に偏って分布していると考えられている。この非対称分布は、エネルギー依存的に脂質を外層側から内層側へ輸送する酵素フリッパーゼにより形成、維持されていると考えられているが、その詳しい分子機構や生理的意義などについては未解明の部分が多い。本研究では、遺伝学的な解析が容易な酵母Saccharomyces cerevisiaeを用いて、PEの非対称分布の形成、維持機構やその意義を解明することを目的とした。

放線菌Streptoverticillium griseoverticillatum (baldaccii)の産生する環状ペプチドRo09-0198(分子量 2,041)はPEと特異的に結合する抗生物質であり、グラム陽性細菌に対する殺菌活性や、様々な動物由来の赤血球を溶解させる性質を持つ。この細胞障害性は、Ro09-0198が細胞表面に露出したPEに結合し、膜に穴が形成されることによると考えられている。当研究室では、酵母S. cerevisiaeに対するRo09-0198の作用を調べ、Ro09-0198はS. cerevisiaeに対しても細胞障害性を示すこと、PE合成を抑制した酵母細胞はRo09-0198に対する耐性が上昇することが示されている。本研究では、このRo09-0198を用いて、PEの動態に関わる新たな因子の取得を試みた。

1. Ro09-0198感受性遺伝子破壊株の解析

酵母S. cerevisiaeには約6,000のORFが存在し、このうち生育に必須でないORFは約5,000である。この必須でない遺伝子全ての単独破壊株のコレクションがEUROPEAN SACCHAROMYCES CEREVISIAE ARCHIVES FOR FUNCTIONAL ANALYSIS (EUROSCARF)によって作製されている。この遺伝子破壊株コレクション中からPEの動態に関わる因子の遺伝子破壊株を選び出すことを目的とし、遺伝子破壊株コレクション4,926株に対し、Ro09-0198に感受性を示す株の探索を行った。Ro09-0198に対して感受性を示す株の中には、遺伝子の破壊によって細胞膜におけるPEの非対称分布が崩れ、PEが外層側に多く露出した株が含まれる可能性が期待できる。各遺伝子破壊株のRo09-0198を含む培地における生育を調べた結果、野生型株の致死濃度の約半分である50μMのRo09-0198を含む培地で生育阻害を示した株が260株得られ、このうち79株は25μMのRo09-0198を含む培地においても生育阻害を示した。

次に、25μMのRo09-0198に対して感受性を示した79株の遺伝子破壊株における、PEの蛍光アナログ、NBD-PEの細胞内への取り込みを調べた。NBD-リン脂質は、リン脂質の外層側から内層側への輸送(フリップ)活性の指標として用いられており、NBD-PEの細胞内への取り込み量が減少した株では、細胞膜におけるNBD-PEのフリップに障害が生じている可能性が期待できる。79株の遺伝子破壊株において、細胞内へのNBD-PEの取り込み量を測定したところ、NBD-PEの取り込み量の減少を示した株は、既にリン脂質のフリップに関わることが示唆されているRos3p/Lem3p、Dnf1p、Drs2p、Fpk1pの遺伝子破壊株を含め26株であった。更に、このうちNBD-PEの取り込み量が野生型株の7割以下に減少していた12株について、エンドサイトーシスマーカーFM4-64およびLucifer yellowの細胞内への取り込みに大きな欠損がないことを確認した。よって、NBD-PEの取り込み量の減少はエンドサイトーシス機構に障害が生じたことによるものではないことが示唆され、これらの株の中にPEの動態に関わる因子の遺伝子破壊株が含まれている可能性が期待された。

2. 小胞輸送とPEの動態の関連の解析

EUROSCARF遺伝子破壊株コレクションを用いたスクリーニングにおいてRo09-0198感受性を示し、且つNBD-PEの細胞内への取り込み量の減少を示した遺伝子破壊株の中には、小胞輸送に関わる因子の遺伝子破壊株が多く含まれていた。特に、このうちVps51p、Vps52p、Vps54pはVps53pと共に複合体を形成して機能することが示唆されているものであった。そこで、VPS53遺伝子破壊株を新たに単離し直したところ、vps53Δ株もRo09-0198感受性を示し、NBD-PEの取り込みに欠損を示すことが示唆された。Vps51p、Vps52p、Vps53p、Vps54pは、エンドソームからトランスゴルジネットワーク (TGN) への逆行輸送において、Golgi-associated retrograde protein (GARP) complex / Vps fifty-three (VFT) complexを形成し、エンドソーム由来の輸送小胞のTGN膜への融合に関わることが示唆されている。よって、GARP complexの機能と細胞膜におけるPEの動態との間に関連がある可能性が考えられた。

そこで、アミノリン脂質のフリッパーゼと推定されているP-type ATPase Drs2p/Neo1p ファミリータンパク質のうち、細胞膜に局在することが示唆されているDnf1pおよびDnf2pのC末端にEGFPを付加した融合タンパク質を発現する低コピープラスミドを構築し、これを用いてDnf1p-GFP、Dnf2p-GFPの局在を観察したところ、野生型株では細胞表層の主にbudの表面やbud neckに局在が観察されるのに対し、vps51Δ株、vps52Δ株、vps53Δ株、vps54Δ株では細胞内部の膜構造と思われる部位に蛍光が蓄積していた。

また、GARP complexと共にエンドソームからの輸送小胞のTGN膜への融合に機能することが示唆されているRab/Ypt ファミリータンパク質Ypt6p、Ypt6pのグアニンヌクレオチド交換因子 (GEF)として機能することが示唆されているRic1pおよびRgp1p、Ypt6pのGTPase活性化タンパク質 (GAP)として機能することが示唆されているGyp2p/Mdr1pの遺伝子破壊株についてRo09-0198感受性を調べたところ、ypt6Δ株、ric1Δ株、rgp1Δ株はRo09-0198感受性を示した。また、これらの遺伝子破壊株におけるDnf2p-GFPの局在を調べたところ、Dnf2p-GFPの蛍光が2割程度観察された。また、ypt6Δ株、ric1Δ株、rgp1Δ株ではDnf2p-GFPの蛍光が細胞内部の膜構造と思われる部位に蓄積している細胞が2割程度観察された。

更に、GARP complexと共にTGNへの輸送小胞の融合に機能すると考えられているt-SNAREであるTlg2pの遺伝子破壊株も、スクリーニングにおいてRo09-0198感受性およびNBD-PEの取り込みの欠損を示しており、tlg2Δ株におけるDnf2p-GFPの局在を調べたところ、Dnf2p-GFPが細胞全体に拡散している細胞が多く観察された。また一部の細胞はDnf2p-GFPが細胞の内部の膜構造と思われる部位に局在していた。

以上の結果より、GARP complex がDnf1pおよびDnf2pのリサイクリングにおいて初期エンドソームからTGNへの逆行輸送に関わっていることが強く示唆された。

3. Ro09-0198超感受性変異株S4株の解析

当研究室では、Ro09-0198に超感受性を示すRo09-0198超感受性変異株S1~S16株が取得され、更にこのうちS6、S10、S14株に対して詳しく解析が行われBee1p/Las17p、Vps45p、Vps33p、Vps34p、End3p、Sla2p/End4p、Vrp1p/End5p、Ssd1pの関与が示唆された。また、共同研究者の加藤らは、S3株の解析から、細胞膜におけるPEのフリップに関わる因子としてRos3p (Ro-sensitive 3)/Lem3pを同定した。

本研究では、他のRo09-0198超感受性変異株について、温度感受性およびNBD-PEの取り込みを調べた。NBD-PEの取り込み量に減少を示し、Ro09-0198感受性変異と温度感受性変異の間に強い相関がみられたS4株についてRo09-0198感受性を相補する遺伝子の取得を試みた。その結果、S4株の温度感受性およびRo09-0198感受性を部分的に回復する遺伝子として、SYP1およびSSD1が得られた。Syp1pはエンドサイトーシスの初期段階において機能することが示唆されていることから、S4株のRo09-0198感受性が、この過程に関わる因子の変異に起因する可能性も考えられた。Ssd1pはRNAに結合し、細胞内の様々な機能に関わることが示唆されており、S4株のRo09-0198感受性変異にも関わりを持つ可能性が示唆された。更に、SYP1pについては遺伝子破壊株を作製したが、SYP1遺伝子破壊株はRo09-0198感受性を示さなかった。

審査要旨 要旨を表示する

生体膜の主要な構成成分であるリン脂質は、生体膜の脂質二重層間で非対称的に分布していると考えられている。細胞膜では、酵母から動物細胞に至るまで、ホスファチジルセリン (PS)、ホスファチジルエタノールアミン (PE)、ホスファチジルイノシトール (PI) が内層に多く存在し、ホスファチジルコリン (PC) が外層に多く存在するというモデルが広く受け入れられており、この非対称的分布は、アポトーシスや血小板活性化などの局面での細胞認識や胆汁中のリン脂質組成の維持、細胞分裂におけるアクチンの制御などに関わることが示唆されている。しかし、非対称的分布の形成機構や生理的意義については未解明の部分が多く残されている。

本論文は、生体膜構成リン脂質のうちPEの非対称的分布の形成機構や生理的意義の解明を目的とし、PEに特異的に結合する抗生物質Ro09-0198および出芽酵母 Saccharomyces cerevisiaeを用いて解析を行ったものであり、3章からなる。

1章では、PEの動態に関わる因子を選び出すことを目的とし、酵母の遺伝子破壊株コレクション4,926株からRo09-0198に感受性を示す遺伝子破壊株を網羅的に探索し、Ro09-09-0198に感受性を示す株を79株得ている。Ro09-0198は、細胞膜外層に存在するPEに結合し、細胞障害性を示すので、Ro09-0198に感受性を示す株の中に、PEの非対称的分布の形成機構に異常が生じ、細胞膜外層にPEが多く分布するようになった株が含まれることを期待したものである。

得られた79株について、PEの蛍光アナログであるNBD-PEの細胞内への取り込みを調べて、細胞膜におけるNBD-PEのフリップに障害が生じている可能性が期待される12株が得られた。更に、この12株について、エンドサイトーシスに大きな欠損が生じていないことを確認し、細胞膜におけるPEの動態に関わる因子の遺伝子破壊株の候補とした。

2章では、小胞輸送とPEの動態との関連について解析を行った。まず、初期および後期エンドソームからトランスゴルジネットワーク (TGN) への逆行輸送に関わるGolgi-associated retrograde protein (GARP) / Vps fifty-three (VFT) 複合体の構成因子、Vps51p、Vps52p、Vps53p、Vps54pのいずれの単独遺伝子破壊株でも、Ro09-0198感受性およびNBD-PEの取り込みの欠損がみられることを示した。更に、細胞膜におけるリン脂質の推定フリッパーゼであるDnf1p、Dnf2pのそれぞれC末端にEGFPを付加した融合タンパク質、Dnf1p-GFPおよびDnf2p-GFPの細胞内での局在を観察したところ、野生型株ではbudの表層やbud neckに局在が観察されるのに対し、vps51Δ株、vps52Δ株、vps53Δ株、vps54Δ株では細胞内部の膜構造と思われる部位に局在が観察され、この局在異常がRo09-0198感受性やNBD-PEの取り込みの欠損の原因である可能性が示唆された。また、GARP複合体と共に機能することが示唆されているRab/Ypt ファミリータンパク質であるYpt6pとその制御因子についても、Ypt6pおよびそのGEFであるRic1p、Rgp1pの遺伝子破壊株がいずれもRo09-0198感受性を示し、GAPであるGyp2pの遺伝子破壊株ではRo09-0198感受性がみられないことを示した。更に、ypt6Δ株、ric1Δ株、rgp1Δ株、gyp2Δ株において、Dnf2p-GFPの局在異常を示す細胞が観察されることを示し、GARP複合体の機能がDnf1p、Dnf2pのリサイクリングに関わることを示唆した。

3章では、Ro09-0198に高感受性を示す変異株について解析を行った。このうちS4株に関しては、そのRo09-0198高感受性および温度感受性が、同一遺伝子の変異を原因とする可能性を示唆し、遺伝子ライブラリーの導入によって、この変異を回復する遺伝子の探索を行った。その結果、S4株のRo09-0198高感受性変異および温度感受性変異を抑圧する遺伝子として、SYP1およびSSD1を得た。

以上、本論文は、酵母におけるPEの動態に関する分子遺伝学的解析を行ったものであり、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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