学位論文要旨



No 126906
著者(漢字) 木村,真人
著者(英字)
著者(カナ) キムラ,マコト
標題(和) 好気性光合成細菌Roseobacter denitrificansのエネルギー代謝調節に関する研究
標題(洋)
報告番号 126906
報告番号 甲26906
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3659号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 若木,高善
 東京大学 教授 西山,真
 東京大学 教授 吉村,悦郎
 東京大学 准教授 石井,正治
内容要旨 要旨を表示する

第1章 はじめに

一般的に、シアノバクテリア以外の原核光合成細菌は嫌気エネルギー代謝として酸素非発生型の光合成を行っており、これらの光合成装置は酸素により発現が抑制される。しかし、紅色光合成細菌の中には、酸素存在下で光合成装置を発現し、好気的に光合成を行う好気性光合成細菌が存在する。近年、これら好気性光合成細菌が海洋表層微生物の最優占種(5~20%)である事が明らかとなり、地球規模の炭素や窒素等の物質循環に寄与していると考えられている。生物にとって、エネルギー代謝の多様性と環境変化に対応した調節は生存戦略上重要である。好気性光合成細菌の環境優占化要因として、それらの持つエネルギー代謝系と調節機構に一因があると考えられる。しかし、好気性光合成細菌のエネルギー代謝系やその調節機構に関する知見は乏しいのが現状である。Roseobacter denitrificans OCh114 株は好気性光合成細菌のモデル生物として初めて全ゲノムが解読された株であり、光合成、好気呼吸,嫌気硝酸呼吸(脱窒)という複数のエネルギー代謝を有している。しかし、これらの調節機構は明らかになっていない。本研究では、好気性光合成細菌の優占化要因 (生存戦略) 解明の一端として、好気性光合成細菌 R. denitrificans OCh114 株の環境変化に伴うエネルギー代謝とその調節機構に関する基礎的知見を得る事を目的とした。

第2章 環境変化に伴う各エネルギー代謝関連遺伝子の発現パターンの解析

好気性光合成細菌 R. denitrificans OCh114 株のエネルギー代謝系 (好気呼吸、嫌気呼吸及び光合成) が環境変化に対してどのように応答するのかを明らかにするために、好気、微好気、嫌気脱窒の各明/暗条件におけるトランスクリプトーム解析を行った。OCh114 株は好気呼吸鎖末端酸化酵素として 2種類のcytochrome c oxidase (cco)とbd type quinol oxidaseを1つ持つ。酸素親和性の低い aa3 typeのccoは全ての条件で恒常的に発現しており、酸素親和性の高い cbb3 typeのccoは低酸素条件で誘導されていた。また、全ての条件で bd type quinol oxidaseの発現レベルは低かった。光合成関連遺伝子は暗条件において恒常的に発現していたが、微好気、嫌気脱窒条件と酸素濃度の低下に伴いやや減少する傾向が見られた。一方、好気明条件では光合成関連遺伝子の発現が抑制されるが、微好気、嫌気脱窒と酸素濃度の低下に伴い光による発現抑制が解除されていた。脱窒関連遺伝子は低酸素条件で誘導され、また好気条件下においても光により発現が誘導された。好気明/暗条件では脱窒関連遺伝子と光合成関連遺伝子の発現パターンがアンチパラレルな関係になっていた。異なる生育環境におけるエネルギー代謝関連遺伝子の発現パターンから、OCh114 株の好気呼吸酵素の遺伝子は酸素濃度による発現調節を受けてはいるが、基本的には恒常的に発現しているのに対して、光合成や脱窒関連酵素の遺伝子は環境変化に対し発現パターンが大きく変動する事が示された。

第3章 遺伝子操作系の確立と norCB 遺伝子の機能解析

これまで好気性光合成細菌における遺伝子操作系は報告されていなかったが、機能未知遺伝子の生体内における機能を明らかにするため、R. denitrificans OCh114 株における遺伝子導入法を確立した。遺伝子の導入にはグラム陰性細菌において広く用いられている、transconjugation 法を用いた。導入するプラスミドを大腸菌から OCh114 株へ伝達させ、OCh114 株のみ生育可能な環境で大腸菌と分離した。導入したプラスミドとゲノムの間で相同組換えを用いて目的遺伝子の破壊を行った。OCh114 株は嫌気条件下で NO3-を代価電子受容体する脱窒により生育可能である。脱窒の中間産物である一酸化窒素 (NO)は細胞毒性が高いため、これをN2Oに還元する一酸化窒素還元酵素 (NOR)は脱窒における重要な鍵酵素である。これまでに、本菌から精製された NOR ホモログは cytochrome c oxidase 活性を示し、NO 還元活性を示さない事が報告されていた。しかし、OCh114 株のゲノム上には NORに相同な遺伝子は norCBのみであり、NOR 活性を持たないと報告されたこのNORホモログ が生体内では活性型として機能している事が予想された。そこで OCh114 株のnorCB 遺伝子破壊株を構築し、生体内における機能を調べた。norCB 破壊株を好気または嫌気脱窒条件で生育させたところ、好気条件では野生株と生育は変わらなかったが、嫌気脱窒条件では生育出来なかった。また norCB 破壊株からは NO 還元活性が検出されなかった事から、本菌のnorCBにコードされた NOR ホモログは生体内で活性型のNORとして機能している事が示された。

第4章 脱窒の制御機構

R. denitrificans OCh114 株の脱窒遺伝子クラスター中には、脱窒菌 Pseudomonas aeruginosaにおける脱窒の転写調節因子 Dnrに相同な転写調節因子の遺伝子が2つ隣接して存在しており、これらが本菌の脱窒制御に関与する事が予想された。そこでこの2つのDnr 様転写調節因子 (Dnr1 及び Dnr2)の遺伝子破壊株を構築し機能解析を行った。野生株と各 dnr 破壊株を好気または脱窒条件で生育させたところ、dnr1 及び dnr2 破壊株はどちらとも脱窒条件における生育が非常に悪くなった。各 dnr 破壊株の亜硝酸還元酵素 (NIR) 及び 一酸化窒素還元酵素 (NOR)の活性を測定したところ、各 dnr 破壊株からはこれらの活性が検出されなかった。これらのことから、2つのDnrは 共にOCh114 株の脱窒に重要な役割を果たす事が示された。また各破壊株におけるトランスクリプトーム解析の結果、dnr2 破壊株における dnr1の発現レベルは野生株と同程度だったが、dnr1 破壊株においては野生株と比較して dnr2の発現レベルが大きく低下していた。また、各破壊株は野生株と比較して硝酸還元酵素 (NAR)の遺伝子発現レベルは高く、NIR 及び NOR 遺伝子の発現レベルは低くなっていた。また、亜酸化窒素還元酵素 (N2OR) 遺伝子の発現は Dnr1と Dnr2の二重破壊株でのみ発現レベルが低下していた。各 dnrの発現パターンに上記のような特徴があった事から、各破壊株における dnr2 遺伝子の発現解析を行い、転写調節因子 Dnr1 が dnr2 遺伝子の転写誘導に関わる事を確認した。また dnr1 及び dnr2の二重破壊株をホストとして dnr1 または dnr2 どちらか一方をそれぞれ恒常的に発現する株を構築し、亜硝酸イオンを最終電子受容体とした嫌気脱窒条件における生育試験と NIR 活性の測定を行ったところ、dnr2 恒常発現株のみ野生株と同様に生育し、NIR 活性を示した。これらのことから、OCh114 株の2つのDnrは共に脱窒に必須であり、Dnr1 が dnr2 遺伝子の発現を誘導し、続いて Dnr2 が NIR や NORの遺伝子発現を誘導するという hierarchical な発現制御機構をとっている事が証明された。

他の脱窒菌において、脱窒の制御は Dnr 様の転写調節因子によるものだけでなく、大腸菌のFnrに相同な酸素センシングレギュレーターが関与している事が知られている。OCh114 株のゲノム上にはこれらに相同な因子をコードする遺伝子 fnrL が存在したので、このfnrL 破壊株を構築し脱窒との関わりを調べた。fnrL 破壊株と野生株を好気、微好気、嫌気脱窒条件で生育を比較したところ、fnrL 破壊株は好気、微好気条件下における生育速度が著しく低下し、さらに嫌気脱窒条件では生育出来なくなっていた。トランスクリプトーム解析の結果、fnrL 破壊株は脱窒関連酵素 NAR、NIR、NOR 及び N2ORの遺伝子発現レベルが全て低下していた。また好気及び微好気条件における dnr 遺伝子の発現パターンから、転写調節因子 FnrLは各 dnr 遺伝子の転写を直接制御することで脱窒の制御に関わるわけではないことが示唆された。P. aeruginosaにおいて Dnrは NO センシングレギュレーターである事が示されており、hemeにより NOを感知していると予想されている。fnrL 破壊株は heme などのporphyrin 化合物の素材である 5-aminolevulinic acid (ALA) 合成に関わる hemA 遺伝子の発現が低下しいる。このため細胞内のheme 含有量が低下し、Dnr が不活性型となったため、脱窒関連酵素の遺伝子発現が低下したのではないかと予想された。

第5章 呼吸及び光合成関連遺伝子の発現制御

嫌気性光合成細菌における光合成関連遺伝子の発現制御には、FnrL が関与する事が知られている。前章で構築した OCh114 株における fnrL 破壊株も野生株と異なり、好気暗条件で光合成色素をほとんど蓄積しなかった。好気及び微好気条件下におけるトランスクリプトーム解析の結果 fnrL 破壊株は bacteriochlorophyll 合成に関わる bchE 遺伝子の発現が著しく低下していた。また、前述のようにhemAの発現レベルも低下しているため光合成色素の合成量が減少し、それにより色素の蓄積量が減少したと考えられた。なお、光合成装置を構成する Reaction center (RC)とLight harvesting complex 1 (LH1)の遺伝子発現レベルは低下していたが、Light harvesting complex 2 (LH2)の遺伝子発現レベルは野生株と同程度だった。fnrL 破壊株は cbb3 cytochrome c oxidaseの遺伝子発現レベルが低下していた。これにより好気及び微好気条件下における fnrL 破壊株の生育速度の低下が引き起こされたと考えられた。また、fnrL 破壊株において野生株では恒常的に発現レベルが低い bd quinol oxidaseの発現レベルが上がっていた事から、fnrLの破壊により好気呼吸における electron flow が変化している事が示唆された。これらのことから、酸素センシングレギュレーター FnrLは好気、嫌気呼吸及び光合成といった OCh114 株におけるほぼ全てのエネルギー代謝を直接または間接的に調節するグローバルレギュレーターである事が示された。

好気性光合成細菌は嫌気性光合成細菌と異なり、好気条件下において光合成装置を発現する。そのため、嫌気性光合成細菌とは異なる制御機構を持つ事が予想された。そこで好気性光合成細菌における新規な光合成発現制御因子を探索したところ、RD1_2129にコードされた PASドメイン (O2 or light sensing)を持つヒスチジンキナーゼがその候補として上がった。そこで、RD1_2129 破壊株を構築し、その機能を解析した。OCh114 株は通常好気暗条件で光合成装置を発現する、しかし RD1_2129 破壊株は前述のfnrL 破壊株と同様に好気暗条件下において光合成色素の蓄積量が低下した。また、トランスクリプトーム解析の結果 RD1_2129 破壊株は fnrL 破壊株と異なり光合成装置を構成するRC、LH1、LH2の全ての遺伝子発現レベルが低下していた。さらにbacteriochlorophyll や carotenoid 合成に関わる遺伝子の発現レベルも低下しており、RD1_2129にコードされたヒスチジンキナーゼが OCh114 株の光合成関連遺伝子の発現に関与する事が示唆された。また、RD1_2129 破壊株は好気条件下において脱窒関連遺伝子が高発現していた。これは、第2章で示した OCh114 株の光合成関連遺伝子と脱窒関連遺伝子の発現パターンは好気条件下においてアンチパラレルな関係にあるという結果と一致する。

第6章 まとめ

本研究では好気性光合成細菌 R. denitrificans OCh114のエネルギー代謝制御に関する基礎的知見を得る事を目的として、OCh114 株における主要なエネルギー代謝である好気呼吸、脱窒及び光合成の制御機構解明を目指した。環境変化に伴うエネルギー代謝の発現パターンを俯瞰する事により、光合成と脱窒関連遺伝子の発現パターンが環境変化に伴い大きく変動している事が示された。また、好気条件下において両者の発現パターンがアンチパラレルになっていることを示した。また、本菌の脱窒遺伝子クラスター中にコードされる Dnr1とDnr2 が階層的に脱窒を制御している事を明らかにした。なお脱窒の制御には酸素センシングレギュレーターである FnrLも関与しており、heme 合成制御を介した制御が予想された。さらに、FnrLは好気呼吸及び光合成関連遺伝子の発現調節にも関わるグローバルレギュレーターである事が示された。また、本菌における光合成関連遺伝子の発現調節に関与する新規ヒスチジンキナーゼを発見した。これにより、OCh114 株における主要なエネルギー代謝系である好気呼吸、脱窒、光合成それぞれの制御に関与する調節因子を同定しその制御機構の一端を明らかにした。

Schematic representation of the regulatory network of energy metabolism in R.denitrificans OCh114

審査要旨 要旨を表示する

一般的に、紅色光合成細菌は低酸素下で光合成装置を発現し、嫌気環境下で光合成を行う嫌気性光合成細菌である。しかし、これらの中には高酸素下において、光合成装置を発現し、好気的環境下で光合成を行う好気性光合成細菌が存在する。近年、これら好気性光合成細菌が海洋表層微生物の優占種であり、グローバルな物質循環に寄与していることが明らかになって来た。環境変化に対応したエネルギー代謝の調節は、生存戦略上重要であり、好気性光合成細菌の環境優占化要因として、それらの持つエネルギー代謝系と調節機構に一因があると考えられる。しかし、好気性光合成細菌のエネルギー代謝に関する知見は乏しく、その調節機構に関しては未解明である。Roseobacter denitrificans OCh114は光合成、好気呼吸,脱窒という複数のエネルギー代謝を有しており、好気性光合成細菌のモデル生物として初めて全ゲノムが解読された。本研究では、好気性光合成細菌の優占化要因解明の一端として、OCh114の環境変化に伴うエネルギー代謝とその調節機構に関する基礎的知見を得る事を目的とした。

1 環境変化に伴う各エネルギー代謝関連遺伝子の発現パターンの解析

OCh114の環境変化に伴う各エネルギー代謝関連遺伝子の発現パターンを解析したところ、好気呼吸関連遺伝子は、aa3 cytochrome c oxidase (cco) が恒常的に発現し、cbb3 ccoは低酸素で誘導され、quinol oxidase(QO)は常に発現レベルが低かった。光合成関連遺伝子は暗条件において恒常的に発現していた。一方、好気明条件では光合成関連遺伝子の発現が抑制されるが、酸素濃度の低下に伴い光による発現抑制が解除されていた。脱窒関連遺伝子は低酸素で誘導され、また好気条件下においても光により発現が誘導された。

2 遺伝子操作系の確立とnorCB遺伝子の機能解析

好気性光合成細菌の遺伝子操作系は確立されていなかったため、OCh114における遺伝子操作系を確立し、機能未知遺伝子norCB遺伝子の破壊株を構築し、その機能を解析した。norCB破壊株は脱窒条件で生育出来ず、一酸化窒素還元活性がなかった事から、OCh114のnorCBは生体内でNO還元酵素として機能している事が示された。

3 脱窒の制御機構

OCh114における脱窒制御機構を明らかにするために、OCh114のゲノムから他の脱窒菌において脱窒制御に関わる転写調節因子ホモログを探索したところ、酸素センシングレギュレーターFnrL及び、NOセンシングレギュレーターDnrをコードする遺伝子が存在した。なお、Dnrホモログは2つ存在していた(Dnr1及びDnr2)。これらと脱窒との関係性を見るために、それぞれの遺伝子破壊株を構築し、機能を解析したところ、FnrL、Dnr1及びDnr2はそれぞれ脱窒生育に必須であることが示された。なお、Dnr2は脱窒酵素の亜硝酸還元酵素と一酸化窒素還元酵素の発現を制御しており、そのdnr2遺伝子はDnr1に制御されていた。一方、FnrLは脱窒関連酵素である硝酸還元酵素の制御に関与することが示唆されたが、各dnrの発現には直接関与していないことが示唆された。しかし、FnrL破壊株では、DnrのNOセンシングに必要なheme合成系の発現レベルが低下しており、FnrLはheme合成を介して間接的にDnrの活性化に関与していることが示唆された。

4 呼吸及び光合成関連遺伝子の発現制御

FnrLホモログは他菌において、好気呼吸や光合成の制御にも関わっていることが知られている。また、好気性光合成細菌に特徴的な調節因子を探索したところ、光センシングに関わるLOV-domainを持つヒスチジンキナーゼ(LOV-HK)が見つかった。OCh114のFnrLとLOV-HKの機能を解析したところ、FnrLは光合成色素合成関連遺伝子の発現を制御していた。また、光合成装置の一部(集光装置1と反応中心)の遺伝子発現に必須ではないが関わっていることが示唆された。さらに、FnrLは好気呼吸素のうち cbb3 ccoを正に制御し、QOを負に制御していることが示された。一方LOV-HKは、光合成色素及び光合成装置関連遺伝子それぞれの制御に関わっていた。ただし、このLOV-HKはDNA結合モチーフを持たないため、光合成関連遺伝子の発現に関わるレギュレーターへのシグナル伝達に関与していると考えられた。

以上、本研究は好気性光合成細菌の好気呼吸、脱窒、光合成時のエネルギー代謝の制御に関与する調節因子を同定し、その制御機構を明らかにしたものであり、学術上・応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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