学位論文要旨



No 126912
著者(漢字) 茂松,恵
著者(英字)
著者(カナ) シゲマツ,メグミ
標題(和) 出芽酵母におけるtRNA切断と細胞応答の解析
標題(洋)
報告番号 126912
報告番号 甲26912
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3665号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 准教授 前田,達哉
 東京大学 准教授 足立,博之
 東京大学 准教授 日,真誠
内容要旨 要旨を表示する

tRNAは、mRNA上の遺伝暗号を対応するアミノ酸へと変換するアダプター分子である。1955年にCrickによりその存在が予言され、その翌年に実体が発見されて以来、アダプター分子としての構造や機能の研究が盛んに行われてきた。ところが最近になって、これまでのアダプター分子としての機能とは異なる全く新しい生理現象に関する報告が相次いでなされている。それらの中で特に注目すべきこととして、ヒト培養細胞やシロイヌナズナ、テトラヒメナ、出芽酵母、放線菌など幅広い生物種において、アミノ酸飢餓、酸化、高温など種々のストレスに応答してtRNAの切断が誘導されることが明らかにされた。このことから、tRNA切断が生物にとって普遍的な現象であることが示唆されている。そこで本研究では、出芽酵母において人工的にtRNAをノックダウンし、これに対する細胞応答を解析した。一方で、キラー酵母と呼ばれるKluyveromyces lactisが生産するzymocinや、Pichia acaciaeが生産するPaTが、それぞれ出芽酵母のtRNAGlu, tRNAGlnを切断するトキシンであることが明らかにされた。感受性出芽酵母に対して、zymocinはG1期で、PaTはS期で細胞周期を停止させる。これらのトキシンによるtRNA切断は、感受性菌の増殖阻害を目的として引き起こされるため、ストレスに対する応答としてのtRNA切断とは、生理的意義が本質的に異なると考えられる。そこで、キラー酵母によるtRNA切断に対する細胞応答についても解析した。

第1章 D-CRD発現株における細胞応答の解析

酸化水素水による酸化ストレスの誘導や、生育に必要なアミノ酸を欠いた培地を用いるアミノ酸飢餓の再現では、それらのストレスへの応答に埋もれてしまうため、tRNAの切断に対する細胞応答を追跡することは困難であると考えた。そこで本研究では、コリシンDのC末端側にあるリボヌクレアーゼドメイン (D-CRD)を出芽酵母内で発現させることで、tRNAを人工的にノックダウンし、その細胞応答を解析した。コリシンDは大腸菌群のColプラスミドにコードされるタンパク質性毒素であり、大腸菌に存在する4種類のtRNAArg (tRNAArgICG, tRNAArgCCG, tRNAArgUCU, tRNAArgCCU)を標的とする。

これまでに、α細胞においてD-CRDによりtRNAをノックダウンし、これにより発現変動する遺伝子を、DNAマイクロアレイを用いて網羅的に解析した。その結果、接合に関与する遺伝子群が発現上昇することを明らかにした。またこのとき、a/α細胞内では、通常転写が抑制されているa細胞特異的遺伝子の発現が活性化していることを見出した。そこで、α細胞、a細胞、a/α細胞を用いてtRNAをノックダウンした際のα細胞特異的遺伝子 (αsg) 及びa細胞特異的遺伝子 (asg)の転写量の変化を調べた。すると、α細胞でのasgの転写活性化は再現されたが、a細胞ではαsgは転写されず、またa/α細胞でもαsg, asg共に発現は見られなかった。一方、cycloheximideで処理した細胞において接合型特異的遺伝子の転写量の変化を調べたところ、やはりα細胞でのasgが活性化した。従って、α細胞においてasgの転写を抑制しているTup1p-Cyc8p complexの形成が、タンパク質合成の低下に伴って阻害されたために、この様な現象が起きたと結論づけた。接合型特異的遺伝子の転写抑制は、細胞の恒常性を保つ上で重要であるが、接合型によってその抑制機構が異なるために、タンパク質合成の低下に対して接合型依存的な脆弱性を示すことが分かった。

第2章 tRNAを切断するキラートキシンに対する細胞応答の解析

キラートキシンであるzymocin, PaTのtRNA切断に対する細胞応答を解析するために、zymocinおよびPaTのtRNA切断活性を持つサブユニットであるγ-subunit, Orf2pをそれぞれ酵母内で発現させ、D-CRDが誘導するtRNA切断に対する細胞応答と比較した。また、tRNAを切断するにも関わらず、zymocinはG1期で、PaTはS期で感受性酵母の細胞周期を停止させる。そこで、こうした違いが生じる原因についても併せて解明することとした。γ-subunit, Orf2pをコードする遺伝子をGAL1プロモーターに繋ぎ、出芽酵母の染色体に組込んで発現誘導を行った。その結果、γ-subunit, Orf2pによりそれぞれtRNAGlu, tRNAGlnが切断され、これによる生育阻害が確認された。但し、γ-subunitの発現による生育阻害の程度は、Orf2pと比較して低かった。またFACSを用いた解析で、γ-subunitの発現により宿主の細胞周期がG1期で、Orf2pの発現によりS期でそれぞれ停止することも観察された。一方で、コントロールとしてD-CRD発現株の細胞周期解析も行ったが、特定のフェーズでの細胞周期停止は観察されなかった。PaTは感受性酵母に対しDNA損傷を引き起こすことが報告されている。そこで、ヒストンH2Aの特異的リン酸化状態を指標として、γ-subunit, Orf2p発現株におけるDNA損傷誘導の有無について検証した。その結果、Orf2p発現株でのみヒストンのリン酸化が観察された。このことから、zymocinとPaTとの間で細胞周期停止のフェーズが異なるのは、PaTが、tRNA切断活性に加えてDNA損傷を誘導する活性を持つためであることが示唆された。また、これらの株 (α細胞)においてasgの発現量を調べたところ、Orf2p発現株ではD-CRD発現株の場合と同様に転写量が上昇していたが、γ-subunit発現株では転写の活性化は見られなかった。このことから、γ-subunit発現株ではタンパク質合成の低下に対する応答とは異なる細胞応答を示していると考えられた。

第3章 キラートキシンPaTによるDNA損傷誘導機構の解明

第2章で得られた結果から、PaTはtRNA切断とDNA損傷の誘導という二つの活性を持つことが示唆された。しかしながら一方で、PaTによるtRNAGlnの切断がDNA損傷を誘導する可能性も否定出来ない。そこで、in vivo, in vitroにおいてtRNA切断活性を失ったOrf2pの機能を調べることで、これを明らかにすることとした。tRNA切断活性に関与するアミノ酸として、Orf2pに存在する4つのHis残基に注目した。これらをAlaに変異させた変異型Orf2pを作出し出芽酵母で発現させた結果、Orf2p-H299Aは、宿主の生育阻害及びtRNA切断を起こさなかった。またOrf2p-H299A発現株では、ヒストンH2Aのリン酸化も見られなかった。このことから、H299がtRNA切断活性とDNA切断活性の両方に共通した触媒残基である可能性を考えた。またOrf2pの免疫染色を行った結果、核に局在している様子が見られたことから、Orf2pは細胞質でtRNAを切断するだけでなく、核に移行してDNAと直接作用することが示唆された。次に、精製した野生型Orf2p及びOrf2p -H299Aを、in vitroで出芽酵母の染色体やλphage由来のDNA断片と反応させ、電気泳動を行った。その結果、野生型Orf2pは、DNAとの結合能を持つことが分かった。一方で、Orf2p-H299AはDNA結合能を消失していた。また、基質DNAの修飾が、Orf2pとの相互作用に影響することが示唆された。現在、Orf2pがDNA切断活性を持つ可能性を検討している。

総括

本研究では、D-CRDを用いてtRNAノックダウンモデル細胞を構築し、細胞質tRNAの切断に対する細胞応答を解析した。また、tRNA切断性キラートキシンであるzymocinやPaTによって引き起こされるtRNA切断と、D-CRDによるtRNAノックダウンに対する細胞応答を比較した。D-CRD及びOrf2pの発現による接合型特異的遺伝子の抑制機構の解除は、tRNA切断に特異的な現象では無く、タンパク質合成の低下が原因であると考えられた。今後は、D-CRDの発現では特異的な細胞周期停止が起こらず、γ-subunit発現株ではG1期停止が起こることが、切断されるtRNAの量や種類に起因するかを検証していくことで、tRNAと細胞周期制御の関連を明らかにしていきたい。一方Orf2pは、tRNA切断活性に加え、DNAと直接相互作用することで、細胞周期のS期停止を誘導することが分かった。このことから、PaTがtRNAとDNAの両方を標的とする極めて新規性の高い毒素である可能性が示された。

Shigematsu, M., Ogawa, T., Kido, A., Kitamoto, HK., Hidaka, M., Masaki, H. (2009) Cellular and transcriptional responses of yeast to the cleavage of cytosolic tRNAs induced by colicin D. Yeast, 26, 663-73.
審査要旨 要旨を表示する

タンパク質合成におけるtRNAの重要性は明らかであるが、真核生物のtRNA遺伝子は多コピー性のため、遺伝子変異が生じても表現型に反映されず遺伝学的解析が難しく、単コピー性のミトコンドリア以外にtRNAの異常はほとんど研究されてこなかった。しかし近年、酵母を含む様々な生物において、酸化ストレスや熱ショック、アミノ酸飢餓などのストレス時にtRNAが切断される現象が報告されている。これらはtRNA切断が生物にとって普遍的な現象であることを示唆するが、その関与するメカニズムは明らかでない。さて、大腸菌では特定のtRNAを切断する"tRNase"活性をもったトキシン、コリシンDやE5が知られていたが、最近真核生物でも、感受性酵母の細胞周期をG1期で停止させるKluyveromyces lactisのキラー、ザイモシン、あるいは細胞周期をS期で停止させるPichia acaciaeのキラーPaTが、特定のtRNAを切断するtRNase活性をもつことが示された。

本研究は、酵素的に細胞内の特定のtRNAを効率よくノックダウンさせうる"tRNase"に着目し、コリシンD、ザイモシン、PaTという3種のトキシンのtRNase活性を、真核細胞制御を研究する新しいツールとして開発し、それらに対する出芽酵母の細胞応答とその差異を追求したものである。

第1章では、大腸菌コリシンDのtRNaseドメインD-CRDを、酵母内で誘導的に発現させtRNA切断時の転写変動を調べている。とくにα細胞内でD-CRDを発現させると、ふだん抑えられているa細胞特異的遺伝子が転写され接合シグナル伝達系が活性化する。これに対しa細胞やa/α細胞では、tRNA切断によって接合型特異的遺伝子の転写は起こらない。翻訳阻害剤シクロヘキシミドを作用させてもα細胞内でa細胞特異的遺伝子の転写が活性化したことから、D-CRDのtRNA切断では、タンパク質合成が低下しα細胞内でa細胞特異的遺伝子の転写を抑制する複合体が解離したため、転写が活性化したと推定した。またタンパク質合成の低下は接合型依存的な細胞応答を示すことを明らかにした。

第2章では、D-CRDに加えザイモシンやPaTのtRNA切断性サブユニットをそれぞれ細胞内で誘導発現させ、宿主酵母の細胞応答の違いを比較解析した。ザイモシンのサブユニットを発現させると、特異的なtRNAのみが切断され宿主酵母のG1期停止が起こるが、このときタンパク質合成は低下せず固体培地上でコロニーを形成する。G1期停止は感受性酵母が獲得した防御機構であると結論付けた。これに対し、D-CRDは様々な種類のtRNAを切断し、宿主のタンパク質合成を阻害するとともに静菌的な増殖停止を引き起こす。一方、PaTの活性サブユニットOrf2pはタンパク質合成を低下させS期停止を起こすが、このときDNA損傷も起こることから、Orf2pはDNAに直接作用すると推測し、以下の第3章にてこれを検証した。

Orf2pのRNase活性の触媒残基としてHis299を同定し、宿主の生育を阻害しない変異体Orf2pを取得した。これを発現させると、tRNA切断がなくなると同時に、DNA損傷やS期停止も起こらなったことから、Orf2pがDNAに直接作用すると考え、細胞内局在を観察してこれが核へ移行することを示した。さらに、精製した野生型及び変異型Orf2pを用いて、Orf2pがtRNA切断と同じ触媒残基His299を介してDNAを切断する活性を持つことを示唆した。

以上、本研究は起源と標的特異性の異なる3種類のtRNaseによるtRNA切断に対する、出芽酵母の細胞応答が互いに異なることを明らかにした。とくに3者の細胞周期へ及ぼす効果が異なることを示し、またキラーPaTのOrf2pは、tRNA以外にDNAを切断するタンパク質毒素である可能性を示したことは、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51988