学位論文要旨



No 126913
著者(漢字) 清水,崇史
著者(英字)
著者(カナ) シミズ,タカフミ
標題(和) イネの病害抵抗性発現におけるジャスモン酸の機能の解析
標題(洋)
報告番号 126913
報告番号 甲26913
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3666号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 教授 浅見,忠男
 東京大学 教授 藤原,徹
 東京大学 准教授 作田,庄平
 東京大学 准教授 野尻,秀昭
内容要旨 要旨を表示する

植物は病原体に感染した場合、病原体の細胞表層由来の成分等がエリシターとなり、それが細胞膜上の受容体と特異的に結合することで病原体の感染を認識する。そして、これが引き金となってジャスモン酸 (jasmonic acid, JA)等の二次シグナル物質の生産が誘導されると共に、抗菌性タンパク質の発現や、ファイトアレキシンと総称される抗菌性二次代謝産物の生産など様々な抵抗性反応が誘導される。JAは植物の老化、花器官の成熟、離層の形成等の成長生理現象だけでなく病虫害抵抗性にも関わる植物ホルモンとして、植物界に広く分布していることが知られている。植物の病害抵抗性発現におけるJAの機能についてはシロイヌナズナを中心とした研究により、JAが主に死体栄養性を示すカビなどに対する抵抗性の発現において重要な機能を有していることが示されている。

一方、イネではJAの生合成やシグナル伝達に関わる遺伝子は、シロイヌナズナで得られた知見をもとにした逆遺伝学的な手法で徐々に明らかにされつつあるが、個々の詳細な解析は行われていない。イネの代表的な病害抵抗性反応の一つであるファイトアレキシン生産は、イネにJAやJA生産を誘導するエリシターを処理することで誘導されることから、JAはイネのファイトアレキシン生産において重要な機能を担っていると考えられてきた。しかしながら、最近まで有用なイネのJA生合成変異株が得られていなかったため、ファイトアレキシン生産を含め、イネの病害抵抗性発現におけるJAの役割について詳細な解析は行われていなかった。また、最近、イネにおいてもJA生合成に関わると考えられるallene oxide cyclase遺伝子(AOC)の変異株であるhebibaやcpm2、JAの活性型と考えられるJA-Ileの生合成に関わるJAR1の変異株osjar1が得られているが、いずれも光形態形成の表現型に基づいて取得されたものであり、これらの変異体についてもストレス応答や病害抵抗性発現に注目した解析はほとんど行われていない。

そこで本研究では、これら変異株の詳細なキャラクタリゼーションを行うと共に、これらを用いて、ファイトアレキシン生産についての解析や病害抵抗性試験を行うことで、イネの病害抵抗性発現におけるJAの機能を解明する事を目的とした。またその過程でイネのフラボノイド型ファイトアレキシンであるサクラネチンの生合成酵素であるnaringenin O-methyltransferase (NOMT)の活性がJA依存的に誘導されることが見出されたので、このJAによるサクラネチン生合成制御機構解明の足がかりとするためNOMTの単離・同定を試みた。

イネのJA生合成変異株cpm2及びhebibaのキャラクタリゼーションとこれら変異株を用いた病害抵抗性発現におけるJAの機能の解析

cpm2やhebibaにおけるJA生産能について、傷害処理後の葉において蓄積するJAを定量することで調べた。その結果cpm2やhebibaでは野生型株と比較して顕著にJAやJA-Ileの蓄積量が低下した。またJAのキラル分析を行うことにより、cpm2やhebibaでわずかに検出されるJAは、非酵素的に生成されたものであることが示唆された。以上の結果からcpm2やhebibaは強いJA欠損変異株であることが示された。また、JA応答性遺伝子について発現解析を行ったところ、JA処理時にはcpm2やhebibaにおいても野生型株と同程度にまで発現が誘導されたが、傷害処理時にはcpm2やhebibaではこれらの遺伝子の発現は顕著に低下しており、cpm2やhebibaではJA欠損により、JA応答性遺伝子の発現が低下していることが示された。次にcpm2を用いてJA及び塩化銅エリシター処理時のファイトアレキシン生産についての検討を行った。その結果、JA処理時にはいずれのファイトアレキシンについても野生型株とcpm2とで同等のファイトアレキシン生産を示したが、塩化銅処理時には、サクラネチンの蓄積はcpm2で顕著に低下しており、サクラネチン生合成に関与するNOMT活性も、野生型株と比較してcpm2で顕著に低下していた。しかし意外なことに、ジテルペン型ファイトアレキシンの生産は野生型株とcpm2とで同等であった。以上の結果からイネのファイトアレキシン生産においてJAは、サクラネチンの生合成には必須であるが、ジテルペン型ファイトアレキシンの生産にはJA非依存的な誘導系も存在することが示唆された。また更に、cpm2やhebibaを用いたいもち病菌接種試験も行った。イネの葉鞘に非親和性いもち病菌の胞子懸濁液を注入し、接種後2日における菌糸の侵入を観察したところ、野生型株に比べcpm2やhebibaでは多細胞にわたり菌糸の伸展が観察される割合が増加し、さらにイネにJAを事前に処理しておくことでいもち病菌の侵入率が低下することが示された。いもち病菌接種時におけるJAの蓄積について野生型株を用いて検討したところ、いもち病菌接種による有意なJAの蓄積は見出されなかったものの、JA応答性遺伝子のプロモーターの制御下でGFPを発現させるようなコンストラクトを用いて形質転換したイネに対しいもち病菌接種を行うことで、菌糸の侵入部位付近で微弱なGFPによる蛍光が観察されたため、いもち病菌感染時には感染部位局所的にJAの生産が誘導されていることが示唆された。また、いもち病菌をイネ葉身に噴霧した際に観察される病斑は、野生型株に比べcpm2やhebibaで大きくなることが示された。以上の結果から、JAはいもち病菌のイネへの侵入や菌糸の伸展を抑制することに関与しているものと考えられる。

イネのJA-Ile生合成変異株osjar1のキャラクタリゼーションとosjar1を用いた病害抵抗性発現におけるJA-Ileの機能の解析

シロイヌナズナにおいては、近年、COI1を中心としたJAシグナル伝達系においてJAR1によってJAから生合成されるJA-Ileが活性本体であることが示されている。一方でJA生合成中間体であるOPDAやJA-Ile以外のJA類縁体がCOI1非依存的な機能を有することも示されつつある。そこで、イネのJAR1遺伝子であるOsJAR1の変異株osjar1のキャラクタリゼーションを行いOsJAR1の機能について知見を得ると共に、この株を用い、cpm2やhebibaで観察されてきたJA欠損による表現型についても調べることで、イネの病害抵抗性発現におけるJA-Ileの機能について追究することとした。

osjar1の葉に対し傷害処理を行った際のJA及びJA-Ileの蓄積を定量したところ、JAの蓄積量は野生型株以上であったのに対し、JA-Ileの蓄積は野生型株と比較して顕著に低下していた。そこでJA応答性遺伝子について発現解析を行ったところ、傷害処理、JA処理のいずれにおいてもosjar1では野生型株と比較して、それらの発現が顕著に低かった。またJA-Ileの蓄積量の低下とJA応答性遺伝子の発現量の低下は、osjar1においてOsJAR1を恒常的に発現させることで相補されることが示された。以上の結果から、イネにおいてもOsJAR1がJA-Ileの生合成に関与しており、JA-IleがJAシグナル伝達において重要な機能を果たすことが示された。そこでosjar1に対してJA、JA-Ile処理を行った際のファイトアレキシンの蓄積について検討したところ、ジテルペン型ファイトアレキシン、サクラネチン共にJA処理時には野生型株と比較して顕著に蓄積が低下した一方、JA-Ile処理時にはosjar1においても野生型株と同等の蓄積が観察された。以上の結果からJA誘導によるファイトアレキシンの生産にはJA-Ileが必要であることが示された。最後にosjar1におけるいもち病菌接種実験を行った。非親和性いもち病菌をosjar1の葉身に噴霧した際の病斑の大きさを野生型株と比較したところ、osjar1では形成される病斑が野生型株に比べわずかではあるが有意に大きくなることが示された。以上の結果から、先に示されたいもち病菌の菌糸の侵入・伸展の抑制におけるJAの関与にはJA-Ileが介していることが考えられた。

サクラネチン生合成酵素NOMTの単離・同定

NOMTの精製はRakwalらにより試みられていた(Rakwal et al., (2000) Plant Sci., 155, 213-221; Lin et al., (2006) J. Pestic. Sci., 31(1), 47-53)が、その時は主要なNOMT活性画分からは、少なくとも大腸菌を用いた組み換え酵素ではNOMT活性を示さないcaffeic acid O-methyltransferase (COMT)であるOsCOMT1が得られていた。そこで本研究では、まずOsCOMT1がイネ内生においてNOMT活性に関与しているかどうかを、OsCOMT1変異株(oscomt1)を用いることで調べることとした。

oscomt1においてOsCOMT1の発現が低下していることを確認した上で、oscomt1に対し塩化銅処理を行った際のサクラネチンの蓄積を定量したところ、野生型株と同等のサクラネチンの蓄積が観察された。また同様にoscomt1におけるNOMT活性及びCOMT活性の比較を行ったところ、野生型株と比較してCOMT活性は低下していたものの、NOMT活性は同等であった。以上の結果からOsCOMT1はNOMT活性を有さないことが示された。そこで、このoscomt1を用いて酵素精製を行うことでNOMTの単離・同定を試みることにした。NOMT活性を指標に、UV処理を行った約200 gのoscomt1の葉身から粗酵素抽出液を調製し、硫安塩析、陰イオン交換による精製、adenosine-agaroseを担体とするアフィニティー精製を順次行うことで、粗酵素抽出液から約400倍NOMT活性を濃縮することができた。そこでこの活性画分をSDS-PAGEに供したところ、NOMT活性を最も効率的に濃縮できたアフィニティー精製後に初めて観察される約40 kDaのバンドが検出された。このバンドを切り出しMALDI-TOF/TOFを用いたPMF解析に供したところ、イネゲノム上のOs04g0175900及びOs12g0240900にそれぞれコードされる2つのO-methyltransferaseと推測されるタンパク質が見出された。当研究室で既に行われていたマイクロアレイ解析結果を参照すると、イネの葉においてOs12g0240900はJA処理により顕著に発現の誘導される遺伝子、Os04g0175900はJAによる誘導はなく発現量も比較的低い遺伝子であることが推察された。今後は、これら得られたタンパク質の機能解析を行い、サクラネチン生合成への関与を明らかにしていく必要があると考えている。

まとめ

本博士論文研究ではhebiba、cpm2、osjar1といったJA生合成変異株を用いた解析により、イネの病害抵抗性反応の一つであるファイトアレキシン生産において、サクラネチン生産にはJAが必須であるが、ジテルペン型ファイトアレキシン生産においてはJA依存性・非依存性のシグナル伝達系が存在することを示した。また、いもち病菌の侵入や菌糸の伸展に関する抵抗性にJAが寄与していることを示した。このJA依存性の抵抗性反応にはJAR1によって生合成されるJA-Ileが活性型JAとして機能している可能性も示唆された。更に、JA依存的な病害抵抗性発現機構解明の足がかりとしてNOMTの単離・同定を試み、それにより2つのNOMT候補遺伝子の取得がなされた。今後は特にNOMT候補遺伝子の機能同定を行い、NOMTのJAによる発現、活性化機構について調べることで、イネにおけるJAによる病害抵抗性発現の分子メカニズムの解明がなされることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、イネのジャスモン酸 (JA) 生合成変異株等のキャラクタリゼーションを行うと共にこれらを有効に用いることで、イネの病害抵抗性発現におけるJAの生理機能を解明することを目的として行われたものである。

本研究の背景と目的を述べた第1章に続き、第2章では、まずイネのJA生合成酵素の一つであるallene oxide cyclaseの変異株であるcpm2やhebibaのキャラクタリゼーションを行い、これらの変異株においては、野生型株で観察される傷害やエリシター処理時のJAの蓄積が顕著に低下していることを示した。また、これらの株におけるエリシター処理時のファイトアレキシン生産を詳細に解析することにより、フラボノイド型ファイトアレキシンであるサクラネチンの生産、特にその生合成の最終段階を担うnaringenin O-methyltransferase (NOMT)の発現もしくは活性化にはJAが必須であること、及びジテルペン型ファイトアレキシンの生産には必ずしもJAが必須ではないことを明らかにした。このことからJAによるNOMTの発現もしくは活性化の制御機構を解明することがJAシグナル伝達機構を明らかにする上で重要な知見となるものと考えられた。また、ジテルペン型ファイトアレキシンの生産については「JA非依存性シグナル伝達系」が関与していることが明らかになった。さらに、cpm2やhebibaを用いたいもち病菌接種試験を行うことで、いもち病菌の侵入や菌糸の伸展に対する抵抗性発現においてJAが重要な機能を果たしていることを示した。

第3章ではイネのN-jasmonoyl isoleucine合成酵素と推定される OsJAR1の変異株であるosjar1のキャラクタリゼーションを行い、イネにおいてもOsJAR1がJA-Ileの生合成を担っており、且つJA-Ileがイネにおいても重要なJAシグナル伝達因子であることを示した。また、このosjar1を用いた解析により、イネのJA誘導的なファイトアレキシン生産にはJA-Ileが必要であること、また、いもち病菌接種試験を行うことで、cpm2やhebibaと同様にosjar1においても野生型株と比較して、形成される病斑のサイズがわずかではあるが有意に大きくなることを示した。このことから第2章で示された、いもち病菌の侵入や菌糸の伸展に対する抵抗性におけるJAの機能は、JA-Ileを介して発現していることが強く示唆された。

第4章では、JAによるサクラネチン生合成制御機構解明の足がかりとするためNOMTの単離・同定を試みた。これまで行われてきたNOMTの精製・単離研究では、NOMT活性画分からは、少なくとも大腸菌を用いた組換え酵素ではNOMT活性を示さないcaffeic acid O-methyltransferase 1 (OsCOMT1)が得られていた。そこで本研究では、OsCOMT1がin vivoでNOMT活性に関与しているかどうかを、OsCOMT1の変異株であるoscomt1を用いることで調べることとした。その結果、OsCOMT1はイネ植物体内においてもNOMT活性は有さないことが示された。そこで次に、このoscomt1を用いてNOMTの単離・同定を試みることとした。その結果、アフィニティ精製により顕著にNOMTの比活性の上昇が認められた画分から、2つのO-methyltransferaseと推定されるイネのタンパク質が見出された。これらをコードする遺伝子であるOs04g0175900及びOs12g0240900は、マイクロアレイ解析の結果から、Os12g0240900はイネ葉において強いJA応答性を示すこと、Os04g0175900はイネ葉で、JA応答性、発現レベルがともに低いことがわかった。さらに、両遺伝子のcDNAを大腸菌で発現させたところ、Os04g0175900の遺伝子産物のNOMT活性は微弱であったが、Os12g0240900の遺伝子産物は明瞭なNOMT活性を示した。以上の結果から、イネにおける主要なNOMTはOs12g0240900であると結論した。NOMTの発現は強いJA依存性を示すことから、今後NOMTの発現制御機構の解明を行うことで、イネの病害抵抗性発現におけるJAのシグナル伝達機構解明の足がかりが得られるものと期待される。

以上、本研究は、イネのいもち病菌に対する抵抗性の発現においてJA-Ileを介したJAシグナル伝達が重要な機能を担っていることを示すとともに、イネの主要ファイトアレキシンの一つで、JA依存的に生産誘導されるサクラネチンの生合成における鍵酵素であるNOMTの機能同定に成功したもので、学術上・応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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