学位論文要旨



No 126918
著者(漢字) 宮本,哲也
著者(英字)
著者(カナ) ミヤモト,テツヤ
標題(和) タンパク質に含まれるD-アミノ酸残基の検出に関する研究
標題(洋)
報告番号 126918
報告番号 甲26918
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3671号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 教授 清水,誠
 東京大学 教授 西山,真
 東京大学 准教授 永田,宏次
 東京大学 准教授 日,真誠
内容要旨 要旨を表示する

全ての生体タンパク質はアミノ酸として、Gly以外L-アミノ酸のみから構成されるというホモキラリティーは古くからの常識であった。例外として、非リボソーム的に合成された細菌の細胞壁のペプチドグリカンやペプチド性抗生物質が知られていたが、近年の微量分析や光学分割技術の向上に伴い、微生物・植物・動物に至る様々な生物種において、予想以上に多くのD-アミノ酸が存在していることが判ってきた。遊離型のD-アミノ酸として存在するだけでなく、いくつかの生理活性ペプチドで特定残基が翻訳後に特異的エピメラーゼで異性化される例や、ヒトの加齢や病気に関連してクリスタリンやアミロイドβで、D-Aspなどが特定部位に蓄積する例が報告されている。さらに、種々の生物の組織や細胞の総可溶性高分子画分中には有意のD-アミノ酸が結合型で含まれているという報告がある。この最後の報告は、実は常識に反し、一般のタンパク質中に広くD-アミノ酸が含まれている可能性を期待させる。しかしこれを検証するためには、細胞や組織の抽出物という混合物ではなく、精製した個々のタンパク質を直接分析する必要がある。そこで本研究では、塩酸加水分解0時間外挿法と、重塩酸加水分解を用いた重水素ラベル法という二つの手法を用いて、精製タンパク質中にD-アミノ酸残基が含まれている可能性を検証した。

1. 塩酸加水分解0時間外挿法によるタンパク質中のD-アミノ酸残基の検出

タンパク質中のD-アミノ酸含量を求めるために、広く用いられてきた塩酸加水分解0時間外挿法を用いた。分析対象として大腸菌β―galactosidaseとヒトurocortinを精製し、各アミノ酸についてD-アミノ酸含量を求めた。M9最少培地で生育させた大腸菌にそれぞれのタンパク質を合成させ、His-tagにより精製した。これらを6 M塩酸気相中110°Cで3, 6, 16, 24時間加水分解処理した。4-Fluoro-7-nitrobenzo-2-oxa-1,3-diazole (NBD-F)により蛍光誘導体化した後、逆相カラムでアミノ酸を分離し、さらに各アミノ酸をキラルカラムでL体とD体に光学分割し定量した。各アミノ酸について加水分解時間に対するD/(D+L)比を直線回帰し、0時間への外挿値でタンパク質中のD-アミノ酸含量を求めた。その結果、精製した二つのタンパク質から0.5-4%のD-アミノ酸が有意に再現性よく検出された。D-アミノ酸含量はアミノ酸の種類によって異なり、タンパク質によっても異なっていた。モック実験として市販の遊離L-アミノ酸で同様の処理を行ったところ、D-アミノ酸含量は製品の実測値とほぼ一致した。また、アミノ酸のラセミ化反応速度を反映する回帰直線の傾きは、遊離アミノ酸と、タンパク質を加水分解処理したものとでほぼ一致したため、加水分解で生じたアミノ酸のラセミ化の影響は0時間外挿により解消されていると考えられる。ここで検出されたD-アミノ酸の由来の一つの可能性として、タンパク質生合成時のD-アミノ酸の取り込みについて検証した。最少培地にD-アミノ酸を強制的に添加して、大腸菌に各タンパク質を合成させた。培地にD-アミノ酸を加えると、大腸菌細胞内の遊離D-アミノ酸レベルは上昇したが、得られたタンパク質のD-アミノ酸含量にほとんど変化はなかった。従って、翻訳時にD-アミノ酸が取り込まれている可能性は、たとえあっても非常に低いことが示された。

2. 酸加水分解反応におけるペプチド異性化の検証

0時間外挿法を用いて、大腸菌で発現させた各種精製タンパク質にD-アミノ酸が有意に定量されることを示した。このD-アミノ酸の由来について、ここでは分析過程におけるアミノ酸の異性化について検証した。加水分解処理によってペプチド及びタンパク質から生じたアミノ酸にはラセミ化反応が起こるが、それ以前の加水分解処理中にペプチドの段階でアミノ酸残基が異性化(ペプチドのジアステレオマー化)している可能性を考えた。もし、実際に加水分解処理初期にこれが起きているのであれば、0時間外挿法ではタンパク質中のD-アミノ酸含量を正確に求めることができない。そこで、L-Ala-L-PheとL-Phe-L-Alaをモデルジペプチドとして用いて、ペプチドのジアステレオマー化が起きるかどうかを検討した。各ジペプチドを0.5~2時間加水分解処理し、NBD化して逆相カラムにより分離すると、ジケトピペラジンを介してそれぞれの反転配列からなるジペプチドが生じた。その一方で、わずかな量であるが、ジアステレオマー化したジペプチド (DLあるいはLD) が検出された。キラルカラムによる分析により、C末端側のアミノ酸がよく異性化していることが明らかとなった。また、ジペプチド加水分解後のAlaとPheの0時間外挿値でも、C末端側でより大きなD-アミノ酸比が得られた。以上より、塩酸加水分解反応初期に、ジペプチドではペプチド状態で急速なアミノ酸の異性化が起きること、また特にC末端側でジアステレオマー化しやすいことが示された。従って、タンパク質加水分解物の0時間外挿値は、ペプチドでの急速なジアステレオマー化のため、タンパク質中のD-アミノ酸含量を反映していないことが示唆された。

3. 重水素ラベルを用いたタンパク質中のD-アミノ酸残基の検出

タンパク質中のD-アミノ酸を正確に定量するためには、酸加水分解処理により生じるD-アミノ酸を排除しなければならない。遊離アミノ酸のラセミ化であろうとペプチドのジアステレオマー化であろうと、異性化の際にはα水素が一旦外れ、H2O中の水素原子が再び結合する段階を経る。そこで、タンパク質をDCl/D2O中で加水分解することで、ラセミ化及びジアステレオマー化したアミノ酸のα水素を重水素に置換し、これらを分子量1の違いによりタンパク質中のD-アミノ酸と区別する分析系を構築した。重塩酸加水分解物をNBD化し、ODSカラムで各アミノ酸に単離した後、キラルカラムを備えたLC-MS/MSを用いてD-アミノ酸を検出した。まず、モデルペプチドとして、化学合成L-Ala-L-Ala-L-AlaとD-Ala-L-Ala-L-Alaを分析し、ペプチド内在性のD-Alaと加水分解中に生じたD-Alaを検出・区別できるかどうかを調べた。L-Ala-L-Ala-L-Alaからは重水素ラベルされたD-Alaのみが検出され、D-Ala-L-Ala-L-Alaからは約35%のペプチド内在性のD-Alaが検出された。これは理論上のD-アミノ酸含量 (約33%)とよく一致していた。さらに、この方法を2残基のD-Pheを含むD-Phe2,6-LHRHに適用して内在性のD-Pheを定量できることを確認した。そこでこの方法でβ-galactosidaseを分析すると、内在性のD-アミノ酸は検出されなかった。従って、0時間外挿法により検出していたD-アミノ酸は、加水分解処理中のペプチドのジアステレオマー化によって生じていことが明らかとなった。

4. D-アミノ酸含有タンパク質の存在検証

重塩酸加水分解とLC-MS/MSを組み合わせたことにより、加水分解で生じるD-アミノ酸の区別が可能になったため、タンパク質に含まれているD-アミノ酸を感度よく直接検出できるようになった。ここでは、この分析システムを用いて、D-アミノ酸含有タンパク質の探索、及び存在検証を行った。

(1) 真正細菌・古細菌・真核生物から抽出した総可溶性高分子画分を用いて、D-アミノ酸含有タンパク質の探索を試みた。その結果、Escherichia coliやBacillus subtilisを含む真正細菌、古細菌Sulfolobus tokodaiiから、主にD-Alaが有意な量検出された。このうち真正細菌に関してはペプチドグリカンの前駆体や分解物に由来する可能性は否定できず、これらを正確に分画することによって、D-アミノ酸含有タンパク質の存在を確かめる必要がある。

(2) Ovalbuminは卵白の主要タンパク質であり、卵殻からの二酸化炭素放出によるpHの上昇に伴って、熱安定性の上昇したS-ovalbuminに変化する。熱安定化機構については、未だ明らかとなっていないが、X線結晶構造解析によりSer164, Ser236, Ser320が特異的にD体であること、そして、これらが熱安定性に関わっていることが示唆されている。In vitroで数日間、pH9.5, 37°Cで処理しS-ovalbuminとしたものから、確かにD-Ser残基が検出された。D-Ser含量は経時的に増加していき、最終的に約3残基分のD-Ser含量を示した。

(3) Ovalbuminは、D-Ser残基を得て熱安定性が上昇したと考えられているが、その他のタンパク質でも分子内にD-アミノ酸が生じた場合、その活性や熱安定性などに影響を与えるのではないかと考えた。そこで、数種類のタンパク質をpH9.5, 37°Cに置くことで、アミノ酸の異性化が起こるかどうかを調べた。その結果、carbonic anhydrase, lysozyme, β-amylaseにおいて、D-SerやD-Alaが検出され、それらの含量の経時的な増加が確認された。従って、比較的穏やかなアルカリ条件下において、分子内にD-アミノ酸が生じることが明らかとなった。

本研究により、タンパク質中のD-アミノ酸の定量に一般的に使用されてきた0時間外挿法の問題を指摘し、正確な定量を可能とする分析系を構築するに至った。これにより、対象のタンパク質にD-アミノ酸が含まれていないことが判ったものの、S-ovalbumin中にD-アミノ酸を見出すことができた。今後、この分析系によるD-アミノ酸含有タンパク質の発見が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

生物の生体タンパク質を構成するアミノ酸がL-アミノ酸のみであることは常識であるが、タンパク質中のアミノ酸残基の光学活性を正確に知る技術は長い間なかったので、直接証拠なしに常識は定着したと考えられる。近年、分析技術の発達により、今まで非天然物質とされてきたD-アミノ酸が様々な生物からみつかっており、遊離アミノ酸としてだけでなく、いくつかの生理活性ペプチド中や、老化に伴ってタンパク質中に結合型D-アミノ酸が増える例も知られている。また、様々な生物の組織や細胞の可溶性高分子量画分中に有意の結合型D-アミノ酸が含まれるという報告もあり、一般のタンパク質にはじつは有意のD-アミノ酸残基が含まれているという可能性を期待させる。しかし、最新の分析技術を用いてこの問題を検証した報告はない。そこで申請者は、生合成させ精製したタンパク質中にD-アミノ酸残基が含まれているかどうかを正確に検証し、それに伴う重要な新知見を得た。

本論文は4章からなる。第1章では、タンパク質のD-アミノ酸含量決定法として、広く応用されている塩酸加水分解0時間外挿法を用いた。大腸菌βgalactosidaseとヒトurocortinを精製し、Ala, Asp, Glu, lIe, Leu, PheのD-アミノ酸含量を求めたところ、0.5-4%のD-アミノ酸が再現性よく検出された。このD-アミノ酸の由来として、翻訳過程でD-アミノ酸が取り込まれる可能性を検証した。培地にD-アミノ酸を添加すると、大腸菌細胞内の遊離D-アミノ酸量は大きく上昇するが、生合成されるタンパク質のD-アミノ酸検出量にはほとんど影響しなかった。従って、翻訳時に細胞内のD-アミノ酸が直接取り込まれている可能性は低いと考えられた。

第2章では、分析過程でアミノ酸が異性化する可能性を検証した。加水分解で遊離したアミノ酸のラセミ化によるD-アミノ酸は0時間外挿法で消去できるが、ペプチドのままアミノ酸残基が異性化していればその効果は消去できない。そこで、L-Ala-L-PheとL-Phe-L-Ala(LL体)をモデルとして、ペプチドのままジアステレオマー化が起きるかどうか検討した。その結果、ジアステレオマー化したジペプチド(DL体またはLD体)が検出され、このうちC末端側のアミノ酸に異性化傾向の強いことを明らかにした。即ちβgalactosidase等で検出されるD-アミノ酸は、分析過程の異性化で生じたものであり、通常の0時間外挿法では、タンパク質内在のD-アミノ酸含量を正確に求めることができないことを示した。

第3章では、タンパク質中のD-アミノ酸残基を正確に定量するための分析系を確立した。タンパク質を重塩酸加水分解し、その処理中に異性化したアミノ酸のa水素を重水素に置換し、分子質量の違いにより、タンパク質に内在したD-アミノ酸と区別する分析系である。まず、モデルペプチドを用いて、ペプチド内在性のD-アミノ酸を正確に検出・定量できることを確認した。この方法でβ-galactosidaseを分析すると、内在性のD-アミノ酸は検出されず、最終的にβ-galactosidaseには調べた限りD-アミノ酸は含まれていないことを示した。

第4章では、上記で構築した分析系を用い、D-アミノ酸を含むと示唆されていたovalbuminの分析を行った。その結果、可溶性画分から真の内在性D-AlaとD-Serを検出でき、生理的な弱アルカリ処理を施したovalbumin からは、推定されていた通りのD-Ser含量を測定した。このように、タンパク質中の真のD-アミノ酸を検出・定量する手法を確立し、新規D-アミノ酸含有タンパク質の発見に応用できることを示した。

以上、本研究により申請者は、信頼されてきたタンパク質中のD-アミノ酸の分析法の問題点を指摘し、問題点の原因を明らかにするとともに、これに代わる内在性D-アミノ酸の検出・定量法を確立した。そして、この手法により身近なタンパク質中にもD-アミノ酸が内在していることを示したことは、学術上、応用上貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51311