学位論文要旨



No 126920
著者(漢字) 山本,京祐
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,キョウスケ
標題(和) 好気性細菌の菌膜形成に関する生理・生態学的研究
標題(洋)
報告番号 126920
報告番号 甲26920
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3673号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 正木,春彦
 東京大学 教授 妹尾,啓史
 東京大学 准教授 野尻,秀昭
 東京大学 准教授 石井,正治
内容要旨 要旨を表示する

好気性微生物の中には静的環境において気液界面にpellicle(菌膜)を形成するものが多数存在する。pellicle形成は、気液界面に細胞を保持し生育に有利な好気環境のニッチを獲得するための戦略であると考えられており、様々な自然/人工環境中に見出される。しかし、固液界面に形成されるバイオフィルムと同様のものと見なされることが多く、pellicle細胞固有の生理的特徴やpellicle形成過程については不明な部分が多い。また、pellicle形成の適応効果を実験的に評価した例はほとんどなく、特に、pellicle形成が液相の個体群を含めた系全体としての個体群・群集動態に与える影響を評価した例はない。そこで本研究では、pellicleの形成機構やpellicle細胞の生理学的特徴を明らかにし、気液界面ニッチを巡る個体群間・種間相互作用を解析することで、pellicleの生理生態学的な特徴づけをおこなうことを目的とした。

本研究では、バイオフィルム研究のモデル生物である通性好気性細菌Pseudomonas aeruginosa PAO1株を主に用いて実験をおこなった(静置条件、LB培地、37 °C)。なお、pellicleの定量には、本研究で新規に考案した簡便なpellicle特異的採取法(methanol重層法)を適用し、総タンパク量ベースで測定した。

<pellicle形成に影響を及ぼす環境因子>

Pellicleはその構造が気相に直接接していることが大きな特徴であり、したがって気相ガス組成はpellicle形成に大きく影響すると考えられた。培養時の気相酸素濃度を変化させたところ(20-0%)、酸素濃度の低下に伴いpellicle形成量は減少した。一方、気相CO2濃度を8%に維持したところ、pellicle形成量は増加した。

次に液相の溶存因子の影響を評価した。pH上昇はpellicle形成を抑制することがわかり、前述の気相高CO2の効果は液相に溶け込みpHの上昇を抑制する作用によることが示唆された。また、硝酸添加(40mM NaNO3)によって液相でのP. aeruginosaの嫌気脱窒生育を促進したところ、pellicle形成量が減少した。脱窒遺伝子の変異株では添加効果はみられず、嫌気生育個体群の存在が好気pellicle個体群の生育を抑制すると考えられた。硝酸による形成抑制効果は鉄添加(50μM FeSO4)によってみられなくなり、好気および嫌気生育個体群間での鉄競合がpellicle形成を抑制したと考えられた(Fig. 1)。

<pellicle細胞の遺伝子発現パターン>

定常期の浮遊細胞(OD600=1.4)を対照としてpellicle細胞(24 h、mature pellicle)の比較トランスクリプトーム解析をおこなったところ、全ORFの10%弱、541遺伝子が発現変化していた(fold change >2)。主な特徴を以下に示す。

(1) 嫌気代謝関連遺伝子群:大幅に発現低下しており(-8~-303)、pellicle細胞ではほぼ好気代謝のみおこなわれていることが示された。バイオフィルム細胞では嫌気代謝の一定の寄与が知られており、これはpellicle細胞固有の特徴であると考えられた。

(2) 鉄取り込み関連遺伝子群:大幅な発現上昇がみられ(+4~+65)、鉄欠乏状態にあることが示唆された。好気条件下では、細胞外の鉄はほとんどが難溶性のFe(III)として存在するとみられ、鉄取り込み系の発現が生育に重要であると考えられた。

(3) その他:運動性関連遺伝子、酸化ストレス応答系、anthranilate分解系などが発現変化していた。

このように、pellicle細胞では、酸素獲得の効率化と引き換えに鉄の利用性が減少するという栄養獲得のトレードオフが存在することが示唆された(Fig. 1)。

<pellicle形成に関わる遺伝因子>

各種遺伝子破壊株を作製しpellicle形成能を評価したところ、細胞外多糖(EPS)非産生株(ΔpelAΔpslAB)ではpellicle形成能が顕著に低下し、EPSはpellicle細胞外マトリックスの主要構成物であることが示された。ピリ線毛破壊株(ΔpilA)では特に影響はなかったが、鞭毛破壊株(ΔfliC)では形成が遅れ、pellicle形態が不均一なものに変化した。鞭毛・線毛2重破壊株(ΔfliCΔpilA)では、pellicle形成量は低下したが、形態は均一なものに戻った。Quorum sensingシグナル分子のひとつであるpseudomonas quinolone signal(PQS)の非産生株(ΔpqsAB)ではpellicle形成量が増加し、PQSがpellicle形成に抑制的に作用することが示唆された。したがって、pellicle形成にはEPS産生や運動・付着性が寄与しており、細胞間シグナル物質の関与も示唆された。

<pellicle形成の適応効果>

静置環境での生育に対するpellicle形成能の寄与を評価するため、EPS非産生株(pellicle低形成株、ΔpelAΔpslAB)と野生株の生育(菌数・バイオマス量)を比較した。その結果、最終的な生育量には差がなかったが、変異株では最大生育量を得るまでにより長い時間を要した。したがって、pellicle形成は静置環境での生育を促進することが示された。次に、pellicle形成が適応度に与える影響をみるため、上二者の競合実験(共培養)をおこない、各々のCFU変化(両株は蛍光標識の有無で区別)から相対適応度(relative fitness*、w)を算出、比較した。振盪条件では変異株のほうがわずかに高い相対適応度を有し(w=1.08)、EPS生産能の欠損が振盪条件では適応度低下につながらないことが示された。一方、静置条件では変異株の相対適応度は大幅に減少した(w=0.37)。また、嫌気ニッチの存在がpellicle形成能の適応効果に与える影響を評価するため、硝酸添加系で同様に実験をおこなったが、変異株の適応度は低いままであった(w=0.35)。これらのことから、pellicle形成は静置環境における適応的挙動であることが示された。

競合実験系のpellicle個体群について解析をおこない、pellicle内の両株の存在比を定量PCRで推定したところ、変異株は6%以下であり系全体(約10%、CFUベース)よりも低い優占率であった。このようにpellicle内に変異株の存在が確認されたため、pellicleを共焦点レーザー顕微鏡によって観察し、変異株がpellicleの空間構造に与える影響を評価した。その結果、変異株はpellicle内に一様に分布していたが、培養が進むとpellicle内に多数の空隙が形成され、野生株単独のpellicleより早く崩壊した。これはEPS非産生株が共存することでpellicleの強度が低下したためと考えられ、pellicle形成種にとってマトリックス形成に寄与しない種・細胞の存在は、pellicle構造の維持に阻害的に作用することが示唆された。

次にpellicle形成種間の相互作用を評価するため、静置環境から分離した2種のpellicle形成細菌M1-3株(通性好気性、系全体に分布)およびM1-5株(偏性好気性、気液界面に局在)を用いて実験をおこなった(PCS培地**、50 °C)。静置条件で共培養し、生菌数(MPN)推移をみたところ、M1-3株はM1-5株を駆逐した。Fluorescence in situ hybridization解析によってpellicle特異的に両者の変遷を追跡すると、初期にはM1-5株が優占するものの、後からM1-3株が侵食していく様子がみられた。多孔質膜を用いた分離共培養ではM1-5株の生育阻害がみられなかったことから、抗菌性物質や培地成分の競合が原因ではないと考えられた。一方、気相に酸素を通気しながら静置共培養をおこなったところ、M1-5株は駆逐されず一定の生菌数を維持したことから、pellicleにおける酸素競合の結果としてM1-5株が排除されることが強く示唆された。

<総括>

モデル微生物P. aeruginosaおよび環境分離株を用いてpellicle形成に関する解析をおこなった結果、pellicle形成に関わる遺伝因子や環境要因を同定し、pellicle固有の生理学的特徴(酸素-鉄間における栄養獲得トレードオフなど)の存在を明らかにした。また、pellicle形成の適応効果を評価し、静置環境における適応的挙動であることを実験的に示したことで、その生態学的意義についても重要な知見を得た。さらに、pellicle形成株-変異株間、pellicle形成種間の相互作用を見出し、気液界面を巡る微生物間相互作用の一端を明らかにした。

*w=mmutant/mWT, m=ln (Nt/ N0), Ntは時間tにおける生菌数(CFU)

**peptone 5 g/L, yeast extract 1 g/L, NaCl 5 g/L, pH 7.2

Fig. 1. Schematic view of spatial distribution of cells and substrates

Fig. 2. Spatial structure of pellicle. Bars=50 μm

審査要旨 要旨を表示する

好気性微生物の中には静的環境において気液界面にpellicle(菌膜)を形成するものが多数存在する。pellicle形成は、気液界面に細胞を保持し生育に有利な好気環境のニッチを獲得するための戦略であると考えられており、様々な自然/人工環境中に見出される。しかし、pellicle細胞固有の生理的特徴やpellicle形成過程については不明な部分が多く、pellicle形成の適応効果を実験的に評価した例はほとんどない。そこで本研究では、pellicleの形成機構やpellicle細胞の生理学的特徴を明らかにし、気液界面ニッチを巡る個体群間・種間相互作用を解析することで、pellicleの生理生態学的な特徴づけをおこなうことを目的とした。

本研究では、バイオフィルム研究のモデル生物である通性好気性細菌Pseudomonas aeruginosa PAO1株を主に用いて実験をおこなった。pellicleの定量には、本研究で新規に考案した簡便なpellicle特異的採取法(methanol重層法)を適用した。

<pellicle形成に影響を及ぼす環境因子>

培養時の気相酸素濃度を変化させたところ(20-0%)、酸素濃度の低下に伴いpellicle形成量は減少した。一方、気相CO2濃度を8%に維持したところ、pellicle形成量は増加した。pH上昇はpellicle形成を抑制したことから、CO2の効果はpHの上昇抑制によることが示唆された。また、硝酸添加(40mM NaNO3)によってpellicle形成量が減少した。脱窒遺伝子の変異株では添加効果はみられず、嫌気生育個体群の増加が好気pellicle個体群の生育を抑制すると考えられた。硝酸の効果は鉄添加(50μM FeSO4)によって解消され、好気および嫌気生育個体群間での鉄競合がpellicle形成を抑制したと考えられた。

<pellicle細胞の遺伝子発現パターン>

定常期の浮遊細胞(OD(600)=1.4)とpellicle細胞(24 h)とで比較トランスクリプトーム解析をおこなったところ、全ORFの10%弱、541遺伝子が発現変化していた(fold change >2)。pellicle細胞では嫌気代謝、運動性、酸化ストレス応答関連遺伝子群の発現量は低く、鉄取り込み系、anthranilate分解系は高発現していた。したがって、pellicle細胞は好気代謝が主要で、鉄欠乏状態にあることが示された。このように、pellicle細胞では、酸素獲得の効率化と引き換えに鉄の利用性が減少するという栄養獲得のトレードオフが存在することが示唆された。

<pellicle形成に関わる遺伝因子>

各種遺伝子破壊株を作製しpellicle形成能を評価したところ、細胞外多糖(EPS)非産生株ではpellicle形成能が顕著に低下し、EPSは細胞外マトリックスの主要構成物であることが示された。ピリ線毛破壊株では特に影響はなかったが、鞭毛破壊株では形成が遅れ、pellicle形態が不均一なものに変化した。鞭毛・線毛2重破壊株では、pellicle形成量は低下したが、形態は均一なものに戻った。Quorum sensingシグナル分子のひとつであるPQSの非産生株ではpellicle形成量が増加した。したがって、pellicle形成にはEPS産生や運動・付着性が寄与しており、細胞間シグナル物質の関与も示唆された。

<pellicle形成の適応効果>

静置環境での生育に対するpellicle形成能の寄与を評価するため、EPS非産生株(pellicle低形成株)と野生株の生育(菌数・バイオマス量)を比較した。その結果、pellicle形成は静置環境での生育を促進することが示された。次に、上二者の競合実験をおこない、各々のCFU変化(両株は蛍光標識の有無で区別)から相対適応度(w)を算出、比較した。振盪条件では変異株のほうがわずかに高い相対適応度を有し(w=1.08)、一方、静置条件では変異株の相対適応度は大幅に減少した(w=0.37)。このことから、pellicle形成は静置環境における適応的挙動であることが示された。

競合実験系のpellicle内の両株の存在比を定量PCRで推定したところ、変異株は4%前後であり系全体(約10%、CFUベース)よりも低い優占率であった。pellicleを共焦点レーザー顕微鏡によって観察し、変異株がpellicleの空間構造に与える影響を評価した結果、変異株はpellicle内に一様に分布していたが、培養が進むとpellicle内に多数の空隙が形成され、野生株単独のpellicleより早く崩壊した。これはEPS非産生株が共存することでpellicleの強度が低下したためと考えられ、pellicle形成種にとってマトリックス形成に寄与しない種・細胞の存在は、pellicle構造の維持に阻害的に作用することが示唆された。

次にpellicle形成種間の相互作用を評価するため、静置環境から分離した2種のpellicle形成細菌M1-3株(通性好気性、系全体に分布)およびM1-5株(偏性好気性、気液界面に局在)を用いて実験をおこなった。静置条件で共培養し、生菌数(MPN)推移をみたところ、M1-3株はM1-5株を駆逐した。FISH解析によってpellicle特異的に両者の変遷を追跡すると、初期にはM1-5株が優占するものの、後からM1-3株が侵食していく様子がみられた。多孔質膜を用いた分離共培養ではM1-5株の生育阻害がみられなかったことから、抗菌性物質や培地成分の競合が原因ではないと考えられた。一方、気相に酸素を通気しながら静置共培養をおこなったところ、M1-5株は駆逐されず一定の生菌数を維持したことから、pellicleにおける酸素競合の結果としてM1-5株が排除されることが強く示唆された。

以上、本研究はモデル微生物P. aeruginosaおよび環境分離株を用いて、そのpellicle形成に関して多くの新知見を得、さらに生態学的意義や気液界面を巡る微生物間相互作用の一端を明らかにしたものであり、学術上・応用上貢献するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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