学位論文要旨



No 126921
著者(漢字) 吉田,彩子
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,アヤコ
標題(和) リジン生合成に関わるアミノ酸キナーゼの制御および機能発現に関する構造生物学的研究
標題(洋)
報告番号 126921
報告番号 甲26921
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3674号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西山,真
 東京大学 教授 太田,明徳
 東京大学 教授 五十嵐,泰夫
 東京大学 教授 依田,幸司
 東京大学 准教授 葛山,智久
内容要旨 要旨を表示する

リジンはヒトや家畜などの高等動物では自ら生合成できない必須アミノ酸の一つであり、近年の人口増加に伴う食肉需要の増大により、家畜飼料用のリジン生産量が年々増加している。リジンの工業的生産にはグルタミン酸発酵でも知られているCorynebacterium glutamicumが用いられている。C. glutamicumにおいてリジンはアスパラギン酸を初発物質としてジアミノピメリン酸(DAP)を経由するDAP経路で生合成される。この経路の初発酵素であるアスパラギン酸キナーゼ(AK, aspartate kinase)はアスパラギン酸のβ-カルボキシル基をATPを用いてリン酸化する酵素であるが、最終産物であるリジンとスレオニンが共に存在するときにのみ阻害を受ける(協奏阻害)ことで最終産物の生産量を調節している。リジン発酵系ではこのAKのフィードバック阻害耐性変異株が用いられており、AKはリジン発酵の鍵酵素であるにもかかわらず、この制御機構はリジン発酵系の確立から50年以上もの間謎のままであった。

一方、高度好熱菌Thermus thermophilusはC. glutamicumとは異なりDAPではなくα-アミノアジピン酸(AAA)を経由する新規AAA経路でリジンを生合成し、そのAAAからリジンへの変換過程においてLysWというAAAのα-アミノ基の保護基として働くタンパク質が関与することが示されている。さらに、酸性タンパク質であるLysWは各生合成酵素と静電相互作用することでリジン生合成の効率を高めるキャリアタンパク質としての機能を持つことも示唆されている。Thermusは進化的に起源生物に近いバクテリアであるといわれており、Thermusにおけるキャリアタンパク質LysWの生合成酵素による認識機構を明らかにすることはアミノ酸生合成の進化を理解する上で重要であると考えられる。

そこで、これらの異なる2つのリジン生合成経路に存在するアミノ酸キナーゼであるAKとLysZに着目し、構造生物学を中心とした手法を用いて活性制御機構及び基質認識機構の解析を行った。

1. C. glutamicum由来アスパラギン酸キナーゼのβサブユニットの結晶構造解析(2)

LysとThrによって阻害を受け、α2β2ヘテロテトラマー構造を持つCgAKの活性制御機構を明らかにするため、まずその活性制御を担うとされるβサブユニット(CgAKβ)についてX線結晶構造解析を行い、1.58 A分解能で結晶構造を決定することに成功した。CgAKβはThrを結合したダイマー構造を取っていた(図1)。この構造はα2β2型のCgAK全長におけるαサブユニットのC末活性制御ドメインとβサブユニットのダイマー構造に相当する。AKの活性制御ドメインにはACTドメインといわれるアロステリックな活性制御をうける酵素に保存されたエフェクター結合ドメインが2つ(それぞれACT1、ACT2)存在しているが、結晶構造ではN末側のACT1がもう一方のサブユニットのC末側のACT2と相互作用してエフェクター(Thr)結合ユニットを形成して、ダイマーあたり2分子のThrを結合していた。Thrがサブユニット間に埋まるように結合しており、βサブユニットのダイマー化に寄与している可能性が考えられたため、CgAKβのThrやLysの結合による分子量の変化を解析した。その結果CgAKβはThrの結合によってモノマーからダイマーへと変換することが示され、さらに、Thr耐性を与える変異を導入したCgAKβではこのThrによるダイマー化が見られなかった。以上より、Thrによる活性制御サブユニット(ドメイン)のダイマー化が活性制御に必須であることが示唆された。また、LysアナログであるS-2-aminoethyl L-cysteine(AEC)を用いたスクリーニングにより得られたフィードバック阻害耐性変異体(A30V、S52F、T59I)のうち、S52F以外の変異体は実際にはThr耐性であることが分子量解析などから示され、これらの結果からもThr結合による活性制御ドメインのダイマー化が一段階目として起こることが活性制御に必須な段階であることが支持された。

2. C. glutamicum由来アスパラギン酸キナーゼの活性制御機構の解析(4)

活性制御ドメインの構造では明らかにならかったLys結合部位や阻害剤結合による構造変化を明らかにするためα2β2全長でのCgAKの結晶構造解析を行った。その結果Lys・Thrの結合した阻害型(CgAK-T)、Thrのみの結合した活性型(CgAK-R*)、さらに、フィードバック阻害耐性変異体のLys・Thrの結合した構造(CgAK-S301F)を決定することに成功した(図2)。これらの構造比較から、CgAKの活性制御機構は、(1)Thrによる活性制御ドメイン(サブユニット)のダイマー化と(2)Lys結合による閉じた阻害型構造の安定化の二段階からなることが分かった(図3)。二段階目の制御について以下にその概略を述べる。リジンがエフェクター結合部位に結合することによりβサブユニットと触媒ドメインとの間に新たな相互作用が形成され、閉じた阻害型構造が安定化される。この動きに伴って基質のAsp結合残基であるGlu74とArg151が強固なイオン結合を形成するように側鎖構造を変化させ、閉じた構造の安定化に寄与すると同時に、Asp結合を阻害する。またこの構造ではAspの代わりに基質結合部位にLysが結合可能となり、阻害型構造がより安定化される。このようにCgAK-T及びCgAK-R*の構造比較などからCgAKにおける複雑な協奏阻害機構が明らかとなった。

一方、CgAK-S301Fの結晶構造の非対称単位に含まれる8つのαサブユニットの構造は様々であり、Lys・Thrを結合しているにもかかわらず、CgAK-R*のような開いた構造やCgAK-Tと同様の閉じた構造、さらにはより閉じた構造というように様々な構造をとっていた。このことからCgAK-S301Fでは、変異によって阻害型の閉じた構造の安定性が低下し、その結果としてフィードバック阻害耐性となっていることが示唆された。

3. T. thermophilus由来アスパラギン酸キナーゼの活性制御機構及び熱安定性の解析(1,3)

T. thermophilusもThrによってフィードバック阻害を受けるα2β2型のAK(TtAK)を持つ。T. thermophilusは高度好熱菌であり、そのタンパク質も高い熱安定性を持つことが知られている。そこで、TtAKのThrによる制御機構や耐熱化機構を明らかにするためTtAKのβサブユニット(TtAKβ)の結晶構造解析を行った。その結果、Thrが結合したTtAKβ-Thrと結合していないTtAKβ-freeの構造を決定することに成功した。これらの構造比較やオリゴマー状態の解析からTtAKβがCgAKの場合と同様にThrの結合に伴いダイマーが安定化され、そしてThrの結合によりThr結合部位を覆うように存在するloopをはじめとした構造変化が誘起されることが分かった。

一方、安定性解析によりTtAKβはCgAKβよりも約40℃高い変性温度を持つことが分かった。TtAKβ-Thrと同じくThrを結合しているCgAKβの結晶構造を比較することで、このTtAKβの高い熱安定性は、タンパク質内部の疎水性の増大とそれら疎水性残基の強固なパッキング(図4)、そしてPro残基によるloopの可動性の低下に起因することを示した。

4. T. thermophilusのリジン生合成酵素LysZとキャリアタンパク質LysWの機能構造解析(5)

T. thermophilusの新規リジン生合成経路後半のAAAからLysへの変換過程においてAAAの保護基として働くキャリアタンパク質LysWの性質を明らかにするため、AAAからLysへの変換過程の第二番目の酵素であり、AKと同じくリン酸化反応を触媒するLysZと、その基質であるLysW-γ-AAAの結晶構造解析を行った。まずLysW-γ-AAAの結晶構造を1.20A分解能で決定した(図5)。LysWのC末のGlu54のγ-カルボキシル基とAAAのα-アミノ基がアミド結合しており、これまで生化学的に示されていたAAAからLysへの変換過程の第一番目の酵素であるLysXによるLysWのC末へのAAAの付加反応を結晶構造から実証することができた。さらに、LysZ/LysW-γ-AAA複合体の構造を1.85A分解能で決定することに成功し(図6)、2つのタンパク質が静電相互作用によって結合していることを示した。この結晶構造ではLysZ 1サブユニット当り2か所((1)strand β8付近(2)活性中心付近)のLysWとの相互作用部位が観察された。どちらもが、LysW-γ-AAAのC末を活性中心に結合していなかったため、LysZの機能発現にどちらの相互作用が重要であるか結晶構造からだけでは分からなかった。このうち(1)のstrand β8を含む4つのβ strandで構成される領域がLysZのアルギニン生合成系中でのホモログであるArgBとの配列アラインメントにおいて違いが見られる部分であることや、相互作用部位の接触表面積が(1)の方が広いことから、(1)の相互作用が重要であることが示唆された。変異体を用いての活性測定や相互作用解析の結果、(1)がLysW-γ-AAAを基質として認識する部位であることが示された。

5. まとめ

本研究では2つの異なるリジン生合成系におけるアミノ酸キナーゼの活性制御機構や基質認識機構を明らかにした。AKの解析によって得られた成果を応用することで、新たなフィードバック阻害耐性変異体の創製や熱安定化により効率的にリジンを生産する発酵系の構築が可能となると考えられる。またT. thermophilusのリジン生合成系に関しては、LysZ以外の生合成酵素とのキャリアタンパク質LysWの相互作用解析を進め、新規リジン生合成系の全体像を明らかにすることが、アミノ酸生合成の進化の理解につながると考えられる。

1) Yoshida A., Tomita T., Kuzuyama T., and Nishiyama M. (2007) Acta Crystallogr F 63, 96-82) Yoshida A., Tomita T., Kurihara T., Fushinobu S., Kuzuyama T., and Nishiyama M. (2007) J Mol Biol 368, 521-363) Yoshida A., Tomita T., Kono H., Fushinobu S., Kuzuyama T., and Nishiyama M. (2009) FEBS J 276, 3124-364) Yoshida A., Tomita T., Kuzuyama T., and Nishiyama M. (2010) J Biol Chem 285, 27477-865) Yoshida A., Tomita T., Kuzuyama T., and Nishiyama M. manuscript in preparation

図1 CgAKbのダイマー構造

図2 CgAKの阻害型構造

図3 CgAK-TとR*の重ね合わせ

図4 TtAKb及びCgAKbの断面の疎水性残基

図5 LysW-g-AAAの構造

図6 LysZ/LysW-g-AAA複合体構造

審査要旨 要旨を表示する

リジンはヒトや家畜などの高等動物では自ら生合成できない必須アミノ酸の一つであり、近年の人口増加に伴う食肉需要の増大により、家畜飼料用のリジン生産量が年々増加している。飼料用等に用いられるリジンは、グルタミン酸発酵に用いられることでよく知られているCorynebacterium glutamicumによる発酵法によって工業的に生産されており、その生産にはこの細菌が本来持つリジン生産量を調節するための制御が解除された変異株が用いられている。C. glutamicumのリジン生合成経路の初発酵素であるアスパラギン酸キナーゼ(AK)は、最終産物のリジンとスレオニンの共存下でフィードバック阻害を受け、これらの生産量を調節している。リジン生産にはC. glutamicum由来のAK(CgAK)のフィードバック阻害耐性変異株が用いられているが、その制御機構はリジン発酵系の確立以来50年以上もの間解明されていない。また、高度好熱菌Thermus thermophilusではC. glutamicumとは異なるAKの関与しない経路でリジンを生合成している。この新規経路ではα-アミノアジピン酸(AAA)を経由してリジンを生合成するが、この経路のAAA以降の後半の経路ではAAAのα-アミノ基の保護基としてLysWという小さなタンパク質を用い、このLysWがリジン生合成を効率よく進めるためのキャリアタンパク質としての性質をもつことが申請者の所属する研究室において明らかにされている。本研究では、二つの異なるリジン生合成経路中の生合成酵素について、構造生物学的手法を中心として解析を行ない、これらの酵素の制御機構、及び構造や機能を解明することを目的としている。

第一章で研究の背景、目的を述べた後、第二章においては、CgAKの活性制御サブユニットであるβサブユニット(CgAKβ)の結晶構造を決定し、そのThrの結合による影響を明らかにしている。CgAKはLysとThrによって制御を受け、α2β2ヘテロテトラマー構造を持つ。このαサブユニットのC末側とβサブユニットは同一アミノ酸配列を持ち、活性制御ドメインとしての機能が知られている。本章では、この活性制御サブユニットであるβサブユニットのThr結合型の結晶構造を決定するとともに、βサブユニットがThrの結合によってダイマー構造を安定化することを分子量解析により示し、この活性制御ドメインのThr結合によるダイマー形成がCgAKの活性制御に必須であることを明らかにした。

続いて第三章において、CgAKのα2β2全体での結晶構造をLys・Thrが結合した阻害型、Thrのみが結合した活性型、またフィードバック阻害耐性変異体であるCgAK-S301FのLys・Thr結合型の結晶構造を決定している。これらの構造に比較から、CgAKではLys・Thrの結合による二段階の構造変化により閉じた阻害型構造が安定化されることを示している。この閉じた阻害型構造は、Lysの結合によって生じるαサブユニットの触媒ドメインとβサブユニットとの間の相互作用によって安定化している。阻害型構造の基質Asp結合部位ではAsp結合残基がイオン結合を形成し、閉じた構造をより安定化するとともにAsp結合を阻害することを示唆している。また、このAsp結合部位にLysが代わりに結合することで阻害型構造を安定化するというCgAKの活性制御機構を提示している。これらの研究結果により、長年の謎であったリジン発酵の鍵酵素であるCgAKの制御機構を初めて分子レベルで解明することに成功した。

第四章では、CgAKと同じくα2β2構造を持ち、Thrによって制御を受けるT. thermophilusのアスパラギン酸キナーゼの活性制御を担うβサブユニット(TtAKβ)の結晶構造を決定し、そのThrによる制御機構の一部を明らかにしている。さらに、このTtAKβが高い熱安定性を持つことを示し、CgAKβの結晶構造の比較から、その安定性の要因が分子内部の疎水性の密なパッキングによることを明らかにした。

第五章においては、T. thermophilusの新規リジン生合成経路に関わるアミノ酸キナーゼLysZとキャリアタンパク質LysWの複合体の結晶構造や、LysWにAAAが付加したLysW-γ-AAAの構造を決定している。複合体構造の表面電荷の計算などから、LysWが大部分を負電荷表面に覆われた酸性タンパク質であり、LysZの正電荷表面と静電相互作用で結合していることが明らかにされ、LysWがAAAのα-アミノ基の保護基として働くキャリアタンパク質であることを示している。本章の成果から、全く新しいシステムでのリジン生合成システムの一端を明らかにすることに成功した。

以上本研究では、C. glutamicum由来のAKの結晶構造解析やT. thermophilusの新規リジン生合成経路の酵素の結晶構造解析を通じ、リジン生合成における長年の謎であった制御機構や新規な機能を分子レベルで明らかにすることに成功している。これらの成果は、さらなる効率的なリジン生産系の開発に向けての酵素デザインなどの基盤となると考えられ、学術的・応用的に貢献するところが少なくない。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51992