学位論文要旨



No 126924
著者(漢字) 林,珍仙
著者(英字)
著者(カナ) リン,ジンソン
標題(和) 分子遺伝学的アプローチによる新たなクロマチン構造調節機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 126924
報告番号 甲26924
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3677号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用生命工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加藤,茂明
 東京大学 教授 高橋,直樹
 東京大学 教授 佐藤,隆一郎
 東京大学 教授 渡邊,嘉典
 東京大学 教授 多羽田,哲也
内容要旨 要旨を表示する

第一章 序論

高等真核生物のDNAはヒストンタンパク質から成るヌクレオソームを最小単位とするクロマチン高次構造を形成し、非ヒストンタンパク質等と共に高度に細胞核内に収納されている。クロマチン高次構造は、ヌクレオリームの間隔が弛緩し、転写が活性化したユークロマチン領域と、ヌクレオリームが凝集したへテロクロマチン領域に大別される。クロマチン高次構造の変換は、DNA複製、修復時や時期・組織特異的な遺伝情報の発現の要となる転写時に必須な機構である。近年、クロマチン構造変換はヒストンの翻訳後修飾やヒストンバリアントの置換、クロマチンリモデリングにより規定されていることが判明している。従って、クロマチン構造変換機構を理解する上で、これらを調節する因子群の機能解析が必須となる。中でもクロマチンリモデリングを制御する因子群は、種を越えて構造や機能が高く保存されており、ATPase活性を有する触媒サブユニットを中心として複合体を形成し機能することが知られている。ATPase活性を有するクロマチンリモデリング因子はコアヒストンのテイル領域の化学修飾を認識してリクルートされ、ATPase活性依存的にヌクレオリームの配置を変化させることによってクロマチン構造を制御している。リモデリングが生じたヌクレオリームの領域では、基本転写装置や転写共役因子群のDNA認識能が変化し、その結果、転写活性の促進や抑制が制御されることが知られている。クロマチンリモデリング複合体はATPase触媒サブユニットの種類により SWI/SNF-type、ISWI-type、Mi2-type、INO80-typeの4種のファミリーに分類され、これまでにそれらの遺伝子破壊モデル個体の表現型からクロマチン構造の領域特異的な機能が予測されている。しかしながら、in vitroにおけるリモデリング活性の解析では、各々の複合体の機能の特異性は見出されていない。すなわち、選択的なヒストン化学修飾や転写制御因子に対するクロマチンリモデリング因子との相互作用については理解されつつある。しかしながら、既知クロマチンリモデリング因子の機能解析からでは、標的とするクロマチン領域を認識する分子機構について不明な点が多い。そこで本研究では、クロマチンリモデリング複合体群を標的クロマチン領域に選択的にリクルートするための未知アダプター因子群の存在を想定し、新規因子の探索及び機能解析を行うことにより、新たなクロマチン構造変換機構の解明を目指した。

これまで、クロマチン構造変換機構の解析にはショウジョウバェを用いた先駆的な研究がなされてきた。ショウジョウバェのだ腺多糸染色体では、高度に活性化し弛緩したクロマチン領域をパフと呼ばれる構造として可視化することが可能である。そこで、ショウジョウバェの変態を制御する転写因子のエクダイソンレセプター(EcR)に着目した。EcRはリガンドであるエクダイソン依存的に転写活性を示すことが知られている。エクダイソン刺激によりEcR標的遺伝子を含むクロマチン領域において形成されるパフ構造では、クロマチン構造変換が劇的に生じており、多様なヒストンの修飾やヒストンバリアントへの置換が免疫染色により観察されている。

本研究ではクロマチンリモデリング因子の新規アダプター因子の取得を試みるため、ショウジョウバェのエクダイソン依存的なパフ構造をクロマチン構造変換領域の指標とし、同構造に局在する因子群のスクリーニング行った。

第二章 新規パフ局在化因子のスクリーニングと同定

本研究では、まず、当研究室の択津橋博士らにより確立されたプロテイントラップ系統ライブラリーを用いたスクリーニング系を一次スクリーニングとして行った。具体的には、エクダイソン依存的なEcRパフ(エクダイソンパフ)への局在を活性型クロマチン構造の指標とし、GFP遺伝子がランダムに挿入されたプロテイントラップ系統を用い、GFP融合タンパク質がEcRと共局在する系統を探索した。その結果、全プロテイントラップ系統ライブラリー677系統のうち、24系統で共局在が観察された。これらの因子の中から、さらにクロマチンリモデリングや、染色体構造調節に関わる因子を絞り込むためこ、二次スクリーニングを行った。各24の候補因子をそれぞれdsRNAによりノックダウンさせ、エクダイソンパフ形成や多糸染色体構造への影響を観察した。その結果、クロマチンリモデリング複合体Brahma(SWI/SNF-typeファミリー)の構成因子であるosaのノックダウンでは、EcR依存的なパフ形成が観察されず、多糸染色体全体が不安定化する表現型が観察された。また、解糖系酵素であるEnolase(Eno)のノックダウンでも同様の表現型が観察された。Enoは解糖系反応の中で脱水素反応を行う酵素としてよく知られているものの、クロマチン上での機能に関する報告はほとんどない。そこで、Eno及びosaを候補因子として絞り込み、以下の解析を進めた。

第三章 Enolaseのクロマチン構造に対する機能解析

まず、Enoは解糖系酵素であることから、Enoノックダウンによる細胞内の解糖系異常により染色体構造の異常が惹起される可能性が考えられた。そこで、Eno以外の解糖系に必須とされる2種類の酵素遺伝子のノックダウンによる多糸染色体構造への影響を検討した。その結果、一連の解糖系反応の中でEnoの一段階前で作用するPhosphogluconate mutase(PGM)と一段階後で作用するPyruvate kinase(PYK)のノックダウンでは、染色体構造は正常であった。また、培養細胞を用いた実験により、EnoのノックダウンではEcR標的遺伝子の発現が低下したが、PGMとPYKのノックダウンでは影響を及ぼさなかった。さらに、Enoの脱水素活性が減弱する点変異体においてもEcRの転写促進能を示した。これらのことから、Enoの機能は、従来の解糖系とは異なる新たな機能を有し、クロマチン構造調節に作用することが予測された。

次に、Enoとosaの相互関係を検討するためこ、培養細胞でダブルノックダウンを行ったところ、相乗的にEcRの転写活性化が減弱したことから、EnoとosaはEcRの転写活性化に協調的に作用することが示唆された。そこで、Enoとosaのクロマチン上での作用機序を明確にするため、クロマチン免疫沈降(ChIP)アッセイを行った。その結果、EcRと共にosaとEnoはEcRE配列上にリクルートされたが、Enoのノックダウンにより、EcRとosaのリクルートが阻害されることが明らかとなった。以上の結果より、Enoは解糖系の機能とは別に、EcRとosaのような転写制御因子やクロマチンリモデリング因子を標的遺伝子上にリクルートする機能を有することが示唆された。

第四章 EnolaseとATP依存性クロマチン関連国子との相互作用

Enoはosaと相互作用することからクロマチンリモデリング複合体を形成する可能性が考えられた。そこで、EnoがATPase依存的なクロマチンリモデリングに関与するかを検討するために、Enoの免疫沈降産物を用いATPase活性の有無を検討した。Enoを強制発現させた培養細胞の核抽出液を用いて免疫沈降を行いATPaseアッセイを測定した結果、顕著なATPase活性が検出された。さらに、osaノックダウン時にそのATPase活性が減弱したことから、Enoはosa依存的にATPase活性をもつ因子と相互作用する可能性が示唆された。

次に、Enoが特定のクロマチン領域にリクルートされる分子機構を以下二つの可能性を仮定し、解析を試みた。第一に、Enoとコアヒストンと相互作用である。免疫沈降の結果、EnoはヒストンH3のみと顕著に結合することを見出した。第二に、Enoを遺伝子上に結合誘導する未知因子の存在である。GST融合Enoを用いたGST精製により、Enoの相互作用因子の同定を試みた。その結果、7種の候補因子を同定し、DNA結合性を有する機能未知因子が多く含まれていることを見出した。

第五章 総合討論

本研究では、新たなクロマチン構造変換機構解明の一環として、クロマチンリモデリング複合体を選択的クロマチン領域にリクルートする未知アダプター因子を想定し、エクダイソンパフ局在化因子のスクリーニングを試み、Enoおよびosaを候補因子として取得することに成功した。脱水素酵素活性を有し解糖系で機能するEnoは、その活性に依存せずユークロマチン上に局在し、EcRの転写活性化に伴うクロマチン構造調節に必須であることが判明した。

Enoはosaと相互作用しosa依存的なAIPase活性を有することから、osaを含むATP依存性クロマチンリモデリング複合体と相互作用することが示唆された。osaはBrm(Brahma)複合体の構成因子であり、Brn複合体はヌクレオソームを移動させる上で特異的なDNA配列を認識する必要がある。osaはARIDドメインを有しin vitroにおいて非特異的DNA配列を認識することが知られている。そのため、Brm複合体が特異的DNA配列に結合するためには転写制御因子もしくは未知アダプター因子の存在が考えられてきたがその分子機構は不明であった。構造・機能が高く保存されているEnoヒトホモログhEnoでは、ヒト子宮頚癌由来HeLa細胞においてc-Mycのプロモータに直接結合することで、C-Mycの転写を調節することが知られている。このことから、Enoには特異的領域のDNA結合能を持つ可能性が考えられる。また、Enoの相互作用因子群のタンパク精製により、DNA結合性因子を複数見出しており、Enoが直接またはDNA結合因子を介してクロマチンリモデリング複合体を呼び込むアダプター因子として機能する分子機構の存在が考えられた。

今後、Eno複合体構成因子群の詳細な機能解析を行うことにより、クロマチンリモデリング因子群の特異的クロマチン構造領域の選択性の分子機構、および解糖系のエネルギー代謝との相互関係が明確になるものと期待される。

Shun Sawatsubashi,Takuya Murata,Jinseon Lim,Ryoji Fujiki,Saya Ito,Eriko Suzuki,Masahiko Tanabe,Yue Zhao,1Shuhei Kimura,Sally Fujiyama,Takashi Ueda,Daiki Umetsu,Takashi Ito,Ken-ichi Takeyama,and Shigeaki Kato, Genes Dev.24,159-170(2010)
審査要旨 要旨を表示する

真核細胞生物のクロマチン構造は、細胞の状態や分化の程度でダイナミックに変換がおこることが知られている。近年これらのクロマチン構造変換の分子機構の詳細が明らかにされつつあり、またその制御因子群の実体が同定されつつある。中でも、クロマチンリモデリング因子は、直接染色体のヌクレオソーム配列の置換や再整備を行なう、主たるクロマチン構造変換因子である。クロマチンリモデリング因子は、SWI/SNF-typeを始めとした4つの複合体群が知られており、各々特徴的な機能を有することが明らかになりつつあるが、染色体上での特異的部位へのリクルート機構の詳細は不明であった。

本研究では、これら染色体構造調節の分子機構を解明する目的で、ショウジョウバエだ液染色体上でのパフに注目し、分子遺伝学的なアプローチによりパフ形成を誘導する昆虫ホルモンエクダイソンの作用機序の解明を試みている。

第一章の序論に引き続き、第二章ではショウジョウバエを用いた分子遺伝学的スクリーニング系を確立し、エクダイソン依存性パフに局在する新規因子の検索を行なった。その結果、SWI/SNF-type複合体の既知構成因子であるosaと、解糖系酵素であるEnolase(Eno)の同定に成功した。Enoは細胞質に存在し、解糖系において必須の役割を果たすが、今回核内に存在することを見いだした。また、染色体を用いた染色により、Enoは染色体上にも位置することを明らかにすることが出来た。

第三章では、同定された2つの因子のエクダイソン依存的な染色体構造変化について検討を行い、両因子がエクダイソン受容体(EcR)と直接結合することで、パフ形成に関与することを見いだした。更にEcRの標的遺伝子プロモーター上での機能を検討し、Enoはosaと共に、プロモーター上にリクルートされることを見いだした。また、内因性のEcRの標的遺伝子や、人工配列を用いたリポーターアッセイ系において、EcRの転写共役活性化因子であることを証明した。

第四章では、これら2つの因子の転写共役活性の分子機構を、クロマチンリモデリング活性との相関から検討した。その結果、核内でEno及びosaはSWI/SNF-type 複合体と相互作用することを明らかにした。更に、Enoはosaを含むSWI/SNF-type複合体のアダプター因子として働き、EcRを介した染色体の構造調節に重要な機能を果たすことを明らかにした。

本論文は、分子遺伝学的なアプローチ及び生化学的な解析により、エクダイソン依存性の染色体構造調節の分子機構に関し、新規調節因子を同定することで、その機構の一端を明らかにすることに成功した。本研究の成果は、染色体構造調節に関する解析において、1つの分子機構を証明するものであり、同様の解析により、染色体の構造調節の全貌解明に貢献するものと期待される。以上より、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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