学位論文要旨



No 126930
著者(漢字) 大森,文人
著者(英字)
著者(カナ) オオモリ,フミト
標題(和) 対数増殖期初期のシオミズツボワムシBrachionus plicatilisの増殖促進因子に関する研究
標題(洋)
報告番号 126930
報告番号 甲26930
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3683号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡部,終五
 東京大学 教授 松永,茂樹
 東京大学 教授 浅川,修一
 長崎大学 教授 萩原,篤志
 東京大学 准教授 潮,秀樹
内容要旨 要旨を表示する

単生殖巣網Monogonontのワムシ類のほとんどは、雌のみの単性生殖により指数関数的に増殖する個体群と、増殖過程で出現するmictic femaleと呼ばれる雌が雄を産卵することで開始される両性生殖の個体群が同時にみられる、独特の生活環をもつ。シオミズツボワムシBrachionus plicatilis (以下、ワムシと略記)は、ワムシ類の中でも最も培養が容易な種であることから、養殖魚の初期餌料として用いられるほか、環境毒性評価の指標動物としても利用されている。一方、ワムシ類は個体群の爆発的な増大と崩壊を周期的に繰り返すことから、個体群動態解析の研究にも用いられている。バッチ培養の条件下では、ワムシ個体群はシグモイド型の成長曲線を描き、増殖が不活発な対数増殖期初期を経た後に、指数関数的に増殖する対数増殖期へ移行する。その後、個体群がほとんど変化しない定常期を経て、退行期に移行する。ワムシは効率的な培養が産業上重要であることから、このような実験室の培養条件下における個体群の増大や減少が生じる機構については種々の研究がなされてきた。しかし、これらの研究は、主に対数増殖期以降に限られている。すなわち、これまでの知見によると、対数増殖期初期のワムシ培養濾液には自身の増殖を促進させる何らかの因子が含まれている可能性が考えられるが、その詳細は不明である。

このような背景の下、本研究はワムシの増殖機構解明の一環として、培養初期に当たる対数増殖期初期に発現するワムシの増殖促進成分の性状解明と単離を目的とした。

1. ワムシ培養濾液に含まれる増殖促進成分の性状

本研究では独立行政法人水産総合研究センター能登島栽培漁業センターで10年間継代培養されたL型ワムシの小浜株を用いた。本株は雄が発生しにくく耐久卵を形成しない株であり、また、当研究室の培養で少なくとも2ヶ月間は単性生殖であった。増殖段階別の培養濾液を調製する前段階として、まず、ワムシ(<2時間齢)300個体を1/2人工海水100 mLに導入して25℃、14日間培養し、成長曲線を作成した。成長曲線は、毎日ワムシを含む1mLの培養液に10%ホルムアルデヒド(v/v)を適量加えてワムシを固定し、ワムシ個体数を実体顕微鏡で計測して作成した。この成長曲線から各増殖段階を決定し、別途用意したワムシを含む培養液から増殖段階別の培養濾液を調製した。増殖促進の活性測定に際しては、未処理の培養濾液、各種処理をした培養濾液、および1/2人工海水のみの対照溶液の試験区を調製した。次に、誤差が均一になるようにラテン方格法で12穴の培養プレート中、各穴に7×106細胞mL-1の緑藻Chlorella regularisを含む1 mLの培養濾液の試験区を配置した。さらに、各穴に孵化直後の個体(<2時間齢)を2個体ずつ入れて25℃、毎日50mLずつ給餌しつつ5日後の個体数を測定した。

まず、対数増殖期初期、対数増殖期、定常期、および退行期の各増殖段階のワムシ個体数は、それぞれ86.0±4.2、253.3±9.5、620.3±16.0および471±14.3個体 mL-1 (平均値±標準偏差)であった。次に、これら個体群から調製した培養濾液を用いてワムシを培養して、増殖促進活性を調べた。その結果、対数増殖期初期および対数増殖期の培養濾液は有意な増殖促進作用を示したのに対し(p<0.001)、定常期および退行期の培養濾液は活性を示さなかった。これらの結果は、培養濾液中に含まれる増殖促進成分は対数増殖期初期から対数増殖期にかけて産生されることを示唆している。次に、当該増殖促進成分がワムシ由来であるかどうかを検討するために、ワムシを含まず餌料のみを培養した培養濾液を用いて増殖促進活性を比較した。その結果、餌料培養濾液は有意な増殖促進作用を示さなかった。さらに、ワムシ培養濾液を各種処理して増殖促進活性の変化を検討した。その結果、培養濾液の増殖促進活性は濃度依存的で60℃以上の加熱処理で低下し、分画10 kDa以下の限外濾過膜で処理した培養濾液では活性が低かった。さらに、proteinase K処理で完全に失活し、増殖促進成分は水溶性物質であることが示された。以上の諸結果から、対数増殖期初期の培養濾液中に含まれる増殖促進成分は、熱に不安定な10 kDa以上の水溶性タンパク質であることが明らかとなった。

2. ワムシ個体抽出液に含まれる増殖促進成分の性状

増殖促進成分の精製に際して、培養濾液では当該成分の回収量は少なく、また、精製途中で活性測定が不可能となり、精製が困難であった。一方、対数増殖期初期の培養濾液に含まれる増殖促進成分がワムシ由来であることから、当該成分はワムシ個体にも高濃度で含まれている可能性が考えられた。そこで、当該成分の精製に先立ち、対数増殖期初期のワムシ個体から抽出液を調製し、培養濾液と同様の処理を行って増殖促進成分の活性の変化を調べた。まず、抽出液の増殖促進活性の濃度依存性を検討した。すなわち、抽出液を1/2人工海水で希釈して増殖促進活性を調べたところ、25%の希釈液の活性は最高かつ有意に高かった(p<0.05)。また、60%以上で増殖停滞が生じることから、増殖促進成分は高濃度ではむしろ阻害作用を示す効果がある、あるいは抽出液には増殖促進成分のほか、増殖停滞物質が含まれている可能性が考えられた。そこで、25%希釈の抽出液につき培養濾液と同様の処理を行ったところ、培養濾液と同様に60℃以上の加熱処理で増殖促進活性は低下し、10 kDa以下の限外濾液では活性が低かった。さらに、proteinase K処理で完全に失活し、水溶性の成分であることが示された。以上の諸結果より、対数増殖期初期の個体抽出液に含まれる増殖促進成分は、培養濾液中のものと同一またはよく類似する物質で、個体中に高濃度に含まれていることが示唆された。

3. ワムシ個体抽出液に含まれる増殖促進成分の精製

前節までの結果を踏まえ、各種クロマトグラフィーを駆使して、対数増殖期初期の個体抽出液からの増殖促進成分の精製を試みた。なお、増殖促進成分の活性測定では、クロマトグラフィーの溶出画分を1/2人工海水で透析し、12穴の培養プレートを用いて各穴に透析内液と等量の1/2人工海水を加えて2倍に希釈、2個体のワムシ(<2時間齢)を導入して25℃、3日間培養した。その他の培養方法は前節と同様である。まず、個体抽出液をDEAE-Toyopearl 650Mカラム(東ソー)の陰イオン交換クロマトグラフィーに付したところ、NaClリニアグラジエントの広い範囲の溶出画分で増殖促進活性が認められた。活性画分を合一して凍結乾燥で10倍に濃縮し、HiLoad16/60 Superdex 75 prep gradeカラム(GE Healthcare)のゲル濾過に付したところ、V/V01.3-1.6の範囲で活性画分がみられた。これらの活性画分を合一して凍結乾燥で10倍に濃縮し、TSKgel Phenyl-5PWカラム(東ソー)の逆相高速液体クロマトグラフィーに付したところ、50-80%アセトニトリル溶液溶出画分に活性が認められた。溶出画分をSDS-PAGE分析に供したところ、活性画分に約25 kDaの単一のバンドが認められたことから、本タンパク質が増殖促進成分と同定された。

4. ワムシ増殖促進成分のcDNAクローニング

前節で同定された25 kDa成分につきSDS-PAGE後の当該バンドをプロテインシーケンサを用いてN-末端アミノ酸配列を分析したところ、PAVVDFTAVWFGPLQMIKPと決定された。この配列をNCBIのワムシ発現配列タグ(EST)データベースに対してTBLASTN検索したところ、相同性を示す遺伝子が得られた(GenBank/EMBL/DDBJ accession number FM939833)。このワムシEST配列全長から演繹したアミノ酸配列をNCBIデータベースに対してBLASTP検索に供した結果、マラリア原虫Plasmodium falciparumおよび緑藻Chlamydomonas reinhardtiiのチオレドキシンと高い相同性を示した。しかしながら、チオレドキシンは一般に12 kDa程度の低分子で、ワムシESTの演繹アミノ酸配列から推定された分子量も約13000と、今回単離したワムシ増殖促進成分の分子量約25000とは大きく異なる。

そこで、単離した25 kDaタンパク質をクローニングするため、相同性を示したワムシESTの塩基配列をもとにプライマーを設計し、PCRを行った。その結果、PCR増幅産物の塩基配列はワムシESTのそれと高い相同性を示し、チオレドキシンの活性中心に存在するWCGPCモチーフも含まれていた。チオレドキシンは原核生物から真核の高等動物まで普遍的に存在するタンパク質で、生体内での主な機能は酸化還元反応の触媒作用であるが、近年では寿命の調節や酸化ストレスに対する応答、細胞内シグナル伝達への関与や、細胞の増殖因子としても機能することが報告されている。しかしながら、クローニングしたワムシ増殖促進成分の推定分子量は約11000と、前述のSDS-PAGE分析によって得られた約25000とは大きく異なる。したがって、ワムシ増殖促進成分の分子構造についてはさらに詳細な検討が必要と考えられた。

以上、本研究で、対数増殖期初期のワムシから増殖促進成分の単離を試みたところ、本成分は培養液に分泌されるほか、ワムシ個体中にも高濃度で含まれる熱に不安定で10 kDa以上の水溶性タンパク質であることが示された。さらに、種々のクロマトグラフィーに付して精製したワムシ増殖促進成分のN-末端アミノ酸配列はPAVVDFTAVWFGPLQMIKPと決定され、他生物種のチオレドキシンの相同領域と高い相同性が示した。しかしながらワムシ増殖促進成分の分子量は約25000と、クローニングされた遺伝子から推定された分子量約11000とは分子サイズが大きく異なることから、さらに詳細な構造解析が必要と考えられる。以上の本研究による成果は、ワムシの増殖機構解明に資するとともに、魚類養殖の初期餌料として重要なワムシの効率的な培養に基礎的知見を与えるもので、応用面にも寄与するところが大きいと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

シオミズツボワムシBrachionus plicatilis (以下、ワムシと略記)は、ワムシ類の中でも最も培養が容易な種であることから、養殖魚の初期餌料としてよく利用されている。一方、ワムシ類は個体群の爆発的な増大と崩壊を周期的に繰り返すことから、個体群動態解析の研究にも用いられている。バッチ培養では、ワムシ個体群はシグモイド型の成長曲線を描き、増殖が不活発な対数増殖期初期を経た後に、指数関数的に増殖する対数増殖期へ移行する。その後、個体群がほとんど変化しない定常期を経て、退行期に移行する。これまでの知見によると、対数増殖期初期のワムシ培養濾液には自身の増殖を促進させる何らかの因子が含まれている可能性が考えられるが、その詳細は不明である。本研究は、ワムシ培養初期に当たる対数増殖期初期に発現するワムシの増殖促進成分の性状解明と単離を目的とした。

まず、L型ワムシ小浜株 (<2時間齢)300個体を1/2人工海水100 mLに導入して25℃、14日間培養し、ワムシ個体数を実体顕微鏡で計測して成長曲線を作成した。この成長曲線から各増殖段階を決定し、別途用意したワムシを含む培養液から増殖段階別の培養濾液を調製した。増殖促進の活性測定では、未処理の培養濾液、各種処理をした培養濾液、および1/2人工海水のみの対照溶液の試験区を調製した。次に、12穴の培養プレート中、各穴に7×106細胞mL-1の緑藻Chlorella regularisを含む1 mLの培養濾液の試験区を配置し、各穴に孵化直後の個体(<2時間齢)を2個体ずつ入れて25℃、毎日50 mLずつ給餌しつつ5日後の個体数を測定した。

対数増殖期初期、対数増殖期、定常期、および退行期の個体群から調製した培養濾液を用いてワムシを培養したところ、対数増殖期初期および対数増殖期の培養濾液は有意な増殖促進作用を示したのに対し(p<0.001)、定常期および退行期の培養濾液は活性を示さなかった。また、対数増殖期初期培養濾液の増殖促進活性は60℃以上の加熱処理で低下し、分画10 kDa以下の限外濾過膜で処理した培養濾液では活性が低かった。さらに、proteinase K処理では完全に失活し、増殖促進成分は水溶性タンパク質であることが示された。

増殖促進成分の精製に際して、培養濾液では困難であった。そこで、当該成分の精製に先立ち、対数増殖期初期のワムシ個体から抽出液を調製し、培養濾液と同様の処理を行って増殖促進成分の活性の変化を調べた。その結果、対数増殖期初期の個体抽出液に含まれる増殖促進成分は、培養濾液中のものと同一またはよく類似する物質で、個体中に高濃度に含まれていることが示唆された。この結果を踏まえ、各種クロマトグラフィーを駆使して、対数増殖期初期の個体抽出液からの増殖促進成分の精製を試みた。なお、増殖促進成分の活性測定は、クロマトグラフィーの溶出画分を1/2人工海水で透析し、12穴の培養プレートを用いて各穴に透析内液と等量の1/2人工海水を加えて2倍に希釈、2個体のワムシ(<2時間齢)を導入して25℃、3日間培養して行った。まず、個体抽出液をDEAE-Toyopearl 650Mカラム(東ソー)の陰イオン交換クロマトグラフィーに付したところ、NaClリニアグラジエントの広い範囲の溶出画分で増殖促進活性が認められた。活性画分を合一して濃縮し、HiLoad16/60 Superdex 75 prep gradeカラム(GE Healthcare)のゲル濾過に付したところ、V/V01.3-1.6の範囲で活性画分がみられた。これらの活性画分を合一して濃縮し、TSKgel Phenyl-5PWカラム(東ソー)の逆相高速液体クロマトグラフィーに付したところ、50-80%アセトニトリル溶液溶出画分に活性が認められた。溶出画分をSDS-PAGE分析に供したところ、活性画分に約25 kDaの単一のバンドが認められたことから、本タンパク質が増殖促進成分と同定された。同定された25 kDa成分につきSDS-PAGE後の当該バンドを用いてN-末端アミノ酸配列を分析したところ、PAVVDFTAVWFGPLQMIKPと決定された。この配列をNCBIのワムシ発現配列タグ(EST)データベースに対してTBLASTN検索したところ、相同性を示す遺伝子が得られた。さらに、このワムシEST配列全長から演繹したアミノ酸配列をNCBIデータベースに対してBLASTP検索に供した結果、マラリア原虫Plasmodium falciparumおよび緑藻Chlamydomonas reinhardtiiのチオレドキシンと高い相同性を示した。さらに、単離した25 kDaタンパク質をクローニングしたところ、25kDa遺伝子の塩基配列はワムシESTのそれと高い相同性を示し、チオレドキシンの活性中心に存在するWCGPCモチーフも含まれていた。しかしながら、クローニングしたワムシ増殖促進成分の推定分子量は約11000と、前述のSDS-PAGE分析によって得られた約25000とは大きく異なった。

以上、本研究で、対数増殖期初期のワムシから増殖促進成分の単離を試みたところ、本成分は培養液に分泌されるほか、ワムシ個体中にも高濃度で含まれる熱に不安定で10 kDa以上の水溶性タンパク質であることが示された。さらに、種々のクロマトグラフィーに付して精製したワムシ増殖促進成分のアミノ酸配列は、他生物種のチオレドキシンの相同領域と高い相同性が示した。以上の成果は、ワムシの増殖機構解明に資するとともに、魚類養殖の初期餌料として重要なワムシの効率的な培養に基礎的知見を与えるもので、学術上、応用上資するところが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/48408