学位論文要旨



No 126931
著者(漢字) 海部,健三
著者(英字)
著者(カナ) カイフ,ケンゾウ
標題(和) 岡山県児島湾旭川水系におけるニホンウナギの資源生態学的研究
標題(洋)
報告番号 126931
報告番号 甲26931
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3684号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 教授 大竹,二雄
 東京大学 教授 木村,伸吾
 東京大学 教授 鈴木,譲
 東京大学 教授 渡邊,良朗
内容要旨 要旨を表示する

ニホンウナギAnguilla japonicaは,我が国の重要な水産資源であるが,シラスウナギの加入量は近年激減しており,資源の保全が急務となっている。通し回遊魚である本種の資源保全のためには,海と淡水域双方に跨って展開される全生活史に関する情報が必要である。しかし,これまでの研究は外洋における初期生活史,特に産卵場探索に重点が置かれ,成長期にあたる淡水・汽水域の黄ウナギの生態に関する研究は立ち遅れている。そこで本研究では,岡山県児島湾旭川水系におけるニホンウナギの生態を理解し,これを本種資源の保全に役立てることを目的として,加入,移動分散,成長,摂餌生態および種間競争に関する知見を集積した。

1. 分布と移動

2007年9月より2010年8月までの3年間,児島湾からその流入河川の旭川上流約30kmに亘る調査水域に計12点の定点(海に6点,河川に6点)を設け,毎月ウナギ筒でニホンウナギを採集した。得られた黄ウナギ計548個体について,水域別に年齢,体サイズ,密度,性比を調べたところ,年齢(n=345)は水域間で有意に異なり,河口(0km)から15~30kmの上部河川域(淡水,平均±標準偏差=10.1±2.0歳)で最も高く,次いで8~15kmの下部河川域(淡水,7.6±2.3歳),- 3~0kmの湾域(表層塩分:17.7‰,5.9±1.7歳),0~3kmの下部河口域(14.1‰,5.2±1.8歳)と低くなり, 3~8kmの上部河口域(8.2‰,4.0±1.6歳)で最も低かった。また,加入後 3年未満の若い個体(n=26)は,下部河口域で採集された1個体を除いて,全て上部河口域で採集された。全長(n=533)は上部河口域(平均±標準偏差=418.2±112.5mm)で最も小さく,調査水域の両端にあたる上部河川域(639.9±70.7mm)と湾域(558.5±86.1mm)の値は,上部河口域より有意に大きかった。個体密度は上部河口域(CPUE: 平均±標準偏差=7.75±9.4 尾/100筒)で最も高く,他の水域は全てその半分程度の値(3.0~4.2尾/100筒)をとった。雄の割合は上部河口域で最も高く(15.3%),調査水域の両端である上部河川域(0%)と湾域(0.4%)で低かった。以上の結果より,本水系に生息するニホンウナギは,まず上部河口域を主とする旭川の下流域に加入し,その後成長に伴って上下流へ分散していくことが示された。この分散移動の理由の一つとして密度効果が考えられた。

2. 回遊多型

2007年9月から2009年12月までに採集した黄ウナギから342個体を無作為に選び,耳石Sr / Ca比に基づいてそれぞれの回遊履歴を推定し,回遊型の分化過程を検討した。その結果,加入から採捕まで河川域(上部河川域と下部河川域)に留まった淡水定着個体が17.8%,河口域(上部河口域と下部河口域)または湾域に留まった汽水定着個体が52.6%出現した。また,汽水域から淡水域へ移動した上流移動個体が4.7%,淡水域から汽水域へ移動した下流移動個体が14.9%,淡水域と汽水域の間を2回以上移動した複数回移動個体が9.9%出現した。これらのことは,黄ウナギ期に何らかの形で汽水域と関わりをもつ個体が大部分(約82%)を占めることと,加入後一カ所に定着せず生息域を変える個体が比較的多い(約30%)ことを示している。また上流移動個体の98.2%,下流移動個体の96.3%は5歳未満の年齢で移動しており,淡水・汽水域間の移動が比較的若齢期に行われることが示された。

3. 成長と頭部形態多型

河川域と湾域では雄がほとんど捕獲されなかったため(それぞれ n=0, 1),雌の黄ウナギについてのみ成長率(全長/年齢,n=307)を3水域間で年級群別に比較した。全ての年級群において,湾域(平均±標準偏差=89.8±25.3mm / y)の個体は河川域(60.4±15.0mm / y)よりも有意に高い値を示し,河口域の個体は(89.8±21.6mm / y)7歳群を除き両者の中間値を示した。

頭部形態(n=533)について,口の両端の幅(以下,口幅)の全長に対する比(口幅/全長比)を3水域間で比較すると,河川域の値(平均±標準偏差=0.032±0.0046)は河口域(0.028±0.0038)および湾域(0.028±0.0033)の値よりも有意に大きく,淡水域の個体は汽水域の個体に比べ,全長に対して頭が広い広頭型であることが確認された。口幅,両眼の中心を結んだ線分と上顎吻端の距離(以下,口長),および口幅の口長に対する比(口幅/口長比)は,年齢と正の相関を示し,加齢と共に頭部は増大し,かつ幅広になることがわかった。口幅,口長,口幅/口長比を年級群別に3水域間で比較したところ,5歳群の口幅を除き有意差は検出されず,頭部の成長様式は,水域間で違わないことが示された。また,口幅/全長比は成長率と負の相関を示した。これまで広頭,狭頭の違いは餌の種類に依存するとされてきたが,本研究の結果からは,成長率の違いが広頭,狭頭の分化を生む重要な原因であると考えられた。

4. 摂餌生態

2008年1月から2009年12月の2年間に採集された黄ウナギ294個体を用いて,胃内容物調査と炭素窒素安定同位体比の解析から,本水系に生息するニホンウナギの摂餌生態を検討した。胃充満度指数(=体重/胃内容物重量)は,河川域(平均±標準偏差=1.04±1.27)より湾域(1.78±1.73)において有意に高く,河口域(1.23±1.56)ではそれらの中間値を示した。採集を行った期間のうち漁獲があった月の割合は,河川域(50.0%)よりも河口域(76.5%)と湾域(73.5%)で有意に高く,本種の活動期間が淡水域よりも汽水域で長いことが示された。この傾向は両水域の冬期水温の違いからも説明された。湾域と河口域の個体の体重あたりの年間摂餌量は河川域のそれより多く,このことが水域間の成長率の差を生み出しているものと推測された。

胃内容物調査(n=229)と炭素窒素安定同位体比解析より推定された主要な餌生物は,河川域ではアメリカザリガニProcambarus clarkii(重量比74.9%),河口域と湾域ではアナジャコUpogebia majorであった(それぞれ50.9%,77.9%)。胃内容物が出現した個体(n=143)のうち,1個体から同じ種類の餌生物が複数個体確認された事例が18.2%であったのに対して,複数種類の餌生物が同時に確認された例は3.1%にとどまった。本種は生息環境に応じて捕食対象を変化させると同時に,各回の摂餌においては単一の餌生物を専食する傾向があるものと推測された。

5. 生態的地位と資源分割

複数魚種が混在する湾域において,ニホンウナギと他魚種の生態的な相互作用を検討するため,湾域に生息する代表的な肉食性魚類5種(マアナゴConger myriaster,コウライアカシタビラメCynoglossus abbreviatus,ウロハゼGlossogobius olivaceus,スズハモMuraenesox bagio,スズキLateolabrax japonicus)とニホンウナギの炭素窒素安定同位体比を比較した。その結果,マアナゴにおいてのみ,δ13Cとδ15Nの値が共にニホンウナギと有意に異ならず,両者の餌生物の重複が示唆された。他4種とニホンウナギは主要餌生物が異なっているものと推測された。

ニホンウナギとマアナゴの生態的地位をより詳細に比較するため,2007年9月より2009年12月までに河口域および湾域で採集されたニホンウナギ380個体と,2008年9月から2009年12月までに両水域で採集されたマアナゴ221個体を用いて生息空間,活動時間,食性を比較した。河口域では全長320mmのマアナゴが1尾捕獲されたのみであり,この水域では両種の生態的地位はほとんど重複しないと考えられた。両種が出現した湾域では,胃内容物出現率から推測された索餌時間はともに夜間であり,胃内容物から推測されたマアナゴの主な餌生物はニホンウナギ同様,アナジャコ(重量比58%)であった。しかし,湾域のニホンウナギによって補食されたアナジャコはマアナゴのそれに比べ有意に大きく,このことは両種の全長の相違に起因していると推測された(ニホンウナギ:平均全長±標準偏差=559.5±88.0mm,マアナゴ:356.4±56.0mm)。また,ニホンウナギとマアナゴの個体密度は,水深に対しそれぞれ負と正の相関を示し,両者の微小生息域に相違のあることが示唆された。これらの結果より,湾域における両種の生態的地位は,活動時間と餌生物では重複しているが,餌サイズと生息空間にはある程度の隔離があり,両種の生態的地位は大きくは重複しないものと考えられた。

以上本研究の結果,児島湾旭川水系におけるニホンウナギの加入水域,移動分散,回遊履歴,成長,頭部形態,摂餌生態および他種との資源分割など,成長期の生態に関する数多くの新知見が得られた。また,これらの知見を総合すると,本種は河川と湾,淡水と汽水という多様な水圏環境に対して,形態,生態,行動など様々な面で柔軟に適応していることがわかった。こうした幅広い環境適応能力は,外洋の産卵場から海流によって長距離運ばれた後,ランダムに沿岸・陸水の成育場に加入する宿命を負った降河回遊魚のニホンウナギにとって不可欠な能力であると解釈される。本研究で得られた知見は,ウナギの生物学の基礎情報になると同時に,生息水域の量的・質的評価に欠かせない基礎的な知見として,本種資源の保全に活用できる。

審査要旨 要旨を表示する

ニホンウナギAnguilla japonicaは,我が国の重要な水産資源であるが,シラスウナギの加入量は近年激減しており,資源の保全が急務となっている。通し回遊魚である本種の資源保全のためには,海と淡水域双方に跨って展開される全生活史に関する情報が必要である。しかし,これまでの研究は外洋における初期生活史,特に産卵場探索に重点が置かれ,成長期にあたる淡水・汽水域の黄ウナギの生態に関する研究は立ち遅れている。本研究では,岡山県児島湾旭川水系におけるニホンウナギの生態を理解し,これを本種資源の保全に役立てることを目的として,加入,移動分散,成長,摂餌生態および種間競争に関する知見を集積した。

第二章の「分布と移動」では,児島湾からその流入河川の旭川上流約30kmに亘る調査水域において,ウナギ筒でニホンウナギを採集した。得られた黄ウナギ548個体について,水域別に年齢,体サイズ,密度,性比を調べた結果,本水系に生息するニホンウナギは,まず上部河口域を主とする旭川の下流域に加入し,その後成長に伴って上下流へ分散していくことが示された。この分散移動の理由の一つとして密度効果が考えられた。第三章の「回遊多型」では,耳石Sr / Ca比に基づいて回遊履歴を推定し,回遊型の分化過程を検討した。その結果,黄ウナギ期に何らかの形で汽水域と関わりをもつ個体が大部分を占めることと,加入後一カ所に定着せず生息域を変える個体が比較的多いことが明らかになった。また上流移動個体と下流移動個体のほとんどは5歳未満の年齢で移動しており,淡水・汽水域間の移動が比較的若齢期に行われることが示された。第四章の「成長と頭部形態多型」では,雌の黄ウナギについて成長率を3水域間で年級群別に比較したところ,全ての年級群において,湾域の個体は河川域よりも有意に高い値を示し,河口域の個体は7歳群を除き両者の中間値を示した。頭部形態について,口の両端の幅(以下,口幅)の全長に対する比(口幅/全長比)を3水域間で比較すると,淡水域の個体は汽水域の個体に比べ,全長に対して頭が広い広頭型であることが確認された。頭部の成長様式は,水域間で有意に異ならず,また,口幅/全長比は成長率と負の相関を示した。これまで広頭,狭頭の違いは餌の種類に依存するとされてきたが,本研究の結果からは,成長率の違いが広頭,狭頭の分化を生む重要な原因であると考えられた。第五章の「摂餌生態」では,胃内容物調査と炭素窒素安定同位体比の解析から,本水系に生息するニホンウナギの摂餌生態を検討した。湾域と河口域の個体の体重あたりの年間摂餌量は河川域のそれより多く,このことが水域間の成長率の差を生み出しているものと推測された。胃内容物調査と炭素窒素安定同位体比解析より推定された主要な餌生物は,河川域ではアメリカザリガニProcambarus clarkii,河口域と湾域ではアナジャコUpogebia majorであった。第六章の「生態的地位の重複と資源分割」では,複数魚種が混在する湾域において,ニホンウナギと他魚種の生態的な相互作用を検討するため,湾域に生息する代表的な肉食性魚類5種(マアナゴConger myriaster,コウライアカシタビラメCynoglossus abbreviatus,ウロハゼGlossogobius olivaceus,スズハモMuraenesox bagio,スズキLateolabrax japonicus)とニホンウナギの炭素窒素安定同位体比を比較した。その結果,マアナゴにおいてのみ,δ13Cとδ15Nの値が共にニホンウナギと有意に異ならず,両者の餌生物の重複が示唆された。他4種とニホンウナギは主要餌生物が異なっているものと推測された。ニホンウナギとマアナゴの生態的地位をより詳細に比較したところ,湾域における両種の生態的地位は,活動時間と餌生物では重複しているが,餌サイズと生息空間にはある程度の隔離があり,両種の生態的地位は大きくは重複しないものと考えられた。

本研究は,児島湾旭川水系におけるニホンウナギの加入水域,移動分散,回遊履歴,成長,頭部形態,摂餌生態および他種との資源分割など,成長期の生態について,多方面に亘って数多くの新知見を得ており,これらは生物学の基礎情報になると同時に,生息水域の量的・質的評価と本種資源の保全に貢献する。よって本研究は,学術上応用上価値が高いと判断されたので,審査委員一同は本論文が博士 (農学)の学位論文としてふさわしいものと認めた。

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