学位論文要旨



No 126932
著者(漢字) 須藤,竜介
著者(英字)
著者(カナ) スドウ,リュウスケ
標題(和) ニホンウナギの産卵回遊の開始機構に関する生理生態学的研究
標題(洋)
報告番号 126932
報告番号 甲26932
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3685号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塚本,勝巳
 東京大学 教授 鈴木,譲
 東京大学 教授 渡邉,良朗
 東京大学 教授 大竹,二雄
 東京大学 教授 金子,豊二
内容要旨 要旨を表示する

魚類の回遊はその規模や回帰性の謎から、古来動物学上の大きな研究テーマの一つとなっている。なかでも回遊の開始機構は「生物はなぜ回遊をするのか?」という大命題を解く鍵となるため注目されてきた。降河回遊性のウナギは身近な陸水域・沿岸域で産卵回遊を始めることから、産卵回遊の開始機構を研究するのに適した生物といえる。しかし、現在ウナギの産卵回遊の開始機構に関する知見は極めて乏しい。

そこで本研究では、まず(1)ニホンウナギAnguilla japonicaの産卵回遊の開始に伴う銀化変態、回遊開始齢、体サイズなどの基礎生物学的な特性を把握し、次に(2)回遊を解発する環境要因と(3)回遊の開始に伴う内分泌学的な変化を明らかにする。さらに(4)回遊開始の行動メカニズムについて検討を加え、ニホンウナギの産卵回遊の開始機構を生態学、生理学、行動学の様々な角度から包括的に理解することを目的とした。

1.基礎生物学的特性

産卵回遊の開始過程において基礎生物学的諸特性がどのように変化するか知るために、2005年~2009年に汽水の浜名湖(23-33psu)と淡水の流入河川(0psu)で採集したニホンウナギ計465個体を用いて、銀化段階別に眼経指数(EI)、胸鰭長指数(FI)、生殖腺指数(GSI)、消化管指数(GI)を調べた。まず、銀ウナギの出現は年間で9月~12月の産卵回遊の開始直前から回遊期に限られていることを確認した。雌雄ともEI、FI、GSIは銀化の進行とともに増大し、GIは減少した。GSIとEI、FI、GIの間にはそれぞれ強い相関があり、成熟に伴って眼径の増大、胸鰭の伸張、消化管の退縮がおこることがわかった。また鰾では、銀化に伴い奇網の肥大とガス腺の肥厚が見られ、外洋における中深層遊泳のための浮力調節機能が亢進するものと考えられた。以上より、銀化の進行に伴って海洋環境における回遊行動への機能的適応と生殖腺の発達という産卵の準備が平行して起こることがわかった。

2006年~2008年に浜名湖水系で採集した雌186個体と雄66個体について耳石のストロンチウム(Sr)とカルシウム(Ca)の濃度を計測し、回遊履歴(生息域の利用)を調べた。その結果、Sr/Ca比が平均3.5以上の、主に湖内で生息していたと推察される湖内ウナギと、Sr/Ca比が平均3.5未満の、主に河川で暮らした川ウナギに大別された。雄の銀ウナギの全長と体重は湖内ウナギが川ウナギより大きかったが、雌では川ウナギの方が湖内ウナギより大きかった。また雌の川ウナギは湖内ウナギより高齢であった。このことは利用した生息域の違いが銀化開始の体サイズや年齢に影響を及ぼすことを示している。また、湖内で採集された全個体(黄ウナギを含む)の内21%は、流入河川を降り湖へ到達した降下個体であることが確認された。降下個体の出現は10月~11月に集中しており、その94%が銀ウナギであった。このことから、銀化変態が産卵回遊に密接に関連した現象であり、銀化を指標にして回遊の開始を議論して概ね間違いはないと考えられた。

2.環境要因

産卵回遊の開始に関わる環境要因を調べるため、愛知県三河湾のウナギ定置網で得られた、1997年10月~2007年3月の10年間毎日の漁獲データを解析した。3月を除く全調査期間を通じて、計4242個体のウナギが採集され、全漁獲の85%は11月と12月に集中した。採集された雌ウナギ1384個体のGSIを調べたところ、10月~2月の月平均GSIは各月1.5以上で、4月~9月(0.47~0.95)に比べ有意に高かった。また516個体の銀化発達段階を調べたところ10月~2月は銀ウナギが全体の97%と優占していた。このことから、10月~2月に漁獲されたウナギの大部分は産卵回遊を開始したウナギであり、漁獲尾数を考えると三河湾の回遊開始の最盛期は11月と12月であると考えられた。

各年の水温変化と一日ごとの漁獲尾数を操業定置網数で除したCPUEとの関係を調べたところ、CPUEが高く回遊開始の最盛期と考えられる11月と12月の水温は、1998年の11月(20.4℃)を除き毎年20℃以下にまで低下していた。また、11月にCPUEのピークのある年(Earlier Migratory Year: EMY)と12月(Later Migratory Year: LMY)にピークがある年の10月の水温を比較した結果、EMYではLMYに比べ有意に低値を示した。これらのことは回遊開始には秋から冬への移行に伴う水温低下が関わっていることを示唆している。また、CPUEは新月前後で最も高くなり回遊の開始に月周期が関わっていることが示された。さらに、一般化線形モデルにより回遊解発の引き金となる環境要因(月齢、降雨、風力)を調べたところ、風がCPUEに最も大きな影響を与えていることがわかった。以上のことから、三河湾における回遊の開始は、長期的には年周期の水温、中期的には月単位の月齢の影響を受け、最終的には日単位で短期的に変動する強風によって回遊行動が解発されるものと推察された。

3.内分泌条件

産卵回遊の開始機構の内分泌学的な背景を調べるため、耳石微量元素分析により回遊型を推定した雌雄の黄ウナギと銀ウナギ計156個体のエストラジオール17β(E2)、テストステロン(T)、11-ケトテストステロン(11-KT)を時間分解蛍光測定法により測定し、両者の血中ホルモン量を比較した。その結果、11-KTは回遊型や雌雄によらず黄ウナギに比べ銀ウナギで顕著に高い値を示した。一方、E2は雌の湖内ウナギ、Tは雌の川ウナギと湖内ウナギにおいて、黄ウナギより銀ウナギが有意に高い値を示し、その他の組み合わせでは有意差は認められなかった。このことから、これら3ホルモンの中でも11-KTはウナギの銀化と産卵回遊の開始に強く関っているものと考えられた。

野外で回遊時期に起こる水温低下が血中11-KT量の上昇を促すかどうか調べるため、雌ウナギ10個体に25°Cから15°Cへ水温低下処理を施したところ、血中11-KT量は25°C一定で飼育した対照群に比べ有意に高くなった。また卵巣の組織観察を行った結果、処理群では対照群に比べ油球の蓄積が進んだ。このことから、回遊開始時期の水温低下は11-KTを上昇させ、初期成熟を促進することが示された。

11-KTがウナギの銀化や成熟に及ぼす影響を調べるため、黄ウナギ7個体に11-KTを32日間投与し、各種生物学的特性を非投与の対照群7個体と比較した。その結果、投与群には6個体の銀ウナギが出現した。また、投与群は対照群に比べ、GSIとEIが有意に高く、GIは有意に低くなった。さらに、投与群は対照群に比べて鰾のガス腺が発達し、卵母細胞の油球蓄積は進み、一部卵黄顆粒も認められた。以上のことから、11-KTは成熟と海洋環境へ適応するための形態変化を促すものと考えられ、産卵回遊の開始に重要な役割を果たしているものと推察された。

4.行動メカニズム

産卵回遊の開始機構の行動学的側面を明らかにするため、黄ウナギと銀ウナギの行動の違いを調べた。黄ウナギ18個体と銀ウナギ21個体を、パイプを設置した水槽内で計6日間個別に飼育し、パイプから出た回数と継続時間を指標として、両者の活動度を比較した。銀ウナギのパイプから出た回数は黄ウナギより少なかったが、一回の継続時間は黄ウナギのそれに比べ顕著に長かった。このことから、ニホンウナギは銀化に伴って形態や生理のみならず行動にも変化が生じ、活動度が高まるものと考えられた。

月周期が産卵回遊の開始に与える影響を調べるため、三河湾において採集された銀ウナギ(N=8)の活動度を、屋外水槽に設置したパイプ通過センサを用いて2008年11月~2009年3月にかけて記録した。その結果、実験の前半期(11月23日~1月12日)には、新月期に一致して活動度が高くなったが、後半期(1月13日~3月4日)には活動の月周期性は検出されなかった。このことから、産卵回遊の開始時期にあたる前半期には月周期に対する感受性があり、新月期に同調して活動度が高まるが、この時期を過ぎると感受性を失うものと考えられた。

11-KTが行動に及ぼす影響を調べるため、9月に浜名湖で採集した黄ウナギ(N=7)に11-KT投与を行い、パイプを設置した室内の実験水槽で5日間の行動観察を行って非投与群と比較したところ、投与群は非投与群よりパイプに留まっている時間が有意に短く、上層を遊泳する時間が顕著に長いことがわかった。その後18日間、通過センサを設置した屋外水槽に移し両群の活動度の測定を行ったところ、投与群は非投与群に比べて有意にパイプから出た時間が長かった。以上より、11-KTはウナギの成熟や形態変化に関わるだけでなく、回遊行動を引き起こすメカニズムにも関与していることが明らかとなった。

一定の体サイズ以上に達した黄ウナギの中から、秋の水温低下により血中11-KTの上昇する個体が現れ、銀化変態が始まる。変態した銀ウナギは11-KTの上昇と月周期により回遊の動因が高まる。最終的に、強風や降雨、濁りなどの環境要因が引き金となり、定着していた住処を泳ぎ出て産卵回遊が開始される。このように本研究は、ニホンウナギの産卵回遊の開始機構を生態学、生理学、行動学の様々な側面から検討し、銀化に伴う形態的・生理的変化、回遊に影響を与える環境要因と内分泌学的背景を明らかにすると共に、回遊行動の開始機構を総合的に考察したものである。得られた知見はニホンウナギの保全と資源管理に役立ち、人工シラスウナギの種苗生産技術の向上に寄与するものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

降河回遊性のニホンウナギAnguilla japonicaは身近な陸水域・沿岸域で産卵回遊を始めることから, 産卵回遊の開始機構を研究するのに適した生物といえる。また, 産卵回遊の開始は再生産に直接関係するため, その理解は資源減少の著しい本種の保全や実用的な完全養殖の実現に向けて重要な知見を与える。しかし, 現在ニホンウナギの産卵回遊の開始機構に関する知見は極めて乏しい。そこで本研究では, ニホンウナギの産卵回遊の開始機構を生態学, 生理学, 行動学の各側面から包括的に理解することを目的とした。

第2章の「基礎生物学的特性」では,産卵回遊の開始に伴う銀化変態, 回遊開始齢, 体サイズなどの基礎生物学的特性を明らかにするため, 浜名湖水系で採集したニホンウナギ(N=465)を用いて,銀化に伴う形態学的・生理学的変化を調べた。その結果, 銀化に伴い, 生殖腺の発達, 眼径の増大, 胸鰭の伸張, 消化管の縮小, 鰾の発達のおこることが分かった。さらに, 耳石微量元素分析により回遊型を識別・区分し、回遊型毎に体サイズと年齢を調べた結果, 利用した生息域の違いが銀化開始の体サイズや年齢に影響を及ぼすことが明らかとなった。第3章の「環境要因」では,回遊を開始させる環境要因を探るため, 愛知県三河湾のウナギ定置網で得られた, 1997年10月~2007年3月の10年間毎日の漁獲データを解析した。環境要因との対応を解析したところ, 三河湾における回遊の開始は, 長期的には年周期の水温, 中期的には月単位の月齢の影響を受け, 最終的には日単位で短期的に変動する強風によって回遊行動が解発されるものと推察された。第4章の「内分泌条件」では,産卵回遊の開始機構の内分泌学的背景を探っている。天然のニホンウナギの産卵回遊の開始に伴うホルモン動態を調べた。6種類の下垂体ホルモンmRNAと3種類の性ステロイドの動態を調べたところ, 11-ケトテストステロン(11-KT)が雌雄や回遊型によらず増大することが明らかとなった。また雌ウナギ10個体に25°から15°Cへ水温低下処理を施したところ, 血中11-KT量は25°C一定で飼育した対照群に比べ有意に高くなった。さらに, 黄ウナギ7個体に対し11-KTを32日間投与し, 各種生物学的特性を非投与の対照群7個体と比較した。その結果, 投与群には6個体の銀ウナギが出現したが、対照群では2個体に留まった。また, 投与群は対照群に比べ, 生殖腺と鰾のガス腺が発達した。以上のことから, 11-KTは成熟と海洋環境への適応するための形態変化を促すものと考えられた。第5章の「行動メカニズム」では,これまで知見の著しく乏しかった産卵回遊の開始機構の行動学的側面に着目している。銀化に伴う行動変化を調べるため, 黄ウナギ18個体と銀ウナギ21個体を, パイプを設置した水槽内で個別飼育し, 両者の活動度を比較したところ, ニホンウナギは銀化に伴って活動度が高まるものと考えられた。また屋外水槽に設置した通過センサを用いて銀ウナギ(N=8)の活動度を長期間記録したところ, 活動度は新月期に一致して高くなった。さらに, 9月に採集した黄ウナギ(N =7)に11-KT投与を行い, 非投与群と活動度を比べたところ, 投与群は非投与群に比べ高い活動度を示した。これは, 11-KTが成熟や形態のみならず行動にも影響を与えているものと推察された。

本研究は, 生態調査や生理実験に加え行動学的アプローチを導入することで,初めてニホンウナギの産卵回遊の開始機構の全容を包括的に明らかにしたものであり,生物学上の新たな知見を提供すると共に, 本種の保全や養殖技術の向上を考える上で有益な知見を数多く得ている。よって本研究は, 学術上応用上価値が高いと判断されたので,審査委員一同は本論文が博士 (農学)の学位論文にふさわしいものと認めた。

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