学位論文要旨



No 126934
著者(漢字) 崔,丁玄
著者(英字)
著者(カナ) チェ,ジョンヒョン
標題(和) 広塩性魚ティラピアにおける鰓塩類細胞のイオン輸送能の可塑性に関する機能形態学的研究
標題(洋) Morphofunctional studies on functional plasticity of gill mitochondria-rich cells in euryhaline tilapia Oreochromis mossambicus
報告番号 126934
報告番号 甲26934
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3687号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 水圏生物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 金子,豊二
 東京大学 准教授 大久保,範聡
 東京大学 准教授 兵藤,晋
 東京大学 准教授 良永,知義
 聖マリアンナ医科大学 准教授 廣井,準也
内容要旨 要旨を表示する

水圏に生息する真骨魚類では、体表を介して外界と体内との間で各種イオンや水が受動的に移動するが、これは陸上動物には見られない特徴である。海産魚では塩類の流入と水の流出、また淡水魚では塩類の流出と水の流入の危険に常にさらされているにも関わらず、実際には淡水、海水を問わず、体液の浸透圧は海水の約1/3に保たれている。特にモザンビークティラピアなどの広塩性魚は、同一の個体が淡水、海水の双方に適応する能力を有している。このような浸透圧調節は、鰓、腎臓、腸などの浸透圧調節器官の調和のとれた働きによるものであるが、中でも鰓に存在する塩類細胞は魚類の浸透圧調節で中心的な役割を果たしている。真骨魚類は海水中で体内に過剰となる塩類を塩類細胞から環境水に排出し、また淡水中で不足する塩類を環境水から塩類細胞によって取込むことで、いずれの環境でも体内のイオン濃度を生理的範囲内に保っている。従って、広塩性魚は環境水の塩分濃度に応じて塩類細胞の機能を切り替えることで、広範囲の塩分環境に適応するものと考えられる。そこで本研究では、広塩性魚における塩類細胞のイオン輸送能の可塑性を明らかにすることを目的に、ティラピアを材料に用いて塩類細胞の機能形態学的研究を行った。

一般に鰓塩類細胞は側底膜上にNa+/K+-ATPaseを発現しており、Na+/K+-ATPase抗体を用いて免疫染色で容易に検出することができる。本研究で観察されたティラピアの塩類細胞は側底膜のNa+/K+-ATPaseに加え、頂端膜および側底膜に発現するイオン輸送タンパク質により機能的に以下の4つのタイプに分類された。

1) いずれの発現もないtype-1

2) 頂端膜にNa+/Cl-共輸送体(NCC)を発現するtype-2

3) 頂端膜にNa+/H+交換体(NHE3)を発現するtype-3

4) 頂端膜にcystic fibrosis transmembrane conductance regulator(CFTR)を、側底膜にNa+/K+/Cl-共輸送体(NKCC)を発現するtype-4

一方、塩類細胞はその開口部(頂端部)の形態から、pit型(孔型)、convex型(凸型)およびconcave型(凹型)に大別された。また一部の塩類細胞では開口部が閉じている様子が観察された。これまでの研究から、塩類を排出する海水型の塩類細胞は比較的大型の孔型開口部を形成するのに対し、塩類を取込む淡水型の塩類細胞では開口部の形態が変化に富み、小型の孔型、凸型あるいは凹型を呈することが知られている。このように塩類細胞は機能的および形態的に分類されるが、環境水の塩分濃度を変化させることで塩類細胞のサブタイプの出現頻度が大きく異なった。

第1章 ティラピアを淡水から脱イオン水に移行した際の鰓塩類細胞の経時的変化

淡水に順致されたティラピアにおいて、鰓塩類細胞の開口部の形態は小型の孔型、凸型、および凹型に分けられた。小型の孔型塩類細胞は頂端膜にNCC(type-2)もしくはNHE3(type-3)を発現し、また凸型細胞は頂端膜にNCC(type-2)を、凹型細胞はNHE3(type-3)をそれぞれ発現していた。淡水ティラピアを脱イオンに馴致すると、小型の孔型が凸型または凹型の塩類細胞に発達することが知られている。しかしこのような塩類細胞の機能や形態がどのような過程を経て変化するのか不明である。そこで本章では、ティラピアを淡水から脱イオン水に移行した際の塩類細胞の変化を経時的に調べた。ティラピアを脱イオン水に移行後、1/4、1、3、7日目に、血漿浸透圧を測定し、鰓の塩類細胞を走査電顕で観察した。また孔型、凸型、凹型それぞれについて細胞数、開口部の面積、および塩類細胞開口部が鰓面積に占める割合(FA:functional area)を計測した。さらに塩類細胞におけるNCC、NHE3の局在をホールマウント免疫染色で調べた。その結果、血漿浸透圧は脱イオン水移行後にやや低下したが、生理的範囲内に留まった。走査電顕観察の結果、孔型開口部の数は移行後3日目から減少したが、開口部の面積に変化はなかった。凸型開口部の数およびFAは増加傾向を示し、凸型開口部の面積は1日目に有意に増加した。凹型開口部の数は増加傾向を示し、面積とFAは移行6時間から有意に増加した。これらの結果より、鰓の塩類細胞は脱イオン水移行に伴い迅速に応答し、急激な環境水の変化に対応することが明らかとなった。特にNHE3を発現する凹型塩類細胞(type-3)は、移行後6時間以内にイオン輸送活性を高めることで、脱イオン水への適応に大きく寄与することが示唆された。

第2章 ティラピアを淡水から70%海水に移行した際の鰓塩類細胞の機能形態的変化

次に、ティラピアを淡水から70%海水に移行した際の塩類細胞の経時的変化を前章と同様に調べた。また免疫染色と走査電顕観察を同一試料で行うことで、塩類細胞のイオン輸送機能と開口部の形態との関連についても検討した。血漿浸透圧は70%海水に移行後に有意に増加したが、7日目までに移行前の値に回復した。淡水順致ティラピアでは、type-1~3の塩類細胞が観察されたが、70%海水移行後、淡水型と考えられるtype-2とtype-3の塩類細胞が減少し、逆に海水型であるtype-4が出現した。淡水に順致したティラピアの塩類細胞開口部は、比較的小型の孔型、凸型および凹型であったが、70%海水に移行すると、凸型および凹型が直ちに減少し、大型の孔型塩類細胞が増加した。また移行直後から、大型の孔型と凹型の特徴を備えた中間型の開口部が頻繁に観察された。また免疫染色と走査電子顕微鏡の同時観察の結果、70%海水移行に伴う塩類細胞の機能形態的変化が明らかとなった。つまり70%海水にさらされると、小型の孔型もしくは凸型の開口部をもつtype-2塩類細胞が、その開口部を閉じることで塩類の取込みを止めた。また同時に、小型の孔型もしくは凹型の開口部をもつtype-3塩類細胞は、その開口部を中間型さらに大型の孔型に変化させながら、海水型塩類細胞であるtype-4へと変化した。以上の結果は、type-2塩類細胞が淡水適応に特有であるのに対し、type-3塩類細胞は機能の可塑性を有しtype-4に機能が変化し得ることを示している。

第3章 ティラピアを海水から淡水に移行した際の鰓塩類細胞の経時的変化

本章では海水に順致したティラピアを淡水に移行し、塩類細胞の経時的変化を同様の方法で調べた。また鰓におけるNCC、NHE3、CFTRおよびNKCC1aの発現をリアルタイムPCR法で測定し、淡水移行に伴う発現動態を調べた。海水に順致したティラピアで330mOsm/kgであった血漿浸透圧は、淡水に移行後に減少しその後やや回復したが、移行前よりも有意に低い値であった。海水順致のティラピアで極めて発現が低かったNCCは淡水移行に伴い発現が著しく増大した。NHE3も淡水に移すと発現が増加したが、その増加は約2倍であった。海水中で高い発現を示したCFTRおよびNKCC1aは、ともに淡水中で発現が低下した。海水順致魚の塩類細胞の大部分は、頂端膜にCFTRを、側底膜にNKCCを発現する海水型のtype-4であったが、type-4は淡水移行に伴い急激に減少し、逆にtype-3が増加した。また、頂端膜のCFTRが消失しNKCCが側底膜に残るtype-4からtype-3への移行型(type-3/4)が、淡水移行直後から頻繁に見られるようになった。このtype-3/4には頂端膜にNHE3を発現するものも含まれ、そのようなtype-3/4は機能的にはtype-3に匹敵するものと考えられる。以上の結果、海水中で発達したtype-4塩類細胞は淡水移行の際、側底膜にNKCCが残存するtype-3/4を経て淡水型塩類細胞であるtype-3に機能的・形態的に変化を遂げると考えられる。

第4章時間差蛍光多重染色法による鰓塩類細胞の機能の可塑性の検証

第2章および第3章の結果、淡水型のtype-3塩類細胞と海水型のtype-4塩類細胞は、環境水の塩分濃度に応じてイオン輸送タンパク質の発現を切り替えることで、機能を相互に変化させることが強く示唆された。そこで本章では、ティラピアを海水から淡水に移行した際の塩類細胞の機能の可塑性をより詳細に検討した。既存の塩類細胞と新規に出現した塩類細胞を区別した上で各種イオン輸送タンパク質の局在を調べるため、新たに開発した「時間差蛍光多重染色法」を用いた。海水順致したティラピアをミトコンドリアに特異的は蛍光色素Rhodamine 123中で泳がせ、鰓の塩類細胞を生体染色によって標識した後、淡水に移行し3日目および7日目にサンプリングした。鰓弁を切り出し、Rhodamine 123で標識された塩類細胞を共焦点レーザースキャン顕微鏡で観察・撮影した。その後、回収した鰓弁を用いて、塩類細胞における各種イオン輸送タンパク質をホールマウント免疫染色で検出した。同一試料で取得したふたつの画像を比較することで、既存の塩類細胞と新規に出現した塩類細胞を区別し、さらに発現するイオン輸送タンパク質をもとに塩類細胞を機能的に分類した。その結果、淡水移行時に出現したtype-2塩類細胞のうち83%が既存の細胞で、残り17%は新規に発達した細胞だった。多くのtype-2塩類細胞は既存のtype-1から分化したものと考えられる。一方、type-4塩類細胞は淡水移行後直ちに消失し、対照的にtype-3/4とtype-3が出現した。淡水移行後に出現したほとんどのtype-3とすべてのtype-3/4が既存の細胞であり、このことは既存のtype-4塩類細胞がtype-3/4とtype-3に変化したことを示している。

以上の一連の研究から、ティラピアの鰓に存在する塩類細胞が環境水の塩分濃度に応答して、その機能と形態を大きく変化させることが明らかとなった。ティラピアの塩類細胞は機能的にtype-1~4の4型に分類された。type-1の塩類細胞は未熟な塩類細胞で、その頂端部は閉じているか小孔を形成する。type-2は開口部の形態が小型の孔型あるいは凸型で、頂端膜にNCCを発現してNa+とCl-を取込む淡水型の細胞である。type-3は開口部が小型の孔型あるいは凹型で、頂端膜にNHE3を発現し、H+と交換にNa+を取込む淡水型の塩類細胞であるが、海水中でも存在する。一方、type-4は側底膜にNKCCを、頂端膜にCFTRを発現する海水型で、その開口部は大型の孔型を呈する。このうち、type-2は淡水適応に特化した塩類細胞であることが判明した。一方で、淡水型のtype-3と海水型のtype-4は、環境水の塩分濃度に応じて素早く機能を切り替えることが強く示唆された。このような塩類細胞の機能の可塑性はティラピアの優れた広塩性を保証するものと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

海産魚では塩類の流入と水の流出、また淡水魚では塩類の流出と水の流入の危険に常にさらされているにも関わらず、実際には淡水、海水を問わず、体液の浸透圧は海水の約1/3に保たれている。このような浸透圧調節は浸透圧調節器官の調和のとれた働きによるものであるが、中でも鰓に存在する塩類細胞は魚類の浸透圧調節で中心的な役割を果たしている。真骨魚類は海水中で体内に過剰となる塩類を塩類細胞から環境水に排出し、また淡水中で不足する塩類を環境水から塩類細胞によって取込むことで、いずれの環境でも体内のイオン濃度を生理的範囲内に保っている。広範囲の塩分環境に適応できる広塩性魚は、環境水の塩分濃度に応じて塩類細胞の機能が切り替わると考えられる。本研究では、広塩性魚における塩類細胞のイオン輸送能の可塑性を明らかにするため、ティラピアを材料に用いて塩類細胞の機能形態学的研究を行った。

塩類細胞は頂端膜および側底膜に発現するイオン輸送タンパク質により機能的に以下の4つのタイプに分類された。

1) いずれの発現もないtype-1

2) 頂端膜にNa+/Cl-共輸送体(NCC)を発現するtype-2

3) 頂端膜にNa+/H+交換体(NHE3)を発現するtype-3

4) 頂端膜にcystic fibrosis transmembrane conductance regulator(CFTR)を、側底膜にNa+/K+/Cl-共輸送体(NKCC)を発現するtype-4

1. ティラピアを淡水から脱イオン水に移行した際の鰓塩類細胞の経時的変化

2. ティラピアを淡水から70%海水に移行した際の鰓塩類細胞の機能形態的変化

次に、ティラピアを淡水から70%海水に移行した際の塩類細胞の経時的変化を同様に調べた。淡水順致ティラピアでは、type-1~3の塩類細胞が観察されたが、70%海水移行後、淡水型のtype-2とtype-3の塩類細胞が減少し、逆に海水型であるtype-4が出現した。塩類細胞開口部は70%海水に移行すると凸型および凹型が直ちに減少し、大型の孔型と大型の孔型と凹型の中間型が増加した。また免疫染色と走査電子顕微鏡の同時観察の結果、70%海水に移行するとtype-2塩類細胞がその開口部を閉じることが判明した。同時に、小型の孔型もしくは凹型の開口部をもつtype-3塩類細胞は、その開口部を中間型さらに大型の孔型に変化させながら、海水型塩類細胞であるtype-4へと変化した。以上の結果は、type-3塩類細胞は機能の可塑性を有しtype-4に機能が変化し得ることを示している。

3. ティラピアを海水から淡水に移行した際の鰓塩類細胞の経時的変化

本章では海水に順致したティラピアを淡水に移行し、塩類細胞の経時的変化を調べた。また鰓におけるNCC、NHE3、CFTRおよびNKCC1aの淡水移行に伴う発現動態を調べた。海水順致魚で発現が低かったNCCは淡水移行に伴い発現が著しく増大した。NHE3も淡水に移すと発現が増加した。一方で、海水中で高い発現を示したCFTRおよびNKCC1aはともに淡水中で発現が低下した。海水順致魚の塩類細胞の大部分は海水型のtype-4であったが、type-4は淡水移行に伴い急激に減少し、逆にtype-3が増加した。またtype-4からtype-3への移行型(type-3/4)が、淡水移行直後から頻繁に見られた。以上の結果、海水型のtype-4塩類細胞はtype-3/4を経て淡水型塩類細胞であるtype-3に機能的・形態的に変化を遂げると考えられる。

4.時間差蛍光多重染色法による鰓塩類細胞の機能の可塑性の検証

最後に、ティラピアを海水から淡水に移行した際の塩類細胞の機能の可塑性をより詳細に検討した。既存の塩類細胞と新規に出現した塩類細胞を区別した上で各種イオン輸送タンパク質の局在を調べるため、新たに開発した「時間差蛍光多重染色法」を用いた。その結果、淡水移行時に出現したtype-2塩類細胞のうち83%が既存の細胞で、残り17%は新規に発達した細胞だった。多くのtype-2塩類細胞は既存のtype-1から分化したものと考えられる。一方、type-4塩類細胞は淡水移行後直ちに消失し、対照的にtype-3/4とtype-3が出現した。淡水移行後に出現したほとんどのtype-3とすべてのtype-3/4が既存の細胞であり、このことは既存のtype-4塩類細胞がtype-3/4とtype-3に変化したことを示している。

以上のように,本論文ではティラピアにおける鰓塩類細胞のイオン輸送能の可塑性が明らかとなり,学術上および応用上寄与するところが大きい。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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