学位論文要旨



No 126936
著者(漢字) 小島,庸平
著者(英字)
著者(カナ) コジマ,ヨウヘイ
標題(和) 大恐慌期日本農村における経済的統合政策の意義と限界 : 長野県下伊那郡下2か村を事例として
標題(洋)
報告番号 126936
報告番号 甲26936
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3689号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農業・資源経済学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松本,武祝
 東京大学 教授 泉田,洋一
 東京大学 准教授 安藤,光義
 東京大学 講師 藤原,辰史
 東京大学 教授 加瀬,和俊
内容要旨 要旨を表示する

本論文は,大恐慌期の日本における農村社会秩序の動揺と再編を,特に経済的統合政策に注目しつつ分析することを課題とする.

周知のように,1929年におけるニューヨーク株式市場の株価大暴落に端を発した大恐慌とその克服過程は,日本の「ファシズム」的な農業再編を推し進めた画期として捉えられ,これまで多くの研究者の注目を集めてきた.しかし,恐慌対策の二大支柱とされた時局匡救土木事業と経済更生運動に関するこれまでの研究は,以下の3点で課題を残していると考えられる.

第一に,時局匡救土木事業については,個別町村の事例分析をほとんど踏まえることなく,その事業効果の有無や歴史的性格が議論されてきた点である.就労者が受給した労賃額を個人レベルで明らかにした研究は,これまで大栗(2003)しかなく,現状では当該地域の社会経済状況を踏まえて客観的にその意義と限界を検討したものは皆無であると言ってよい.経済更生運動とは対照的に個別地域の事例分析がほとんど蓄積されてこなかった時局匡救事業を,在地の史料を用いて実証的に分析する必要がある.

第二に,経済更生運動における経済的側面が看過されてきた点である.たとえば,経済更生運動の「総括的表現」(森,1999,39頁)とされた農村負債整理事業については,その実施過程を跡付けた研究はわずかに鈴木(1978)があるに過ぎず,立案過程を検討した加瀬(1979)においても,本事業が抱える事業遂行上の困難がやや軽視されているように思われる.農業負債整理事業は,固定した貸借関係を流動化するために債権者に対し一定の債権放棄を迫るものであったが,このことは私的所有権の絶対性を部分的にではあれ否定するものであり,農村社会の現実の中で大きな抵抗を受けることになった.農村内部における債権者と債務者の利害対立に着目し,ミクロレベルでの検討が求められる.

第三に,大恐慌特有の歴史的状況に規定された農村社会における「共同性」の在り方が,なお不分明な点である.行政村と集落の関係に着目した「自治村落論」(齋藤,1989)は,日本の農村における小農相互の関係を的確にとらえていると考えられるが,これまで繰り返しその「超歴史性」が批判されてきた.行政村と集落の間における力関係の変化を歴史段階的に描いた「地域公共関係論」(大西・西田,1990)においても,個別集落は一貫して「行政補助団体」化していくもの捉えられており,独自の利害を持つ集落が根強い自立性を持ち続ける場合があったことは看過しているように思われる.集落の歴史性とその独自性が,改めて検討されなければならない.

以上に整理したこれまでの研究史に対する批判を踏まえ,本論文は長野県下伊那郡の座光寺村と上郷村を事例として,時局匡救土木事業の中心であった救農土木事業と,経済更生運動において最も重要であった農村負債整理事業の実施過程を跡付けることで,大恐慌期における農村者期の動揺・再編・統合の課程を,特に経済的側面に着目しつつ明らかにする.

本論文の構成は,以下の通りである.

第1部では,座光寺村と上郷村における救農土木事業の実施過程を,林野における冬季就労と関連付けて分析を行った.下伊那郡には広大な町村有林が存在しており,蚕期の終わる10月以降,郡民は町村有林において薪炭材の採取を行うなど,重要な冬季就労の場となっていた.本論文で分析する座光寺村と上郷村は,森林資源の賦存状況において極めて対照的であり,救農土木事業における労賃散布の状況にも一定の差を検出することができた.すなわち,第2章で検討した座光寺村では,荒廃した村有林における資源管理を恐慌化で強化しようとしたために,林野への依存度が高い集落の住民による激しい反対運動を惹起していた.そのため,救農土木事業の実施過程においては,絶対額としてはわずかであったものの,そうした反対運動の担い手が相対的に多くの労賃を受給していたことが確認された.救農土木事業は,恐慌下において動揺した社会秩序を安定化させる上で,一定の意義を有していたということができる.

一方,第3章で検討した上郷村では,豊富な村有林資源を前提として恐慌期に失業救済薪材採取事業を実施しており,山林における一定量の就労機会を創出することが可能であった.救農土木事業においても,山林における就労機会が豊富に存在したため,一人当たりの受給額でみれば上郷村は座光寺村よりも多額の労賃を散布することが可能であった.ただし,各就労者の受給労賃額は所得階層というよりは家族員数の多寡によって規定されており,所得再配分機能は制約されざるをえなかった.救農土木事業による所得再配分機能は,各町村によって大きな振れ幅があり,安定した調整制度として評価することは困難であると考える.

次に,第II部では,農村負債整理事業の遂行過程を特に農民間での債権債務関係が複雑に折り重なった無尽講に着目して分析した.下伊那郡では,農村負債に占める無尽講の割合が約40%を占めており,まず無尽講を整理することが大きな課題とされていた.これまで,無尽講の各種データを町村レベルで包括的に集計して検討を加えた研究は,史料上の制約からこれまで全く行われてこなかった.しかし,座光寺村には村が実施した無尽講整理事業の差異に村内の無尽講にかかわる書類が一括して役場に集められており,第4章ではこれを利用して無尽講の性格を特に救済講と一般講の差異に着目して分析を行った.その結果,無尽講の成立を可能にする条件として重視されてきた地縁的な関係はむしろ相対的に希薄であり,特に救済講では農村社会における多様な共同于性に依拠して運営されていたことが明らかになった.しかし,こうした無尽講に見られた人的ネットワークの多様性は,逆に負債整理事業を遂行する上で障害となり,座光寺村における事業の遂行は極めて遅々としたものであったことを第5章で確認した.ただし,何らかの形で低利借り換えのための資金が潤沢に供給されれば,無尽講の整理が比較的円滑に進んだ可能性もある.補論では,「成功」に終わったとされる上郷村の無尽講整理事業の概要を断片的な史料から復元し,産業組合が村有林における立木の加工販売事業を始めたことが,負債整理のための借り換えを受容する一つの基盤となっていたことを明らかにした.救農土木事業と同様に,農村負債整理事業においても,地域資源の賦存状況が事業を遂行する上で重要な意義をもっていったのである.

審査要旨 要旨を表示する

本論文は,1930年代大恐慌期の日本における農村社会秩序の動揺と再編の過程を分析することを課題としている.具体的には、長野県下伊那郡の座光寺村と上郷村を事例として,時局匡救土木事業の中心であった救農土木事業と,経済更生運動において最も重要であった農村負債整理事業の実施過程を跡付けることで,大恐慌期における農村の動揺・再編・統合の過程を,特にその経済的側面に着目しつつ明らかにした.

第1部では,座光寺村と上郷村における救農土木事業の実施過程を,林野における冬季就労と関連付けて分析を行った.下伊那郡には広大な町村有林が存在しており,薪炭材の採取を行うなど重要な冬季就労の場となっていた.本論文で分析する座光寺村と上郷村は,森林資源の賦存状況において極めて対照的であり,救農土木事業における労賃散布の状況にも一定の差を検出することができた.すなわち,第2章で検討した座光寺村では,荒廃した村有林における資源管理を恐慌下で強化しようとしたために,林野への依存度が高い集落の住民による激しい反対運動を惹起していた.そのため,救農土木事業の実施過程においては,そうした反対運動の担い手が相対的に多くの労賃を受給していたことが確認された.救農土木事業は,恐慌下において動揺した社会秩序を安定化させる上で,一定の意義を有していたということができる.

一方,第3章で検討した上郷村では,豊富な村有林資源を前提として恐慌期に失業救済薪材採取事業を実施しており,山林における一定量の就労機会を創出することが可能であった.救農土木事業においても,山林における就労機会が豊富に存在したため,一人当たりの受給額でみれば上郷村は座光寺村よりも多額の労賃を散布することが可能であった.ただし,各就労者の受給労賃額は所得階層というよりは家族員数の多寡によって規定されており,所得補充機能は制約されざるをえなかった.救農土木事業による所得補充機能は,各町村によって大きな振れ幅があり,安定した調整制度として評価することは困難であると考える.

次に,第II部では,農村負債整理事業の遂行過程を、特に農民間での債権債務関係が複雑に折り重なった無尽講に着目して分析した.下伊那郡では,農村負債に占める無尽講の割合が約40%を占めており,まず無尽講を整理することが大きな課題とされていた.これまで,無尽講のデータを町村レベルで包括的に集計して検討を加えた研究はこれまで全く行われてこなかった.しかし,座光寺村には村が実施した無尽講整理事業の差異に村内の無尽講にかかわる書類が一括して役場に集められており,第4章ではこれを利用して無尽講の性格を特に救済講と一般講の差異に着目して分析を行った.その結果,無尽講の成立を可能にする条件として重視されてきた地縁的な関係はむしろ相対的に希薄であり,特に救済講では農村社会における多様な共同性に依拠して運営されていたことが明らかになった.しかし,こうした無尽講に見られた人的ネットワークの多様性は,逆に負債整理事業を遂行する上で障害となり,座光寺村における事業の遂行は極めて遅々としたものであったことを第5章で確認した.補論では,「成功」に終わったとされる上郷村の無尽講整理事業の概要を断片的な史料から復元し,産業組合が村有林における立木の加工販売事業を始めたことが,負債整理のための借り換えを可能とする財政上の基盤となっていたことを明らかにした.救農土木事業と同様に,農村負債整理事業においても,地域資源の賦存状況が事業を遂行する上で重要な意義をもっていったのである.

以上、本論文においては、長野県の2つの村の行政文書や新聞記事を詳細に検討することによって、1930年代大恐慌期における農村統合政策に対する行政村や村落の対応形態に関する分析を行なった。この分析成果は、学術上、応用上資するところが少なくない。よって審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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