学位論文要旨



No 126947
著者(漢字) 坂口,陽一郎
著者(英字)
著者(カナ) サカグチ,ヨウイチロウ
標題(和) 走査型プローブ顕微鏡を用いた粘着剤表面のレオロジー的解析
標題(洋)
報告番号 126947
報告番号 甲26947
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3700号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 生物材料科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 竹村,彰夫
 東京大学 教授 太田,正光
 東京大学 准教授 江前,敏晴
 東京大学 准教授 岩田,忠久
 東京大学 准教授 和田,昌久
内容要旨 要旨を表示する

粘着剤は身の回りの日用品から工業用途まで幅広く利用され今や欠かせないものとなっている。その粘着剤が加工された粘着テープや粘着ラベルなどの粘着製品は、特に瞬間接着性、応力緩和性、再剥離性といった粘着剤の特出した機能によって、今や半導体、光学ディスプレイなどの最先端産業へ応用範囲を広げ、ますます産業資材として確固たる地位を築いてきている。これに伴い、粘着剤に対する要求も厳しさを増し、耐久性や耐熱性、高透明性など機能は細分化し、求められる水準は高くなってきている。今日、これらの要求を充たすために、信頼性を重視し、数多くの材料評価を行い、製品化を目指すことができる粘着技術が求められている。

タッキファイヤー(粘着付与剤)含有粘着剤の実用特性は、相構造、粘弾性的挙動、界面化学に大きく影響を与えることが明らかとなっている。また、ポリマー及びポリマーブレンドにおいては、バルクと表面では組成及び物性が異なるといったことが報告されている。しかし、従来の接着評価方法で得られているのはバルクに関する評価のみで、表面に注目した研究は近年になるまであまり重要視されておらず、粘着や接着の分野で現在求められているテーマの一つでもある。さらに、粘着剤は被着体から剥がすとき、跡の残りなくキレイに剥がせること、つまり被着剤-粘着剤の界面で破壊が起こることが求められる。特にエレクトロニクス分野で使用される粘着剤はおいては、分子レベルでの非汚染性が要求される。このような高度な要求を満たすためには、粘着剤-被着体界面の非常に微視的なスケールにおける、接着破壊メカニズムの基本的な理解も必要である。

以上を踏まえて、本研究ではAFMシステムによる微視的なスケールにおける接着-破壊メカニズムの理解と解析方法の確立、さらに既存の試験方法との比較-検討を行っている。

【SISトリブロック共重合体/石油樹脂系タッキファイヤー】

・粘着剤表面の相溶性

タッキファイヤー含有の粘着剤の実用特性は、相構造、粘弾性的挙動、界面化学に大きく影響を与えることが明らかとなっている。そこで、まず実験を行うにあたり、粘着剤表面の相構造を調べた。

タッキファイヤーにはポリイソプレンマトリックスに相溶する共重合系石油樹脂とポリスチレンドメインに相溶する芳香族系石油樹脂を使用して研究を行った。

まず、DFMを用いて粘着剤表面の観察を行った。共重合系石油樹脂のブレンド系の表面はPI相に相溶したタッキファイヤーとPI相で覆われていると判断でき、表面にPSドメインは確認できなかった。

一方で、芳香族系石油樹脂のブレンド系では、タッキファイヤーの量を30wt%、50wt%、70wt%と増加していくにつれて、PSの表面積が増えていくことが確認でき、ポリイソプレン、ポリスチレンとそれぞれ別の部位に相溶するタッキファイヤーを使用した場合についての表面の相構造が確認できた。

・走査速度の摩擦力依存性

粘着剤表面の速度依存性を調べるために、各試料について測定可能な様々な温度でフリクショナルカーブ測定を行い、走査速度-摩擦力曲線を作成した。本研究で用いたSPMの測定限界温度は-130℃であるが、実験は-60℃~-100℃でフリクショナルカーブ測定を行った。本研究では、10-4~10-5Paの減圧下で測定を行った。

粘着剤表面の摩擦力は異なった走査速度、温度で左から右、右から左へと移動するカンチレバーのねじれ角の変化によって測定している。摩擦力は走査速度-摩擦力曲線の縦軸で表されている。

タッキファイヤーAを用いたポリイソプレン相と相溶する系では-60℃、-70℃、-80℃において、上に凸のピークが観察され、測定温度が低下するにつれて、低速度方向へシフトしていた。

これらの傾向は走査速度-摩擦力曲線に関する合成曲線(マスターカーブ)が得られることを示唆しており、粘弾性体の動力学的な実験において成立する時間-温度換算則が、粘着剤表面の摩擦においても成立することを示している。さらに、走査速度の変化に伴う摩擦力の挙動が、カンチレバーの探針の往復走査に伴う粘着剤表面のレオロジカルな変化を反映したものであることがわかった。加えて、これらの現象は粘着剤の表面における摩擦挙動がバルクにおける挙動と類似した傾向であることがわかった。

しかし一方で、SISベースポリマーのポリスチレンドメインとタッキファイヤーBの系についてはタッキファイヤー含有量を変化させても目立ったシフトを見せず、ポリイソプレンと芳香族系石油樹脂は相溶していないものと結論づけ、間接的にポリスチレン相と芳香族系石油樹脂が相溶しているものと結論づけた。

・マスターカーブの作成

ポリイソプレン相と共重合系石油樹脂が相溶している試料系の走査速度-摩擦力曲線の結果から、マスターカーブが描けることが示唆されたため、マスターカーブの作成を行った。

それに伴い、アレニウスプロットやシフトファクターの計算も行い、粘着剤表面の摩擦力を測定する際の表面の破壊エネルギーから活性化エネルギーの計算も行った。

Fig.1に試料2のマスターカーブ、Fig.2に試料2のアレニウスプロット、Fig.3に試料2のシフトファクターを示し、Table 1にこのSIS/タッキファイヤー系で実験を行った試料におけるガラス転移温度と活性化エネルギーを示す。

以上の結果から、マスターカーブはそれぞれの走査速度-摩擦力曲線がきれいに重なっており、粘着剤表面の摩擦力においても時間-温度換算則が適用でき、一般的な高分子材料に見られる粘弾性的な性質が粘着剤表面の摩擦力にも反映されており、それをAFMのカンチレバーのチップで測定することができた。

・タッキファイヤー含有量と走査速度-摩擦力曲線の関係性

走査速度を変化させたときの摩擦挙動とタッキファイヤー含有量の関係を見るための最善の手段はそれぞれのタッキファイヤー含有量に関する走査速度-摩擦力曲線のマスターカーブを比較することである。ということで、Fig.4に試料1~3の-60℃から-100℃から得たマスターカーブを示す。縦軸の値を見やすくするために摩擦力の値を縦方向に任意に動かしている。試料1~3のSIS/タッキファイヤー系に関する結果として、タッキファイヤー含有量が増加するに従って、ピークの位置が低速度方向にシフトしている。これらの傾向はタッキファイヤー含有量が増加するに従って増加する相溶系のガラス転移温度の挙動と一致している。

したがって、摩擦力が粘着剤表面の粘弾性的挙動に影響を与えていると結論づけた。この方法がすべての材料の表面に適用できるのであれば、摩擦力を定量化することができるかもしれない。

・走査速度-摩擦力曲線と破壊形態の関係性

摩擦力の測定後の表面観察はプローブチップを使用して粘着剤の表面を走査し、表面の破壊形態を決定するために行った。Fig.5は摩擦力の測定後の表面の形状像と試料2のマスターカーブの間の関係性を示している。表面の形状像中において、中心の穴はプローブが表面に接触したときに作られた衝突痕である。

速度の速い領域[A]における走査痕は表面には見られない。速度の遅い領域[B]は走査痕が表面にとても明確に見られる。走査距離は1000nmである。領域[A]と領域[B]の間には20本の走査痕がある。これが一つの走査速度-摩擦力曲線を形作っている。

-80℃で測定された試料2の形状像をFig.5の左に示した。Fig.5の形状像の拡大図は走査痕が残っている領域[B]の低い走査速度における5本の走査痕を拡大したものである。

これはマクロの粘着剤の破壊と類似して、表面上のナノ破壊でも界面破壊、凝集破壊とスティック-スリップ破壊が起こり、界面破壊は走査速度がより速い領域[A]で起き、凝集破壊は低い走査速度の領域[B]で起こっている。走査痕の深さは0から20nmである。

これは、約30μmであるフィルムの薄さとは無関係である。

Fig.5の右側に示した試料2のマスターカーブから、界面破壊は走査速度-摩擦力曲線中の高速度領域において観察され、凝集破壊は低速度領域で観察された。さらに、界面破壊から凝集破壊までの転移点は摩擦力のピークよりも少し高い領域で見られる。そして、転移点のまわりのスティック-スリップ破壊が観察された。これらはマクロな測定における粘着剤の表面の破壊形態転移と非常に良く似た結果であると結論づけた。

本論文では、上記と同様の手順をもって【溶剤型アクリル系粘着剤/ロジン系タッキファイヤー】を用いて考察を行ったもの、また【溶剤型アクリル系粘着剤/テルペンフェノール樹脂系タッキファイヤー】を用いて考察を行ったものと3章構成で成り立っている。

また【SISトリブロック共重合体/石油樹脂系タッキファイヤー】で記載したもの以外に、本要旨で説明していない項として「ナノ摩擦力の測定モデル」として、ナノ領域とミクロ領域における粘着力やその他の試験方法と本研究の主題に含まれている走査型プローブ顕微鏡を用いた試験方法の解説、及び比較を行い、粘着剤表面の破壊エネルギーから計算される見かけの活性化エネルギーから考察している。

さらに【溶剤型アクリル系粘着剤/ロジン系タッキファイヤー】と【溶剤型アクリル系粘着剤/テルペンフェノール樹脂系タッキファイヤー】については、走査型プローブ顕微鏡の摩擦測定で使用した荷重が同一であるため、その観点から「摩擦力の値の大きさ」の考察を行っている。

そして【SISトリブロック共重合体/石油樹脂系タッキファイヤー】を含めた3種類の系において、「ガラス転移温度ベースのマスターカーブを新たに作成し、ガラス転移温度を基準軸として、3種類の試料の粘着剤表面=表層における見かけの活性化エネルギーの変化、すなわち表面の摩擦で表された破壊エネルギーの変化を検討している。

Fig.1 マスターカーブ(試料2)

Fig.2 アレニウスプロット(試料2)

Fig.3 シフトファクタープロット(試料2)

Table 1活性化エネルギーとガラス転移温度

Fig.4 試料1~3のマスターカーブ(-60℃~-100℃)

Fig.5 摩擦測定後の試料表面の形状像とマスターカーブの関係性(試料2・-80℃)

審査要旨 要旨を表示する

粘着剤は身の回りの日用品から工業用途まで幅広く利用され今や欠かせないものとなっている。その粘着剤が加工された粘着テープや粘着ラベルなどの粘着製品は、特に瞬間接着性、応力緩和性、再剥離性といった粘着剤の特出した機能によって、今や半導体、光学ディスプレイなどの最先端産業へ応用範囲を広げ、ますます産業資材として確固たる地位を築いてきている。これに伴い、粘着剤に対する要求も厳しさを増し、耐久性や耐熱性、高透明性など機能は細分化し、求められる水準は高くなってきている。今日、これらの要求を充たすために、信頼性を重視し、数多くの材料評価を行い、製品化を目指すことができる粘着技術が求められている。

タッキファイヤー(粘着付与剤)含有粘着剤の実用特性は、相構造、粘弾性的挙動、界面化学に大きく影響を与えることが明らかとなっている。また、ポリマー及びポリマーブレンドにおいては、バルクと表面では組成及び物性が異なるといったことが報告されている。しかし、従来の接着評価方法で得られているのはバルクに関する評価のみで、表面に注目した研究は近年になるまであまり重要視されておらず、粘着や接着の分野で現在求められているテーマの一つでもある。さらに、粘着剤は被着体から剥がすとき、跡の残りなくキレイに剥がせること、つまり被着剤-粘着剤の界面で破壊が起こることが求められる。特にエレクトロニクス分野で使用される粘着剤はおいては、分子レベルでの非汚染性が要求される。このような高度な要求を満たすためには、粘着剤-被着体界面の非常に微視的なスケールにおける、接着破壊メカニズムの基本的な理解も必要である。

以上を踏まえて、本研究ではAFMシステムによる微視的なスケールにおける接着-破壊メカニズムの理解と解析方法の確立、さらに既存の試験方法との比較・検討を行っている。

対象とされた粘着剤系はスチレン・イソプレン・スチレン(SIS)ブロック共重合体/石油系タッキファイヤー系ブレンド、アクリルポリマー/ロジン系タッキファイヤーブレンド系、アクリルポリマー/テルペン系タッキファイアーブレンド系の三種である。この全ての系において走査速度-摩擦力曲線はマスターカーブを作成することが可能であった。また、走査速度-摩擦力曲線のピークの前後で破壊形態が異なり、マクロな接着破壊現象である界面破壊、凝集破壊と同様な形態を示すことが分かった。またマスターカーブを作成する際に計算された見かけの活性化エネルギーを検討することで、このナノ接着破壊挙動がマクロなローリングシリンダータックの破壊挙動に類似していると結論つけることが出来た。ここでは紙面の関係からアクリルポリマー/ロジン系タッキファイヤーブレンド系を例として以下に詳述する。

図1に相溶系の110TU40系の走査速度-摩擦力曲線を示す。温度の上昇と共に摩擦力が高速度側にシフトしていることが分かる。これはマクロな接着破壊挙動と同様な傾向を示し、マスターカーブを作成することが出来ると考えられる。

図2に110TU系のマスターカーブを示す。これらのマスターカーブのシフトファクターはアレーニウス型であった。タッキファイヤーの含有量が増加すると走査速度-摩擦力曲線は低速度側にシフトすることが分かった。これはタッキファイヤーの含有量に伴いブレンドのガラス転移点が上昇することに起因しており、粘着剤バルクのレオロジーが粘着性能に大きく支配されているのと同様に、ナノ表面の破壊においても表面レオロジーの影響を大きく受けていることを示している。

摩擦力測定後の表面を観察し、表面にチップの痕跡がある場合を表面の界面破壊、無い場合を凝集破壊、不連続な痕跡をスリップスティックとして、それをマスターカーブ上に示したのが図3である。このように摩擦力のピークを境に界面破壊と凝集破壊が分かられ、ピーク前後ではスリップスティック破壊が生じることが確認できた。この傾向もバルクの接着破壊の傾向に類似したものであると分かった。

以上のように本論文は、粘着剤の表面のナノ破壊挙動について原子間力顕微鏡の摩擦力と通じて評価したものであり、手法、結果共に粘着剤の科学的研究において大きな成果を残したといえる。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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