学位論文要旨



No 126949
著者(漢字) 佐野,幸輔
著者(英字)
著者(カナ) サノ,コウスケ
標題(和) ラオスにおけるコマツモムシ属(半翅目:マツモムシ科)による養殖種苗の食害の実態
標題(洋)
報告番号 126949
報告番号 甲26949
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3702号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 黒倉,壽
 東京大学 教授 佐野,光彦
 東京大学 教授 遠藤,秀紀
 東京大学 准教授 松本,安喜
 東京大学 特任准教授 八木,信行
内容要旨 要旨を表示する

人口の77%が農山村地域に暮らすラオスにおいて、小規模養殖の普及は地域の貧困削減や食糧安全保障に大きく寄与する。小規模養殖の普及には種苗の安定的な供給が必要不可欠である。現在、ラオスの農山村地域の養殖農家への種苗の供給経路は、1.隣国からの輸入、2.政府機関による生産と供給、3.国内の種苗生産業者による生産と販売の3つがある。ラオス政府はこのうち3の国内の種苗生産者による種苗生産の増産を政策的に進めようとしている。

しかしながら、いまだラオス国内の種苗生産量は不安定で、需要を満たす安定的な供給は実現していない。その原因の一つとして種苗育成池における水生昆虫による種苗の食害が指摘されている。

本研究では、ラオスの農山村地域における、種苗の主要な食害水生昆虫を明らかにするための種苗生産者に対する聞き取り調査、実際の種苗育成池に出現する捕食性水生昆虫の採集調査、コマツモムシ属による養殖種苗の捕食実験を行い、水生昆虫による捕食の被害量を推定するとともに、捕食行動の観察を行い、コマツモムシ属による種苗の捕食対策を提言した。

種苗生産の実態調査

ラオスの種苗生産における問題点を明らかにし、その中で水生昆虫による養殖種苗の食害の重要性を把握するために、種苗生産者に対して聞き取り調査を実施した。この結果、主要な養殖対象魚種はBarbonymus gonionotus, Cirrhinus mrigala, Cyprinus carpioの3種であり、これらの魚種の種苗育成時の問題点として、水生昆虫、特にマツモムシ科による食害が最も深刻であると認識されていることなどが確認された。そこで、種苗生産の対象種としてはB. gonionotus, C.mrigalaおよびC. carpioを選び、これらに対するマツモムシ科コマツモムシ属による捕食の実態を明らかにし、それに対する対策を提言することを、本研究の具体的な課題とした。

種苗育成池での水生昆虫採集調査

種苗育成池に出現する一般的な捕食性水生昆虫であるコマツモムシ属(Anisops)の出現個体数と生物量を推定するために採集調査を行った。採集調査の結果、合計1450個体8科の捕食性の水生昆虫を同定した。出現した主な捕食性水生昆虫はイトトンボ科(Coenagrionidae)、トンボ科(Libellulidae)、マツモムシ科(Notonectidae)、アメンボ科(Gerridae)、ゲンゴロウ科(Dytiscidae)、ガムシ科(Hydrophillidae)であった。この中でマツモムシ科の生物量は全体の42.9%と最も多く占めた。主要4科の出現状況を時系列的にみるとマツモムシ科は採集調査初日から卓越していた。その原因としてコマツモムシ属の成虫が注水後、他の生息域から飛来していることが示唆された。この結果は、コマツモムシ属による食害が最も深刻であるという、前章の結果を裏付けるものであった。

コマツモムシ属による捕食実験

コマツモムシ属と養殖対象魚種において稚魚サイズと捕食の関係を比較し、捕食の限界サイズを把握するため、養殖対象の3魚種(B. gonionotus, C. mrigala, C. carpio)とコマツモムシ(Anisops bouvieri)を用いて室内実験を行った。この結果、C. mrigalaとC. carpioの斃死個体数は稚魚の成長とともに減少することが示された。対照的にB. gonionotusは実験期間を通して不安定であった。原因として試供魚の成長が遅かったことが考えられた。結果から、稚魚の全長が9.0mm.(B. gonionotus 孵化後21日目、C. mrigala 孵化後9日目、C. carpio 孵化後9日目)まで成長すると、それ以上の大きさの稚魚はほとんど捕食されないことが示された。

次にコマツモムシ属による捕食対策を立てるための基礎的情報を得る目的で、コマツモムシ(Anisops ogasawarensis)によるメダカ(Oryzias latipes)稚魚の捕食行動を室内の環境下で観察した。コマツモムシは水面付近に最も多く分布した。また待ち伏せ型の捕食行動を示し、メダカ稚魚が追尾圏内(約5cm)に入ると追尾を開始し攻撃を仕掛けた。この追尾の方向は上向きが最も多く記録された。以上の結果は、稚魚が比較的離れている場合には、コマツモムシは腹面にある機械的振動の受容器を使って稚魚を認識し、至近距離においては、視覚的に被食者を認識していると考えられた。

また捕食において視覚がどのように影響しているかを評価するために明暗所(0, 3, 30, 300, 3000Lx)で捕食実験を実施した。明暗所の実験結果から、捕食率は暗所(0Lx)で最も少なく、薄暗い(300Lx)環境で最も多くなった。これはコマツモムシ属の捕食が日中の明るい時間帯に少なく、朝夕の薄暗がり時に多いことを示し、また、夜間の誘蛾灯や民家の明かりが種苗育成池に届くことで捕食リスクが増加することが考えられた。

種苗生産方法の改善

最終章では、コマツモムシによる種苗食害の被害規模について推定し、次いで、コマツモムシ属の対策方法を既往研究から検討した。最後に、これらの知見に基づき、ラオスの種苗生産の改善案を提言した。

第4章の結果から、孵化後3日目の稚魚を注水3日後の育成池に放養した場合、稚魚の適正放養尾数に対して、コマツモムシ属の平均出現個体数から、24時間における放養した稚魚の捕食率はB. gonionotus 4.5%、C. mrigala 17.6%およびC. carpio 20.2%と推定した。この推定値はコマツモムシ属が種苗育成池で無視できない被害を種苗に与えていることを推測させるに十分な値である。従って種苗生産者は稚魚の生残率を上げるために、食害に対して何らかの対策を講じる必要がある。

過去の既往の水生昆虫の対策を検討した結果、既往の食用油や殺虫剤を使った駆除方法はコマツモムシ属の対策としては効果が得られていないこと、また、環境への影響や他の水生昆虫を食料とする食文化を持つラオスにおいては、不適切であることが明らかになった。

コマツモムシ属の対策として、稚魚サイズの捕食実験の結果から稚魚を集約的に9.0mm以上まで育成させてから種苗育成池に放養する方法、行動様式実験の結果から水面で浮遊するコマツモムシと稚魚を遭遇させないよう養殖池の水深を深くとる方法が考えられた。また、照度実験の結果から配慮すべき点として、夜間の照明がある近くの池を種苗育成池としない、また稚魚の放養は午前中の明るいうちに行うことなどが提案された。

さらに放養する稚魚のサイズを9.0mm以上にするために、小型の水槽で集約的な種苗育成を行う費用の試算をした。その結果、投入額に見合う採算性があることが示された。この方法には種苗の餌料生物培養技術の普及や適性放養密度など幾つかの課題が残されているが、これらの課題が克服されれば、インフラ未整備の地域に対しての新しい種苗供給の方法となると思われた。

審査要旨 要旨を表示する

途上国の水産養殖開発には様々な問題があるが、中でも養殖種苗の供給はまず解決しなければならない問題である。途上国では屋外の池に、直接、受精卵や孵化仔魚を放養して天然餌料に依存して種苗を生産することが一般的である。こうした粗放的な種苗生産方法は仔稚魚の生残率が低く、不安定である。仔稚魚の減耗要因の一つとして、食害生物・特に水生昆虫による食害があるが、被害の程度を含めてその実態は必ずしも明らかではない。本研究は、ラオスにおいて、種苗生産者の被害実態の認識・実際の被害の程度を明らかにし、代表的な食害水生昆虫の一つであるコマツモムシ属に着目して、捕食の実態を詳細に観察することによって、途上国において可能な水生昆虫の食害対策の提案を行ったものである。

緒言につづいて第2章では、アンケート調査によって、ラオス全域の種苗機関の水生昆虫による食害の認識を調べた。回答は58機関から得られた。このうち51機関(87.9%)が水生昆虫による食害を主たる減耗要因に挙げた。食害水生昆虫の種類としてはマツモムシを挙げた機関が50件中49件であり、回答の傾向に、地域や機関による差は認められなかった。このことから、マツモムシによる食害がラオス国内で広く認識されている種苗生産の障害要因であることが分かった。

第3章では、実際にラオスの養殖池に出現する稚魚の食害水生昆虫の生息状態を調べた。数日間池を干し上げた後に、1mm目合いのネットでろ過した水を給水し、その後に出現する食害水生昆虫を定量的に採捕した。採捕された食害水生昆虫の内、個体数ではイトトンボ科の幼虫が最も多く、全体の49.4%を占めたが、仔稚魚を捕獲できるサイズではなかった、生体重量では、マツモムシ科の成虫および幼虫が全体の42.9%と占め最も最も多く占めた。そのほとんどはコマツモムシ属の成虫で、十分に仔稚魚を捕獲することが可能な体サイズであった。コマツモムシ属の成虫は、注水後、他の生息域から飛来してきたものと考えられる。その他の水生昆虫は、池干し中に生き残った卵や小型の幼虫が成長してきたものと考えられた。以上のことから、コマツモムシ属が食害水生昆虫として最も大きな被害与える可能性が示された。

第4章では、コマツモムシ属の成虫が様々な条件下で仔稚魚を捕食する様子を観察した。稚魚とコマツモムシ(Anisops bouvieri)を同一水槽内に収容して24時間当たりの斃死個体数を数えたところ、Cirrhinus cirrhosussとCyprinus carpioの斃死個体数は、稚魚の全長が9.0mm(C. cirrhosus 孵化後9日目、C. carpio 孵化後9日目)に達するまで成長すると減少した。実験終了時に平均体長9mmに達したBarbonymus gonionotusでは、日令と捕食数の間に一定の傾向は見られなかった。このことから、コマツモムシの捕食は仔稚魚の体サイズ依存すると考えられた。

次に、コマツモムシ(Anisops ogasawarensis)によるメダカ(Oryzias latipes)稚魚の捕食行動を観察した。コマツモムシは水面付近に最も多く分布し、メダカ稚魚が追尾圏内(約5cm)に入ると追尾を開始し、さらに近距離まで接近すると、瞬発的に攻撃を仕掛けるという待ち伏せ型の捕食行動を示した。追尾時には腹面を稚魚に向けていたが、攻撃時には頭を稚魚に向けていた。以上の観察結果から、コマツモムシは腹面にある機械的振動の受容器を使って身体の近傍に接近した稚魚を認識し、至近距離に接近した後に、視覚的に被食者を認識して攻撃を行うものと考えられた。

次に照度条件を変えて(0, 3, 30, 300, 3000Lx)で捕食実験を実施した。捕食率は暗所(0Lx)で最も少なく、薄暗い(300Lx)環境で多くなったが、3000Lxでは減少した。このことは薄暗がりにおいて、機械的振動受容器を用いたコマツモムシ属の捕食行動が有効に機能するためと考えられた。

第5章では、上記の結果をもとに、1.稚魚を集約的にコマツモムシ成虫が入らない小型水槽で9.0mm以上まで育成させてから種苗育成池に放養する。2.養殖池の水深を深くし、コマツモムシ属と稚魚の遭遇機会を減らす。3.種苗育成池の周辺に街灯等を設置しない。4.日中の明るい時に深場に仔稚魚を放養するという、コマツモムシ属の食害に対する対策を提案した。

以上,本研究は,開発途上国での種苗生産に大きな障害となると考えられるコマツモムシ属の食害の実態を明らかにし、詳細な観察に基づいて対策を提案したものであり、その解析は、今後、開発途上国での種苗生産技術の改良のために、きわめて重要な情報を提供している。よって審査委員一同は本研究を博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/48411