学位論文要旨



No 126951
著者(漢字) 筧,雄介
著者(英字)
著者(カナ) カケイ,ユウスケ
標題(和) イネの鉄栄養調節因子の解析とその制御シス配列検索法の開発
標題(洋)
報告番号 126951
報告番号 甲26951
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3704号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 山川,隆
 東京大学 教授 山根,久和
 東京大学 教授 黒倉,壽
 東京大学 教授 吉村,悦郎
 東京大学 教授 清水,謙多郎
内容要旨 要旨を表示する

第1章 序論

鉄は全ての生物にとって必須な元素である。植物が鉄を吸収しにくい石灰質アルカリ土壌は世界の耕地の25%をも占め、鉄欠乏による作物の収量や質の低下が重大な農業問題になっている。一方、ヒトにおいても鉄欠乏症は深刻な問題であり、WHOによれば、世界の約30億人が鉄欠乏性貧血症と報告されている。植物の鉄栄養制御の分子機構を明らかにすることは、農業分野のみならず、ヒトの健康にとっても重要である。イネ科植物は、金属キレーターであるムギネ酸類を根圏に分泌し、可溶化された錯体として鉄を吸収する。近年、ムギネ酸類の生合成や根からの鉄吸収に関わる遺伝子が数多く単離され、植物の鉄吸収機構は分子レベル、遺伝子レベルで明らかになりつつある。これらの遺伝子の発現は鉄欠乏によって強く誘導される。その発現制御に必須な転写因子やシスエレメントがいくつか明らかにされている。本研究では、イネが合成するムギネ酸類の21-デオキシムギネ酸(DMA)と、ムギネ酸類生合成の前駆体であり、かっ金属の体内移行に不可欠なキレーターであるニコチアナミン(NA)に注目し、根から地上部、種子などへの鉄の長距離輸送との関係を明らかにすることを目的とする。さらに、鉄の長距離輸送や鉄-NA、鉄-DMA錯体の輸送に関わるトランスポーターの機能を解析した。また、鉄欠乏条件下などにおいて遺伝子発現を制御する、新たなシスエレメントを予測するメソッドを開発することを目指した。

第2章鉄の吸収、移行におけるニコチアナミン、デオキシムギネ酸の役割

植物体内のNA、DMAの濃度は低く、従来の測定方法では少量の試料からの検出が難しかった。そのため測定感度の高い新たな分析手法の開発が望まれていた。本研究では、NA、DMAなどにあるアミノ基、ヒドロキシル基を9-fluorenyl methoxycarboxyl chlorideによって誘導体化し、LC/ESI-TOF-MSで測定することによって、これまでの1000倍以上の測定感度をもつ定量法を開発した。この定量法では測定に必要な試料が少なくて済むため、遺伝子組み換え植物の米1粒、導管液10μlように試料の少ない場合でも解析が容易になった。NA合成酵素遺伝子を高発現させた遺伝子組換えイネの種子では、NA濃度だけではなく、DMA濃度が上昇し、さらに鉄濃度も上昇していた。イネ全体におけるNAとDMAの増加により、土壌からの鉄の吸収が増加し、種子へより多く輸送されたためと考えられる。この測定法によって、初めてイネ導管液中のNAを定量することができた。イネを鉄欠乏処理すると二価鉄濃度は急激に減少するのに対し、三価鉄濃度は減少が抑えられた。DMAの濃度は鉄欠乏によって特に顕著に上昇したが、一方、NAの濃度に変化はなかった。鉄欠乏条件下ではDMA濃度の上昇によって、導管液中の三価鉄濃度が維持され、地上部におけるイネの鉄栄養を維持すると考えられた。

第3章イネの新規フェノール性酸排出トランスポーターPEZの解析

導管液中の鉄濃度が低い変異体イネを発見し、その導管液を、第2章で開発した定量法を用いて測定した。NAとDMAの濃度には変化がなかったが、フェノール性物質のプロトカテク酸とカフェ酸の濃度が顕著に低下していた。この変異体では、機能未知されていた排出型トランスポーターPEZ1の遺伝子発現が抑制されていた。アフリカツメガエルの卵母細胞を用いてPEZIがプロトカテク酸を細胞外に輸送することを明らかにした。PEZ1は細胞膜に局在し、導管周辺で遺伝子発現がみられた。また、PEZ1を過剰発現するイネは鉄過剰症状を示した。野生型イネでは根の表面に赤褐色の鉄の沈着が見られるのに対して、PEZ1過剰発現イネでは根における鉄の沈殿は認められなかった。したがって、PEZ1が輸送するフェノール性物質は、鉄を可溶化する。したがってPEZ1は、イネの導管部におけるフェノール性物質の排出トランスポーターであり、導管を介した鉄の輸送に関わる。

第4章イネの鉄錯体トランスポーターOsYSL16の解析

イネの鉄栄養に重要なトランスポーターの候補である、OsYSL16の遺伝子発現解析と機能解析を行った。OsYSL16は鉄欠乏によって遺伝子発現が誘導された。OsYSLI6は細胞膜に局在した。鉄吸収欠損酵母を用いた相補実験により、OsYSL16は「三価鉄一DMA」を輸送することが明らかとなった。031皿16は根の表皮を含めてほぼ全ての組織に発現していた。しかし、花粉では発現が見られず、胚乳での発現も弱かった。地上部では維管束組織で強い発現が観察された。これまでに機能が解析されたOsYSL2、OsYSL15、OsYSL18が篩部で強く発現するのとは異なり、地上部の導管周辺に強い発現が見られた。野生型イネは鉄欠乏処理3週後に植物体全体が鉄欠乏クロロシス症状を示したが、OsYSL16発現抑制イネは枯死した。OsYSL16は土壌からの「三価鉄-DMA」の吸収とともに、導管を介した「三価鉄-DMA」の根から地上部への長距離輸送と、導管から各組織への分配に重要なトランスポーターであると考えられる。

第5章鉄欠乏に応答した遺伝子の発現制御に関わるシスエレメントの予測

同調して発現調節を受ける遺伝子の上流配列に共通してみられる配列を見つけ出し、insilicoで新規シスエレメントを予測するメソッドが10年以上開発されてきた。しかし、これらはいまだに高等真核生物ではほとんど役に立たない。植物における実験によって同定された既知の鉄欠乏応答性シスエレメントも、既存のメソッドでは抽出されてこなかった。本研究ではマイクロアレイ解析の結果を用いて、シスエレメントを予測する新たなメソッドを開発し、MAMA(Microarray associated motif analyzer)と名付けた。このメソッドでは、配列の類似性とマイクロアレイ解析における遺伝子発現プロファイルから導くスコアを基にして、シスエレメントの予測をする。MAMAではシスエレメントをモチーフと呼ぶ配列グループとして予測する。このメソッドをイネ、シロイヌナズナ、ヒトに適用したところ、使用したデータに応じた既知のシスエレメントが抽出され、さらにいくつかの新たなシスエレメント候補が予測された。これらの予測されたモチーフの多くは、それぞれの条件下で発現調節を受けていると考えられる遺伝子の上流で、強い共局在性を示した。さらに、モチーフ間の距離が非常に高く保存されているものがあった。以上から、予測されたモチーフと、そのモチーフ同士の距離が、遺伝子発現の制御に重要であることが示唆された。亜鉛欠乏イネの根のマイクロアレイデータをMAMAに適用した。予測された亜鉛欠乏応答性シスエレメント候補の1つは、今年、亜鉛欠乏応答性シスエレメントであることが証明された。MAMAは高等真核生物の新規シスエレメントの予測ができる実践的なプログラムである。

第6章 総合討論

植物は鉄ホメオスタシスの維持のために、複雑な鉄の吸収・輸送機構を発達させてきたことが明らかになってきている。本研究においてもその機構の巧妙さを裏付けるように、多くの因子が相互に組み合わされている様子がみられた。

イネでは鉄や亜鉛の土壌からの吸収と、種子までの長距離輸送にNA、DMAを用いた機構が存在すると考えられた。長距離輸送の中でも本研究では特に、導管を介した鉄の輸送について多くのことが明らかとなった。イネには導管において「三価鉄-DMA」と、OsYSL16によって鉄を輸送する機構がある。また、フェノール性物質とPEZ1もイネの導管を介した鉄の輸送に重要であることが示唆された。これまでにイネの導管での鉄の輸送にはクエン酸が重要であることが知られており、イネの導管を介した鉄の輸送においてはNA、DMA、フェノール性物質、クエン酸などの様々な金属キレーターが組み合わさって機能することが明らかとなった。

またフェノール性物質は、イネ科以外の植物が根から鉄を吸収する際に重要であることが知られている。イネの根からの鉄吸収に重要であるDMAは導管を介した鉄の輸送にも重要であった。根において土壌溶液中から三価鉄-DMAを吸収するトランスポーターOsYSL15に対して、OsYSL16は導管液から三価鉄-DMAを細胞内に吸収する際に機能すると考えられる。イネの導管を介した鉄輸送に機能するPEZ1についても、根において機能する相同タンパク質が存在する可能性が考えられる。フェノール性物質はイネ科以外の植物の根からの鉄吸収に重要であることは20年以上前に発見されているが、その排出を担うトランスポーターはいまだ見つかっていない。イネ科以外の植物ではPEZ1の相同タンパク質がフェノール性物質を排出する可能性が考えられる。

鉄ホメオスタシスに関わる遺伝子の鉄欠乏に応答した発現のために、いくつかのシスエレメントが重要であることが知られていた。しかし、これらのシスエレメントは誘導性でない遺伝子の上流にも多く存在し、どのような条件で遺伝子が強く発現誘導されるのかはわかっていなかった。既に明らかにされていた3つのエレメントを含め、いくつもの予測シスエレメントが鉄欠乏誘導性遺伝子の上流配列に特異的に、同時に存在しており、さらにそれらの間の距離が共通していた。したがって、鉄欠乏に応答した遺伝子発現の強化では、これらのシスエレメントが複数組み合わさることで下流の遺伝子の発現が制御されることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

鉄欠乏による作物の収量や質の低下は重大な農業問題である。本論文はイネの鉄欠乏耐性を高めるための基礎研究であり、6章からなる。

第1章は序論にあたり、研究の背景と意義を述べたものである。鉄は全ての生物にとって必須な元素である。植物が鉄を吸収しにくい石灰質アルカリ土壌は世界の耕地の25%を占め、鉄欠乏による作物の収量や質の低下は重大な農業問題である。イネ科植物は、金属キレーターであるムギネ酸類を根圏に分泌し、可溶化された錯体の状態で鉄を吸収する。近年、ムギネ酸類生合成や根からの鉄吸収に関わる遺伝子が数多く単離され、植物の鉄吸収機構は分子レベル、遺伝子レベルで明らかになりつつある。これらの遺伝子は鉄欠乏によって発現が誘導される。その発現制御に必須な転写因子や、シスエレメントがいくつか明らかにされている。本研究では、イネが合成するムギネ酸類のデオキシムギネ酸(DMA)と、ムギネ酸類生合成の前駆体であると同時に金属の体内移行に不可欠なキレーターであるニコチアナミン(NA)に注目し、その植物体内の濃度を少量サンプルから調べられる測定法を開発する。さらに、導管を介した鉄の長距離輸送に関わるトランスポーターの機能を解析する。また、鉄欠乏応答に関わる、新たなシスエレメントを予測するメソッドを開発すると述べている。

第2章はニコチアナミン、2´-デオキシムギネ酸の超微量同時分析をしている。植物体内のNA、DMAの濃度は低く、従来の測定方法では少量の試料からの検出が難しい。本研究では、NA、DMAをFMOC-Clによって誘導体化し、LC/ESI-TOF-MSで測定することで、従来の1000倍以上の測定感度を達成した。新規定量法では必要な試料が少なくて済み、遺伝子組換え植物などの解析が容易である。NA合成酵素を高発現させた遺伝子組換えイネの種子ではNA濃度、DMA濃度、鉄濃度が増加した。NAとDMAの増加により鉄の吸収量が増加し、鉄が種子へより効率的に輸送されたと考察している。この測定法によって、初めてイネ導管液中のNAが定量でき、鉄欠乏処理をしたイネ導管液中ではDMA濃度が顕著に上昇した事を示した。

第3章は新規トランスポーターPEZの解析をしている。導管液中の鉄濃度が低い変異体イネを発見し、その導管液を、第2章で開発した定量法を用いて測定した。NAとDMAの濃度には変化がなかったが、フェノール性物質のプロトカテク酸とカフェ酸の濃度が顕著に低下していた。この変異体では、機能未知のトランスポーターPEZ1の発現抑制が起こっていた。PEZ1は細胞膜に局在し、導管周辺に発現する。したがってPEZ1は、イネの導管におけるフェノール性物質のトランスポーターであり、導管を介した鉄の輸送に関わると結論づけている。

第4章は鉄錯体トランスポーターOs YSL16の解析をしている。OsYSL16の遺伝子発現解析と機能解析を行った。OsYSL16は鉄欠乏のイネの根で遺伝子発現が誘導される。OsYSL16は細胞膜に局在し、「三価鉄-DMA」錯体を輸送した。OsYSL16は根と、地上部の維管束組織で導管周辺に発現が見られた。OsYSL16発現抑制植物は鉄欠乏処理3週後に枯死した。以上のことからOsYSL16は根からの鉄の吸収とともに、導管を介した「三価鉄-DMA」の根から地上部への輸送に関わる重要なトランスポーターであると述べている。

第5章は高等真核生物における遺伝子発現制御配列の検索法の開発をしている。本研究ではこれまで不可能だった高等真核生物のシスエレメントを予測する新たなメソッドを開発し、MAMA(Microarray associated motif analyzer)と名付けた。このメソッドでは、配列の類似性とマイクロアレイ解析における遺伝子発現プロファイルから導くスコアを基にして、シスエレメントの予測をする。このメソッドでは鉄欠乏応答に関わる既知の配列が抽出され、同時にいくつかの新たなシスエレメントが予測された。これらの予測されたシスエレメントは、鉄欠乏応答性遺伝子の上流で、強い共局在性を示した。さらに、シスエレメント間の距離が非常に高く保存されていた。以上から、予測されたシスエレメントと、そのシスエレメント同士の距離が遺伝子発現の制御に重要であることを予測している。

第6章は総合討論にあたる。イネの鉄栄養の維持のために、解析された因子が協調的に機能することを述べている。

以上、本研究はイネの鉄欠乏耐性を高めるためにいくつかの因子が協調的に機能することが重要であることを示しており、それらの因子の予測メソッドを含め、学術上、応用上、貢献することが少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値があるものと認めた。

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