学位論文要旨



No 126952
著者(漢字) 南條,楠土
著者(英字)
著者(カナ) ナンジョウ,クスト
標題(和) 魚類の生息場としてのマングローブ水域の機能
標題(洋)
報告番号 126952
報告番号 甲26952
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3705号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 農学国際専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐野,光彦
 東京大学 教授 鷲谷,いづみ
 東京大学 教授 渡邊,良朗
 東京大学 教授 黒倉,壽
 東京大学 准教授 岡本,研
内容要旨 要旨を表示する

マングローブは熱帯や亜熱帯の潮間帯に生育する耐塩性植物の総称であり,河口付近などにマングローブ林と呼ばれる独特な群落を形成する.このマングローブ水域には,砂地などの平坦な水域と比較して,多様な魚類が生息し,それらの個体数も豊富であると言われている.この理由を説明する仮説として,「餌場仮説」と「捕食者からの隠れ場仮説」の2つが提唱されている.前者の仮説は,マングローブの根付近には付着藻類や小型無脊椎動物などが豊富なため,魚類にとって餌場として機能するという考えである.一方,後者の仮説は,マングローブの支柱根などによる複雑な構造や枝葉などによる陰の存在が,小型魚類にとって捕食者からの隠れ場として機能するというものである.この2つの仮説は相反するものではない.このため,マングローブ水域は魚類の餌場や捕食者からの隠れ場として重要であり,多くの魚類が生息できるものと考えられてきた.

しかし,これらの仮説は間接証拠に基づいて主張されており,実際に各機能を直接検証した研究例はほとんどない.近年,マングローブ林は減少の一途をたどっており,その保全は急務の課題である.保全を実施するうえで,魚類の生息場としてマングローブ水域がどのような機能を果たしているのかを明らかにすることは必要不可欠であると考える.

そこで本研究では,魚類の生息場としてマングローブ水域にどのような機能(餌場や捕食者からの隠れ場)があるのかを,野外実験や観察,採集などを行うことによって明らかにすることを目的とした.調査は2008年8月から2010年7月にかけて,沖縄県西表島浦内川の支流域に広がるマングローブ水域において行った.

物理環境

季節(夏8月,秋11月,冬2月,春5月),定点(支流の下流部,中流部,上流部),微細生息場(各定点において,マングローブが生育する河川岸部と,生育しない中央部の砂地)を要因とし,水質(水温,塩分,濁度)と底土の中央粒径値が各要因の水準間においてどのような変動を示すのかを調べた.水温は季節間で変動がみられ,8月に高く,2月に低かった.塩分は定点間で変動し,下流部で高い傾向を示した.また,濁度はすべての季節と定点において低かった.粒径は定点間と微細生息場間に差がみられ,上流部よりも下流部と中流部で大きく,また,河川中央部よりも岸部で小さい傾向にあった.

魚類群集の構造

魚類群集の構造が季節,定点,微細生息場の3つの要因の水準間において,どのように変動するのかを明らかにするために,トランセクト内に出現する魚類の種数,個体数,種組成を目視観察で調べた.その結果,調査域全体で29科85種31,055個体の魚類が観察され,このうちアマミイシモチ,ミヤラビハゼ,スミゾメスズメダイなどが優占していた.トランセクトあたりの魚類の種数と個体数はすべての季節の各定点において河川岸部で多く,中央部には魚類はほとんど出現しなかった.また,岸部における種数と個体数は上流部で少なく,下流部と中流部で多かった.種組成は下流・中流部の岸部と上流部の岸部との間で異なり,また,中央部と岸部の間で大きく異なった.一方,種組成に季節的な変動はほとんどみられなかった.したがって,魚類群集の構造は河川内において空間的に変動し,多くの魚類はマングローブの根付近に分布することがわかった.このような魚類の分布パターンと物理環境との間に明瞭な関係は認められなかった. しかし,魚類を食性グループに分類してみると,優占する食性グループ(底生甲殻類食魚,植食魚,動物プランクトン食魚)の個体数変動は群集全体の変動パターンとよく一致していた.これにより,これらの食性グループの変動が群集全体の空間変動に影響を及ぼしていたことがわかった.

餌場としての機能

マングローブの根付近が魚類の餌場として機能しているかどうかを明らかにするために,餌の現存量が季節,定点,微細生息場の水準間においてどのように変動するのかを調べ,魚類の各食性グループの出現パターンと比較した.その結果,魚類の主要な餌であるカニ類,付着藻類,デトリタス,および多毛類の現存量は,すべての季節と定点において中央部よりも岸部で多かった.また,カニ類と付着藻類は下流部と中流部の岸部で特に多かった.したがって,マングローブの根付近には魚類の餌資源が豊富に存在していることがわかった.さらに,魚類の各食性グループの個体数と餌資源量の関係を調べてみると,魚類群集全体の空間変動に影響を及ぼしていた底生甲殻類食魚と植食魚は,それらの餌(それぞれカニ類と付着藻類)が豊富な場所(下流・中流部の岸部)に多く分布していた.したがって,マングローブの根付近は底生甲殻類食魚と植食魚にとって餌場として機能することが示唆された.これは「餌場仮説」を支持する結果である.

捕食者からの隠れ場としての機能

マングローブの支柱根による複雑な立体構造や林冠部分による陰の存在が,魚類にとって捕食者からの隠れ場として機能しているかどうかを検証するために, 4種類の野外実験(支柱根・構造実験,構造・陰実験,捕食圧実験,構造・捕食圧実験)を行った.

支柱根・構造実験と構造・陰実験では,マングローブの支柱根や林冠といった物理構造を模した人工構造物を作製し,これを実験区とした.支柱根・構造実験においては,支柱根に似せた垂直棒の密度を変えた4タイプを,また,構造・陰実験では,垂直棒と陰の有無の組み合わせを変えた4タイプをそれぞれ実験区として用いた.両実験において,各タイプの実験区を河川岸部に設置し,実験区内に出現する魚類の種数と個体数を目視観察で調べた.その結果,実験区で観察された魚種は周辺のマングローブ水域で優占的に出現する種ばかりであった.実験区に出現した魚類の種数と個体数は,垂直棒の密度の高い区ほど多く,逆に垂直棒のない砂地区では魚類はほとんど観察されなかった.また,陰そのものに選好する魚類はほとんどいなかった.したがって,支柱根の立体構造とその密度は,魚類が生息場所を選定するうえで重要であることが明らかとなった.

次に,マングローブが生育する河川岸部と生育しない中央部との間で,捕食による小型魚類の死亡率を比較した(捕食圧実験).この実験は小型魚類を糸につないで野外に放置し,捕食者にどの程度捕食されるかを調べるものである.実験には,構造物に依存し,岸部にのみ分布するアマミイシモチと,中央部にも分布するセダカクロサギとミナミヒメハゼの3種の稚魚を用いた.その結果,アマミイシモチの死亡率は中央部よりも岸部で低かった.一方,セダカクロサギとミナミヒメハゼでは死亡率に差がみられなかった.これは,各種が異なる対捕食者戦略をもつためであると推察される.捕食者が攻撃してきた場合,アマミイシモチは支柱根の内部に逃げ込むなど,構造物を利用して逃避する.この戦略は岸部でのみ有効であると思われる.一方,セダカクロサギはすばやく泳いで逃避する魚種である.また,ミナミヒメハゼは砂地の色に似せた体色(隠蔽色)をもつことで身を隠し,捕食リスクを低下させている.これら2種の戦略は岸部と中央部の両方で有効であると考えられる.したがって,構造物を対捕食者戦略に用いる種にとって,支柱根の立体構造は捕食者からの隠れ場として機能することが実証された.一方,岸部と中央部の両方に分布する種においては,構造物を必要としない対捕食者戦略をもつことが示唆された.

さらに,支柱根の密度の違いが小型魚類への捕食圧にどのような影響を及ぼすのかを明らかにするために,垂直棒の密度の異なる実験区(4タイプ)を河川岸部に設置し,各実験区内において捕食圧実験を行った(構造・捕食圧実験).実験には構造物に依存するアマミイシモチの稚魚を用いた.その結果,稚魚の死亡率は実験区のタイプ間で異なり,密度の高い区は砂地区や密度の低い区よりも低かった.したがって,支柱根の密度の高い場所は,構造物を対捕食者戦略に用いる魚種にとって,捕食者からの隠れ場として有効に作用することが判明した.これらの結果は「捕食者からの隠れ場仮説」を支持するものである.

以上より,本研究の結果を総合すると,本調査地のマングローブ水域においては,「餌場仮説」と「捕食者からの隠れ場仮説」の両方が支持された.したがって,マングローブの根付近は魚類にとっての餌場,および捕食者からの隠れ場としての両方の機能を有することが実証された.

しかし,岸部の隠れ場としての機能については,構造物に頼らない対捕食者戦略をもつ魚種に対して,その効果はほとんど認められなかった.これらの魚種にとって,岸部はあくまでも餌場の一部として機能していた.これにより,餌場と捕食者からの隠れ場としての機能のうち,どちらが相対的に重要であるのかは,魚種によって異なるということが考えられた.

近年,エビ養殖場の建設などに伴うマングローブの伐採によって,マングローブ林の面積は世界各地で急速に縮小している.マングローブ水域は地域住民の重要な漁場のひとつとなっており,そこに生息する多くの魚類が重要な水産資源として利用されている.本研究により,マングローブ水域では,根の立体構造によって複雑な空間が創出され,そこには様々な魚類に対する餌場や隠れ場が形成されることが判明した.これによって,多くの魚類が生息可能となり,その種多様性も高く保たれているものと考えられる.したがって,マングローブ水域の保全は魚類資源の持続的な利用とともに,生物多様性を維持するためにも重要であり,早急に実施される必要がある.

審査要旨 要旨を表示する

熱帯や亜熱帯の河口付近にはしばしばマングローブ林が形成される.このマングローブ水域には,砂地などの平坦な水域と比較して,多様な魚類が生息し,それらの個体数も豊富であると言われている.この理由としては,マングローブの支柱根などによる複雑な立体構造が魚類にとっての餌場や,捕食者からの隠れ場として機能するためであると考えられている.しかし,これらの仮説は間接証拠をもとに主張されており,実際に各機能を直接検証した研究例はほとんどない.近年,マングローブ林は減少の一途をたどっており,その保全を実施するためにも,魚類の生息場としての機能を明らかにする必要がある.そこで本研究では,魚類の生息場として,マングローブ水域にどのような機能(餌場や捕食者からの隠れ場)があるのかを,野外実験などを行うことによって明らかにすることを目的とした.調査は沖縄県西表島浦内川の支流に広がるマングローブ水域で実施した.

まず,魚類群集の構造を明らかにするために,季節(夏8月,秋11月,冬2月,春5月),定点(支流の下流部,中流部,上流部),微細生息場(各定点において,マングローブが生育する河川岸部と,生育しない中央部の砂地)を要因とし,魚類の種数,個体数,種組成が各要因の水準間においてどのように変動するのかを目視観察で調べた.その結果,魚類の種数と個体数はすべての季節の各定点において河川岸部で多く,中央部には魚類はほとんど出現しないことがわかった.また,岸部における種数と個体数は上流部で少なく,下流部と中流部で多かった.種組成は下流・中流部の岸部と上流部の岸部との間で異なり,また,中央部と岸部の間で大きく異なった.したがって,魚類群集の構造は河川内において空間的に変動し,多くの魚類がマングローブの根付近に分布することがわかった.

次に,餌場としての機能を明らかにするために,餌の現存量が上述の各要因の水準間においてどのように変動するのかを調べ,それらを魚類の食性グループの出現パターンと比較した.その結果,魚類の主要な餌であるカニ類,付着藻類,デトリタス,および多毛類の現存量は,すべての季節と定点において中央部よりも岸部で多かった.また,カニ類と付着藻類は下流部と中流部の岸部で特に多かった.さらに,個体数で優占していた底生甲殻類食魚と植食魚は,それらの餌(カニ類と付着藻類)が豊富な下流・中流部の岸部に多く分布していた.したがって,マングローブの根付近は底生甲殻類食魚と植食魚にとって,餌場として機能することが示唆された.

続いて,捕食者からの隠れ場としての機能を明らかにするために,4種類の野外実験(支柱根・構造実験,構造・陰実験,捕食圧実験,構造・捕食圧実験)を行った.支柱根・構造実験と構造・陰実験では,支柱根の立体構造に似せて垂直棒を立てた実験区を野外に設置し,その様式(垂直棒の密度,および垂直棒と陰の有無)を変えることで,各実験区に出現する魚類がどのように異なるのかを調べた.その結果,出現した魚類の種数と個体数は垂直棒の密度の高い区ほど多く,逆に垂直棒のない区では魚類はほとんど観察されなかった.また,陰に選好する魚類もほとんどいなかった.したがって,支柱根の立体構造とその密度は,魚類が生息場所を選定するうえで重要であることがわかった.

次に,小型魚類を糸につないで岸部と中央部に放置し,それらの被食死亡率を算出することで捕食圧を推定した(捕食圧実験).実験には,岸部と中央部に分布するセダカクロサギとミナミヒメハゼ,および構造物に依存し,岸部のみに分布するアマミイシモチを用いた.その結果,アマミイシモチの死亡率は岸部で有意に低かったが,他の2種においては差がみられなかった.さらに,構造・捕食圧実験において,垂直棒の密度の高い区ではアマミイシモチへの捕食圧が低かった.これらの結果より,支柱根の立体構造はそれに依存する魚種に対しては捕食者からの隠れ場として機能するものの,あまり依存しない種においては効果がほとんどないことがわかった.さらに,隠れ場としての機能は支柱根の密度が高いほどより有効に作用することが示唆された.

以上より,本研究の結果を総合すると,本調査地においては,マングローブの根付近は魚類にとっての餌場,および捕食者からの隠れ場としての両方の機能を有することが実証された.しかし,隠れ場としての機能については一部の魚種に対してその効果はほとんど認められなかった.これにより,餌場と捕食者からの隠れ場としての機能のうち,どちらが相対的に重要であるのかは,魚種によって異なるということが考えられた.これらの成果は,マングローブ水域の保全や管理に関する今後の研究の発展に寄与すると考えられる.したがって,審査委員一同は,本論文が博士(農学)の学位論文として価値のあるものと認めた.

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