学位論文要旨



No 126959
著者(漢字) 村本,玄紀
著者(英字)
著者(カナ) ムラモト,ヒロキ
標題(和) ゲノム転移因子と胚性幹細胞エピゲノム構築に関する研究
標題(洋)
報告番号 126959
報告番号 甲26959
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第3712号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 応用動物科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 塩田,邦郎
 東京大学 教授 千田,和広
 東京大学 特任教授 八木,慎太郎
 東京大学 准教授 田中,智
 東京大学 准教授 武内,ゆかり
 東京大学 准教授 杉浦,幸二
内容要旨 要旨を表示する

序論

エピジェネティクスとは、「塩基配列の変化を伴わず、細胞世代を超えて継承される遺伝子機能の変化、またはこの現象を研究する学問分野」として定義される。近年、特にヒト、マウスのゲノム配列が解読されて以降、精力的に研究が進められ、「エピジェネティクス」に関わる様々な分子機構が明らかにされてきた。エピジェネティックな分子機構のなかで、DNAメチル化およびピストン修飾は、ゲノムの複製時において、複製に共役して修飾情報を娘細胞へと伝える機構があることから、最も根本的なエピジェネティック情報であると言える。DNAのメチル化修飾とは、哺乳類ゲノムにおいては、主にシトシンとグアニンが並び合った配列(CpGと配列と呼ばれる)のシトシン塩基の5位にメチル基が付加される化学修飾である。一方ピストン修飾とは、クロマチンを構成するコアヒストンH2A、H2B、H3、H4が翻訳後修飾を受ける現象である。多くのピストン修飾は、ヒストンテールと呼ばれるピストンのN端におこる。これまでにアセチル化、メチル化、リン酸化、ユビキチン化など様々な修飾が知られている。

DNAメチル化プロフィールとは、ゲノム全体に存在するT-DMRのメチル化状態の組み合わせのことである(Shiota,2004)。各T-DMRのメチル化状態は細胞・組織の種類に依存して異なっていることから、それらを組み合わせたDNAメチル化プロフィールは細胞・組織に固有である。

ES細胞は、胚盤胞の内部細胞院より樹立された培養細胞である()。ES細胞は分化多能性を有し、胎仔を構成する全ての種類の細胞へ分化する能力を有する。分化多能性には様々なクロマチン修飾因子や、転写因子が関わることが明らかになっている。例えば、DNAメチル基転移酵素(DNMT)を欠損したES細胞は、分化する能力を持たない。

哺乳類ゲノムの特徴として、反復配列が約半分をしめていることが挙げられる。哺乳類ゲノム中の反復配列として最もゲノム中に多いものはトランスポゾンである。哺乳類ゲノム中のほとんどの転移因子はメチル化修飾がなされている。転移因子はDNAメチル化修飾により転写が阻害されることから、生体中においてもDNAメチル化修飾はこれらの因子の転写制御に関わると考えられている。このことから、DNAのメチル化は、転移因子というゲノム中の「寄生因子」に対する防御システムであるという考えが提唱されている。

本研究は、ES細胞特異的なT-DMR焦点を当て、T-DMRとトランスポゾンの関係を明らかにすることを目的とする。第一章において、遺伝子プロモーター領域のT-DMRについて、周囲のトランスポゾンの分布を解析した。第二章においては、第一章の結果をもとに染色体全域を対象にして、T-DMRとトランスポゾンの関係を明らかにした。

第一章

遺伝子プロモーター領域に焦点を当て、ES細胞で低メチル化状態にあるT-DMRを有する遺伝子(ES hypo遺伝子)周辺のゲノム配列を解析した。本章における研究では、反復配列のなかでもSINE配列にのみ認められる傾向として、ES hypo遺伝子周辺領域において密度が高いことを明らかにした。ECATに着目した解析からも、ECAT遺伝子のなかでES細胞において低メチル化状態にあるT-DMRを持つものはSINE配列密度の高い領域に存在することを示した。さらに、ES細胞に必須な転写因子の標的遺伝子に対する解析から、周囲のSINE配列密度が比較的高い標的遺伝子のなかでもES低メチル化T-DMRを有する遺伝子の周囲は有意にSINE配列密度が高かった。ES hypo遺伝子周囲のSINE配列は、遺伝子の転写因子を中心とする分布を示した。このことは、SINE配列が積極的にES hypo遺伝子の周辺に増えていったことを示唆している。以上の結果より、周囲のSINE配列密度が高いことはES hypo遺伝子に認められる特有の性質であることが示唆された。

第二章

染色体全領域におけるES細胞特異的メチル化修飾と反復配列の関係を明らかにすることを目的に、第6、8、18染色体全域を対象としたD-REAM解析を行った。その結果、同定したEs細胞特異的低メチル化T-DMR(Es hypo T-DMR)には、周囲のslNE配列密度が高く、LINE配列密度が低い傾向が認められた。Es hypo T-DMRの約6割がSINE配列密度の高い上位2割の領域に存在し、約8割がslNE配列密度の高い上位4割の領域に存在した。このEs hypo T-DMRと周辺領域のSINE密度の関係は遺伝子領域・非遺伝子領域ともに認められたことから、ES hypoT-DMRは遺伝子領域・遺伝子間領域を問わず、SINE配列が豊富なゲノム領域(ドメイン)に集中していることが明らかになった。SINE配列密度の高いドメインに着目した解析から、ES hypoT-DMRのなかでもSINE配列密度の高いドメインに存在するものほど転写に関連するクロマチン関連因子がよく結合し、転写が活性な領域にみられるピストン修飾が認められ、さらに分化後には転写の不活性な核内領域である核膜との相互作用頻度が上昇する傾向を示した。以上より、ES細胞特異的な低メチル化は、SINE配列密度の高いドメイン中のゲノム領域を主な標的とするエピジェネティック制御機構であることが明らかになり、さらに、SINE配列密度の高いドメインにおいてクロマチン関連因子の結合・ピストン修飾・核内における位置という他の機構とともにES細胞特異的なエピジェノム形成に関わることが示唆された。

総合討論

哺乳類ゲノムには、細胞・組織特異的にメチル化される領域(T-DMR)が多数存在する。一方で、ゲノムの半数は、どの細胞組織においてもメチル化修飾をうけるトランスポゾンによって占められている。T-DMRとトランスポゾンがどのように染色体上で存在しているのかは、ゲノム全体のエピジェネティック制御を理解するために重要である。本研究では、第一章における遺伝子プロモーター領域に存在するES細胞特異的T-DMRに焦点を当てた解析から、ES細胞特異的低メチル化T-DMR(ES hypo T-DMR)をプロモーターに有する遺伝子周辺領域においては、トランスポゾンのSINE配列が有意に多く存在することを明らかにした。SINE配列の占める割合は少なくとも転写開始点前後300kbに渡り高い傾向にあった。さらに第二章において染色体全域を対象にした解析により、ES hypo T-DMRは遺伝子領域、遺伝子間領域に関わらずSINE配列密度が高いゲノム領域に存在することが明らかになった。SINE配列が占める割合が高い上位4割のゲノム領域に、8割のES hypo T-DMRが存在した。他の種類のトランスポゾンであるLINE配列やLTR配列にはEs hypo T-DMR周辺に多く存在する傾向はなかった。これらの結果から、染色体全域に存在するEs hypo T-DMRの特徴として、SINE配列が多いゲノム領域に偏って存在することを明らかにした。

審査要旨 要旨を表示する

哺乳類ゲノムの遺伝子領域には細胞・組織に依存的にメチル化されるDNA領域(tissue-dependent and differentially methylated region、T-DMR)が存在しており、多くの場合、DNAメチル化は抑制型のヒストン修飾と相まって遺伝子はサイレントとなり、逆に、発現可能な遺伝子領域のT-DMRは低メチル化で遺伝子発現型のヒストン修飾となっていることが知られている。一方、DNAは非ヒストン核タンパクや核内膜のラミン等との相互作用を通じて、直径約十μmの核内に機能性秩序を持って収納され、核内での配置が遺伝子発現と密に関係しており、いわゆる染色体テリトリーが形成されていることが提唱されている。

近年、胚性幹細胞(ES細胞)において数千に及ぶ特有の低メチル化T-DMR(ES hypo T-DMR)が遺伝子プロモーター領域を中心に特定された。ES hypo T-DMRを有する遺伝子(群)はES細胞でのみ発現し、他の分化体細胞では抑制される。DNAメチル化とヒストン修飾などのエピジェネティック修飾により、ゲノム利用の使い分けが起こり、細胞の多様性が生じているのである。遺伝子間領域は繰り返し配列が主体で、転移因子がその大部分を占める。通常、分化体細胞では繰り返し配列や転移因子は高度にメチル化されているとされるが、各ES hypo T-DMR周辺の配列についての解析は無い。

ES細胞でも転移因子がメチル化されているとすればES hypo T-DMRには他の領域と異なる配列があっても不思議は無い。逆に、転移因子もES hypo T-DMRと共に低メチル化になるとすれば、転移因子自体にES hypo T-DMRが存在することになる。少なくとも、転移因子は真核細胞ゲノムを構成する主要な配列であり、真核生物の進化の原動力の1つと考えられる。ゲノムのエピジェネティクス制御と進化の観点から、ES hypo T-DMRのエピジェネティクスの状況の成立と転移因子を含む配列情報との関係は興味深い。

本論文は、2章よりなる。第一章ではメチル化感受性制限酵素感受性とマイクロアレイによるT-DMRプロファイル解析法(D-REAM)により遺伝子プロモーター領域に焦点を当てた解析が行われ、ES hypo T-DMRの周辺にはSINE配列が多く、LINE配列が少ないという特徴が明らかになった。SINE配列が多い傾向は、ES hypo T-DMRを持つ遺伝子の転写開始点の前後少なくとも300kbにわたって認められた。ゲノム中には複数のES hypo T-DMRが存在する、1 Mb以上にわたりSINE配列が多いゲノムドメインも発見された。ES hypo T-DMR周辺のSINE配列はCpG配列が豊富であり、SINE配列の特定サブファミリーに属することも分かった。さらに興味深いことは、ES細胞特有の遺伝子クラスターを形成するDppa3遺伝子領域ではSINE配列自体が低メチル状況にあった。すなわち、通常、分化体細胞で高メチル化により抑制されているが、ES細胞では抑制を免れているSINE配列が存在し、これらSINE配列ごと低メチル化になっていたのである。このことは、繰り返し配列(SINE配列)にもT-DMR が存在することを示しており、ES細胞で遺伝子領域のT-DMRと共に転写可能な状況が出来上がっているのである。このことは、ES細胞あるいはおそらく初期胚では特定のSINE配列は転移可能なことも示唆している。

第二章では、D-REAMにより第6、8、および16染色体の全域が解析された。その結果、ES hypo T-DMRは遺伝子間領域にも存在し、その周辺はSINE配列密度が高い傾向にあることが判明した。さらに、ES hypo T-DMRは染色体上でSINE配列が豊富なゲノムドメインに集中して存在した。したがって、ES細胞の染色体レベルでの特徴としてES hypo T-DMRは、単に遺伝子単位のエピジェネティクス発現制御の観点を超え、ゲノムの核内構造として注目しなければならなくなる。データベースを用いてクロマチン関連因子との結合領域を調べたところ、特にSINE配列密度の高いドメインに存在するES hypo T-DMRで、クロマチン関連因子が結合することが示され、さらに、転写促進型のヒストン修飾も認められることが明らかになった。さらに、染色体構造との関連を探る目的で、既報の核ラミン結合情報との関連を追及したところ、ES hypo T-DMRは分化に伴い、転写の不活性な核内領域である核膜との相互作用頻度が上昇する傾向を示した。

核内は高度に区画化されており、核内で転写が行われるのは、転写ファクトリーとよばれる核内空間に限られる。ES hypo T-DMRがSINE配列密度の高い染色体領域に集中し、さらにSINE配列密度の高い領域に存在するES hypo T-DMRほど核内高次構造に関わる因子がよく結合することは、ES hypo T-DMRを空間的にまとめて制御することに繋がる。遺伝子領域と遺伝子間領域のDNA配列情報(SINE配列)とES hypo T-DMRの形成が、転写ファクトリー構築に寄与している可能性が示された。転移因子SINE配列のゲノム制御に果たす役割は、SINE配列の新たな進化における役割を浮上させた。

以上、これらの発見は遺伝子制御の基礎として重要であるばかりでなく、生物の進化に新たな視点を提供している。よって、審査委員一同は、本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/49083