学位論文要旨



No 126960
著者(漢字) 李,秀貞
著者(英字)
著者(カナ) イ,スジョン
標題(和) 犬の乳腺腫瘍の転移における血管新生およびリンパ管新生に関する研究
標題(洋) Studies on angiogenesis and lymphangiogenesis in the metastasis of canine mammary gland tumor
報告番号 126960
報告番号 甲26960
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3713号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐々木,伸雄
 東京大学 教授 辻本,元
 東京大学 教授 中山,裕之
 東京大学 教授 西村,亮平
 東京大学 准教授 望月,学
内容要旨 要旨を表示する

血管新生は癌の増殖と転移を促進させる重要な要因であり、そこには血管内皮増殖因子(VEGF)が深く関与することが知られている。一方、リンパ管は血漿容積や血漿タンパク質の維持機構を介して、内部環境の恒常性保持や免疫系の制御にも重要な役割を果たしているが、腫瘍においてもリンパ管新生を通じて癌細胞の転移に関与すると考えられている。

チロシンキナーゼの一つであるVEGFファミリーにはVEGF-A~Eなどがあり、VEGF受容体(VEGFR1、VEGFR2、VEGFR3)に結合すると活性化し、脈管の形成・増殖・分化を制御のみならず、癌などの重篤な疾患における病的脈管新生にも関与する。VEGFの過剰発現は腫瘍の血管、リンパ管の増生や転移と関連し、また腫瘍の進行や予後に相関することが、人の乳癌、大腸癌、胃癌、肺癌などで報告されている。

一方、最近では腫瘍の血管新生やリンパ管新生と腫瘍関連マクロファージ(TAM)などの免疫細胞との関連も注目され、腫瘍増殖との関連や機序の解明が進んでいる。

血管新生の中心的な分子機構はVEGF-AとVEGFR2、リンパ管新生の中心的な分子機構はVEGF-CとVEGFR3であると言われているが、これらの作用が正常組織と腫瘍組織では異なること、また他の増殖因子との関係や癌細胞が存在する微小環境からの影響も異なる可能性があり、いまだ不明な点は多い。

犬の乳腺腫瘍は犬で最も多い腫瘍であり、その約50%が悪性であると報告されている。また、良性の乳腺腫瘍の犬でも、その後に異なった細胞型の悪性乳腺腫瘍の発現する危険度は3倍以上と言われている。悪性乳腺腫瘍の25~50%は,手術以前にすでに転移がみられるが、これらの転移はリンパ管行性転移と考えられており、その機構の解明は将来の乳腺腫瘍治療においても重要な観点である。

しかし、犬の乳腺腫瘍における血管やリンパ管新生と遠隔転移や予後との関連はほとんど研究されておらず、またそれらとVEGF-AやVEGF-Cの発現との関連に関する報告は少ない。

そこで本研究では、実際の症例犬から摘出した犬の乳腺腫瘍組織材料、および犬の乳腺腫瘍細胞株とそのヌードマウス移植モデルを用い、犬の乳腺腫瘍におけるVEGF-A やVEGF-Cの発現と腫瘍の悪性度との関連、さらには血管新生やリンパ管新生との関連について多面的に検討した。

第1章:犬乳腺腫瘍組織におけるVEGF-AおよびVEGF-Cの発現と悪性度の関係

犬乳腺腫瘍の25症例の外科的摘出材料(原発病巣:n=49)と正常乳腺組織(n=5)を用い、それらの組織におけるVEGF-AとVEGF-Cの発現を免疫組織化学法によって検討した。さらに、Ki-67に陽性な細胞数から算出した腫瘍増殖率(PI)とIba1陽性細胞数をマクロファージ数として測定し、これらの値と腫瘍の組織型や悪性度ならびに生存率などとの関係を調べた。

その結果、乳腺癌組織では、正常乳腺組織、過形成、乳腺腫、良性混合腫瘍と比較して有意に高いVEGF-Aの発現とPIが見られた。また、VEGF-Aの高い発現を示す組織を有する症例では生存率が有意に短く、予後とも有意に相関することが認められた。さらに、VEGF-Aの発現はPIとIba1陽性細胞数と有意に相関した。一方、VEGF-Cの発現は組織の悪性度やPI値と関連せず、また症例の予後とは相関はなかった。しかし、直径が3cm 以下の腫瘍では有意に高いVEGF-C発現が認められたため、腫瘍発生初期はVEGF-Cが関連する可能性も考えられた。また、良性混合腫瘍組織ではIba1陽性細胞数が有意に高く、筋上皮細胞の増殖を特徴とする良性混合腫瘍とマクロファージの関係について今後検討する価値があると考えられた。

第2章:イヌの乳腺腫瘍細胞株のヌードマウス移植モデルにおける血管行性転移とリンパ管行性転移

第2章ではヌードマウスモデルを用いた以下の4つの実験を行った。

実験1としては、自然発症症例から樹立し、クローン化したイヌの乳腺腫瘍細胞株であるCHMp-5bとCHMp-13aを用い、これらの細胞におけるVEGF-AとVEGF-CのmRNAとタンパク質の発現を検討した。その結果、両細胞株ともVEGF-AおよびVEGF-Cを発現したが、そのレベルはVEGF-AがVEGF-Cよりはるかに高かった。また、CHMp-5b細胞株についてはVEGF-Aが、CHMp-13a細胞株ではVEGF-Cがより高い発現を示した。

実験2として、CHMp-5bとCHMp-13aの1 ×107の細胞をヌードマウスの乳腺組織に移植し、腫瘍を形成させ、マウスモデル作製し、細胞株移植後、1週から6週まで毎週、経時的に観察した結果、CHMp-5b 細胞株からはsolid carcinoma、CHMp-13a細胞株からはtubulopapillary carcinomaが発生した。また、CHMp-5b移植群ではCHMp-13a移植群と比較して原発巣のPIが有意に高く、かつリンパ節や肺への転移がより多く認められたことから、本細胞がより高い悪性度を持つと考えられた。また、CHMp-5b移植群では、肺転移巣のPIが原発巣やリンパ節転移巣より有意に低く、リンパ節転移巣の細胞増殖は原発巣との差は見られないが、肺転移巣における細胞増殖は原発巣より低いことが示唆された。

実験3では、CHMp-5bとCHMp-13aのマウス移植モデルに発生する原発巣や転移巣におけるVEGF-AとVEGF-Cの発現を調べた。VEGF-AとVEGF-C遺伝子の発現についてはリアルタイムPCRを、たんぱく質の発現に関してはwestern blot法と免疫組織化学方法を実施した。リアルタイムPCRの結果、両移植群の原発巣にはVEGF-AおよびVEGF-Cのいずれもが発現したが、そのレベルは両細胞における発現パターンと同様、VEGF-CよりVEGF-Aがはるかに高かった。免疫組織化学法による原発巣のVEGF-AとVEGF-Cの発現は腫瘍細胞の細胞質に見られた。それらの発現とCHMp-5bとCHMp-13a移植による腫瘍の増殖と相関する傾向にあり、経時間的な増加を示したが、両細胞移植群間の有意な差は認められなかった。さらにこれらの発現はリンパ節や肺の転移巣で原発巣より低い値を示した。

実験4では、CHMp-5bとCHMp-13aのマウス移植モデルの原発巣や転移巣における血管新生やリンパ管新生の経時的変化を調べ、VEGF-A、VEGF-C発現との関連を検討した。血管新生とリンパ管新生については、血管マーカーであるCD31とリンパ管マーカーであるLYVE1に対する免疫組織化学法を用い、腫瘍組織内部と周囲の血管密度とリンパ管密度として測定した。

より悪性度の高いCHMp-5b移植群では、CHMp-13a移植群に比較し、原発巣において有意に高い腫瘍内部の血管新生および腫瘍周囲のリンパ管新生が認められた。また、原発巣のVEGF-Aの発現と腫瘍内部や周囲の血管新生ならびに腫瘍周囲のリンパ管新生との間に有意な正の相関関係が認められた。しかし、VEGF-Cの発現と血管新生やリンパ管新生との間には有意な相関は見られなかった。一方、CHMp-13a移植群では原発巣のVEGF-AとVEGF -Cの発現と腫瘍周囲の血管新生やリンパ管新生との間に有意な相関関係が見られた。

他方、CHMp-5b移植群では、肺転移がみられない腫瘍発生初期の時点ですでに、肺実質のリンパ管新生の増加が認められた。このリンパ管新生の増加は原発巣のVEGF-AとVEGF-Cの発現とも有意な相関関係を示したことから、原発巣のVEGF-AとVEGF-Cの発現が肺のリンパ管新生やその後の肺転移への進展と関連する可能性が示唆された。

以上の成績から、犬の乳腺腫瘍ではVEGF-Aは組織学的悪性度の高い乳腺癌により高く発現し、また、その発現の高い症例ほど予後の悪いことが示された。さらに乳腺癌から樹立した細胞株のヌードマウス移植モデルにおいて、増殖率の高い、より悪性な細胞株の移植によって発生した腫瘍原発巣でVEGF-Aの発現が高く、かつその発現と腫瘍内部や周囲の血管新生ならびにリンパ管新生とが有意に相関した。これらの結果は、VEGF-A が血管やリンパ管新生を介して腫瘍の増殖や転移に寄与することを示しており、さらにVEGF-Aは本症の有力な予後判定指標になりうるものと考えられた。一方、VEGF-Cとリンパ管新生に関しては、必ずしも明確な関係が見出せなかったが、腫瘍発生初期あるいは転移機序に何らかの関連を示すものと考えられ、今後検討すべき課題と考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

血管新生やリンパ管新生は癌の増殖と転移を促進させる重要な要因であり、そこには血管内皮増殖因子(VEGF)が深く関与する。現在までに、人の乳癌、大腸癌、胃癌、肺癌などにおいて、VEGFの過剰発現が腫瘍の血管、リンパ管増生や転移と関連し、腫瘍の悪性度や予後因子になることが報告されている。

犬の乳腺腫瘍は雌犬で最も多い腫瘍であり、その約50%が悪性である。本腫瘍ではしばしば転移が見られるが、転移や悪性度と血管新生、リンパ管新生との関連や予後との関連についてはほとんど研究されていない。

そこで本研究では、実際の症例犬から摘出した犬の乳腺腫瘍組織および犬の乳腺腫瘍細胞株のヌードマウス移植モデルを用い、本腫瘍におけるVEGF-A やVEGF-Cの発現と腫瘍の悪性度や転移との関連、ならびにそれらと血管新生やリンパ管新生との関連について検討した。

序論に続き、第1章では、犬乳腺腫瘍組織におけるVEGF-AおよびVEGF-Cの発現と悪性度の関係について、25症例から外科的に摘出した原発病巣(n=49)と正常犬の乳腺組織(n=5)におけるVEGF-AとVEGF-Cの発現を免疫組織化学によって検討した。さらに、Ki-67陽性細胞数から算出した腫瘍増殖率(PI)も測定し、これらの発現との関係を調べた。その結果、乳腺癌組織では、正常乳腺組織や良性腫瘍と比較して有意に高いVEGF-Aの発現とPIが見られた。また、VEGF-Aの高発現組織を有する症例では生存率が有意に短かった。一方、VEGF-Cの発現は組織の悪性度、PI値、予後と関連しなかったが、腫瘍発生初期に有意に高い発現が見られた。

そこで第2章では、2つの犬乳腺腫瘍細胞株(CHMp-5b,CHMp-13a)のヌードマウス移植モデルを用い、VEGF発現と血管新生、リンパ管新生との関連を検討した。

まず、実験1として、両細胞のVEGF-AとVEGF-CのmRNAとタンパク質の発現を検討した結果、両細胞株ともVEGF-AおよびVEGF-Cを発現したが、そのレベルはVEGF-AがVEGF-Cよりはるかに高かった。

次に実験2として、CHMp-5bとCHMp-13a移植マウスモデルを作製し、移植後6週まで経時的に観察した。その結果、CHMp-5b移植群ではCHMp-13a移植群と比較して原発巣のPIが有意に高く、かつリンパ節や肺への転移がより多く認められたことから、本細胞がより高い悪性度を持つと考えられた。

実験3では、本マウス移植モデルの原発巣や転移巣組織におけるVEGF-AとVEGF-Cの発現を調べた。その結果、原発巣にはいずれもVEGF-AおよびVEGF-C mRNA発現したが、そのレベルは両細胞における発現パターンと同様、VEGF-CよりVEGF-Aがはるかに高かった。免疫組織化学では、VEGF-AとVEGF-Cの発現は腫瘍増殖能と相関する傾向にあり、経時間的な増加を示した。

実験4では、マウス移植モデルの原発巣や転移巣における血管新生(マーカーはCD31)とリンパ管新生(マーカーはLYVE1)の経時的変化を調べ、VEGF発現との関連を検討した。その結果、CHMp-5b移植群では、CHMp-13a移植群に比較し、原発巣において有意に高い腫瘍内部の血管新生および腫瘍周囲のリンパ管新生が認められた。また、原発巣のVEGF-Aの発現と腫瘍内部や周囲の血管新生ならびに腫瘍周囲のリンパ管新生との間に有意な正の相関関係が認められた。さらに、これらの移植群では、肺転移が見られる前に既にリンパ管新生が増加し、これが原発巣のVEGF-A, -C発現と相関することから、これらが転移促進に関与する可能性が示唆された。一方、CHMp-13a移植群では原発巣のVEGF-AとVEGF -Cの発現と腫瘍周囲の血管新生やリンパ管新生との間に有意な相関関係が見られた。

以上の成績から、犬の乳腺腫瘍ではVEGF-Aは組織学的悪性度の高い乳腺癌により高く発現し、かつ増殖能や予後と関連すると考えられた。さらにマウスモデルでは、VEGF-Aの発現が腫瘍の血管ならびにリンパ管新生と有意に相関した。これらの結果は、VEGF-A が血管やリンパ管新生を介して腫瘍増殖や転移に寄与し、さらにVEGF-Aが本症の有力な予後判定指標になりうることを示唆した。VEGF-Cに関しては腫瘍発生初期ならびに転移との関連を追及する価値があると考えられた。

以上要するに、本論文は犬の乳腺腫瘍におけるVEGFの発現が血管新生やリンパ管新生を介して悪性度や転移に関与し、予後の指標となることを示したものであり、学術上、臨床上その貢献するところは少なくない。よって審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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