学位論文要旨



No 126962
著者(漢字) 藤澤,彩乃
著者(英字)
著者(カナ) フジサワ,アヤノ
標題(和) 成長ホルモンパルス形成機構における神経ペプチドYの役割に関する研究
標題(洋)
報告番号 126962
報告番号 甲26962
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(獣医学)
学位記番号 博農第3715号
研究科 農学生命科学研究科
専攻 獣医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西原,眞杉
 東京大学 教授 内藤,邦彦
 東京大学 教授 眞鍋,昇
 東京大学 准教授 高橋,伸一郎
 東京大学 准教授 山内,啓太郎
内容要旨 要旨を表示する

哺乳動物には体内環境の恒常性を維持するために、全身循環を介した情報伝達によって臓器間の協調をはかり、フィードバック機構を通じて揺らぎを最小限に抑える仕組みが備わっており、こうした全身性の情報伝達を主に担うのは多種のホルモンである。内分泌系がフィードバック機構を働かせるためには分泌制御機構が必須であるが、とりわけ視床下部の制御を受けて下垂体がホルモン分泌を行う系においては複雑な調節が行われている。視床下部は体内の自律的機能を制御する高次中枢であり、神経性および液性の多元的な情報を受容し、また下垂体からは複数のホルモンが分泌されて複合的かつ協調的に体内環境を調節することが可能となっている。

成長ホルモン (Growth hormone; GH)は下垂体前葉より分泌されるホルモンの一つであり、成長期の体成長促進作用に加えて成熟動物においては全身臓器に対する代謝調節作用を有する。GHの作用は多様であるが、個々の作用発現はGHの分泌量だけではなく分泌動態を含めて決定されると考えられている。例えば成熟ラットの場合は、雄においては高いピークと低い基底値から成る特徴的なパルス状の分泌動態が観察されるのに対して、雌では比較的基底値が高く、高頻度のパルスを生じるパターンが知られており、肝臓の酵素発現や代謝効率における性差を形成していることがわかっている。さらに、GHは体内環境の変化にともなってその分泌動態を柔軟に変化させることも報告されており、視床下部の制御に従って量・時間の二次元からなる情報を発信するホルモンであるといえる。

一方で、視床下部のGH分泌制御系については、従来、分泌促進系のGH放出ホルモン(GH-releasing hormone; GHRH)と分泌抑制系のソマトスタチン (Somatotropin release-inhibiting factor; SRIF)による二因子制御系が唱えられていた。しかし、近年これら二因子のみでは説明できない現象が多数報告されており、グレリン、神経ペプチドY (Neuropeptide Y; NPY) 等の因子を含めた新しい分泌制御モデルが求められている。グレリンとNPYは直接的なエネルギー摂取に関しては摂食促進という同方向への作用を持つにも関わらず、代謝調節を担うGH分泌に関してはそれぞれ促進と抑制の相反する作用を有する。また、NPYは睡眠/覚醒や生殖といった他機能の調節系への影響も有するため、総合的に恒常性を維持する役割を持つことが期待できる。したがって、NPYは積極的に恒常性維持に寄与するために、広範な生物学的作用を有するGHのパルス形成機構の一部を成す可能性が考えられる。

そこで本研究では、脳組織の解析が容易であるラットを用いて、GHパルスの動態と視床下部におけるNPY発現動態の変化を解析し、比較することでGHパルス形成機構へのNPYの関与について組織学的に解明することを目的とした。本論文は4章からなり、第1章は緒言として本研究の背景と目的の詳細を述べた。やはり広範な生体機能調節作用をもつステロイドホルモンは、その作用の少なくとも一部はGHのパルスパターンを変調させることにより発現すると考えられることから、第2章ではステロイドホルモンによるGHパルスの分泌調節に対するNPYの関与について検討した。まず第1節では、筆者が過去の研究で明らかにしたGHパルスと糖質コルチコイドレベルは相反的に変化するというモデルを用いて、視床下部NPYの発現解析を行った。第2節では、上述したGHパルスの性差を形成する主要な因子であるエストロジェンとNPY発現の関係について検討した。第3章では、GHパルス形成とNPY発現動態の時間軸に沿った関係をより詳細に追究するため、光刺激によるGHパルス抑制モデルを用いて検討を行った。第4章ではこれらの研究結果をもとに、GHパルス形成機構において果たしている視床下部NPYの役割について、他の因子との関連も含め総合的な考察を行った。

第2章ではNPYの作用点であるストレス系・生殖系の情報伝達物質であると同時にGH分泌動態を変化させる内因性物質としてステロイドに焦点を当て、GH分泌動態と視床下部NPY発現の比較解析を行った。第1節ではラットの糖質コルチコイドであるコルチコステロン (Corticosterone; CS)に着目した。筆者の過去の研究から、成熟雄ラットの経時採血では血中CS濃度が上昇するとGHパルスは発生しなくなること、また、絶食負荷後48時間、96時間においては血中CS濃度が上昇してGHパルスは消失するのに対し、同72時間においては自由摂食群と同等の低いCS濃度と明瞭なGHパルスが見られることが示されている。そこで、まずCSを皮下投与した雄ラット (CS群)とコレステロールを投与した対照群との視床下部NPY発現をin situ hybridization法により比較したところ、視床下部弓状核 (Arcuate nucleus; ARC) 尾側領域のNPY mRNA発現はCS群においてより高まっていた。さらに、エネルギー代謝に関係するストレスとして雄ラットに絶食を負荷し、視床下部の組織学的解析を行った。その結果、視床下部NPY発現はARC尾側領域においては自由摂食群と72 h絶食群に比べて48 h 絶食群と96 h絶食群とで高まっていた。ARC吻側領域では各群間に差は見られなかったが、ARC中央領域では絶食強度が高くなるに伴ってNPY mRNA発現が上昇した。以上のことから、ストレスによるGHパルス抑制はCS濃度に依存し、ARC尾側領域のNPY産生細胞がその抑制を担っていることが示唆された。一方でARC中央領域のNPY産生細胞は摂食促進に関与する可能性が考えられ、ARC内でもNPY産生細胞の位置によって異なる作用を発現していることが推察された。

第2節では雌の性ステロイドであるエストロジェンを用いた。卵巣除去によってエストロジェン濃度を低下させた雌ラットでは、雄に類似した低い基底値とピークの高いパルスをもつGH分泌動態が観察された。エストラジオール (Estradiol; E2)をそれぞれ発情前期、発情休止期を模した濃度(順にHigh E2、Low E2)で投与した雌ラットについて視床下部NPY発現を比較したところ、ARC尾側領域においてHigh E2群では Low E2群よりもNPY mRNA発現が低下していた。高濃度E2の投与によってGHの基底値は上昇することを考え合わせると、E2によってARC尾側領域のNPY発現が低下することでGH分泌抑制が弱まり、基底値を低く維持することができなくなるために明瞭なパルスが形成されなくなることが示唆された。

第3章では光刺激によるGHパルス抑制モデルを用いてNPYの関与について検討を行った。すなわち、成熟雄ラットにおける明期開始時の光刺激による影響を血中GH濃度変化および視床下部組織の染色像より解析した。その結果、既報の通りGH分泌動態については明期開始後約90間GHパルスが観察されない時間帯が存在した。このパルス抑制期ではその前後の時間帯と比較して、ARC尾側領域で神経興奮マーカーであるリン酸化CREBの陽性細胞数が増加し、同部位のNPY mRNA発現が上昇していた。このとき、NPYと同じくGH分泌抑制因子であるSRIFの免疫染色像にはこのような変化は見られなかった。また、NPYタンパク質はSRIF産生細胞が存在する室周囲核 (Periventricular nucleus; PeVN)において染色性が高まっていた。NPY産生細胞はARCのほぼ全域に分布していたが、神経興奮およびNPY mRNA合成においてGHパルス抑制期とその前後で差が見られたのは尾側領域のみであり、吻側と中央の領域では違いが生じなかった。以上のことから、光刺激によるGHパルス抑制にはARC尾側領域のNPY産生細胞が関与していること、また、このNPY産生細胞はPeVNに投射しており、SRIFを介してGH分泌を抑制していることが示唆された。

以上、本研究においてはステロイドホルモンによる比較的長期的なGH分泌制御および光刺激による急性的な制御のいずれの場合においても、ARC尾側領域のNPY産生細胞の状態がGH分泌動態と平行して変化することを示した。すなわち、同領域のNPY産生細胞は普遍的にGHパルスの発生制御に強く寄与していることが示唆され、GHパルス形成機構のモデルとして従来のGHRH、SRIFの二因子にNPYを加えた三因子制御系の評価が必要となることが明らかとなった。また、ARC吻側領域、中央領域のNPY産生細胞はGHパルス制御への関係は薄い一方で、他の機能に関連する神経群として存在する可能性を示した。神経内分泌学ではこれまで神経核や神経細胞ごとに作用を表現してきたが、均一とされてきた神経群をさらに機能的に細分化できる可能性があり、組織学的アプローチと機能学的アプローチを組み合わせる必要性を示す結果となった。特にNPYのような多機能因子については、同一の入力系を持ちながら異なる出力系をもついくつかのサブグループが存在することで複数の機能系を協調的に調節することが可能となるため、生体の恒常性維持の観点から必須の機構であると考えられる。本研究で示したようにNPYがGHパルス制御機構に含まれるということは、複数のフィードバック機構への同一因子の寄与が、単一のフィードバック機構よりもさらに包括的な恒常性維持機構として存在することを示すものである。

審査要旨 要旨を表示する

成長ホルモン (GH)は下垂体前葉より分泌されるホルモンの一つであり、成長期の体成長促進作用に加えて成熟動物においては全身臓器に対する代謝調節作用を有する。GHの作用は多様であるが、個々の作用発現はGHの分泌量だけではなく分泌動態を含めて決定されると考えられている。一方で、視床下部のGH分泌制御系については、従来、分泌促進系のGH放出ホルモン (GHRH)と分泌抑制系のソマトスタチン (SRIF)による二因子制御系が唱えられていた。しかし、近年これら二因子のみでは説明できない現象が多数報告されており、神経ペプチドY (NPY) 等の因子を含めた新しい分泌制御モデルが求められている。そこで本研究では、GHパルス形成機構へのNPYの関与について組織学的に解明することを目的とした。本論文は4章からなり、第1章は緒言として本研究の背景と目的の詳細を述べた。第2章ではステロイドホルモンによるGHパルスの分泌調節に対するNPYの関与について検討した。第3章では、光刺激によるGHパルス抑制モデルを用いて検討を行った。第4章ではこれらの研究結果をもとに、GHパルス形成機構において果たしている視床下部NPYの役割について総合的な考察を行った。

第2章第1節ではラットの糖質コルチコイドであるコルチコステロン (CS)に着目した。著者の過去の研究から、血中CS濃度が上昇するとGHパルスは発生しなくなること、また、絶食負荷後48時間、96時間においては血中CS濃度が上昇してGHパルスは消失するのに対し、同72時間においては自由摂食群と同等の低いCS濃度と明瞭なGHパルスが見られることが示されている。そこで、まずCSを皮下投与した雄ラット (CS群)とコレステロールを投与した対照群との視床下部NPY発現をin situ hybridization法により比較したところ、視床下部弓状核 (ARC) 尾側領域のNPY mRNA発現はCS群においてより高まっていた。さらに、視床下部NPY発現はARC尾側領域においては自由摂食群と72時間絶食群に比べて48時間絶食群と96時間絶食群とで高まっていた。以上のことから、GHパルス抑制はCS濃度に依存し、ARC尾側領域のNPY産生細胞がその抑制を担っていることが示唆された。

第2節では雌の性ステロイドであるエストロジェンを用いた。卵巣除去した雌ラットでは、雄に類似した低い基底値とピークの高いパルスをもつGH分泌動態が観察された。エストラジオール (E2)をそれぞれ発情前期、発情休止期を模した濃度 (順にHigh E2、Low E2)で投与した雌ラットについて視床下部NPY発現を比較したところ、ARC尾側領域においてHigh E2群では Low E2群よりもNPY mRNA発現が低下していた。高濃度E2の投与によってGHの基底値は上昇することを考え合わせると、E2によってARC尾側領域のNPY発現が低下することでGH分泌抑制が弱まり、基底値を低く維持することができなくなるために明瞭なパルスが形成されなくなることが示唆された。

第3章では光刺激によるGHパルス抑制モデルを用いてNPYの関与について検討を行った。その結果、既報の通りGH分泌動態については明期開始後約90分間GHパルスが観察されない時間帯が存在した。このパルス抑制期ではその前後の時間帯と比較して、ARC尾側領域で神経興奮マーカーであるリン酸化CREBの陽性細胞数が増加し、同部位のNPY mRNA発現が上昇していた。このとき、NPYと同じくGH分泌抑制因子であるSRIFの免疫染色像にはこのような変化は見られなかった。また、NPYタンパク質はSRIF産生細胞が存在する室周囲核 (PeVN)において染色性が高まっていた。以上のことから、光刺激によるGHパルス抑制にはARC尾側領域のNPY産生細胞が関与していること、また、このNPY産生細胞はPeVNに投射しており、SRIFを介してGH分泌を抑制していることが示唆された。

以上、本研究においてはステロイドホルモンによる長期的なGH分泌制御および光刺激による急性的な制御のいずれの場合においても、ARC尾側領域のNPY産生細胞の状態がGH分泌動態と平行して変化することを示した。すなわち、同領域のNPY産生細胞は普遍的にGHパルスの発生制御に強く寄与していることが示唆され、GHパルス形成機構のモデルとして従来のGHRH、SRIFの二因子にNPYを加えた三因子制御系の評価が必要となることが明らかとなった。これらの知見は下垂体ホルモンの分泌制御機構を考える上で特筆すべき結果であると考えられ、学術的、応用的意義は少なくない。よって、審査委員一同は本論文が博士(獣医学)の学位論文として価値あるものと認めた。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/49084