学位論文要旨



No 126973
著者(漢字) 原山,武士
著者(英字)
著者(カナ) ハラヤマ,タケシ
標題(和) 肺サーファクタント脂質の生合成メカニズム及び生体における機能の解析
標題(洋)
報告番号 126973
報告番号 甲26973
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3583号
研究科 医学系研究科
専攻 分子細胞生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡山,博人
 東京大学 特任教授 田口,良
 東京大学 教授 栗原,裕基
 東京大学 教授 長瀬,隆英
 東京大学 教授 山田,芳嗣
内容要旨 要旨を表示する

細胞膜の主成分として知られるリン脂質は、極性基のみならず、脂肪酸(アシル基)にも多様性を持つ。この分子種の多様性がリン脂質の機能の多様性に寄与すると考えられるが、その形成メカニズムおよび生物学的意義に関しては明らかでない点が多く残されている。リン脂質多様性形成メカニズム及び生物学的意義を解析する一環として、本研究では生物学的機能が比較的理解されている肺サーファクタント脂質に着目した。

肺サーファクタントは主成分をジパルミトイルホスファチジルコリン(DPPC)により構成される界面活性物質であり、肺胞の表面張力を低下させる作用がある。肺サーファクタントが完全に欠損すると、肺胞の虚脱により正常な呼吸が不可能となり、死にいたることが知られている。肺サーファクタントの機能については、多くの研究により理解が比較的進んでいるものの、なぜその主成分がDPPCなのか、DPPCがどのように合成されるかに関しては明らかになっていなかった。

本研究では、様々な組織におけるDPPC量の決定に一般的な原則が存在するかを調べるため、基本情報として様々な組織におけるDPPC含量を、質量分析計を用いて調べた。その結果、肺のみならず、脾臓、脳、腎臓がDPPCを多く含む組織として同定された。

PCの生合成、及び脂肪酸リモデリングにおいて、アシル基の組成を決定しうるステップとして、リゾホスファチジン酸アシル基転移酵素(LPAAT)活性、リゾホスファチジルコリンアシル基転移酵素(LPCAT)活性のいずれかが考えられた。DPPCの存在量決定において、どちらの活性が重要であるかを調べるためにリゾリン脂質アシル基転移酵素(LPLAT)活性を測定する方法を開発した。基質となるリゾリン脂質及びアシルCoAを酵素源と混合したのち、反応産物を質量分析計で調べるという方法で、同時に複数の基質が含まれる反応の測定が可能となった。

この方法により、LPAAT及びLPCAT活性のうち、パルミトイルCoA選択性を組織ごとに調べた。組織ごとのパルミトイルCoA選択的なLPAAT活性とDPPC量は相関を示さなかった。一方、DPPCを合成するLPCAT活性は肺、脳、脾臓に高く、LPCAT活性とDPPC量は統計的に有意な相関が得られた。このことはLPCAT活性のパルミトイルCoA選択性が組織DPPC量の決定に関わりうることを示唆した。

この酵素活性を担う酵素として、過去の知見からLPCAT1が候補として考えられた。LPCAT1は様々な既知のLPCAT酵素の中でパルミトイルCoAに選択性を最も強く持つ。過去にcDNAクローニングされたLPCAT1がデータベース情報に由来したため、cDNA末端の迅速増幅法を用いてこの遺伝子の正確な全長情報及びアイソフォームに関する情報を得た。その結果、N末端の異なる4つのアイソフォームをコードすると思われるmRNA情報が得られた。定量的RT-PCRにより、我々のグループが最初に報告したアイソフォームが最も肺で高く発現することがわかったため、以降の実験ではそれを用いた。

抗LPCAT1抗体を作成し、これを用いてウエスタンブロットを行うと、LPCAT1は肺において最も高く発現していた。またLPCAT1過剰発現細胞のLPCAT活性を調べると、コントロール細胞と比較して上昇した活性はパルミトイルCoAに選択的であった。さらに、LPCAT1過剰発現細胞のPC脂肪酸組成を調べると、DPPC量の上昇が見られた。これらの結果から、LPCAT1が肺においてLPCAT活性によりDPPCを合成することが示唆された。

上記の仮説を検証するため、LPCAT1欠損マウスを作製した。LPCAT1欠損マウスの肺、脾臓におけるPCの脂肪酸組成を調べると、確かにDPPCが減少しており、この酵素のDPPC量決定に関する重要性が示された。

LPCAT1が肺サーファクタント合成に関わることを調べるために、この酵素の局在をタンパク質レベルで解析した。マウス肺のホールマウント免疫染色を行うと、肺胞上皮II型細胞(肺サーファクタントの産生細胞)様の染色パターンが得られ、この酵素が確かに肺サーファクタント合成に関わりうることがわかった。

LPCAT1と肺サーファクタントPCの関与をより直接的な関与を調べるため、野生型マウスとLPCAT1欠損マウスを用いて肺胞洗浄を行い、含まれるPCを質量分析計で解析した。得られた総イオン数には両群で差が見られなかったため、LPCAT1が肺サーファクタントの総量決定に関係しないと考えられた。一方、PCの脂肪酸組成に着目すると、DPPCが減少した一方、二重結合を含むような分子種の増加が見られた。このことはLPCAT1が正常な脂肪酸組成を持った肺サーファクタント脂質の生合成に関わることがわかった。

LPCAT1欠損マウスは正常に呼吸が可能であり、出生直後での死亡率の変化は見られなかった。このことはLPCAT1の欠損によるPC脂肪酸組成の変化が呼吸に最低限必要な表面張力の低下には必ずしも必要でないことを示す。

一方、病態時においてLPCAT1欠損がマウスの生存に影響を及ぼすかを調べるため、急性肺障害モデルとして人工呼吸器関連肺傷害モデルを用いた。その結果、LPCAT1欠損マウスは野生型マウスと比較して生存率の低下、エラスタンスの上昇、酸素飽和度の低下、浮腫の増悪が見られ、LPCAT1がもたらす正常な肺サーファクタント脂質組成が急性肺障害に対して保護的に働くことが示唆された。

これらの実験はリン脂質多様性の意義解析の一環として最もよく理解されている脂質の1つであるDPPCに着目して行った。その結果、LPCAT活性によるDPPC量決定メカニズムが示唆された。今回用いたアプローチにより、DPPCのみならずより多種のリン脂質の脂肪酸組成決定に関わるメカニズムが明らかになると思われる。

また、リン脂質多様性決定メカニズムが明らかになるということは、各分子種の存在比を操作できることを示唆する。本実験ではLPCAT1の過剰発現、遺伝子欠損によりDPPCの量の人工的な操作に成功した。このアプローチを用いて、生体においてDPPCがどのような機能を持つのかを部分的に明らかにした。今後、同様の操作を他の酵素で行うことにより、リン脂質の多様性が少しずつ明らかになると思われる。

LPCAT1欠損マウスの解析から、この酵素が肺サーファクタントPCの量でなく、脂肪酸組成決定に関与することがわかった。このマウスの樹立は肺サーファクタントPCがなぜDPPCを主に含むのかを明らかにできると考えられた。実際、このマウスが急性肺障害モデルに対して高い感受性を示したことから、正常な脂肪酸組成を持った肺サーファクタントPCが保護的な機能を持つことが示唆された。

対象をDPPCに限定した研究ではあるが、リン脂質多様性の獲得メカニズム、及びその意義を解析する方法論の確立、実践を行ったことは、今後より多くのリン脂質をターゲットとした研究の足がかりになると期待される。ポストゲノムの重要課題であるリピドミクスは脂質の多様性を解析する研究でもあり、今回の研究成果は重要な一歩であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、生体膜の主要なリン脂質であるホスファチジルコリン(PC)の脂肪酸組成多様性形成メカニズムの解明、及びその生体における意義を明らかにすることの一環として、肺サーファクタントに含まれるPCを解析したものであり、下記の結果を得ている。

1.様々な組織の脂質組成を質量分析計により解析した結果、肺サーファクタント脂質の主成分であるジパルミトイルPC(DPPC)は肺のみならず、脳、脾臓、腎臓に多く見られた。このDPPCの分布を説明しうる脂質代謝酵素として、PCのリモデリング経路で働くリゾホスファチジルコリンアシル基転移酵素(LPCAT)の関与が示唆された。

2.LPCATのうち、LPCAT1という酵素はマウス、ヒトにおいて肺、脾臓に高く発現していた。培養細胞での過剰発現系を用いてこの酵素の基質特異性を調べると、DPPC合成の選択性が高く、少なくとも肺や脾臓においてこの酵素がDPPCの量を上昇させていることが考えられた。

3.LPCAT1が実際にDPPCの量を調節しうるかを調べるため、培養細胞にこの酵素を過剰発現させ、質量分析計を用いて脂質組成の変化を解析すると、実際にLPCAT1過剰発現細胞においてDPPC量の上昇が見られた。

4.生体においてこの酵素が脂質組成の調節に寄与するかを調べるためにLPCAT1欠損マウスを作成した結果、たしかに肺や脾臓においてDPPCの量が減少していた。また、肺サーファクタントに含まれるDPPCの量も減少しており、代償的に他の分子種が増加していた。

5.LPCAT1欠損マウスは正常に呼吸が可能であった。この酵素が何らかの病態時に重要な働きを持つと考え、急性肺障害モデルを用いてこのマウスを解析すると、野生型マウスと比較してLPCAT1欠損マウスは病態に対する感受性が上昇していた。このことは、LPCAT1の発現がもたらす正常な肺サーファクタントが肺障害の保護に重要であることを示唆した。

以上、本論文は肺サーファクタント脂質に特徴的なPC分子種の生合成メカニズム、及びその生体における機能の一部分を明らかにしたものである。本研究はPC多様性の意義を理解することに貢献すると考えられ、学位の授与に値すると考えられる。

UTokyo Repositoryリンク