学位論文要旨



No 126977
著者(漢字) 稲生,大輔
著者(英字)
著者(カナ) イノウ,ダイスケ
標題(和) イノシトール1,4,5三リン酸シグナルを介したシュワン細胞の生後発達機構
標題(洋) Inositol 1,4,5-trisphosphate signaling mediates postnatal Schwann cell development
報告番号 126977
報告番号 甲26977
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3587号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡部,繁男
 東京大学 教授 河西,春郎
 東京大学 教授 吉川,雅英
 東京大学 准教授 尾藤,晴彦
 東京大学 講師 山口,正洋
内容要旨 要旨を表示する

末梢神経における運動や感覚の素早い情報処理には、ミエリン鞘が形成された軸索における高速な伝導が重要な役割を果たしている。末梢神経のミエリン鞘はグリア細胞の一種であるシュワン細胞が何重にも軸索を取り巻くことで形成されるが、ミエリン鞘が取り巻かれた軸索部位においては電流の漏出が劇的に減少するため、ランビエ絞輪と呼ばれるミエリン鞘間の狭い隙間に限局した軸索の発火が達成される。軸索の発火はランビエ絞輪間を跳躍して伝導するため、ミエリン鞘が形成された軸索においては、ミエリン鞘が形成されていない軸索に比べて、10倍以上もの速さで情報を伝達することができる。

これまでの研究からミエリン鞘の形成には軸索-シュワン細胞間情報伝達が必須であることが提唱されている。それらのうち、神経活動依存性の神経-グリア細胞間情報伝達物質の1つとしてよく知られているATPについては、末梢神経のミエリン鞘形成における生理機能は未だ十分明らかとなっていない。ATPは末梢神経が発火した後に軸索から放出され、シュワン細胞におけるイノシトール1,4,5 三リン酸(IP3)の産生を介した細胞内Ca2+上昇を引き起こすことが知られている。特に、末梢神経におけるミエリン鞘形成と神経の活動は、両者ともに生後まもなくに劇的に増加することから、その関連が注目されている。そこで、本研究では、シュワン細胞においてATPにより惹起されるIP3シグナルが生体内におけるミエリン鞘形成に果たす役割を解明することを目的とした。

生体内のシュワン細胞の機能を解析する方法として、これまで遺伝子改変動物が主として用いられてきた。本研究ではより簡便にシュワン細胞の機能解析を推し進めるための方法として、電気穿孔法による外来遺伝子の導入法を独自に開発した。電気穿孔法をラットの坐骨神経に適用することで、シュワン細胞選択的かつ持続的な遺伝子発現を達成できた。特に、蛍光蛋白質を発現させることで、ミエリン鞘形成と相関のあるパラメータである細胞の長さや太さを光学顕微鏡で解析することができた。

生後のミエリン鞘形成期のシュワン細胞がどの受容体を介してATPによる細胞内Ca2+上昇を示すかを明らかにするため、急性単離したラットの坐骨神経を用いてCa2+イメージを行なった。シュワン細胞はATPとUTPに対して同程度の細胞内Ca2+上昇を示すことから、P2Y2受容体またはP2Y4受容体の関与が推測された。そこでRT-PCR法を用いて両受容体の坐骨神経における発現を解析したところ、P2Y2Rの顕著な発現が確認された。そこで、電気穿孔法を用いてshRNA遺伝子導入し、シュワン細胞のP2Y2受容体をノックダウンしたところ、ATP投与時の細胞内Ca2+上昇が抑制された。IP3を分解する酵素であるIP3 5-ホスファターゼ遺伝子の導入を行なったところ、同様にATP投与時の細胞内Ca2+上昇が抑制された。すなわち、ミエリン鞘形成期シュワン細胞はP2Y2受容体-IP3の産生を介して、細胞内Ca2+上昇を惹起することが分かった。

上記の2種類のシグナル伝達阻害を慢性的に阻害し、シュワン細胞の発達との関連を解析した。ミエリン鞘形成は生後2週間の間に劇的に進行することが知られているので、生後3日目のラットに遺伝子導入を行ない、14日目にラットを固定しシュワン細胞の形態を解析した。形態の解析は目的遺伝子とともに共発現させた蛍光蛋白質の蛍光を観察することで達成した。すると、P2Y2受容体をノックダウンした群、IP3 5-ホスファターゼを発現させた群ともにシュワン細胞の長さと太さがコントロール群と比較して有意に減少していた。すなわち、P2Y2受容体-IP3の産生を介した細胞内Ca2+上昇を慢性的に阻害すると、シュワン細胞の発達が抑制されることが分かった。

続いて、下流のシグナル伝達を調べた。まず、既知のミエリン鞘形成促進因子である脳由来神経栄養因子(BDNF)の関与を調べた。BDNFはCa2+シグナルにより発現制御を受けることが様々な細胞で知られているためである。まず、シュワン細胞にBDNFを過剰発現させたところ、太さの増加が観察された。一方、shRNAを用いてシュワン細胞に発現するBDNFをノックダウンしたところ、長さと太さが減少した。すなわち、シュワン細胞におけるBDNFの発現量とシュワン細胞の発達に正の相関があることが分かった。続いて、ATPによりシュワン細胞のBDNFの発現が変化するかを解析した。坐骨神経にATPを投与したところ、BDNFのmRNAの増加が観察された。すなわち、シュワン細胞においてATPによるCa2+シグナルによる発現制御機構が存在することが示唆された。よって、IP3シグナル阻害によりBDNFの発現量が減少していることが推測される。そこで、IP3 5-ホスファターゼと同時にBDNFを発現させ、形態を解析した。すると、IP3 5-ホスファターゼとBDNFを同時に発現した群では、シュワン細胞の長さと太さが、IP3 5-ホスファターゼを単独に発現した群と比べて、有意に上昇していた。すなわち、BDNFがIP3シグナルの下流の制御因子である可能性が示唆された。

さらに、ErbBシグナルとIP3シグナル、さらにはBDNFの関連を調べた。ErbBシグナルはミエリン鞘の長さと太さの増加を制御するシグナル伝達として知られているためである。ErbBシグナルを阻害する分子としてドミナントネガティブ型のErbB (DN-ErbB)を発現させたところ、シュワン細胞の長さと太さが有意に減少した。次にIP3 5-ホスファターゼとDN-ErbB同時発現させたところ、さらなる抑制効果が観察されなかった。また、DN-ErbBとBDNFを同時発現させたが、IP3 5-ホスファターゼとBDNFを同時発現させた場合と異なり、DN-ErbBによる抑制効果は回復しなかった。これらの結果は、ErbBシグナルがBDNFの下流において機能している可能性を示唆する。

これらの一連の実験から、生体内の坐骨神経において、神経活動依存性の神経-グリア細胞間情報伝達物質であるATPがシュワン細胞のP2Y2受容体を活性化し、IP3-Ca2+-BDNFを介してシュワン細胞の生後発達を促進することが明らかとなった。そして、BDNFの下流においてミエリン鞘形成のキーシグナルであるErbBシグナルが関与する可能性が示唆された。神経活動がミエリン鞘形成に関与するか否かは未だに議論がなされている課題であり、本研究により神経活動に依存したミエリン鞘形成促進機構の一端が明らかとなったと考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、末梢神経において活動依存性の神経-グリア細胞間情報伝達として知られる、ATPを介したシュワン細胞におけるIP3-Ca2+シグナルが、生後のミエリン鞘形成期のシュワン細胞の発達にどのような生理的役割を持つかについて解析を行ない、以下の知見を得た。

1.生体内のミエリン鞘形成期のシュワン細胞の生理機能の解析を進めるため、新生児ラットの坐骨神経に電気穿孔法を適用し、シュワン細胞へ選択的に外来遺伝子導入を行なう手法を開発した。

2.ミエリン鞘形成期のシュワン細胞のATP受容体として、P2Y2受容体を見出した。上記遺伝子導入法を用いて、P2Y2受容体に対するshRNAまたはIP3脱リン酸化酵素であるIP3 5-ホスファターゼを遺伝子導入し、生後のミエリン鞘形成期のシュワン細胞におけるATPを介した細胞内Ca2+上昇を慢性的に阻害した。蛍光蛋白質を同時導入することでシュワン細胞の形態を可視化したところ、ATPを介した細胞内Ca2+上昇の阻害により、ミエリン鞘の発達とともに増加するパラメータである長さと太さが減少していた。すなわち、P2Y2受容体-IP3-Ca2+シグナルがシュワン細胞の形態的な発達を促進することが明らかとなった。

3.Ca2+シグナルの下流において機能する候補分子として、末梢神経のミエリン鞘形成促進因子として知られるBDNFの関与を調べた。BDNFの発現量は坐骨神経へのATPによりおいて増加した。シュワン細胞におけるBDNFの発現量を遺伝子導入により操作したところ、過剰発現時には形態的な発達は促進し、反対にshRNAによるノックダウン時には形態的な発達は抑制された。IP3 5-ホスファターゼ発現による抑制効果はBDNF発現により回復した。以上から、BDNFがCa2+シグナルの下流において発現制御を受け、シュワン細胞の発達を促進することが示唆された。

4.シュワン細胞の発達に中心的な役割を果たすシグナル伝達として知られるneuregulin-ErbBシグナルとP2Y2受容体-IP3-Ca2+-BDNFシグナルの関連を調べた。ErbBシグナルを阻害する分子であるドミナントネガティブ型ErbB (DN-ErbB)とIP3 5-ホスファターゼを同時発現させたところ、ErbB単独阻害時と比較してさらなる抑制効果が観察されなかった。また、DN-ErbBとBDNFを同時発現させたが、DN-ErbBによる抑制効果は回復しなかった。これらの結果は、ErbBシグナルがBDNFの下流において機能している可能性を示唆する。

以上、本論文では、末梢神経における活動依存性の神経-グリア細胞間情報伝達分子であるATPがシュワン細胞のP2Y2受容体を活性化し、IP3-Ca2+-BDNFシグナルを介してシュワン細胞の生後発達を促進することを解明した。さらに、BDNFの下流においては、neuregulin-ErbBシグナルの関与が推測された。神経活動に依存したシグナル伝達がミエリン鞘形成期のシュワン細胞においてどのような生理機能を果たすかに関してはこれまで知見に乏しく、本研究によりその一端が明らかになったと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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