学位論文要旨



No 126978
著者(漢字) 村田,航志
著者(英字)
著者(カナ) ムラタ,コウシ
標題(和) 成体マウス嗅球局所領域における除去された顆粒細胞サブタイプの補償的組み込み
標題(洋) Compensatory integration of depleted subsets of granule cells in the local area of the adult mouse olfactory bulb
報告番号 126978
報告番号 甲26978
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3588号
研究科 医学系研究科
専攻 機能生物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飯野,正光
 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 教授 岡部,繁男
 東京大学 特任准教授 河崎,洋志
 東京大学 特任講師 高橋,倫子
内容要旨 要旨を表示する

哺乳類の脳では、一般的にはニューロンが産生される時期は胎生期と新生児期の一部に限られるが、嗅球と海馬では生涯にわたってニューロンが新生する。嗅覚系の一次中枢である嗅球では、抑制性インターニューロンである顆粒細胞が成体でも新たに生まれる。これら顆粒細胞群は均一ではなく、発現する分子や嗅球投射ニューロンとのシナプス形成部位が異なる複数のサブタイプに分化している。また、成体で新生する顆粒細胞群にも多様なサブタイプが存在する。しかし、多様なサブタイプに分化している新生顆粒細胞群が、既存の嗅球神経回路への組み込まれる際にどのような制御を受けているかは十分には解明されていない。新生顆粒細胞の組み込みは既存の嗅球神経回路によってサブタイプごとに制御されているのか、あるいはサブタイプ間でランダムに起こるのかは不明であった。

最近の研究で、遺伝子操作により成体になってからニューロンが新たに生まれないようにしたマウスでは、嗅球の顆粒細胞の総数が徐々に減少することが報告された。この知見から、新生顆粒細胞の組み込みは、自然に脱落しうる性質をもつ既存の顆粒細胞の不足を補い、嗅球の神経回路構造を維持するために重要であることが示唆されている。これらの知見より、私は、成体マウス嗅球での新生顆粒細胞の組み込みは、組み込み先の嗅球神経回路によってサブタイプごとに制御されており、不足したサブタイプの新生顆粒細胞が優先的に組み込まれることにより、先行する顆粒細胞群の脱落が補われるという仮説を着想した。

この仮説を検証するために、私は、既存の顆粒細胞のうちある特定のサブタイプだけを嗅球局所領域で大規模に除去し、その後の新生顆粒細胞の組み込み様式をサブタイプごとに観察した。本研究では、代謝型グルタミン酸受容体2 (mGluR2)の発現の有無によって顆粒細胞のサブタイプを区別した。サブタイプ特異的かつ領域特異的に顆粒細胞を除去するために、イムノトキシン細胞標的法を用いて、mGluR2を発現する顆粒細胞サブタイプを選択的に除去した(図1)。

まず私は、イムノトキシン細胞標的法で、mGluR2陽性サブタイプの顆粒細胞が投与領域だけで選択的に除去されるかどうかを検証した。その結果、投与領域ではmGluR2陽性顆粒細胞の密度は、投与から2週間後で健常時の約36%に減少し、また投与から8週間後で健常時の約71%まで回復した。mGluR2陰性顆粒細胞の数は、イムノトキシンを投与しても変化しなかった。また、非投与領域では、イムノトキシン投与により顆粒細胞の密度は変化しなかった(図2)。この結果は、イムノトキシンがmGluR2陽性サブタイプを選択的に除去すること、細胞除去は投与領域に限局して起こることを示し、除去領域にmGluR2陽性な新生顆粒細胞が組み込まれ回復に寄与することを示唆する。

次に、mGluR2陽性顆粒細胞を除去した領域で、mGluR2陽性新生顆粒細胞の組み込みが増加するかどうかを検証した。新生顆粒細胞の可視化にはIdUによる新生細胞の標識、およびレトロウィルスベクターによる赤色蛍光タンパク質mPlumの発現誘導による新生細胞の標識を用いた。その結果、いずれの標識方法でも細胞除去領域では健常領域に比べて、mGluR2陽性新生顆粒細胞の数、および、新生顆粒細胞の中でmGluR2陽性サブタイプが占める割合が有意に増加した(図3, 図4)。また、mPlumで標識された細胞の形態観察より、細胞除去領域に存在するmGluR2陽性新生顆粒細胞は嗅球神経回路とシナプス形成することが示唆された(図5)。

さらに、新規に組み込まれた顆粒細胞の形態を観察するために、赤色蛍光タンパク質DsRed2を強発現する顆粒細胞の移植実験を行った。まず、これら移植した顆粒細胞でも細胞除去領域ではmGluR2陽性サブタイプが優先的に組み込まれることが確認された(図6)。細胞除去領域に存在するmGluR2陽性移植細胞では、顆粒細胞層でスパイン頭部の大きさが増大した(図7)。一方、mGluR2陰性移植細胞では、細胞除去領域におけるスパイン頭部の大きさの増大は見られなかった(図7)。

以上の結果より、既存の嗅球神経回路の局所領域におけるmGluR2陽性顆粒細胞の除去は新生顆粒細胞の組み込みに影響を与え、mGluR2陽性サブタイプの新生顆粒細胞がmGluR2陰性サブタイプよりも優先的に組み込まれることが示された。本研究は、成体マウス嗅球における新生顆粒細胞の組み込みは、サブタイプ間でランダムに起こるのではなく、組み込み先の嗅球神経回路でサブタイプごとに制御され、不足したサブタイプの新生顆粒細胞が補償的に組み込まれるという現象を見出した。

図1イムノトキシン細胞標的法によるmGluR2陽性顆粒紹胞の除去

イムノトキシンは抗ヒトインターロイキン2受容体抗体ドメインと緑膿菌由来毒素ドメインからなる融合タンパク賃である。イムノトキシンはヒトインター0イキン2受容体を発現する細胞種選択的に細胞死を誘導する。

本研究ではmGluR2プロモータ下でヒトインターロイキン2受容体を発現するトランスジェニックマウスを用いた。イムノトキシンをトランスジェニックマウスの嗅球背側部に局所投与すると、投与領域でヒトインターロイキン2受容体を発現する細胞が除去された。

図2イムノトキシンによる細飽種特異的・領域特異的なmGluR2陽性顎絞細胞サブタイブの除去と回復

図3ldUによる新生顆粒細胞の標識実験

イムノトキシンは既存頼粒組胞のサブタイブを除云し(CldU緑)、除去領域では新生顆粒細胞の組み込みが増加した(IdUマゼンタ)。

mGluR2陽性の新生穎粒細胞サブタイプ(赤)がmGluR2陰性の新生顆粒細胞サブタイプ(青)よりも優先的に組み込まれた。

図4レトロウィルスベクターによる新生顆粒細胞の標識実験

IdUによる標識実験と同様、細胞除去領域ではmGluR2陽性の新生顆粒細胞サブタイプ(赤)がmGluR2陰性の新生顆粒細胞サブタイプ(青)よりも優先的に組み込まれた。

図5mPlumで標識された細胞除去領域に存在するmGluR2陽性新生顆粒細胞のシナプス形成

顆粒細胞は外叢状層で抑制性前シナプス構造を形成する。細胞除去領域のmGluR2陽性新生覇粒細胞の外叢状層にある樹状突起スバイン上にsynaptophysinおよびGAD65が共発現していた。顆粒細胞は顆粒細胞層で興奮性後シナプス構造を形成する。細胞除去領域のmGluR2顆性新生顆粒細胞の顆粒細胞層にあるスバイン上にVGLUT1のシグナルが近接していた。

図6 DsRed2を発現する顆粒細胞の移植実験

新生児期の動物から未成熟顆粒細胞を回収し、イムノトキシンを投与した動物へ移植した。移植細胞でもmGluR2陽性サプタイプがmGluR2i陰性サプタイプよりも優先的に組込まれた。

図7 移植顆粒細胞の顆粒細胞層にある樹状突起スパイン頭部の大きさの増大

細胞除去領域のmGluR2 陽性移植細胞ではスパイン頭部の大きさが増大した。mGluR2 陰性移植細胞ではそのような増大は見られなかった。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は成体マウス嗅球における既存顆粒細胞と新生顆粒細胞の入れ替わりの機構を明らかにするため、嗅球局所領域でmGluR2を発現するサブタイプを選択的に除去した状況下での新生顆粒細胞の組み込みをサブタイプごとに解析したものであり、下記の結果を得ている。

1.本研究ではイムノトキシン細胞標的法を用いて、嗅球局所領域で顆粒細胞のうちmGluR2を発現するサブタイプを選択的に除去することを試みた。免疫組織化学的解析より、イムノトキシンを投与した領域ではmGluR2陽性顆粒細胞の密度が減少したが、mGluR2陰性顆粒細胞では密度は変化しないことが示された。非投与領域では、mGluR2陽性顆粒細胞およびmGluR2陰性顆粒細胞共に細胞密度の変化は見られなかった。除去されたmGluR2陽性顆粒細胞群は、時間経過とともにその細胞密度が回復した。

2.新生顆粒細胞をIdU、レトロウィルスベクターで標識する実験、および未成熟顆粒細胞の移植実験から、既存mGluR2陽性顆粒細胞を除去した領域では、新生顆粒細胞のうちmGluR2陽性サブセットがmGluR2陰性サブセットよりも優先的に組み込まれることが示された。

3.免疫組織化学的解析より、既存mGluR2陽性顆粒細胞を除去した領域でも、通常の新生顆粒細胞と同様に、mGluR2陽性新生顆粒細胞が嗅球神経回路とのシナプスを形成することが観察された。さらに未成熟顆粒細胞を移植した実験より、mGluR2陽性細胞では、細胞除去領域において、健常領域と比べてスパイン頭部のサイズの増大が見られた。mGluR2陰性細胞では、細胞除去によるスパイン頭部のサイズの変化は見られなかった。

4.顆粒細胞の他のサブタイプであるcalretinin陽性顆粒細胞群、および5T4陽性顆粒細胞群のイムノトキシン投与の作用を解析した。calretinin陽性顆粒細胞群はイムノトキシン投与による除去とその後の回復、および細胞除去領域におけるcalretinin陽性新生顆粒細胞の優先的組み込みを示した。5T4陽性顆粒細胞群はイムノトキシン投与による細胞除去を示さなかった。

5.細胞除去領域で生き残った既存顆粒細胞群について、mGluR2陽性顆粒細胞が細胞群中に占める割合をイムノトキシン投与から14日後と40日後で比較したが、有意な変化は見られなかった。細胞除去後のmGluR2陽性顆粒細胞の密度の回復には、新生顆粒細胞群の優先的組み込みが大きく寄与することが示唆された。

以上、本論文は成体マウス嗅球において、既存顆粒細胞の除去とその後の新生顆粒細胞の組み込みの解析から、欠落したサブタイプの新生顆粒細胞が補償的に組み込まれる機構の存在を明らかにした。本研究はこれまで未知であった、マウス嗅球におけるインターニューロン群のサブタイプ特異的な入れ替わり機構の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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