学位論文要旨



No 126982
著者(漢字) 家島,大輔
著者(英字)
著者(カナ) イエジマ,ダイスケ
標題(和) EGFRファミリーシグナル抑制分子FRS2βの個体レベルにおける機能解析
標題(洋)
報告番号 126982
報告番号 甲26982
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3592号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 教授 浜窪,隆雄
 東京大学 教授 村上,善則
 東京大学 准教授 大杉,美穂
 東京大学 講師 新井,郷子
内容要旨 要旨を表示する

FRS2ファミリーは、受容体型チロシンキナーゼに作用するドッキングタンパク質で、そのファミリーには、FRS2αおよびFRS2βの存在が知られている。

FRS2αは、FGF受容体(FGFR)ファミリーとPTBドメインを介して結合することが知られており、チロシンリン酸化によるGrb2とShp2の結合ドメインを有している。FRS2αは発生の初期段階から成体に至るまで全身性に発現しており、個体の発生、維持、代謝に必須とされるFGFシグナルの制御に重要な役割を担っている。特に、個体の発生過程において、FRS2αは重要な役割を担っており、Gotohらの行ったFRS2α欠損マウスを用いた解析によると、この分子は発生初期におけるFGFシグナルを介したTrophoblast stem (TS) cellの維持に必須であり、FRS2αを欠損したマウスでは胚盤胞期の発生過程において、FGF4シグナルの下流にあるCdx2を介したBMP4の発現が抑制されることにより、胎生致死になることが報告されている。また、FRS2αのコンディショナルノックアウトマウスを用いた実験により、FRS2αが心臓の原器の形成や隔壁の構築の際のFGFシグナルの調節の役割を担っていることも報告されており、FRS2αは個体の発生レベルで重要な役割を担う分子であることが知られている。

一方、FRS2βは、FRS2αと類似の構想の分子で、これまでに胎児期のマウスの脳や神経系、肺上皮細胞、成体の海馬、小脳などに組織特異的に発現することが報告されている。FGFシグナルに対しては、FRS2αと同様に、FGFRと結合し、Grb2、Shp2の結合を介して、下流のMAPKやPI-3Kなどのシグナル伝達に寄与することが知られている。また、FRS2βは、FRS2αと異なり、EGFRファミリー分子との結合能を有しており、EGFRファミリーの下流でERKがリン酸化されると、FRS2βのD domainにリン酸化ERKが結合する。これにより、EGFRファミリー分子のチロシンリン酸化が抑制され、ネガティブフィードバックにより、EGFRファミリーのシグナルが抑制されることが報告されている。このような機能から、FRS2βは、EGFRファミリーのシグナル伝達において何らかの重要な役割を担っていることが予想されている。

また、Huangらは、FRS2βがこのようなEGFRシグナルの抑制に関与していることから、EGFRファミリーが寄与するタイプの癌の抑制遺伝子の一つとなりうることを報告している。しかし、FRS2βについては、現在までに、生体においての詳細な発現部位の報告もなく、In vivoの解析もなされていないことから、この分子の生物学的な意義や役割はほとんど分かっていない。

このような背景を踏まえ、本研究では、FRS2βの個体レベルでの機能を明らかにすることを目的として、FRS2β欠損マウスを作製し、個体におけるFRS2βの機能の解析を行った。

FRS2β欠損マウスの作製については、マウスFrs2β遺伝子の第2エクソン近傍で相同組み換えを起こして、Frs2β遺伝子の第3エクソン以降にある、タンパク質のコード領域の転写が欠損するように設計構築したターゲティングベクターをE14-ES細胞に導入した。正しい位置で組み換えが生じたES細胞株を、サザンブロッティングで選別し、このES細胞をE3.5のC57BL/6マウス胚へ導入することでキメラマウスを作製した。このキメラマウスとWild typeマウスを交配させ、FRS2βヘテロマウスを作製し、さらにヘテロマウス同士を交配させることで、FRS2β欠損マウスを作製した。作製したFRS2β欠損マウスについては、PCRによるGenotypeやウェスタンブロッティングにより、遺伝子型やFRS2βタンパク質の発現チェックを行い、作製したマウスがFRS2β欠損マウスであることを確認した。作製したFS2β欠損マウスは、Wild typeのマウスと同様に誕生し、外見上はWild typeとの差はみられず、目立った臓器や組織の異常も見られなかった。また、誕生後のマウスの体重変化や生殖能力にも異常は観察されなかった。

FRS2βの機能を解析するにあたり、FRS2βの生体における発現部位が、成体のマウスにおいては、脳組織以外の報告がないことから、ターゲティングベクターにLacZ遺伝子が組み込まれていることを利用し、作製したFVB/N系のFRSβ(+/-)マウスを用いて、LacZ染色により、FRS2βの発現部位を解析した。既出の報告では、FRS2βは脳組織に多く発現しており、特に、大脳皮質、海馬、視床、視床下部、小脳プルキンエ細胞に多く発現していることが報告されている。今回作製した12週齢のFRS2β(+/-)マウスより脳組織を摘出し、LacZ染色を行った結果、大脳皮質、海馬、視床、視床下部、小脳(プルキンエ細胞)においてLacZ陽性の細胞が確認され、このLacZ陽性部位は、既知のFRS2β発現部位と合致した。これにより、このマウスのLacZ陽性部位はFRS2β発現部位をあらわしていることが示唆された。次に、この系を用いて、脳以外のFRS2βの発現確認を行った。FRS2β(+/-)マウスより、肺、肝臓、心臓、腎臓、食道、胃、小腸、大腸、精巣、子宮、乳腺の組織を摘出し、LacZ染色を行った結果、腎臓の近位尿細管、精巣ライディッヒ細胞、精巣上体上皮細胞、胃底腺主細胞、乳腺上皮細胞でLacZ陽性の部位を確認した。一方、肺、肝臓、心臓、食道、小腸、大腸、子宮では、LacZ陽性部位は確認できなかった。

FRS2βが乳腺で発現していることから、授乳を介した仔マウスの生育について、親マウスの遺伝子型の違いによる影響を調べた。FVB/N系のマウスを用いて、FRS2β(+/+)(♀)×FRS2β(+/+)(♂)、FRS2β(-/-)(♀)×FRS2β(+/+)(♂)の組み合わせで交配させ、親マウスの遺伝子型の違いによる仔マウスの生育状況を比較した。その結果、いずれの親マウスの組み合わせでも、誕生した仔マウスは、離乳するまでの生後4週までは正常に生育し、親マウスの遺伝子型の違いで仔マウスの成長に有意差はなかった。以上の結果から、FRS2βは発生や仔マウスの生育に対しては、大きな影響を及ぼす分子ではないことが示唆された。

次に、FRS2βが乳癌との関連が深いErbB2のシグナルを抑制することと、乳腺上皮細胞にFRS2βが多く発現していることから、本研究では、FRS2βと乳腺および乳癌の関係に着目して実験を行った。まず、作製したFRS2β(-/-)と乳癌モデルマウスであるMMTV-neu(+)を交配させ、MMTV-neu(+)/FRS2β(+/+)とMMTV-neu(+)/FRS2β(-/-)を作製し、MRIを用いて双方の腫瘍の発症傾向を調べた。その結果、MMTV-neu(+)/FRS2β(+/+)では、腫瘍が18匹中15匹発症し、発症率は83%であったのに対し、MMTV-neu(+)/FRS2β(-/-)では、17匹中15匹発症し、発症率は88.2%で、双方の腫瘍の発症率に大きな差はなかった。次に、腫瘍の発症までの経過をMRIで観察し、発症までの期間を計測した結果、MMTV-neu(+)/FRS2β(+/+)では、離乳後、平均5.3週で腫瘍形成がみられたのに対し、MMTV-neu(+)/FRS2β(-/-)では、平均1.4週で腫瘍の形成が確認できたことから、乳癌のモデルマウスを用いた系において、FRS2βを欠損させた個体群では、腫瘍の発症期間が短くなる結果が得られた。この結果より、FRSβはErbB2依存型の乳腺腫瘍の発症を抑制することが示唆された。

MRIの結果より、FRS2βが腫瘍の発症に寄与していることが示唆されたことから、腫瘍が発症する前の段階で、FRS2βが強く発現している、授乳期の乳腺に着目して解析を行った。授乳2週目の乳腺組織を摘出し、細胞増殖の指標で、細胞分裂のM期に陽性となる、リン酸化ヒストンH3(PH3)と、FRS2βの免疫染色により、腫瘍発症前の乳腺におけるFRS2βの発現傾向と、さらにはFRS2βと細胞増殖の関係を調べた。その結果、FRS2βは乳腺のLuminal cellsに特異的に発現しており、Myoepoihtelial cellsにはほとんど発現していなかった。また、FRS2βは、Luminal cells全体に発現しているわけではなく、FRS2β陽性の細胞は、ごく一部に点在しており、乳腺のLuminal cells全体の5~8%の細胞に発現していた。また、PH3を指標としてLuminal cellsの細胞増殖の傾向を調べた結果、MMTV-neu(+)/FRS2β(+/+)マウスでは、MMTV-neu(-)/FRS2β(+/+)マウスの乳腺に対して、有意なPH3陽性細胞の増加を示した。そして、MMTV-neu(+)/FRS2β(-/-)の個体群では、さらなるPH3陽性細胞の有意な増加を確認した。一方で、Myoepithelial cellsでは、FRS2βの遺伝子型による、PH3陽性細胞数の有意な差は見られなかった。また、授乳期の乳腺上皮細胞におけるERKの核移行を調べたところ、乳腺のLuminal cellsにおいて、FRS2β陽性の細胞でERKの核移行が有意に抑えられている結果が得られた。

さらに、授乳期の乳腺より乳腺上皮細胞を単離し、スフィア培養によりFRS2β(+/+)とFRS2β(-/-)の乳腺幹細胞・前駆細胞を比較した結果、FRS2β(-/-)の実験群において、スフィアの直径が有意に上昇する結果となり、FRS2β欠損マウスの乳腺上皮細胞において、前駆細胞の有意な増殖亢進が起こっていることが示唆された。

以上の結果より、FRS2βが欠損することにより、乳癌の発症が有意に早まることが示された。その要因として、乳癌発症前の授乳期の乳腺においては、Luminal cellsの有意な増殖亢進ならびにERKの核移行の亢進、さらには乳腺前駆細胞の増殖亢進が起こっていることが示唆された。これにより、これらの要因が乳癌の発症を早める一因となることが考えられ、ErbB2依存型の乳癌においてFRS2βが重要な役割を担っている可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はEGFRファミリー分子に結合するアダプター分子であるFRS2βの個体レベルでの機能を明らかにするため、FRS2β欠損マウスを用いた系により機能解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.マウスFrs2β遺伝子の第2エクソン近傍で相同組み換えを起こして、Frs2β遺伝子の第3エクソン以降にあるタンパク質のコード領域の転写が欠損するように設計構築したターゲティングベクターを、ES細胞に導入した。正しい位置で組み換えが生じたES細胞株を、サザンブロッティングを用いて選別した。選別したES細胞株をE3.5のC57BL/6マウス胚へ導入し、キメラマウスを作製した。このキメラマウスとWild typeのマウスを交配させ、ヘテロマウス(FRS2β(+/-))を作製し、さらにヘテロマウス同士を交配させ、FRS2β欠損マウス(FRS2β(-/-))を作製した。作製したマウスについては、PCRによるタイピングやウェスタンブロッティングにより、遺伝子型や、FRS2βタンパク質の発現チェックを行い、作製したマウスがFRS2β欠損マウスであることを確認した。

2.作製したFRS2β欠損マウスは、Wild typeのマウスと同様に誕生し、外見上はWild typeとの差はみられず、目立った組織や臓器の異常も見られなかった。また、誕生後の体重変化や、産仔数などにも異常は見られなかった。

3.作製したターゲティングベクターにLacZ遺伝子が組み込まれていることを利用し、マウス個体におけるFRS2βの発現部位の特定を行った。FRS2β(+/-)マウスを用いてLacZ染色を行った結果、大脳皮質、海馬CA2領域、視床、視床下部、小脳プルキンエ細胞層、腎臓近位尿細管、精巣ライディッヒ細胞、胃壁主細胞、乳腺上皮細胞にLacZ染色陽性の部位を確認し、これらの部位にFRS2βが発現していることが示唆された。

4.FRS2βが、乳癌との関連が深いErbB2のシグナルの抑制分子であることと、乳腺上皮細胞にFRS2βが発現していることから、乳癌とFRS2βの関係に着目して実験を行った。ErbB2依存型の乳癌モデルマウスであるMMTV-neu(+)とFRS2β(-/-)を交配させ、MMTV-neu(+)/FRS2β(+/+)と、MMTV-neu(+)/FRS2β(-/-)を作製し、双方の発癌傾向を比較した。その結果、MMTV-neu(+)/FRS2β(-/-)の実験群で、有意に乳癌の発症が早まることから、FRS2βが乳癌の発症を抑制している可能性があることが示唆された。

5.FRS2βを欠損させることにより、乳癌の発症が早まることから、乳癌発症前の授乳期の乳腺に着目し、解析を行った。その結果、FRS2βは乳腺上皮のLuminal cells全体の5~8%に特異的に発現しており、FRS2βの欠損によって、発癌前の乳腺組織において、Luminal cellsの増殖亢進、ERKの核移行の亢進が起こっており、これらに起因して乳癌の発症が早まる可能性が示唆された。

6.FRS2βを発現しているLuminal cellsが全体の5~8%で、このわずかな細胞で発現しているFRS2βを欠損させることによって乳癌の発症時期が大きく変化することから、幹細胞や前駆細胞の関与を予想した。FRS2βと幹細胞・前駆細胞の関係を調べるため、スフィア培養による解析を行った。その結果、FRS2β(-/-)の実験群で、乳腺の前駆細胞の増殖亢進が観察され、乳腺前駆細胞の異常が乳癌の発症促進に寄与している可能性が示唆される結果が得られた。

以上、本論文はFRS2β欠損マウスを作製し、それをモデルとして、FRS2βの欠損がErbB2依存型の乳癌の発症に寄与していることを明らかにしたものである。また逆に、論文提出者はFRS2βの欠損が発症後期の癌の形成に抑制的であることも観察しており、その知見に基づいた興味深い考察を展開している。これまでに、FRS2β欠損マウスの作製事例はもとより、FRS2βの個体レベルにおける機能に関しては殆ど報告がなかった。また、本研究によって、ErbB2依存型の乳癌においてFRS2βが重要な役割を担っている可能性が示唆され、今回新たに得られた知見、ならびに作製したモデル動物が、今後の乳癌研究に重要な役割を担う可能性が考えられる。さらに本論文から、論文提出者は研究者として十分な見識と技能を備えていると判断でき、博士(医学)の学位を授与されるに相応しいと認める。

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