学位論文要旨



No 126983
著者(漢字) 稲垣,奈都子
著者(英字)
著者(カナ) イナガキ,ナツコ
標題(和) サル免疫不全ウイルス・カプシド蛋白の分子間N-Cドメインの機能的相互作用に重要なアミノ酸配列に関する研究
標題(洋)
報告番号 126983
報告番号 甲26983
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3593号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 森屋,恭爾
 東京大学 教授 清野,宏
 東京大学 准教授 米田,美佐子
 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 准教授 三浦,聡之
内容要旨 要旨を表示する

後天性免疫不全症候群(acquired immunodeficiency syndrome, AIDS)の原因ウイルスであるヒト免疫不全ウイルス(human immunodeficiency virus, HIV)およびサル免疫不全ウイルス(simian immunodeficiency virus, SIV)が分離されてから約30年の歳月が経つ。しかし、世界のHIV感染者数は増加し続けており予防AIDSワクチン開発は国際的な課題である。また、これまでの精力的な研究によりHIV陽性者の発症阻止のための抗レトロウイルス薬が数多く開発され、多剤併用療法(highly active antiretroviral therapy, HAART)によりウイルスの増殖を防御することが可能となってきているが、長期服用による副作用や薬剤耐性株の出現といった問題は残されており、HIV感染を完治ならびに根絶するための新たなHIV制御法が切望されている。これらの課題の克服には、HIV/SIVの生物学的性質、HIV/SIVと感染細胞の相互作用そして免疫系の応答について、今以上に解明を進めることが必要である。

AIDSワクチンならびに抗HIV/SIV薬の開発を困難にしている原因の一つとして、HIV/SIVが多様性に富むゲノムを有することが挙げられる。この多様性に富んだゲノムを有するHIV/SIVにおいて、N末端ドメイン(NTD)とC末端ドメイン(CTD)から構成されるGag カプシドタンパク(CA)をコードするゲノム領域は比較的保存性が高いことが知られている。細胞性免疫の代表的エフェクターである細胞傷害性Tリンパ球(CTL)は、ウイルス感染細胞膜表面に発現している各個体固有の主要組織適合性遺伝子複合体(major histocompatilibity complex)クラスI(MHC-I)分子に結合した抗原エピトープを特異的に認識し感染細胞に対し細胞傷害を起こすが、CTLの強いHIV複製抑制作用の下ではCTLの認識から逃れるような変異を有するHIVが選択されていることが知られている。一方、そのようなCTLエスケープ変異により、ウイルスの複製能が低下する場合があることも知られており、タンパク質の構造上の制約を伴うCAにおけるCTLエスケープ変異によるウイルス複製能の低下はしばしば報告されている。このようなゲノム保存性の高いCAタンパク質の構造上の制約を知ることはワクチン抗原デザインや抗HIV薬開発に有用であると考えている。

所属研究室では、これまでMHC-I ハプロタイプ90-120-Ia陽性アカゲサルを用いたワクチン接種群へのSIVmac239チャレンジ実験で、ワクチン誘導CTLがSIVmac239の複製を制御しうることを報告し、その際Gag206-216(IINEEAADWDL)エピトープ特異的CTL反応がその制御に重要な役割を担っていることを明らかにした。一方、MHC-I ハプロタイプ90-120-Ia陽性ワクチン接種サル群への別の病原性SIV株SIVsmE543-3チャレンジ実験では、感染初期のGag206-216エピトープ特異的CTLの二次反応は認められず、高い血中ウイルス量を維持したまま約1年あまりでエイズ発症に至った。SIVsmE543-3のGag206-216エピトープ領域のアミノ酸配列はSIVmac239と同じ配列に保たれていたが、Gag206-216エピトープの1アミノ酸前に位置するGag205番目のアミノ酸配列の違い(SIVmac239Gag205番目はアスパラギン酸(D)、SIVsmE543-3Gag205 番目はグルタミン酸 (E))に因りGag206-216エピトープ特異的CTLはSIVmac239を認識するものの、SIVsmE543-3を認識できないことが示された。

私は、Gag(206-216)エピトープ特異的CTLからのエスケープに結びつく、このGag205番目のアミノ酸置換(GagD205E)のSIV複製能への影響を調べることにした。まずSIVmac239野生型のGag205番目をDからSIVsmE543-3由来のEに置換したSIVmac239Gag205E変異体を作製し、in vitroでの複製能を検討した。このSIVmac239Gag205E変異体のサルT細胞株における複製能は、野生型に比べ低下していた。更に、このSIVmac239Gag205Eを継代すると新たな代償性変異(GagV340M)が追加され複製能が回復することを見出した。興味深いことに、ここで見出されたGag340番目のアミノ酸変化は、SIVmac239由来のバリン(V)からSIVsmE543-3由来のメチオニン(M)への変化であり、構造的な相互作用を探るため、現時点で報告されているHIV-1のCA構造を基にSIV CAの構造シミュレーション解析を行った。CA単量体構造シミュレーション解析では、Gag205はGagがコードするCA内のNTDに位置するのに対し、今回新たに見出された代償性変異Gag340はCAのCTDに位置しており分子内相互作用の可能性は低いことが示唆された。しかし、CA六量体構造シミュレーション解析により両者のアミノ酸の分子間相互作用が示唆された。in vitro core stability assayを用いてCAコアの安定性をみたところGagD205E変異によりコアの安定性が低下し、GagV340M追加変異により回復することが示され、CA六量体での分子間相互作用を支持する結果が得られた。

また、MHC-Iハプロタイプ90-120-Ia陽性サルのSIVmac239感染慢性期に、GagD205E+GagV340M変異が選択されることを見出した。培養細胞でのSIVmac239Gag205E継代実験でGag205Eから野生型のGag205Dに戻るのではなくGagV340Mの追加変異の出現を認めたが、同様にサル個体においてもGagD205E+V340Mが選択された。このことは、Gag205D-Gag340VおよびGag205E-Gag340Mの相互作用の存在、つまりCA NTDのGag205番目とCA CTDのGag340番目間に機能的相互作用の存在を示唆する重要な証拠と考えられる。

本研究はCAのNTD-CTDの機能的相互作用のための構造上の制約についてin vitro およびin vivoの根拠を提示するものである。これまで行われた多くの研究からHIV/SIV感染にGag特異的CTL反応が効果的であることが示されてきており、GagはCTL誘導ワクチンの抗原候補として期待されていることから、Gag内の構造上の制約がある部位をワクチンデザインのターゲットとする戦略は有望である。本研究は、Gag CAの機能的相互作用の重要性をin vitroだけでなくin vivoでも示す根拠を得た点で高い意義を有し、更に、得られたCA構造上の制約はワクチン抗原デザインに有益な情報をもたらす点で重要であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、細胞傷害性Tリンパ球の認識に影響するサル免疫不全ウイルス(SIV)のうち比較的保存性が高いゲノム領域にコードされるGagカプシドタンパク(CA)の1アミノ酸置換を有する変異体の解析を行い、CAのN末端ドメイン内のある1アミノ酸とC末端ドメイン内の1アミノ酸の相互作用がウイルス複製に重要であることをin vitroおよびin vivoの両視点から明らかにしたものであり、具体的には下記の結果を得ている。

1.MHC-I ハプロタイプ90-120-Ia陽性アカゲサルを用いたワクチン接種群へのSIVmac239チャレンジ実験から、SIVmac239複製がワクチン誘導CTLにより制御され、その際Gag206-216エピトープ特異的CTL反応が重要であることを明らかにした。次にGag206-216エピトープ領域のアミノ酸配列が同一の別の病原性SIV株SIVsmE543-3チャレンジ実験を行ったところ、感染初期のGag206-216エピトープ特異的CTLの二次反応は認められず、高い血中ウイルス量を維持したまま約1年あまりでエイズ発症に至った。Gag206-216エピトープの1アミノ酸前に位置するGag205番目のアミノ酸配列の違いに因りGag206-216エピトープ特異的CTLはSIVmac239を認識するものの、SIVsmE543-3を認識できないことが以前示された。このGag206-216エピトープ特異的CTLからのエスケープに結びつくGag205番目のアミノ酸置換(GagD205E)のSIV複製能への影響を調べるために、まずSIVmac239野生型のGag205番目をアスパラギン酸(D)からSIVsmE543-3由来のグルタミン酸 (E)に置換したSIVmac239Gag205E変異体を作製し、in vitroでの複製能を検討した。このSIVmac239Gag205E変異体のサルT細胞株における複製能は、野生型に比べ低下していた。更に、このSIVmac239Gag205Eを継代すると新たな代償性変異(GagV340M)が追加され複製能が回復することを見出した。なお、ここで見出されたGag340番目のアミノ酸変化は、SIVmac239由来のバリン(V)からSIVsmE543-3由来のメチオニン(M)への変化と一致していることが示された。

2.構造的な相互作用を探るため、現時点で報告されているHIV-1のCA構造を基にSIV CAの構造シミュレーション解析を行った。CA単量体構造シミュレーション解析では、Gag205はGagがコードするCA内のNTDに位置するのに対し、今回新たに見出された代償性変異Gag340はCAのCTDに位置しており分子内相互作用の可能性は低いことが示唆された。しかし、CA六量体構造シミュレーション解析により両者のアミノ酸の分子間相互作用が示唆された。

3.in vitro core stability assayを用いてCAコアの安定性を検討したところGagD205E変異によりコアの安定性が低下し、GagV340M追加変異により回復することが示され、CA六量体での分子間相互作用を支持する結果が得られた。

4.SIVmac239Gag205E変異体の複製能の低下によるウイルスライフサイクルへの影響を検討した。後期課程では野生型と同程度の逆転写酵素活性が認められたが、LuSIV細胞を用いた前期課程でのassayを行ったところ、差が見られた。従って、SIVmac239Gag205E変異体では細胞内に侵入してから、逆転写により合成されたviral DNAの宿主染色体への組み込みまでを含む前期過程の効率の低下が示された。

5.MHC-Iハプロタイプ90-120-Ia陽性サルのSIVmac239感染慢性期に、GagD205E+GagV340M変異が選択されることを見出した。培養細胞でのSIVmac239Gag205E継代実験でGag205Eから野生型のGag205Dに戻るのではなくGagV340Mの追加変異の出現を認めたが、同様にサル個体においてもGagD205E+V340Mが選択された。このことは、Gag205D-Gag340VおよびGag205E-Gag340Mの相互作用の存在、つまりCA NTDのGag205番目とCA CTDのGag340番目間に機能的相互作用の存在が示唆された。

以上、本論文はGag CA NTD-CTDの機能的相互作用の構造上の制約における重要性をin vitroだけでなくin vivoでも示す根拠を得た点で高い意義を有し、更に、得られたCA構造上の制約はワクチン抗原デザインに有益な情報をもたらす点で重要であると考えられる。本研究は、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51485