学位論文要旨



No 126989
著者(漢字) 倉島,洋介
著者(英字)
著者(カナ) クラシマ,ヨウスケ
標題(和) 消化器免疫疾患の新規予防・治療法の確立に向けた腸管マスト細胞の解析
標題(洋)
報告番号 126989
報告番号 甲26989
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3599号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三宅,健介
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 教授 北村,俊雄
 東京大学 准教授 本田,賢也
 東京大学 講師 鯉沼,代造
内容要旨 要旨を表示する

腸管は病原性微生物だけではなく、食物の消化や腸内細菌との共存などの多様な生理的役割を介して異物に常時接しているため、免疫学的恒常性維持においても非常に重要な役割を担っている。これら恒常性維持機構が崩壊し、食物抗原や腸内細菌に対する免疫応答が過剰に誘導されると、食物アレルギーやクローン病、潰瘍性大腸炎などの難治性炎症性腸疾患が引き起こされる。

食物アレルギーと炎症性腸疾患の両疾患において、腸管の粘膜面に存在するマスト細胞(肥満細胞)の脱顆粒様の形態変化が組織学的に示されている。しかしながら、両疾患におけるマスト細胞の役割および形態変化の疾患発症への関連性には不明な点が多く残されている。

1.マスト細胞組織浸潤阻害による食物アレルギーの発症制御

マスト細胞はアレルギーの発症の原因となるeffector細胞であると考えられている。アレルギー疾患の効果相においては、食物抗原特異的な高親和性IgE-受容体の架橋によって、細胞質に豊富に含まれた顆粒成分の放出、つまり脱顆粒反応が引き起こされ、ヒスタミンやロイコトリエンなどが放出される。腸管や肺などの粘膜組織に存在するマスト細胞は粘膜型マスト細胞と呼ばれ、Th2型サイトカインにより組織内で増殖する事が知られている。つまり、マスト細胞は他の顆粒球とは異なり、組織内で成熟した後にも増殖すると考えられている。そのため、アレルギー疾患の効果的な抑制には、マスト細胞遊走ならびにマスト細胞の増殖環境の構築の両方を抑制する必要がある。

本研究第一章では、食物アレルギーにおける消化管過敏反応(アレルギー性の下痢)において、マスト細胞の遊走とTh2型免疫応答による粘膜面でのマスト細胞の増殖環境の構築に着目し、脂質メディエーターの一つであるスフィンゴシン1リン酸(S1P)に焦点を当て解析を進めた。アレルギー患者の肺の粘膜組織では、S1Pの濃度が増加しているという報告があり、in vitroの解析からもS1Pがマスト細胞の遊走因子として働くことが報告されている。このことから、S1Pがアレルギーの発症に関与していることが示唆される。ニワトリ卵白アルブミンの経口投与により、アレルギー性の下痢を発症するモデルマウスを用いて、食物アレルギーの臨床所見である下痢の発症におけるマスト細胞の役割についての解析を行った。その結果、下痢の発症に伴い、大腸粘膜固有層中にマスト細胞の顕著な増加が確認された。抗IgE抗体の投与ならびにマスト細胞が欠損したマウスではアレルギー性の下痢の発症が見られないことから、下痢の発症にはIgE依存的なマスト細胞の活性化が必須であることが示された。さらに、大腸粘膜へのCD4+T細胞の浸潤阻害を目的として、I型S1P受容体(S1P1受容体)のagonistであるFTY720をマウスに投与することで、CD4+T細胞のS1P1受容体依存的なリンパ節からの移出の阻害を行った。その結果、FTY720投与群ではアレルギー性下痢の有意な抑制およびマスト細胞の大腸粘膜固有層への浸潤が抑制された。さらにFTY720投与群では大腸内でのTh2型サイトカインの産生が抑制されていることも確認された。FTY720の投与によって、血清中の総・抗原特異的IgE量には変化がないことから、FTY720によるアレルギー性の下痢の抑制効果は、抗原特異的免疫反応ではなく、腸管粘膜への細胞遊走の阻害によるものである事が示された。また、大腸粘膜固有層のマスト細胞にS1P1受容体の発現が確認されたことから、FTY720がマスト細胞に直接作用する可能性が考えられた。そこで、FTY720によるマスト細胞の遊走への影響を解析したところ、マスト細胞の活性化に伴うparacrine的なマスト細胞の集積がin vitroでのFTY720の前処理により抑制されることが示された。以上の結果から、S1P-S1P1受容体の制御による腸管におけるTh2環境の構築とマスト細胞の浸潤の阻害が、アレルギー性の下痢の発症の抑制に効果的であることが示された。

2.炎症性腸疾患におけるマスト細胞の役割および活性化機構の解析

潰瘍性大腸炎およびクローン病といった炎症性腸疾患は、胃腸管の一部の慢性非特異的炎症によって特徴づけられる胃腸障害の群を指す。近年我が国においても増加傾向にあるものの原因の詳細は不明であり、根治療法が存在しない疾患である。過度な免疫の活性化が起因していると考えられているが、病態の形成には腸内細菌や食物中の脂質成分など、さまざまな要素が複合的に働いていることも知られている。本研究第二章では、炎症性腸疾患におけるマスト細胞の役割を解析し、他の免疫細胞との相互作用、ならびにマスト細胞の機能解析を目的として、実験的炎症性腸疾患モデルマウスを用いて解析を行った。特にこれまで、マスト細胞は感染防御に働く免疫応答の効果的な促進を担う半面、免疫抑制作用を有しているという多様な機能が示されている。これらは、組織中の環境因子や状況に応じて産生されるマスト細胞の活性化因子により異なる機能が発揮されていると考えられる。そのため、マスト細胞関連疾患の適した制御法の確立には、マスト細胞の活性化因子の同定ならびに活性化因子の阻害が重要であると考えられる。そこで、はじめにin vivoにおけるマスト細胞の活性化の定量を目的として、抗活性化マスト細胞抗体(抗CD63抗体)の樹立を行った。腸炎モデルマウスの大腸組織中のマスト細胞を解析したところ、腸炎の発症に伴いCD63陽性活性化マスト細胞の増加が確認された。そこで、マスト細胞の腸炎への関与を解析する目的で、マスト細胞欠損マウスを用いて解析を行ったところ、3種類の腸炎モデル(2,4,6-トリニトロベンゼンスルホン酸誘導性大腸炎、デキストラン硫酸ナトリウム大腸炎、CD45RB(high) CD4陽性T細胞移入大腸炎モデル)で、マスト細胞欠損マウスでは、体重減少ならびに炎症細胞(好中球)の浸潤が野生型マウスと比較して抑制されている事が示された。このことから、マスト細胞が腸症の増悪化に寄与する細胞であることが示された。そこで次にマスト細胞の活性化因子の同定を目的として解析を行ったところ、RAG-1欠損マウスでもCD63陽性活性化マスト細胞の増加が観察されることから、T細胞やB細胞に依存しないマスト細胞活性化機構が存在する事が示された。そこで、マスト細胞を特異的もしくはマスト細胞に高発現する分子に対する抗体の樹立を試み、樹立した抗体を実験的腸炎モデルマウスの誘導過程に投与を行った。その結果、樹立抗体の一つ(1F11;ratIgG2b.к)に、コントロール抗体投与群に対して体重減少や炎症細胞の浸潤、さらにはマスト細胞の活性化が有意に抑制されるものが見出された。免疫沈降と質量分析法により、1F11抗体は細胞外ATPの受容体として働くP2X7受容体を認識する抗体である事が明らかとなった。また、in vitro解析により、1F11抗体がATP-P2X7受容体に対して阻害作用を有する事が示された。そこで、マスト細胞欠損マウスに、野生型マウスもしくはP2X7受容体欠損マウスから誘導した骨髄由来マスト細胞を移入し、再構築させた後に実験的腸炎を誘導したところ、P2X7受容体欠損マスト細胞を再構築させたマウス群では腸炎の発症が抑制されることが示された。またマスト細胞の活性化の割合が野生型マウス由来マスト細胞再構築群に比べ、P2X7受容体欠損マスト細胞の再構築を行った群においては顕著に減少していたことから、腸炎におけるマスト細胞の活性化はP2X7受容体依存的であることが示された。さらに、P2X7受容体の下流にinflammasomeが存在することから、Caspase-1欠損マスト細胞再構築マウス解析したところ、野生型同様の炎症が確認された。つまり、マスト細胞による腸炎増悪化機構は、P2X7受容体依存的、inflammasome非依存的である可能性が示された。細胞外ATPによりマスト細胞からTNFα、IL-6、Leukotriene C4などのサイトカインや脂質メディエーターがP2X7受容体依存的に産生されることが明らかとなり、effector細胞としてもマスト細胞が働く事が示された。さらに炎症細胞の動員機構に関して解析したところ、好中球の遊走に関与するCCL2、CCL3、CCL7、CXCL2がP2X7受容体依存的に産生されることが確認された。このことから、腸管のマスト細胞が腸炎のeffector細胞としてのみならず、炎症細胞の組織浸潤の促進といったinitiator細胞としても働いていることが示された。

この結果から、マスト細胞に高発現するP2X7受容体が腸炎の増悪化に対する新たな標的分子として有効である可能性を新たに示す結果が得られた。

本研究では、免疫担当細胞の一つであるマスト細胞に着目し、食物アレルギーと炎症性腸疾患におけるマスト細胞の役割を解析した。

本研究第一章から、食物アレルギーではT細胞依存的なマスト細胞の浸潤ならびに活性化機構がアレルギー性の下痢の発症に関与する事が見出された。またT細胞を介した間接的作用だけではなく、S1P受容体の阻害剤がマスト細胞の遊走・組織浸潤を直接的に阻害する事が明らかとなった。

また、第二章では実験的IBDマウスモデルの解析からマスト細胞がIBDの炎症を促進している結論が見出されている。炎症増悪化に伴う好中球の遊走にマスト細胞が重要な役割を示すことが明らかとなった。二つの疾患における異なるマスト細胞の活性化様式の結果、マスト細胞から産生されるサイトカインや脂質メディエーター、ケモカインに量的・質的違いがあるかは、今後の解析課題である。しかしながら、マスト細胞を標的とした新たな粘膜疾患療法が今後期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は食物アレルギーや炎症性腸疾患といった消化管免疫疾患におけるマスト細胞(肥満細胞)の機能をあきらかにし、新たな予防・治療法の確立を目指した解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

第一章「マスト細胞組織浸潤阻害による食物アレルギーの発症制御」

1.食物アレルギーの消化器症状のひとつであるアレルギー性の下痢発症モデルマウスでは、未処理群、アレルゲンの非経口投与群においては、大腸内のマスト細胞の割合が、全粘膜固有層細胞中0.5-1%程度であったのに対し、アレルゲンの経口投与により下痢の発症が認められたマウス群においては約8%に増加していた。また、本モデルマウスに対して、抗IgE抗体の投与によりIgEのを中和を行ったところ、下痢の発症が認められなかった。さらに、マスト細胞欠損マウスであるKitW-sh/W-shマウスをBALB/cに5回バッククロスさせたもの(KitW-sh/W-shBALB/c-F5)に対して、アレルギー性の下痢を誘導したところ、野生型マウスであるKit+/+BALB/c-F5では下痢の発症が観察されたが、マスト細胞欠損マウスでは、下痢の発症は認められなかった。以上のことから、アレルゲンの経口投与による下痢の発症には腸管粘膜組織内でアレルゲン特異的なIgEを介したマスト細胞の活性化が必須であることが明らかになった。

2.マスト細胞の大腸内への細胞浸潤・遊走の阻害を目的として、マスト細胞の遊走因子ならびにマスト細胞の組織内での生存に重要であるTh2サイトカイン産生CD4+T細胞の組織浸潤に関与する因子について検討した。そこで、アレルギー疾患の発症部位で産生量が亢進し、且つ細胞遊走に関与する脂質メディエーターの一つであるスフィンゴシン1リン酸について解析を行った。スフィンゴシン1リン酸の受容体の阻害剤であるFTY720をアレルギー性下痢の発症モデルマウスに投与すると、アレルギー性の下痢の発症が有意に抑止されることが示された。また、FTY720投与群においては腸管粘膜固有層中のマスト細胞数の減少とともにTh2サイトカイン(IL-4、IL-5)の産生低下が認められた。さらに、スフィンゴシン1リン酸受容体はCD4+T細胞とマスト細胞に発現していることが示されたことから、in vivoとin vitroにおける細胞遊走試験を行ったところ、FTY720のマウスへの投与もしくはin vitroでの共培養によって、直接的にCD4+T細胞とマスト細胞の遊走活性が抑制されることが示された。つまり、アレルギー性の下痢の発症の抑制においては、スフィンゴシン1リン酸受容体を標的とした腸管粘膜組織へのマスト細胞遊走制御が有効であることが示された。

第二章「炎症性腸疾患におけるマスト細胞の役割および活性化機構の解析」

1.トリニトロベンゼンスルホン酸(TNBS)大腸炎モデルマウスを用いた解析から、大腸炎を発症するマウスの大腸組織において、マスト細胞の顆粒放出(脱顆粒)の様相が組織染色法により認められた。次にマスト細胞の脱顆粒マーカーであるCD63に対する抗体(5A9抗体)を作製し、TNBS投与後の大腸粘膜固有層内のマスト細胞のFACS解析を行った。その結果、コントロール群では10%程度のマスト細胞がCD63陽性であるのに対し、TNBS投与群では40%以上のマスト細胞がCD63陽性であった。つまり大腸炎の発症の際にマスト細胞が活性化していることが明らかとなった。

2.マスト細胞欠損マウスと野生型マウスに対して、TNBS、DSS経口投与、CD4+CD45RBhighT細胞移入による実験的大腸炎マウスモデルを用いて解析をしたところ、マスト細胞を欠損するマウスにおいては、体重減少、炎症細胞浸潤、腸管壁の肥厚などの炎症症状の緩和が認められた。このことから、炎症に伴うマスト細胞の活性化が大腸炎の炎症増悪化を引き起こす可能性が示唆され、このマスト細胞の活性化因子の探索が、大腸炎増悪化に対する抑制法として有効であることが示唆された。

3.大腸炎におけるマスト細胞の活性化因子の探索を目的として、IgEやIL-18、IL-33などの関与について検討したところ、上記の因子には依存しないマスト細胞活性化機序が存在することが示された。そこで、腸管マスト細胞に対して反応性を示す抗体を作製し、in vivoでの腸管マスト細胞の中和もしくは活性化の抑制の検討を行った。その結果、作製した抗体の一つの1F11抗体(ratIgG2b)を投与した群においては、Control抗体投与群に比べてTNBS投与後の体重減少が緩和または早期に回復される傾向がみられた。

4.SDS-PAGEと質量分析法により1F11抗体の認識分子を探索したところ、1F11抗体は細胞外核酸(ATP)受容体の一つであるP2X7受容体を特異的に認識する抗体であることが確かめられた。また、1F11抗体は、ATPの刺激によるマスト細胞の活性化(脱顆粒・サイトカイン、ケモカイン産生)を阻害する作用を持つことが示された。

5.P2X7受容体を欠損するマスト細胞を、マスト細胞欠損マウスに移入し再構築を行った。このマウスを用いて、大腸炎の誘導を試みたところ、野生型マスト細胞再構築群では体重減少および炎症が引き起こされるのに対して、P2X7受容体欠損マスト細胞再構築群では体重減少ならびに炎症細胞の浸潤が緩和されることが示された。つまり、マスト細胞による大腸炎増悪化において、マスト細胞上に発現するP2X7受容体が重要な役割を担っていることが明らかとなり、P2X7受容体を標的とした大腸炎の予防・治療法の可能性が示された。

6.細胞外核酸ATPの代謝酵素群の発現を解析したところ、マスト細胞はCD39(ecto-nucleotidase)を発現しているが、CD73(ecto-5'-nucleotidase)の発現は見られなかった。つまり、マスト細胞は、ATPからADP・AMPへの代謝経路を有しているものの、ADP・AMPからadenosine産生経路は存在しない可能性が示された。また、adenosineには大腸炎に対する抑制作用が報告されていることから、細胞外核酸の代謝経路に関しては、マスト細胞は積極的な炎症抑制能を持たない可能性が示された。さらに、ADPを介したマスト細胞の活性化にADP受容体として知られているP2Y1やP2Y12受容体の関与とは異なる活性化機構が存在していると考えられた。しかしながら、本来ATPの受容体であるP2X7受容体を欠損したマスト細胞においては細胞外ADPに対しても反応性を示さないことが明らかとなった。アデニル酸キナーゼは、細胞質内に普遍的に存在する酵素であるが細胞外もしくは細胞膜近傍において作用しADP→ATPの合成を行っていることが報告されており、AK阻害剤を用いてADPによるマスト細胞の活性化を解析したところ、マスト細胞の活性化が抑制される傾向が示された。つまり、マスト細胞は細胞外核酸に対して、autocrine、paracrine的な活性化増幅作用を持つ性質が示された。

7.大腸炎増悪におけるマスト細胞の役割として、ATP刺激によりIL-6、TNFα、Oncostatin M、ロイコトリエンC4などの炎症性メディエーターの産生や、炎症性細胞の誘引因子であるケモカイン(CCL2、CCL7、CXCL2)の産生が観察されることから、マスト細胞がeffector細胞としてのみならず、他の炎症性細胞の動員を積極的に行う働きを持つことが示唆された。

以上、本論文は消化器免疫疾患におけるマスト細胞の役割、ならびに活性化因子の同定、さらには遊走・機能に対する阻害により、免疫疾患の発症の抑制が可能であることが確かめられた。消化器粘膜面に存在するマスト細胞の役割は不明な点が多く残されていたが、本研究は、消化器免疫疾患の発症機序の解明と疾患治療に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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