学位論文要旨



No 126991
著者(漢字) 坂部,沙織
著者(英字)
著者(カナ) サカベ,サオリ
標題(和) インフルエンザの病原性におけるサイトカインの役割
標題(洋) The role of cytokines in influenza pathogenesis
報告番号 126991
報告番号 甲26991
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3601号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 教授 三宅,健介
 東京大学 准教授 川口,寧
 東京大学 准教授 本田,賢也
 東京大学 教授 小池,和彦
内容要旨 要旨を表示する

A型インフルエンザウイルスは、その表面糖蛋白質であるHAとNAの抗原性に基づき、H1~H16、N1~N9の亜型に分類される。A型インフルエンザAウイルスはヒトを含む様々な動物に感染するが、全てのHAとNA亜型のウイルスが水禽から分離されており、インフルエンザウイルスの自然宿主はカモなどの水禽である。水禽で受け継がれているウイルスが、家禽やブタ、ヒトに感染・伝播し、それぞれの動物に病気を引き起こす。ヒトにはこれまで、季節性ウイルスのH1N1(ソ連型)やH3N2(香港型)亜型の他に、H2N2、H5N1、H9N2、H7N3およびH7N7などの亜型のウイルスが感染したことが報告されている。なかでも、1997年以降、H5N1高病原性鳥インフルエンザウイルスのヒトへの感染死亡例が増え続けている。H5N1ウイルスは、ヒトに対して強い病原性を示し、その致死率は60%にも上る。また、2009年春、豚由来のH1N1亜型のウイルスによるパンデミックが発生した。2009パンデミック(2009pdm)ウイルスに感染したヒトの多くは、季節性インフルエンザと同程度の症状を示し、その病状は比較的軽度であったが、若者や子供たちを中心に肺炎が重篤化し、入院や死亡する患者が多数認められた。パンデミックウイルスに罹患し重症化した患者や、H5N1ウイルスに感染した患者は、急性呼吸窮迫症候群(ARDS)や多臓器不全を示し、ひどい場合には死に至る。これらの患者の血中や肺中には、高濃度のサイトカインが検出されており、過剰量のサイトカイン放出が、ARDSや多臓器不全の原因と考えられている。

本研究では、in vitroの実験として、ヒトの末梢血由来マクロファージを用いて、また、in vivoではモデル動物としてマウスを用いて、H5N1ウイルスやパンデミックH1N1ウイルスの増殖性やサイトカイン誘導能を検討した。さらに、これらのインフルエンザウイルス感染症に対する治療法の一つとして、抗体療法の有効性を検討した。

第1章 H5N1および2009pdmH1N1インフルエンザウイルスのヒト末梢血由来マクロファージにおけるサイトカイン誘導と増殖性

ヒトがH5N1ウイルスに感染した時の過剰なサイトカイン応答には、肺胞マクロファージが大きな役割を担っていると考えられている。本研究では、H5N1ウイルスおよび2009pdmH1N1ウイルスのヒトマクロファージにおける増殖能とサイトカイン誘導能を明らかにする目的で、ヒト末梢血中に含まれる単球からマクロファージを誘導し、誘導したマクロファージにウイルスを感染させた。

レクチンを用いた細胞表面の糖鎖解析から、ヒト末梢血由来マクロファージには、鳥類で主に発現が認められる鳥型レセプターと、ヒトの呼吸器で主に発現が認められるヒト型レセプターのどちらも発現していることが明らかになった。さらに、実験に用いた全てのインフルエンザウイルスが、ヒト末梢血での増殖能を有していることが明らかになった。また、培養上清中に放出された48種類のサイトカイン量を測定した結果、実験に用いた5株のH5N1ウイルスのうち、3株は季節性ウイルスよりも高いサイトカイン誘導能を示したが、残りの2株のサイトカイン誘導能は季節性のウイルスとほとんど変わらなかった。H5N1ウイルスの、ヒトマクロファージにおけるサイトカイン誘導能とウイルス株が分離された患者の臨床症状には、相関が認められなかった。さらに、血液提供者によって、サイトカイン誘導能に大きな差が認められたことから、インフルエンザウイルスに対する、個人の感受性の差が示唆された。一方、2009pdmH1N1ウイルスは、季節性のウイルスよりも、IL-6など数種類のサイトカインを多量に誘導することがわかった。

本研究において、インフルエンザウイルスの増殖能とサイトカイン誘導量には、明確な相関は認められなかったが、不活化ウイルスはサイトカインを誘導しなかったことから、サイトカインが放出されるには、ウイルスの増殖が必要であるとがわかった。

これまで、H5N1ウイルスは、サイトカインを過剰に誘導し、そのためヒトで重篤な症状を引き起こすと信じられてきた。本研究は、必ずしもすべてのH5N1ウイルスが高い誘導能を有しているわけではなく、これまで考えられてきた病原性発現メカニズムとは別のメカニズムの存在を示唆している。

第2章 H5N1および2009pdmH1N1インフルエンザウイルスに感染したマウスにおけるサイトカイン応答

本研究では、生体内でのインフルエンザウイルスに対する宿主免疫応答とウイルスの病原性との関連性を明らかにするため、インフルエンザのモデル動物であるマウスを用いて、様々なインフルエンザウイルスの病原性および増殖性と、それに対するサイトカイン応答を調べた。

始めに、H5N1、2009pdmH1N1および季節性のインフルエンザウイルスをマウスに感染させ、マウスに対する病原性を調べた。H5N1ウイルスは、少量のウイルスでもマウスを殺し、強い病原性を示したが、2009pdmH1N1ウイルスは、マウスを死に至らせるのに、多量のウイルス量を必要とした。一方、季節性のウイルスは、多量のウイルスを感染させても、マウスに対して病原性は示さなかった。また、ウイルスの増殖部位を調べた結果、H5N1ウイルスが全身感染を引き起こしたのに対し、2009pdmH1N1ウイルスや季節性ウイルスは、呼吸器でのみウイルスの増殖が認められた。次に、インフルエンザウイルスの増殖性と宿主免疫応答に関する知見を得るため、肺でのウイルス感染価と32種類のサイトカイン量を詳細に解析した。2009pdmH1N1ウイルスは、季節性ウイルスよりも高い増殖性を示し、H5N1ウイルスは、2009pdmH1N1ウイルスよりも早くそして高い増殖性を示した。一方、季節性ウイルスは、マウスの肺で一過性に増殖したのち、速やかにウイルスが排除された。H5N1ウイルスに感染したマウスでは、ウイルスの増殖と相関して、早期に多量のサイトカインの放出が認められたが、季節性のウイルスに感染したマウスでは、少量のサイトカイン応答のみ観察された。また、2009pdmH1N1ウイルスに感染したマウスでは、H5N1ウイルスよりも遅れてサイトカインが放出され始めたが、感染後期には、高いサイトカイン応答が観察された。マウスに対して強い病原性を示すウイルス株で、マウス肺において多量のサイトカイン誘導が認められたことから、ウイルスの病原性とサイトカイン誘導には正の相関があることが示唆された。

本研究により、インフルエンザウイルスの生体内での動態と宿主免疫応答に関する詳細な知見が得られた。これらの知見は、今後、インフルエンザウイルスの病原性発現メカニズムを解析する上で、有用な基礎データとなることが期待される。

第3章 亜型間交差中和抗体C179のH5N1高病原性鳥インフルエンザおよび2009年H1N1パンデミックウイルスに対する予防および治療効果

本研究では、H1からH16のうち、H1、H2、H5およびH6HAを認識する中和抗体C179を用いて、H5N1ウイルスおよび2009pdmH1N1ウイルスに対する予防および治療効果を、マウスを用いて検討した。

モノクローナル抗体C179が認識するエピトープのアミノ酸配列は、H5N1ウイルスや2009pdmH1N1ウイルスで、ある程度保存されていた。In vitroにおいて、これらのウイルスに対してC179は中和活性を有していることがわかった。さらに、マウスに、致死量のH5N1ウイルスまたは2009pdmH1N1ウイルスよる攻撃前または攻撃後に、モノクローナル抗体C179を腹腔内投与し、防御効果を調べた結果、H5N1ウイルスに対しては高い予防および治療効果が、2009pdmH1N1ウイルスに対しては、予防効果が認められた。さらに、ヒトへの臨床応用が期待できる鼻腔内投与でも同様に高い防御効果が認められた。また、モノクローナル抗体C179を投与することにより、H5N1ウイルスや2009pdmH1N1ウイルスに感染したマウスにおいて、肺や全身臓器で優位にウイルス感染価が低下していることがわかった。また、ウイルスの増殖が抑制されることにより、マウス肺中のサイトカイン量が減少することがわかった。

パンデミックの発生は、誰も予測できず、いつどのような亜型のインフルエンザウイルスが侵入してくるか分からない。一つのHA亜型特異的ではなく、モノクローナル抗体C179のように、複数のHA亜型のウイルスを中和する抗体は、抗体療法における有用性が高い。本研究は、現在インフルエンザ対策に用いられている抗ウイルス薬に代わる予防および治療法の一つとして、抗体療法のインフルエンザに対する防御効果を検討し、初めて、鼻腔内投与の有効性を示したものである。

審査要旨 要旨を表示する

本研究では、A型インフルエンザウイルスのヒトを始めとする哺乳類に対する病原性発揮のメカニズムを解明するため、ヒト末梢血由来マクロファージおよびマウスを用いて、病原性発揮に重要な役割を演じていると考えられているサイトカイン量の動態を明らかにすることを試みた。また、A型インフルエンザウイルス感染症に対する治療法の1つとして、抗体療法の有効性を評価したものであり、以下の結果を得ている。

1.ヒト末梢血由来マクロファージを用いて、H5N1ウイルスおよびパンデミックH1N1ウイルスのサイトカイン誘導能を調べた結果、H5N1ウイルスの中には、季節性ウイルスと同じくらいのサイトカイン誘導能を示す株があることが明らかになった。これまでの報告では、H5N1ウイルスは全て高いサイトカイン誘導能を示すと考えられていたため、新しい知見である。また、パンデミックH1N1ウイルスは、季節性ウイルスよりも高いサイトカイン誘導を示すことが示された。

2.上記のサイトカイン誘導能は、ウイルスの増殖能とは相関が認められなかったが、不活化ウイルスを用いた実験から、サイトカインが放出されるには、ウイルスがヒト末梢血由来マクロファージ内で増殖することが必須であることが示された。

3.H5N1ウイルスおよびパンデミックH1N1ウイルス、季節性ウイルスのマウス個体内での病原性、増殖性およびサイトカイン誘導を調べたところ、サイトカイン誘導量は、ウイルスの病原性および増殖性と相関関係があることが明らかになった。

4.以上の結果から、A型インフルエンザウイルス感染に対する治療には、ウイルスの増殖を抑制することが最優先事項であると考えられたため、治療法の一つとして、H1,H2,H5およびH6亜型の共通エピトープを認識する中和抗体C179を用いた抗体療法の有効性を、マウスモデルを用いて検討した。C179を腹腔内または鼻腔内に投与したマウスは、致死量のH5N1またはパンデミックH1N1ウイルスを感染させても高い生残率を示し、C179の投与は、これらのウイルスに対して予防および治療効果があることが示された。また、C179を予防または治療的に投与したH5N1ウイルス感染マウス個体内では、C179を投与しなかったマウスに比べ、サイトカイン産生量が減少していることが明らかになった。これらのことから、亜型間交差性抗体を用いた抗体療法の有効性が示された。

以上、本論文は、インフルエンザウイルス感染症においる病原性に重要な役割を担っていると考えられる、in vitroおよびin vivoでのサイトカイン産生に対する知見を深めたものであり、インフルエンザウイルスのヒトを始めとする哺乳類における病原性発揮のメカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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