学位論文要旨



No 126992
著者(漢字) 佐瀬,仁志
著者(英字)
著者(カナ) サセ,ヒトシ
標題(和) 血管内皮細胞の分化における血管内皮増殖因子受容体シグナルの解析
標題(洋)
報告番号 126992
報告番号 甲26992
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3602号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 中内,啓光
 東京大学 教授 村上,善則
 東京大学 教授 吉田,進昭
 東京大学 教授 油谷,浩幸
 東京大学 特任准教授 眞鍋,一郎
内容要旨 要旨を表示する

血管は全身に分布し、組織の恒常性維持に重要な役割を果たすのみならず、さまざまな病態に関与することから、その形成過程の解明は基礎生物学ならびに医学的に急務である。胎生期において、血管は最も初期に形成される臓器であり、マウスでは受精後7.5日にその発生が開始する。初めに、卵黄嚢にて血管内皮細胞と血球系細胞への分化能を持つヘマンジオブラストと呼ばれる細胞が血島と呼ばれる細胞塊を形成し、血島のうち、外側の細胞は血管内皮細胞へと分化することで原始血管網を形成する。一連の血管発生過程において、主要な役割を果たす受容体が血管内皮増殖因子受容体2 (vascular endothelial growth factor receptor 2; VEGFR2)である。VEGFR2は、チロシンキナーゼ型の受容体であり、主にVEGF-A (vascular endothelial growth factor-A)によって活性化される。VEGFR2は、細胞外ドメイン、膜貫通領域、細胞内ドメインを持ち、細胞内ドメインに主要リン酸化部位であるチロシン951, 1175, 1214 (Y951, Y1175, Y1214) が存在する。成熟した血管内皮培養細胞を用いた解析によりY951, Y1175, Y1214のリン酸化により、細胞内シグナル因子が活性化され、血管内皮細胞の増殖・生存・運動が亢進することが報告されてきた。またVEGFR2ノックアウトマウスや、Y1173 (ヒトではY1175に相当する)をフェニルアラニン (F)に置換した VEGFR2-Y1173Fノックインマウスは、血島の形成不全による血管の形成不全という表現型を示すことが報告された。しかし、以上の報告では血島形成以降の血管発生過程におけるVEGFR2シグナルの役割を生化学的に解析しておらず、「血管内皮前駆細胞から血管内皮細胞への分化」におけるVEGFR2シグナルの詳細については未解明な点が残されている。そこで本研究では、胎生期の血管内皮前駆細胞と共通の性質を持つ胚性幹 (Embryonic Stem; ES) 細胞由来のVEGFR2を発現する (VEGFR2+) 細胞を血管内皮前駆細胞のモデル細胞として用いて、血管内皮細胞分化におけるVEGFR2シグナルを詳細に解析することを試みた。

まず血管内皮細胞分化に必須のVEGFR2のチロシンの同定を試みるために、VEGFRファミリーの他のメンバーであるVEGFR3の細胞外ドメイン及び細胞膜貫通ドメインと、VEGFR2の細胞内ドメインからなるキメラ受容体 (R32)をテトラサイクリン依存的に発現させるES細胞を樹立し、in vitro分化の過程でVEGFR2+細胞においてキメラ受容体を発現させる実験系を構築した。VEGFR2+細胞はVEGF-A存在下で再分化させると血管内皮細胞が出現するが、VEGFR3特異的なリガンドであるVEGF-C(C152S)存在下では血管内皮細胞は出現しない。これは、VEGF-C(C152S)は内在性のVEGFR3を活性化するが、VEGFR3シグナルはVEGFR2+細胞から血管内皮細胞への分化誘導しないためである。しかしR32を発現させたVEGFR2+細胞をVEGF-C(C152S)存在下で再分化すると、血管内皮細胞が分化されたことから、この系においては、R32シグナル特異的に血管内皮細胞分化が誘導されることが示された。そこで、主要リン酸化部位 (Y951, Y1175, Y1214)をFに置換したR32変異体をVEGFR2+細胞に発現・活性化させたところ、血管内皮細胞が出現してこなかったのはR32-Y1175Fを発現させたもののみであった。これらの結果からY951とY1214は血管内皮細胞分化に必須ではなく、Y1175が血管内皮細胞分化に必須であることが示唆された。

次にリン酸化Y1175残基からのシグナルが血管内皮細胞の分化のどの過程において働くか、より詳細に検討した。血管内皮前駆細胞が血管内皮細胞へと分化するためには、「血管内皮前駆細胞が血管内皮細胞への形質を獲得すること (specification)」と「分化した血管内皮細胞が生存・増殖すること (survival / proliferation)」が必要であると考えられる。そこで、Y1175から伝達されるシグナルがspecificationとsurvival / proliferationのいずれの過程に関わっているのか検討することとした。まずY1175の血管内皮細胞のsurvival / proliferationに対する必要性を検討するために、R32とR32-Y1175Fを血管内皮細胞において活性化させ、血管内皮細胞の生存因子を含まない培地で培養した。その結果、R32シグナルは細胞数の減少に対して抑制的に働いたのに対して、R32-Y1175Fシグナルは細胞数の減少を抑制しなかった。以上から、Y1175から血管内皮細胞のsurvival / proliferationに必要なシグナルが伝達されていることが示唆された。また、分化した成熟血管内皮細胞においてはVEGFR3シグナルがsurvival / proliferationを亢進していることも示された。このsurvival / proliferationに対する作用はPI3Kの阻害剤LY294002により阻害されたことから、血管内皮細胞のsurvival / proliferationに必要なシグナルの下流因子としてPI3Kが重要な役割を果たしていることが示唆された。次に、Y1175が血管内皮細胞へのspecificationに対する必要性を検討するために、分化した成熟血管内皮細胞の生存因子であるFGF-2 (fibroblast growth factor-2)を含む培地で、R32またはR32-Y1175Fを発現させたVEGFR2+細胞をVEGF-C(C152S)存在下で培養した。その結果、R32を発現させたVEGFR2+細胞からは血管内皮細胞が出現したが、R32-Y1175Fを発現させたVEGFR2+細胞からは血管内皮細胞分化は認められなかった。以上の結果から、Y1175から、survival / proliferationに必要なシグナルに加えて、specificationを誘導するシグナルも伝達されていることが示唆された。

さらに血管内皮細胞の分化においてVEGFR2 Y1175からのシグナルにおいて機能している候補因子としてPhospholipase-C γ1 (PLCγ1)に注目した。PLCγ1は血管内皮前駆細胞と血管内皮細胞において発現し、VEGFR2のリン酸化Y1175残基に結合すると報告されている。さらにPLCγ1ノックアウトマウスにおいては血管形成が進行しないことから、血管発生において重要な役割を果たすことが示唆されていたが、血管内皮前駆細胞から血管内皮細胞への分化における役割について明らかになっていなかった。そこでPLCγ1の恒常活性型であるPalmPLCγ1をES細胞由来のVEGFR2+細胞に発現させたところ、単独では血管内皮細胞分化を誘導しなかったが、FGF-2と協調的に作用させることで血管内皮細胞分化が誘導された。この現象は、PLCγ1によるシグナルが血管内皮細胞へのspecificationを誘導し、FGF-2シグナルによる血管内皮細胞のsurvival / proliferationへの亢進作用と協調して、血管内皮細胞分化に必要な一連のシグナルが再構築できたためだと考えられる。一方、生存因子を含まない培地で培養した分化した血管内皮細胞にPalmPLCγ1を発現させても、細胞数の減少は抑制できなかったことから、PLCγ1は血管内皮細胞のsurvival / proliferationには十分でないことが示された。さらに、PLCγ1がVEGFR2によって活性化されるが、VEGFR3によっては活性化されないことが生化学的に示されたことから、血管内皮細胞のsurvival / proliferationを誘導できるVEGFR3が血管内皮細胞への分化を誘導できない要因がPLCγ1を活性化できないためであると推察された。

血管内皮細胞の分化におけるVEGFR2/ PLCγ1シグナル伝達機構をさらに詳細に解析するために、Rasのファルネシルトランスフェラーゼ阻害剤であるFTI-277を用いたところ、Rasシグナルの阻害により、PLCγ1とFGF-2によって誘導される血管内皮細胞分化が抑制された。血管内皮細胞のsurvival / proliferationはFTI-277による影響を受けなかったことから、FTI-277はVEGFR2+細胞から血管内皮細胞へのspecificationを阻害し、Rasがspecificationシグナルを伝達する因子として、PLCγ1シグナルの下流に存在することが示唆された。さらに、MEK阻害剤であるU0126が血管内皮細胞分化を抑制するにも関わらず、Rasの活性化状態には影響を与えないことから、VEGFR2-PLCγ1-Rasシグナルの下流でMEK-ERKが機能することが示唆された。

以上の結果から、血管内皮前駆細胞において発現するVEGFR2がVEGF-Aによって活性化し、リン酸化されたY1175からPLCγ1-Ras-ERKと伝達されるシグナルが血管内皮細胞へのspecificationを誘導し、さらにY1175からPI3Kへと伝達されるシグナルが分化した血管内皮細胞のsurvival / proliferationを誘導し、両シグナルが協調的に伝達されることで血管内皮細胞分化が進むことが明らかになった。成体における血管新生においてもこれらの知見が血管の再生医療や腫瘍血管新生を標的とした癌治療への新たな方法の開発につながることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、血管内皮前駆細胞から血管内皮細胞への分化メカニズムを明らかにするために、ES細胞由来VEGFR2+細胞を発生期における血管内皮前駆細胞のモデル細胞として用いて、血管内皮細胞分化が誘導される際に伝達されるVEGFR2シグナルの詳細な解析を行ったものである。そして、以下の結果を得た。

1. 細胞外ドメインと膜貫通ドメインがVEGFR3で細胞内ドメインがVEGFR2であるキメラ受容体 (R32) およびR32の変異体をVEGFR2+細胞において活性化させ、VEGFR2+細胞が血管内皮細胞へ分化するか検討することで、血管内皮細胞分化に重要な役割を果たすVEGFR2のチロシン残基の同定を試みた。その結果、VEGFR2の3つの主要リン酸化チロシンのうち、Y1175が血管内皮細胞分化に必須のチロシンであること、一方、Y951, Y1214は血管内皮細胞分化に必須のチロシンではないことが明らかとなった。

2. 血管内皮前駆細胞から血管内皮細胞への分化は、「VEGFR2+細胞が血管内皮細胞へと分化運命を決定されるspecification」プロセスと、「分化運命が決定された血管内皮細胞が生存し、増殖するsurvival / proliferation」プロセスを必要とするとの前提を置いた。

(i) R32, R32-Y1175Fを活性化した血管内皮細胞を、血管内皮細胞の生存因子非存在下で培養し、細胞死抵抗性を観察すること (生存アッセイ)により、Y1175から血管内皮細胞のsurvival / proliferationシグナルが伝達されていることが明らかとなった。

(ii) 血管内皮細胞の生存因子であるFGF-2存在下で、VEGFR2+細胞においてR32-Y1175Fを活性化させても血管内皮細胞分化が誘導されなかったことにより、Y1175からspecificationシグナルが伝達されていることが示唆された。Y1175にはPLCg1が結合することから、PalmPLCγ1 (PalmPLCγ1)をVEGFR2+細胞に発現させたところ、PalmPLCγ1を発現させただけでは血管内皮細胞分化は誘導されなかったが、FGF-2と協調的に働くことで血管内皮細胞分化が誘導されることが明らかとなった。このことは、PLCγ1がspecificationシグナルを伝達することを意味している。PLCγ1の血管内皮細胞分化における重要性は、miRNAを用いたノックダウンの実験においても示されている。また、生存アッセイにより、PLCγ1はsurvival / proliferationシグナルは伝達しないことが確かめられた。

(3) 生存アッセイにより、VEGFR3はsurvival / proliferationシグナルを伝達することが明らかとなった。しかし、VEGFR3はPLCγ1を活性化しなかったので、specificationシグナルは伝達しないことが示唆された。VEGFR3はVEGFR2+細胞の血管内皮細胞分化を誘導しなかったが、その理由としては、PLCγ1を活性しないため、specificationシグナルを伝達しないことが考えられる。

(4) PalmPLCγ1とFGF2によって誘導される血管内皮細胞分化は、ファルネシルトランスフェラーゼ阻害剤であるFTI-277によって阻害された。また、FTI-277は血管内皮細胞の生存は阻害しなかった。よって、FTI-277の主要なターゲットであるRasが、PLCγ1の下流でspecificationシグナルを伝達することが示唆された。さらに、FTI-277はERKのリン酸化を阻害したこと、VEGF-Aによって誘導されるVEGFR2+細胞の血管内皮細胞分化をMEK阻害剤であるU0126が抑制したことから、Ras-MEK-ERK経路がspecificationに重要であることが明らかとなった。一方、survival / proliferationシグナルを伝達していると報告されているAktの活性化には、Rasは関与していないことが示された。

以上、本論文は、ES細胞由来VEGFR2+細胞を用いて、血管内皮細胞分化を誘導するVEGFR2シグナル伝達経路を明らかにした。血管内皮前駆細胞が血管内皮細胞へと分化する際に伝達されるシグナル伝達経路に関しては現在まで未知の点が多く、本研究は血管内皮細胞分化を誘導するメカニズムの解明に重要な貢献を成す。よって、学位の授与に値するものであると考えられる。

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