学位論文要旨



No 126998
著者(漢字) 山崎,智子
著者(英字)
著者(カナ) ヤマザキ,トモコ
標題(和) リンパ管形成におけるCOUP-TFIIの機能解析
標題(洋)
報告番号 126998
報告番号 甲26998
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3608号
研究科 医学系研究科
専攻 病因・病理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉田,進昭
 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 栗原,裕基
 東京大学 特任教授 渡邉,すみ子
 東京大学 講師 高澤,豊
内容要旨 要旨を表示する

リンパ管は成体の全身において末梢血管から漏れ出した組織液を汲み出して静脈へと戻すことによって閉鎖循環系を維持している。リンパ管の異常は組織液の貯留によるリンパ浮腫を引き起こすだけでなく、癌のリンパ節転移においては癌細胞の転移経路として機能するため、その形成機構の解明は急務でありながら、リンパ管研究の歴史はまだ浅く、未解明な部分が多く残されている。

胎生期において、中胚葉由来の血管内皮前駆細胞が血管内皮細胞へと分化する。血管は動脈と静脈に分類されるが、静脈血管内皮細胞の形成・維持においてはオーファン核内受容体であるChicken Ovalbumin Upstream Promoter Transcription Factor II (COUP-TFII)が重要な役割を担っている。さらに静脈の一部においてProx1ホメオボックス転写因子が発現すると、様々な血管内皮細胞マーカーの発現が低下し、血管内皮増殖因子受容体(Vascular Endothelial Growth Factor Receptor 3: VEGFR3)などのリンパ管内皮細胞マーカーの発現が上昇し、血管内皮細胞からリンパ管内皮細胞への分化が始まる。それとともにリンパ管内皮細胞は一部の静脈から出芽し、VEGFR3のリガンドであるVEGF-Cを発現している近傍の部位へと遊走し、初期リンパ嚢が形成される。さらにProx1遺伝子を欠損したマウスではリンパ管が形成されずに胎生致死の表現型を呈することから、Prox1は血管内皮細胞からリンパ管内皮細胞への分化を誘導するマスター因子として働くと考えられている。しかし、リンパ管分化におけるProx1の転写制御機構については明らかになっていないことが多く、組織特異的な転写共役因子が存在するのではないかと考えられている。実際にProx1は肝臓においてLiver Receptor Homologue 1 (LRH-1)などの核内受容体と結合することにより転写調節を行なっていることが報告されている。そこで本研究では、リンパ管内皮細胞へと分化する静脈内皮細胞において発現する核内受容体であるCOUP-TFIIに着目し、そのリンパ管内皮細胞における発現を検討し、血管・リンパ管内皮細胞における機能およびその作用機序を検討した。

まず、COUP-TFIIの血管内皮細胞ならびにリンパ管内皮細胞における発現を検討するために、臍帯静脈血管内皮細胞(human umbilical vein endothelial cell: HUVEC)とヒト皮膚由来リンパ管内皮細胞(human dermal lymphatic endothelial cell: HDLEC)を用いたところ、COUP-TF-IIが両者において同程度に発現することが定量的RT-PCRおよびウェスタンブロットにより明らかになった。さらにCOUP-TFII抗体を用いて胎生11.5日のマウス胚組織の免疫染色を行ったところ、頚部静脈から出芽するリンパ管内皮細胞においてCOUP-TFIIが発現していることが明らかとなった。また胎生16.5日のマウス頭部皮膚の組織染色によってもリンパ管内皮細胞でCOUP-TFIIが発現していたことから、静脈内皮細胞からのリンパ管内皮細胞が分化する過程においてCOUP-TFIIとProx1が同じ細胞において発現し、相互作用する可能性が示唆された。

次に血管内皮細胞におけるProx1の機能に対するCOUP-TFIIの効果を検討するためにProx1およびCOUP-TFII遺伝子を発現するアデノウィルスを作製した。HUVECにおいてProx1を発現させると細胞増殖が亢進されることが当研究室の先行研究により示されているが、COUP-TFIIとProx1をHUVECに共発現させるとProx1による細胞増殖促進がCOUP-TFIIにより抑制されることが明らかになった。この分子機構を探るために細胞周期調節因子のcyclin E1, E2の発現を検討したところ、COUP-TFIIを単独で発現させてもcyclin E1, E2の発現に影響を与えないにも関わらず、両者を共発現するとProx1によるcyclin E1, E2の発現誘導が顕著に抑制された。またCOUP-TFIIの発現をsiRNAにより低下させると、Prox1によるcyclin E1, E2の発現誘導が亢進したことから、血管内皮細胞におけるProx1によるcyclin E1, E2の発現誘導を介した細胞増殖亢進がCOUP-TFIIによって抑制されることが示唆された。

また本研究室の先行研究により、HUVECおよび胚性幹(Embryonic Stem: ES)細胞由来の血管内皮細胞においてProx1がリンパ管内皮細胞マーカーであるVEGFR3の発現を誘導し、リガンドであるVEGF-Cへの走化性を亢進することが示されている。そこでCOUP-TFIIのVEGFR3の発現への関与を検討したところ、COUP-TFIIによってProx1によるVEGFR3の発現上昇が顕著に抑制された。また、chamber migration assayによってProx1によるHUVECのVEGF-Cへの走化性の亢進作用も抑制された。以上の結果から、血管内皮細胞においてはCOUP-TFIIがProx1の細胞増殖とVEBF-Cへの走化性の亢進という作用を抑制し、その機序としてCOUP-TFIIがProx1による標的遺伝子の発現調節を抑制することが明らかになった。

次に内因性Prox1が発現しているHDLECにおけるCOUP-TFIIの機能を検討した。アデノウィルスによりCOUP-TFIIを発現させたところ、cyclin E1およびVEGFR3の発現が低下するとともに、細胞増殖とVEGF-Cへの走化性が低下した。しかしCOUP-TFIIの発現を低下させてもVEGFR3の発現とVEGF-Cへの走化性が低下することから、COUP-TFIIはHUVECとHDLECで異なる作用を示すことが示唆された。そこでリンパ管内皮細胞におけるProx1の発現に対するCOUP-TFIIの効果を検討したところ、COUP-TFIIの発現を上昇させると内因性Prox1の発現は低下した。以上の結果から、リンパ管内皮細胞においてCOUP-TFIIの発現を増加させると、Prox1の転写活性が抑制されるとともに内在性のProx1の発現が低下することによって、Prox1の機能が阻害されることが示唆された。

さらに、リンパ管内皮細胞におけるCOUP-TFIIのリンパ管内皮細胞マーカーなどの発現調節への機能を検討したところ、COUP-TFIIの発現を増加させても減少させてもリンパ管内皮細胞マーカーのintegrin α9やpodoplaninの発現が低下することから、COUP-TFIIはリンパ管内皮細胞の性質の維持に関与していることが明らかになった。また、動脈血管内皮細胞マーカーであるephrin B2の発現はCOUP-TFIIにより阻害され、この結果はCOUP-TFIIが静脈化に作用するという知見と一致した。また、血管内皮細胞におけるCOUP-TFIIの標的遺伝子として知られるNeuropilin 1の発現がリンパ管内皮細胞においてCOUP-TFIIにより亢進することが明らかとなった。

こうしたCOUP-TFIIとProx1の相互作用の機序を検討するために、LRH-1などの核内受容体がProx1と結合するという報告を参考に、COUP-TFIIのProx1への結合能を検討した。HUVECにアデノウィルスを用いてCOUP-TFIIとProx1を発現させて免疫沈降法により検討したところ、両者が結合することを確認した。さらにin situ Proximity Ligation Assayを用いた検討により、HDLECにおいて内因性のCOUP-TFIIとProx1が結合することが明らかになった。

COUP-TFIIがProx1によるcyclin E1の発現亢進を抑制することと内因性COUP-TFIIとProx1が結合することから、COUP-TFIIとProx1がcyclin E1プロモーターへ結合するかどうかを検討するため、HUVECにProx1とCOUP-TFIIを発現させ、両者の抗体を用いてクロマチン免疫沈降を行ったところ、Prox1およびCOUP-TFIIがcyclin E1プロモーター領域に結合することを確認した。これらの結果から、COUP-TFIIのProx1によるcyclin E1の発現上昇の抑制は、COUP-TFIIとProx1のcyclin E1プロモーター上での結合を介したものであることが示唆された。

以上の結果から、COUP-TFIIが、Prox1との結合を介してリンパ管の分化・維持において重要な役割を担っていることが明らかとなった。Prox1はリンパ管の形成に中心的な役割を果たすことから、COUP-TFIIなどの転写共役因子によるリンパ管形成制御機構の詳細な解明により、リンパ管の形成不全や病的新生が関与した病態の治療法の開発が進むことが期待される。

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以上の結果から、COUP-TFIIが、Prox1との結合を介してリンパ管の分化・維持において重要な役割を担っていることが明らかとなった。Prox1はリンパ管の形成に中心的な役割を果たすことから、COUP-TFIIなどの転写共役因子によるリンパ管形成制御機構の詳細な解明により、リンパ管の形成不全や病的新生が関与した病態の治療法の開発が進むことが期待される。

1. COUP-TFIIの血管内皮細胞ならびにリンパ管内皮細胞における発現を検討するために、臍帯静脈血管内皮細胞(human umbilical vein endothelial cell: HUVEC)とヒト皮膚由来リンパ管内皮細胞(human dermal lymphatic endothelial cell: HDLEC)を用いたところ、COUP-TF-IIが両者において発現することが定量的RT-PCRおよびウェスタンブロットにより明らかになった。さらにCOUP-TFII抗体を用いてマウス胚組織の免疫染色を行い、頚部静脈から出芽するリンパ管内皮細胞においてCOUP-TFIIが発現していることがわかった。

2. HUVECにおいてProx1を発現させると細胞増殖が亢進されるが、COUP-TFIIとProx1を共発現させるとProx1による細胞増殖促進がCOUP-TFIIにより抑制された。この分子機構を探るために細胞周期調節因子のcyclin E1, E2の発現を検討したところ、COUP-TFIIを単独で発現させてもcyclin E1, E2の発現に影響を与えないにも関わらず、両者を共発現するとProx1によるcyclin E1, E2の発現誘導が顕著に抑制された。またCOUP-TFIIの発現をsiRNAにより低下させると、Prox1によるcyclin E1, E2の発現誘導が亢進したことから、血管内皮細胞におけるProx1によるcyclin E1, E2の発現誘導を介した細胞増殖亢進がCOUP-TFIIによって抑制されることが示唆された。

3. COUP-TFIIによってProx1によるVEGFR3の発現上昇が顕著に抑制されることが示された。また、chamber migration assayによってProx1によるHUVECのVEGF-Cへの走化性の亢進作用も抑制されることが示された。

4. 内因性Prox1が発現しているHDLECにおけるCOUP-TFIIの機能を検討するためにCOUP-TFIIの発現を上昇させると、cyclin E1およびVEGFR3の発現が低下するとともに、細胞増殖とVEGF-Cへの走化性が低下することが示された。しかしCOUP-TFIIの発現を低下させてもVEGFR3の発現とVEGF-Cへの走化性が低下することから、COUP-TFIIはHUVECとHDLECで異なる作用を示すことが示唆された。そこでリンパ管内皮細胞におけるProx1の発現に対するCOUP-TFIIの効果を検討したところ、COUP-TFIIの発現を上昇させると内因性Prox1の発現は低下したことから、リンパ管内皮細胞においてCOUP-TFIIの発現を増加させると、Prox1の転写活性が抑制されるとともに内在性のProx1の発現が低下することによって、Prox1の機能が阻害されることが示唆された。さらに、COUP-TFIIの発現を増加させても減少させてもリンパ管内皮細胞マーカーのintegrin α9やpodoplaninの発現が低下することから、COUP-TFIIはリンパ管内皮細胞の性質の維持に関与していることが明らかになった。

5. COUP-TFIIのProx1への結合をHUVECにおける過剰発現系で免疫沈降法により検討し、両者が結合することが示された。さらにin situ Proximity Ligation Assayを用いた検討により、HDLECにおいて内因性のCOUP-TFIIとProx1が結合することが明らかになった。

6. COUP-TFIIとProx1がcyclin E1プロモーターへ結合するかどうかを検討するため、クロマチン免疫沈降を行ったところ、両者がcyclin E1プロモーター領域に結合することが示された。このことからCOUP-TFIIのProx1によるcyclin E1の発現上昇の抑制は、COUP-TFIIとProx1のcyclin E1プロモーター上での結合を介したものであることが示唆された。

以上、本論文は、COUP-TFIIが、Prox1との結合を介してリンパ管の分化・維持において重要な役割を担っていることを明らかにした。本研究はこれまで未知であったCOUP-TFIIのリンパ管形成における機能の解明に重要な貢献を成すと考えられ、よって、学位の授与に値するものであると考えられる。

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