学位論文要旨



No 127006
著者(漢字) 桝村,智美
著者(英字)
著者(カナ) マスムラ,トモミ
標題(和) 流れずり応力によるES細胞由来動脈内皮細胞の分化誘導機構
標題(洋)
報告番号 127006
報告番号 甲27006
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3616号
研究科 医学系研究科
専攻 生体物理医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 牛田,多加志
 東京大学 教授 宮川,清
 東京大学 准教授 渡部,徹郎
 東京大学 特任准教授 安東,克之
 東京大学 講師 鈴木,崇彦
内容要旨 要旨を表示する

1、緒言

近年、マウス胚性幹細胞(ES細胞)から分化させた血管内皮増殖因子受容体陽性(VEGFR2+)細胞が血管前駆細胞として働き、血管内皮増殖因子を加えると血管内皮細胞へ、血小板由来成長因子(PDGF-BB)を加えると壁細胞(平滑筋細胞、血管周囲細胞)へ分化が誘導され、生体で血管を構築することが示された。また最近、VEGFR2+細胞が血管細胞へ分化する過程において、血流に起因する血行力学因子である流れずり応力や伸展張力が重要な役割をはたすことが明らかになった。具体的には、VEGFR2+が流れずり応力によりVEGF受容体のリン酸化を介して血管内皮細胞に、伸展張力によりPDGF受容体のリン酸化を介して血管平滑筋細胞に分化することが報告されている。しかし、流れずり応力により分化誘導された血管内皮細胞が動脈と静脈のどちらの性質を持つかは明らかではない。そこで本研究では、ES細胞の動静脈内皮細胞への分化に及ぼす流れずり応力の効果を確認することを目的として、動脈と静脈各々の内皮細胞マーカーであるephrinB2とEphB4の遺伝子及び蛋白発現レベルを解析した。さらに、内皮細胞への分化の分子機構を明らかにする為、発生過程における細胞運命の決定とパターン形成に関与することで知られ、動静脈分化の制御にも重要な役割を果たすNotchシグナル伝達経路を解析すると共に、Notch受容体にリガンドが結合すると、γ-secretaseが働くことで切断されるNotch細胞内ドメイン(NICD)の核内移行を評価することにより、流れずり応力によるNotchシグナリングの活性化を検討した。また、γ-secretase阻害剤、VEGFRリン酸化阻害剤、PKC、ERK、MAPKK、PI3K、Akt kinaseの各種阻害剤を使用し、ES細胞が流れずり応力により血管内皮細胞へ分化する過程において、VEGFRとNotchシグナル伝達が果たす役割を検討した。

2、実験方法

2-1. 細胞培養

マウスES細胞(MGZ-5)を、培養液からleukemia inhibitory factor(LIF)を除き、IV型コラーゲンでコートしたディッシュに播種し、37℃、5%CO2下にて分化を開始した。3日目にVEGFR2抗体を結合させた磁気ビーズ(MACS)を用いてVEGFR2+細胞(血管前駆細胞)を分離した。

2-2. 流れずり応力負荷実験

VEGFR2+細胞を分離して3日目に、平行平板型流れ負荷装置とぺリスタポンプを用いて定量的な流れずり応力を負荷した。流れずり応力:τ(dyne/cm2)はτ=6μQ/a2bで表される(灌流液の粘性:μ、灌流液の流量:Q(mL/sec)、流路の厚み:a(cm)、流路の幅:b(cm))。aとbが一定であるため、流量または、灌流液の粘性を制御することにより目的の定量的な流れずり応力を負荷することができる。本実験では、静脈から動脈に相当する1.5~20 dyne/cm2の流れずり応力を所定時間負荷した。

2-3. 細胞の分化評価

<Western-blot解析>

SDS-PAGEを行い、泳動した蛋白をゲルに転写しブロッキングしたあと、一次抗体として抗ephrinB2、CD31、Notch 1、Notch 4、DLL 4、Jagged 1、Jagged 2、cleaved Notch 1抗体を作用させた。二次抗体は、Horseraddish peroxidase(HRP)-linked抗マウスIgG抗体を使用し、それぞれのタンパク発現を解析した。

<Real-time PCR解析>

細胞中のtotal RNAを逆転写し、得られたcDNAを鋳型とし、それぞれephrinB2、EphB4、Notch 1、Notch 4、DLL 4、Jagged 1、Jagged 2のprimerを用いてreal-time PCRを行った。各遺伝子の発現レベルはβ-actinの発現レベルを内部標準とすることにより定量した。

<免疫蛍光抗体染色>

Notch受容体の活性化を検討するために、核内へ移行したNotch 1受容体の細胞内ドメイン(NICD)の染色を行った。一次抗体として抗ラットcleaved Notch1抗体にてNICDを染色した。二次抗体にはAlexa Fluor 488抗ラットIgG抗体を使用した。さらに、4',6-diamidino-2-penylindole(DAPI)を作用させ、細胞核を染色し、NICDの局在を共焦点レーザー顕微鏡(Leica SP2)にて撮影した。

2-4. 統計解析

全てのデータは平均±標準偏差で示した。統計的意義は、SPSSプログラムで行ったt検定の結果にANOVAとBonferonni補正を行い評価した。P <0.01を統計学的に有意と判定した。

3、結果および考察

3-1. 流れずり応力はephrinB2の発現を増大させるがEphB4の発現を減少させる

マウスES細胞由来VEGFR2+細胞に10 dynes/cm2の流れずり応力を72 h負荷したところ、動脈内皮のマーカーであるephrinB2のmRNAレベルは静的条件下の細胞と比較し、約3倍に増大したが、静脈内皮のマーカーであるEphB4 mRNAレベルは1/2以下に減少した。また5~20 dynes/cm2の流れずり応力を負荷したときのephrinB2のタンパク発現は流れずり応力の大きさに依存して増大し、20 dynes/cm2の流れずり応力により約3.5倍に上昇した。このことは流れずり応力が動脈内皮細胞へ分化を誘導することを示唆する。

3-2. Notchシグナルは流れずり応力によるephrinB2発現の増大に関わる

VEGFR2+細胞に、Notch受容体を切断するγ-secretaseの阻害剤であるDAPTまたは、L685,458を加えて、流れずり応力(10 dynes/cm2, 24 h)を負荷すると、流れずり応力依存的なephrinB2の発現の上昇が有意に抑制された一方、流れずり応力によるEphB4の発現の減少にはほとんど影響がなかった。以上の結果により、流れずり応力がNotchシグナリングを活性化することで、動脈内皮マーカーであるephrinB2の発現を上昇させることが明らかになった。

3-3. 流れずり応力はNotch受容体とリガンドの発現を増大させる

VEGFR2+細胞に流れずり応力(0~10 dynes/cm2, 0~24 h)を負荷したところ、動脈内皮細胞に発現するNotch 1、Notch 4、DLL 4、Jagged 1、Jagged 2のmRNAと蛋白の発現レベルはずり応力の強度と負荷時間に依存して有意に増大した。この結果から、流れずり応力によりVEGFR2+細胞におけるNotchの受容体とリガンドの蛋白および、mRNA発現が上昇することが示された。

3-4. VEGFR2+ES細胞において流れずり応力によりNotchが切断される

Notchシグナリングの活性化を評価する為に、NICDの免疫蛍光染色とWestern blot解析を行った。VEGFを作用させると、NICDの核内移行が著明に示された。さらに、流れずり応力(10 dynes/cm2, 1h)を負荷した細胞においても、Notch受容体が切断され、NICDが核内へ移行することが確認された。核内におけるNICDは、ずり応力を負荷してから30分後頃より増大し始め、経時的に増大した。以上の結果から、流れずり応力がVEGFR2+細胞におけるNotchの切断を誘導することが示された。流れずり応力によるNotch切断は、γ-secretase阻害剤L685,458とDAPT、マウスDLL4の組替え細胞外領域(rmDLL4)によりほぼ完全に抑制される。これは、流れずり応力に誘導されたNotchの活性化にγ-secretaseとDLL4が関与することを示唆する。

3-5. VEGFシグナルはNotch活性化とその後のephrinB2発現の増大に関わる

流れずり応力依存性ephrinB2の発現上昇におけるVEGFRシグナリングの役割を検討する為、VEGFRのリン酸化阻害剤であるSU1498の作用を検討した。流れずり応力によるNotchの切断とephrinB2の発現上昇がSU1498により有意に抑制された。また、VEGFRシグナリングの下流にある情報伝達経路であるPKC、ERK、MAPKK、PI3K、Akt kinaseの阻害剤によりNotchの切断とephrinB2の発現上昇が抑制された。このことは、VEGFRシグナルの下流で2つのシグナリング経路、PKC-MAPKK-ERK経路とPI3K-Akt経路の活性化が、流れずり応力による誘導されるNotch活性化とそれに引き続き起こるephrinB2の発現上昇に関与することを示す。

4、結論

本研究により、血行力学因子である流れずり応力がES細胞を動脈内皮細胞へ選択的に分化を誘導することが示された。この分子機構にVEGF受容体とNotchシグナリングの活性化が主な働きを担っていることが明らかになった。以上の結果から、初期の胚の発生過程における循環器系の構築に、機械的な刺激である流れずり応力が重要な役割を果たすことが示唆される。さらに、細胞組織工学や再生医療分野において、ES細胞から血管細胞を分化させる操作技術として、流れずり応力を含む機械的な刺激を応用することが有効であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、ES細胞の動静脈内皮細胞への分化に及ぼす流れずり応力の効果を検討するために、動脈と静脈各々の内皮細胞マーカーであるephrinB2とEphB4の遺伝子及び蛋白発現レベルの解析、発生過程における細胞運命の決定とパターン形成に関与することで知られ、動静脈分化の制御にも重要な役割を果たすNotchシグナリングの解析、Notch受容体にリガンドが結合するとγ-secretaseが働くことで切断されるNotch細胞内ドメイン(NICD)の核内移行の評価、VEGFRシグナリングとNotchシグナリングが果たす役割の検討を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1、マウスES細胞由来VEGFR2+細胞に10 dynes/cm2の流れずり応力を72時間負荷したところ、動脈内皮のマーカーであるephrinB2のmRNAレベルは静的条件下の細胞と比較し約3倍に増大したが、静脈内皮のマーカーであるEphB4 mRNAレベルは1/2以下に減少した。また5~20 dynes/cm2の流れずり応力を負荷したときのephrinB2の蛋白発現は流れずり応力の大きさに依存して増大し、20 dynes/cm2の流れずり応力により約3.5倍に増大した。このことから流れずり応力により動脈内皮細胞へ分化が誘導されることが示唆された。

2、マウスES細胞由来VEGFR2+細胞に、Notch受容体を切断するγ-secretase阻害剤であるDAPTおよびL685,458を加え、10 dynes/cm2の流れずり応力を24時間負荷すると、流れずり応力依存的なephrinB2の発現上昇が有意に抑制された。一方、流れずり応力によるEphB4の発現減少にはほとんど影響がなかった。以上の結果により、流れずり応力がNotchシグナリングを活性化することで、動脈内皮マーカーであるephrinB2の発現を上昇させることが明らかになった。

3、マウスES細胞由来VEGFR2+細胞に0~10 dynes/cm2の流れずり応力を0~24時間負荷したところ、動脈内皮細胞に発現するNotch 1、Notch 4、DLL 4、Jagged 1、Jagged 2のmRNAと蛋白質の発現レベルは流れずり応力の強度と負荷時間に依存して有意に増大した。この結果から、流れずり応力によりVEGFR2+細胞におけるNotchの受容体とリガンドの蛋白質およびmRNA発現が上昇することが示された。

4、Notchシグナリングの活性化を評価する為に、NICDの免疫蛍光染色とWestern blot解析を行った。VEGFを作用させると、NICDの核内移行が著明に示された。さらに、10 dynes/cm2の流れずり応力を1時間負荷した細胞においてもNotch受容体が切断され、NICDが核内へ移行することが確認された。核内におけるNICDは、流れずり応力を負荷してから30分後頃より増大し始め、経時的に増大した。以上の結果から、流れずり応力がVEGFR2+細胞におけるNotchの切断を誘導することが示された。流れずり応力によるNotch切断は、γ-secretase阻害剤L685,458とDAPT、マウスDLL4の組替え細胞外領域(rmDLL4)によりほぼ完全に抑制されたが、これは、流れずり応力に誘導されたNotchの活性化にγ-secretaseとDLL4が関与することを示唆する。

5、流れずり応力依存性ephrinB2の発現上昇におけるVEGFRシグナリングの役割を検討する為、VEGFRのリン酸化阻害剤であるSU1498の作用を検討した。流れずり応力によるNotchの切断とephrinB2の発現上昇がSU1498により有意に抑制された。また、VEGFRシグナリングの下流にある情報伝達経路であるPKC、ERK、MAPKK、PI3K、Akt kinaseの阻害剤によりNotchの切断とephrinB2の発現上昇が抑制された。このことは、VEGFRシグナルの下流で2つのシグナリング経路、PKC-MAPKK-ERK経路とPI3K-Akt経路の活性化が、流れずり応力による誘導されるNotch活性化とそれに引き続き起こるephrinB2の発現上昇に関与することを示す。

以上、本論文は血行力学因子である流れずり応力がES細胞を動脈内皮細胞へ選択的に分化を誘導し、この分子機構にVEGF受容体とNotchシグナリングの活性化が主な働きを担っていることを明らかにした。本研究は、初期胚の発生過程において流れずり応力が循環器系の構築に及ぼす影響の解明、さらに、細胞組織工学や再生医療分野において、ES細胞から血管細胞へ分化させる操作技術として流れずり応力を含む機械的な刺激を応用させる試み、に重要な貢献をなし、学位の授与に値すると考えられる。

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