学位論文要旨



No 127009
著者(漢字) 赤石,れい
著者(英字)
著者(カナ) アカイシ,レイ
標題(和) 認知制御課題における前頭前野神経回路の状態持続性
標題(洋) Inertia of Neuronal Network in the Prefrontal Cortex during Cognitive Control Task
報告番号 127009
報告番号 甲27009
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3619号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 笠井,清登
 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 教授 森,憲作
 東京大学 准教授 尾藤,晴彦
 東京大学 准教授 川合,謙介
内容要旨 要旨を表示する

[序文]

状況に合わせて適切な行動をとる為のメカニズムは前頭前野と呼ばれる大脳の前方部に位置する脳部位と、解剖学的に密接な連絡を持つそのほか脳部位によって担われていると考えられている (Passingham, 1993). 特に習慣的に行われる刺激に対しての反応を抑制し、代わりに状況にあった行動を選ぶにあたりこの前頭前野が重要な役割を果たすと考えられている。前頭前野に損傷を持つヒトの患者では習慣的な行動の傾向に反して状況に合わせた行動を選ぶ事が難しくなっている (Milner, 1964; Perret, 1974; Vendrell et al., 1995; Pierrot-Deseilligny et al., 2003)。更により正確な損傷の位置の特定が可能なサルの研究でも、状況に合わせた行動の選択が前頭前野の損傷により難しくなることが分かっている (Mishkin, 1964; Passingham, 1972; Dias et al., 1996; Dias et al., 1997)。前頭前野の神経細胞からの活動電位の記録により、現在実行している課題の状況によって発火頻度を変化させる神経細胞がいることが分かっている (Desimone and Duncan, 1995; Miller and Cohen, 2001; Wallis, Anderson and Miller 2001)。この様な課題の状況に選択性を持つ神経細胞が他の脳領域で行われる処理に影響を与え、その時々の状況に合わせた情報を選択的に処理する事を可能にしていると考えられている (Desimone and Duncan, 1995; Moore and Armstrong, 2003; Armstrong and Moore, 2007; Gregoriou et al., 2009)。以上のような研究結果から習慣的に行われる刺激に対しての反応を抑制し代わりに状況にあった行動を選ぶには前頭前野の働きが必要であることが示唆される。

しかし、この様な前頭前野を必要とする行動の直後に課題の成績が悪くなることも知られている (Allport et al., 1994)。刺激とそれに対しての要求される反応の組み合わせが試行毎に次々と変わるような実験においてこの様な現象が報告された。この様な刺激に対しての反応を決める規則が、前の試行から変わる場合と変わらない場合とを比べると、規則が変わったときのほうが成績は悪くなる (Monsell, 2003)。このような実験のデザインでは前頭前野の働きを必要とするような難しい課題と習慣的な刺激への反応で出来てしまうような簡単な課題が切り替わるようなものがある。この場合、行動の規則を切り替えるときの成績の悪くなり方は、難しい課題から簡単な課題に切り替えるときのほうが大きくなる (Cherkasova et al., 2002; Fecteau et al., 2004; Barton et al., 2006)。

このような行動レベルでの現象は前頭前野の働きに密接に関連していると思われるので、今回の研究ではその神経のメカニズムについて調べた。一つの可能性としては、前頭前野からの活動電位の記録にあるように、神経細胞の活動は課題の準備期間中に現在の課題を反映するようになるのだが、活動にはあまり現れない脳領域間の結合の状態のようなものは準備期間中にはあまり更新されないのかもしれない。fMRIを使った方法や経頭蓋時期刺激(TMS)と脳電図(EEG)を組み合わせた方法により、刺激提示後の脳領域間の結合の状態は現在の課題の規則を反映することが確認されている (Sakai and Passingham, 2003; Morishima et al., 2009)。この刺激提示後の課題遂行中の脳領域間の結合の状態が次の試行まで持ち越され課題準備期間中も維持されるため、次の課題の成績に影響を与えているのかもしれない。

[方法]

今回の研究では課題準備期間中の神経のネットワークの状態を高い時間解像度で調べるため、TMSとEEGを組み合わせる技術を用いた (Ilmoniemi et al., 1997; Massimini et al., 2005; Morishima et al., 2009; Ferrarelli et al., 2010)。この技術ではTMSにより作り出される磁場により狙いの脳領域に弱い電気的刺激を与え、その後神経の電気的な活動が神経のネットワークの状態に依存して神経線維を通じて伝播していく様子をEEGによって捉える (Taylor et al., 2007b; Silvanto et al., 2008; Driver et al., 2009)。被験者は各試行の最初に提示される合図をもとにプロサッケードかアンチサッケードを行うための準備をする。プロサッケードでは画面中央を基準としてその左右に提示される白い円形の視覚刺激を見ればよい。アンチサッケードでは反射的に突然現れた視覚刺激を見てしまう反応を抑えて、画面中央を基準として刺激の逆の位置を見なければならない。この様な課題では前頭前野の役割が特に重要になる(Pierrot-Deseilligny et al., 2003)。この合図が提示されてから視覚刺激が提示するまでの時間が準備期間となる。視覚刺激が提示される直前のこの準備期間の最後の時間帯の神経のネットワークの状態を調べた。TMSは随意的な眼球運動に関わる前頭前野の領域である前頭眼野(FEF)と、眼球運動とは関係の無い体性感覚野に与えられた。TMSを与えた試行と与えなかった試行の同じ時間帯のEEGを比べ差分を計算することによりTMSに対する反応(TMS-EPs)を調べた。また試行の最初に提示される課題を示す合図に対する反応をTMSが与えられない試行において調べ、課題準備に関わる活動をに関わる事象関連電位(ERPs)とした。

[結果]

行動の結果ではアンチサッケードを行った後の試行で刺激に対しての反応が遅くなっていることが確認された。TMSを眼球運動に関連するFEFに与えた場合のTMS-EPsの解析より、課題準備期間中のTMSに反応して現れる神経のネットワークの状態は、現在準備している課題ではなく、前の試行において行った課題によって影響を受けていることが分かった。更にこのTMS-EPsとして現れる反応が大きいほどは現在の試行の反応時間遅くなっていることも分かった。このTMS-EPsと反応時間の関係性はアンチサッケードの試行の後の試行でのみ観察され、プロサッケードの試行の後の試行では関係性は観察されなかった。TMSを眼球運動とは関係の無い体性感覚野に与えた場合にはこの様な反応は見られなかった。これとは逆に試行の最初に提示される課題の合図に対しての脳波の反応はこれから行う課題を反映していた。この現在の課題に選択的なERPsはアンチサッケードを行う際により大きな負の極性の反応を示し、前の試行の課題には選択性を持たなかった。更にアンチサッケードの試行においてこのERPsは、刺激提示後に正しく視覚刺激とは逆の方向に動かせた場合はより大きな反応を示し、間違えて刺激のほうを見てしまう場合は小さな反応しか示さなかった。

[考察]

今回の結果から前頭前野を必要とするアンチサッケードを行った後の試行に現れた反応時間の遅延と、アンチサッケードの試行の後の試行の準備期間中に観測されたTMS-EPsのパターンには密接な関係が有ることが示唆される。特にアンチサッケードの試行の後の試行でのみ反応時間との関係性が見られたことは、TMSに対しての反応として現れてくる神経のネットワークの状態が前頭前野を必要とする課題を行った際に何らかの修飾を受けていることを示唆している。更にこの修飾を受けた神経のネットワークがその後の試行での課題の成績に影響を与えているものと思われる。ただし、体性感覚野へTMSを与えた際の反応からは前の試行の課題の影響が見られなかったことから、この前頭前野の働きによる神経ネットワークの状態の変化は眼球運動の課題の遂行に直接関わる神経のネットワークに限定している事が示唆される。又課題の合図に対してのERPsの反応が現在の課題やその成否を反映していることから、前の試行の状態を引きずっている神経回路とこれから行われる行動の為に適応的に変わっていく神経回路が同時に存在していることが示唆される。この様に複数の神経のネットワークの間にある程度の独立性があることにより、本来適応的な行動をもたらす為にあるはずの前頭眼野の働きが、ある特別な条件では行動の妨げになっていることが考えられる。

今回の研究では主に反応時間に関しての調査を行ったが、前頭前野の機能はむしろ状況に合わせた適切な判断をもたらすことにある。今回観察されたような前頭前野の働きにより修飾受けた神経ネットワークの状態は、反応時間だけでなくより一般的な条件においてどういった行動を選ぶかという意思決定にも影響を与えている可能性がある。実際に意思決定の課題において報酬などの有無に関わらず、同じ判断が続いてしまうことが知られている (Corrado et al., 2005; Gold et al., 2008)。今後の研究では前頭前野の働きによる神経回路の状態持続性が、より一般的な状況での意思決定に影響を及ぼしている様子を調べたい。

審査要旨 要旨を表示する

本研究はヒトを対象として高次脳機能を必要とする認知制御課題を遂行中の脳の前頭前野の神経回路の状態を、磁気刺激と脳波を組み合わせた非浸襲的な手法により調べた。研究では前の課題の遂行が次の課題の行動に影響を与えてしまう現象を、この磁気刺激と脳波を使った手法から調べ、下記の結果を得ている。

1.実験では前の試行の行動の影響を調べるため被験者は眼球運動を用いたプロサッケード課題とアンチサッケード課題の2種類の課題を切り替えて行った。一つの試行の中で被験者は次に行う課題を示す合図をみてその課題のための準備を行った。この課題の準備中に磁気刺激を前頭前野の前頭眼野という眼球運動に関係した領域与え、それに対する反応について脳波を用いて計測した。この磁気刺激に対しての脳波の反応において前の試行の課題の影響と今の試行の課題の影響について調べた。又、磁気刺激を行わなかった試行の準備期間中の課題を示す合図に対しての脳波の反応も同様に調べた。以上の分析から下記に示す主要な結果を得た。

2.次の課題を準備している最中の前頭眼野に対する磁気刺激に対しての脳波の反応は、前の試行で行った試行を反映していた。現在準備している課題に対しての選択性や前の試行と現在の試行の組み合わせに応じた反応は見られなかった。この磁気刺激に対しての脳波の反応は前頭眼野から神経線維が投射している頭頂葉や後頭葉などの活動を反映した後部の電極で見られた。これとは逆に磁気刺激を体性感覚野に与えた場合の脳波の反応は前の試行の課題、現在の試行の課題、そしてその組み合わせのいずれも反映していなかった。

3.同じ時間帯に計測された磁気刺激を与えなかった試行の脳波の反応は次に行う課題を反映していた。この次に行う課題を準備中の脳波の反応は、次の課題がアンチサッケード課題の場合はその行動の成否を反映していた。

4.プロサッケード課題とアンチサッケード課題を用いた今回の実験では、前の試行の課題がアンチサッケード課題だった場合に、その次の試行で眼球運動の目標の視覚刺激が提示されてから眼球運動が始まるまでの反応時間が長くなることが観察された。このような前の試行の課題の次の試行の行動への影響がどのような神経の働きによって起こっているか調べるため、前頭眼野に与えた磁気刺激に対する脳波の反応と眼球運動の反応時間との関係性を調べた。眼球運動の反応時間がより遅くなる試行では磁気刺激に対する脳波の反応は後部の電極で左右により広範な反応が見られた。またこのような反応時間と磁気刺激に対する脳波の反応は現在準備している課題にはよらないが、前の試行の課題がアンチサッケード課題の時のみ観察された。

以上、本論文は認知制御課題を遂行中の脳の前頭前野の神経回路の状態を、磁気刺激と脳波を使った手法により調べ、過去に行った行動の状態を保持している神経回路の存在を明らかにした。この神経回路の状態は次の課題の準備のための神経活動が起こっているときでも持続し、この前頭前野の神経回路の状態持続性は前頭眼野という脳部位に特異的であることも他の脳部位への磁気刺激を行った対照実験により分かった。さらにこの神経回路の状態持続性はアンチサッケード課題のような高次脳機能を必要とする課題のあとに顕著に表れ、次の行動に影響を及ぼすことも示された。この結果は高次脳機能にかかわる前頭前野の神経回路の状態が認知制御課題の遂行により変化していく様子を明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった、高次脳機能を担う前頭前野の神経回路の動的な特性の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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