学位論文要旨



No 127010
著者(漢字) 石浦,浩之
著者(英字)
著者(カナ) イシウラ,ヒロユキ
標題(和) ハイスループット遺伝子解析法の開発に基づく遺伝性痙性対麻痺の分子基盤の解明
標題(洋)
報告番号 127010
報告番号 甲27010
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3620号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 徳永,勝士
 東京大学 教授 笠井,清登
 東京大学 准教授 垣内,千尋
 東京大学 特任准教授 小川,誠司
内容要旨 要旨を表示する

遺伝性痙性対麻痺(Hereditary spastic paraplegia, HSP)は進行性の下肢筋力低下、痙性を主徴とする症候群である。臨床的には、下肢痙性と、軽度の深部覚障害、膀胱直腸障害を合併する純粋型と、それ以外に視神経萎縮、網膜変性、難聴、構音障害・嚥下障害、筋萎縮などの症状を合併する複合型に分類される。臨床遺伝学的には、常染色体優性HSP(ADHSP)、常染色体劣性HSP(ARHSP)、X染色体連鎖HSPと全ての遺伝形式が存在し、現在までSPG1~48の遺伝子座と20以上の原因遺伝子が同定され、非常にheterogeneousな疾患群であることが判明している。また家族例と区別はつかないものの家族歴の全くない孤発例も多く存在し、孤発例の病因は不明である。HSP研究において、以下のような問題点が存在する。

(1)本邦のHSPの分子疫学についてほとんど明らかとなっていない

(2)原因遺伝子数が多いために、網羅的な遺伝子解析を提供するシステムが存在しない

(3)孤発例のうち原因遺伝子に変異のある症例の頻度が不明

(4)HSPの病態生理に関する理解が完全ではない

このような問題点を解決するために、本研究ではまずハイスループット遺伝子解析法の開発を行い、(1)~(3)の問題点を解決することを目指した。具体的には、resequencing microarray(Affymetrix)を設計し、一人の患者あたり13遺伝子~17遺伝子を解析できるようにした。Affymetrixの提供するGDAS2.0もしくはGSEQ4.0を用いて主に解析を行ったが、変異の検出感度向上のため、自作のプログラムを作成した。このプログラムは検出感度の向上に寄与することができた。また、resequencing microarrayは挿入・欠失変異の検出が悪いことが判明したため、挿入・欠失変異の頻度の高い遺伝子については、直接塩基配列決定法による解析を行うこととした。最後に、大きな重複・欠失(rearrangement)を検出するために、カスタムで高密度オリゴcomparative genomic hybridization (CGH) array(Agilent)を作成し検討を行った。

結果、resequencing microarrayは一塩基置換の検出感度は非常に良好であった。また、CGHアレイにより4.6kb~170kb以上の大きい重複・欠失を見出すことができた。当初128例において本邦のHSPの分子疫学の大枠について検討し、さらにハイスループットな網羅的遺伝子解析システムにするために解析手順を改善し、残りの症例について解析を行った。

実際には、合計151名のHSP症例について検討を行った。内訳は、ADHSPが58症例、同胞発症かつ両親の近親婚がありARHSPと考えられる症例が11例、家族歴があるものの遺伝形式が同定し得ない7例、両親に近親婚のある孤発例が10例、両親に近親婚のない孤発例が65例である。男女比は1.4:1であった。純粋型は97例(64.2%)で、ADHSPに多くARHSPに少なかった。発症年齢は0~70歳で、二峰性の分布を呈した。

本網羅的解析法を用いることで、51例(33.8%)から54個の変異を検出することができた。うち24個はresequencing microarray解析から、23個は直接塩基配列解析から、8個はCGHアレイ解析から見出した。Resequencing microarrayは一塩基置換の検出力が高く、一塩基置換の検出に関してはできる限りresequencing microarrayを用いることが望ましいと考えられた。一方、小さな挿入・欠失変異については直接塩基配列決定法の感度が比較的よく、小さな挿入・欠失変異の頻度の高い遺伝子については直接塩基配列決定法を用いる必要があると考えられた。大きな重複・欠失についてはやはりCGHアレイが好ましく、結果として目的の遺伝子の変異の種類を知り、最適な遺伝子解析方法を選択することでスループットを上げることができることが判明した。

ADHSP症例からは、37例のSPG4、2例のSPG31、2例のSPG8、1例のSPG3A、1例のSPG17を認め、合計65.5%で診断を下すことが可能になった。特に、SPG8とSPG31については本邦初の報告となった。

SPG4には70.2%でnull変異を認め、またmissense変異の90%はAAAカセット内にあることから、病態機序としてhaploinsufficiencyが考えられた。SPG4は基本的に純粋型で、発症年齢は10代と40代にピークを持つ二峰性の分布を呈した。SPG3AとSPG31は若年発症の純粋型HSPであった。SPG8には4.6kbの欠失を認め、haploinsufficiencyの機序が考えられた。また、従来SPG8は比較的若年発症で重症と言われてきたが、本邦で見出されたSPG8は50~60代と高齢発症であり、phenotypic variabilityを示すことができた。

ARHSPとしては合計6例のSPG11と1家系のSPG21が見出された。SPG11は脳梁菲薄化と認知機能障害を呈するHSPとして最多(35.7%)であった。SPG21はAmishの一家系でMast症候群として報告されている、青年期発症で脳梁菲薄化と認知機能障害、小脳失調、錐体外路症状、嚥下障害を呈しMast症候群とも呼ばれるが、本邦で見出されたSPG21は高齢発症であり、Mast症候群とは異なった臨床型を呈していた。ARHSPにおいては、ADHSPに比較すると診断がつく割合が低く、locus heterogeneityが高いと考えられた。

孤発例からは、結果的に8例(4例のSPG4、1例のSPG3A、3例のSPG11)が見出され、孤発例の10.7%を占めることが判明した。

このように、本研究において前例にない規模で本邦におけるHSPの分子疫学と本邦のHSPの特徴が明らかとすることができた。

次に、診断未確定例に関するアプローチとして、家系収集と連鎖解析を行った。従来マイクロサテライトを用いた連鎖解析では、遺伝マーカーのタイピングに非常に長い時間がかかったため、連鎖解析を気軽に行うことは非常に困難であった。そのため、小家系において連鎖解析を行うことはほとんど考えられなかった。近年、高密度一塩基多型(SNP)タイピング法の発展と、本研究室で開発された高速連鎖解析システム(SNP-HiTLink)の開発により非常に高速に連鎖解析を行うことができるようになった。具体的には、SNPタイピング(100K~900KのSNP, Affymetrix)に4日間、その後Mendelian inconsistencyを認めるマーカーの排除、タイピング効率の悪いマーカーの排除(コントロールサンプルでのcall rate、コントロールサンプルでのHardy-Weinberg平衡のp値)を行い、多点解析の際には連鎖不平衡にあるSNPを投入しないように、適切なマーカー間隔(約100kb~200kb)を設定しSNPを選択した。多点解析については、Allegro v2を用いて解析した。解析結果については自作スクリプトを用いてExcelファイルとしてインポートして、その後の解析を行った。

連鎖解析を行ったのは、3家系(発症者3名、非発症者7名)。1家系についてはAffymetrix GeneChip Mapping 100K set (GeneChip Mapping 50K Xba & 50K Hind)、2家系についてはAffymetrix genome-wide SNP array 6.0を用いた。データについてはGTYPEもしくはGenotyping Consoleを用いて解析を行った。4家系とも常染色体劣性遺伝モデルで解析を行い、浸透率は1、disease allele frequencyを0.001に設定した。

HSP-F2家系においては最大LODスコア1.44を認める約2Mbの領域を第9番染色体見出した。既知のARHSPの遺伝子座は存在せず、新規遺伝子座と考えられた。

HSP-F3家系においては第5番染色体と第20番染色体に最大LODスコア2.0を認めた。既知のARHSPの遺伝子座は存在せず、新規遺伝子座と考えられた。

HSP-F5家系においては最大LODスコア1.2を示す領域を多数認めた。唯一SPG24の候補領域とのオーバーラップが認められたが、臨床型が異なるため、新規病型である可能性があると考えられた。

結果として、非常に小さな家系においても、特に近親婚がある劣性家系であれば、連鎖解析を行うことで効率よく候補領域を絞り込むことが可能となった。また、2家系に関してはARHSPに関しては既知の遺伝子座とのオーバーラップが認められず、ARHSPは遺伝的多様性がここでも明らかとなった。

以上のように、本研究ではマイクロアレイを用いた網羅的遺伝子解析法を開発し、本邦の151名のHSP症例の解析を行い分子疫学について新規の知見を得た。また、この遺伝子解析法で原因遺伝子が同定されなかった症例に関しては連鎖解析を行い、候補領域の絞りこみを行った。今後は、新たな原因遺伝子の同定とHSPの病態機序のさらなる解明を目指し、研究を続ける必要がある。近年の超並列シークエンサーにより、シークエンスのスループット向上とヒトゲノムバリエーションのデータベースの充実に伴い、本研究で行ったような小家系における連鎖解析からも原因遺伝子を同定できるようになると考えられる。本研究はそのようにHSPの病態機序を解明する際の基盤として大きな位置づけを持つと考えられる。今後研究を推進し、HSPの病態機序が解明され、最終的に各症例に最適化された治療法が開発できるようになることが望まれる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は遺伝性痙性対麻痺の本邦における分子疫学を明らかにし、その分子基盤を解明するため、マイクロアレイを用いたハイスループット遺伝子解析法を開発したものであり、下記の結果を得ている。

1. Resequencing microarrayとcomparative genomic hybridization arrayを用いたハイスループット遺伝子解析システムを構築し、遺伝性痙性対麻痺の原因遺伝子のうち13個以上を解析することを可能にした。

2. Resequencing microarrayの変異検出のためにプログラムを作成し、変異検出感度を向上させた。

3. 本邦の遺伝性痙性対麻痺症例151症例を収集し、その臨床像を明らかにした。また、この151症例について前述のハイスループット遺伝子解析システムを用いた解析を行った。常染色体優性遺伝例ではSPG4、SPG3A、SPG31、SPG8の順に多く、合計65.5%で診断をつけることができた。孤発例においては合計10.7%で診断をつけることが可能となった。孤発例においては特に、純粋型症例におけるSPG4、複合型症例におけるSPG11の頻度が高かった。最終的に、この結果から、分子疫学と遺伝子型表現型連関について詳細に検討した。具体的には、(1)SPG4にはnonsense変異、frameshift変異、splice site変異、rearrangementが多く、haploinsufficiencyの機序が考えられること(2)SPG4の発症年齢と変異の種類との関連を見出さず、同一変異を持つ家系内においても発症年齢が大きく異なることがあること(3)SPG3AとSPG31は若年発症の純粋型を呈すること(4)高齢発症のSPG8家系を2例見出し、そのうち1例はKIAA0196遺伝子の大きな欠失を呈し、SPG8の病態機序としてhaploinsufficiencyが考えられること(5)高齢発症で認知機能障害と脳梁菲薄化を呈する家系でSPG21の新規変異を見出すとともに、本家系は既にSPG21変異が報告されているMast症候群と臨床的に大きく異なっていたことを見出したこと、など多くの点を指摘した。

4. 上記の分子疫学の結果より、遺伝性痙性対麻痺の遺伝子解析に適したアルゴリズムを作成し、実際に応用した。

5. 遺伝子未同定症例に関しては、マイクロアレイを用いたハイスループット連鎖解析を行った。常染色体劣性遺伝と考えられる3家系の解析を行った結果、少なくとも2家系においては既知の遺伝子座に連鎖しないことが判明し、新規病型と考えられた。

以上、本論文は遺伝性痙性対麻痺の分子基盤を明らかにした。本研究は、本邦における遺伝性痙性対麻痺の過去最大規模の研究であり、臨床遺伝学的に重要な貢献をなしたと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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