学位論文要旨



No 127013
著者(漢字) 岩井,玲奈
著者(英字)
著者(カナ) イワイ,レナ
標題(和) 発達期のフェレット外側膝状体における時間特異的および細胞種特異的な遺伝子発現
標題(洋) Cell type- and differentiation-specific gene expression in the ferret lateral geniculate nucleus during visual system development
報告番号 127013
報告番号 甲27013
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3623号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 真鍋,俊也
 東京大学 教授 廣瀬,謙造
 東京大学 准教授 尾藤,晴彦
 東京大学 特任准教授 渡邉,すみ子
 東京大学 講師 相原,一
内容要旨 要旨を表示する

眼球の網膜神経節細胞(retinal ganglion cell、RGC)から視床の背側外側膝状体(lateral geniculate nucleus、LGN)へと至る神経回路は、視覚情報処理基盤を理解するために重要であるのみならず、精緻な神経回路形成のモデル系としても広く用いられている。しかしながら従来の網膜LGN神経回路の形成メカニズムの研究では、以下の2点の解析が遅れていた。第一には、網膜自発発火などプレシナプス側に相当するRGCの機能的重要性は広く検討されてきたが、ポストシナプス側にあたるLGN神経細胞の分化過程や回路形成における重要性についてはあまり解析が進んでいなかった。第二には、視覚系の発達があまり良くないマウスを用いた分子生物学的解析が多くなされてきたために、M (magnocellular) 細胞/P (parvocellular) 細胞などマウスでは解析が困難な細胞群の分化過程については分子生物学的解析が進んでいなかった。そこで本研究では、視覚神経系の発達した食肉哺乳動物フェレットを利用し、特にLGNに発現する分子に焦点を絞った解析を行い以下の結果を得た。

1)フェレットおよびサルLGNにおいてP細胞に選択的に発現する転写因子FoxP2の同定

視覚神経系の発達したサルやフェレットでは、LGN神経細胞は視覚情報の特性に応じて特徴的な応答を示すM/P/K (koniocellular) 細胞(フェレットでは、それぞれY/X/W細胞に対応)へ分化している (図1)。これらの細胞種は視覚情報処理に重要だと考えられていることから分化過程の解析が精力的に行われ、M細胞に選択的に発現する遺伝子はいくつか単離されているが、P細胞に選択的に発現する遺伝子は見出されていなかった。

当研究室ではLGNに発現する遺伝子情報の蓄積がなされてきたが、私はその中で、転写因子FoxP2の発現パターンが非常に面白いことに気付いた (図2)。従来の電気生理学的解析により、フェレットLGNの中でX細胞はLGN内側2/3を占めるA層およびA1層に偏在することが知られていたが、FoxP2はまさにその内側2/3に選択的に分布していたのである。FoxP2陽性細胞の分子的特性および形態的特性を、免疫染色法およびin situ hybridization法を用いて検討したところ、FoxP2 陽性細胞は、Y細胞マーカー陰性であり細胞体サイズが小さいというX細胞の特徴を有していた。次に、サルLGNを用いて検討したところ、FoxP2陽性細胞の分布はP細胞層に選択的であった。これらの結果は、FoxP2陽性細胞が種を越えてP細胞(X細胞)に対応する可能性を強く示唆している。従来、LGNにおいてP細胞(X細胞)に選択的に発現する遺伝子は見出されておらず、このFoxP2が初めてである。また、発達過程のフェレットLGNにおけるFoxP2発現を検討したところ、FoxP2はこれまでに知られているX細胞の形態的、生理的な分化時期よりも早期に発現が始まっていた (図3)。今後の検討課題として、FoxP2がLGNのX細胞の分化決定因子であるかは非常に興味深い。

2)LGN分化マーカーを用いた眼特異的軸索投射形成とLGN分化過程の関連解析

左右の眼球からLGNに到達したRGC軸索は、発達過程の進行に伴い左右の軸索ごとに分離しLGN内の異なる領域に分布する(眼特異的軸索投射, 図4)。従来、眼特異的軸索投射の形成には、網膜自発発火 (retinal waves)によるRGC軸索の神経活動依存的な競合が重要と考えられてきたが、他の可能性も指摘されていた (図5)。即ち、網膜自発発火を抑制した際には、LGN細胞の分化過程が進行せず発達過程の未成熟状態で停止しているために、網膜LGN軸索投射も未成熟な状態で停止しているという可能性である。後者の可能性が指摘されていながら、これまで未検討である主な理由には、眼特異的軸索分離時期のLGN細胞の分化段階を示す分化マーカーが見出されていなかったことが大きい。そこで本研究では、まずLGNの分化マーカーの単離を行い、上記の可能性を検討した。

当研究室に蓄積されていた遺伝子発現情報を探索した結果、私はLGN神経細胞においてPCP4,TCF7L2, Lhx9の発現量が眼特異的軸索分離の進行とともに変化することを見出した (図6)。そこでPCP4,TCF7L2, Lhx9の発現量を指標として、網膜自発発火抑制がLGN分化過程の進行を阻害するか検討した。ニコチン性アセチルコリン作動薬epibatidine、もしくはmonoamine oxidase A阻害剤clorgyline投与のいずれにおいてもRGC軸索の眼特異的軸索投射は阻害されたが、PCP4, TCF7L2, Lhx9の発現量変化は影響を受けなかった (図7)。これらの結果から、epibatidineやclorgyline処理条件下でもLGN分化が完全に停止している可能性は低く、従って、epibatidineやclorgylineの眼特異的軸索投射の阻害効果は、LGN分化過程の停止による二次的結果である可能性は低いことが示唆された。

本研究では、サル、フェレットおよびマウスを組み合わせることにより、LGNにおける時間的、空間的に特異的に発現する遺伝子の単離を行った。さらにこれらの遺伝子をマーカーとして用いることにより、視覚神経系形成メカニズムに関する解析を行った。これらの結果はサル、フェレットおよびマウスのそれぞれの特性を組み合わせた研究の有用性を示唆している。

図1. LGN神経細胞タイプ

図2. P細胞/のX細胞に選択的なFoxP2発現

図3. 従来のX細胞分化時期より早期のFoxP2発現

図4. 眼特異的軸索投射

図5. 眼特異的軸索分離阻害時の未検討要因LGN分化過程の阻害が原因か?

図6. 眼特異的軸索分離時期にフエレットLGN内で発現変化する分子

図7. 眼特異的軸索分離阻害時にも維持された分化マーカーの発現

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、精緻な神経回路形成の分子メカニズム解明に向けて、網膜から視床の背側外側膝状体(LGN)へと至る視覚神経系を用いて候補遺伝子の単離を行った。特に、LGNのX,Y,W細胞個性決定の候補分子や、眼特異的軸索投射形成におけるLGN分化進行の重要性の解析に必要な候補分子を得るため、視覚神経系の発達した食肉哺乳動物フェレットLGNにおいて時間、空間特異的に発現する遺伝子の解析を行い、以下の結果を得た。

1-1. 従来明らかでなかったLGNにおけるX,Y,W細胞の個性決定の候補分子を単離するために、フェレットLGN内で空間特異的に発現する遺伝子を探索した。その結果、X細胞に対応した空間分布を示す遺伝子として転写因子FoxP2を見出した。

1-2. フェレットLGNにおけるFoxP2陽性細胞の分子的および形態的解析から、FoxP2はX細胞に選択的に発現していることを見出した。また、サルLGNにおいてもFoxP2はP細胞層(フェレットLGNのX細胞に相当)に選択的に発現していることを見出した。LGNのX細胞選択的に発現する分子の報告は、本研究のFoxP2が初めてである。また、LGN細胞種に選択的な発現を示す分子の中で、転写因子の同定は本研究が初めての報告である。

1-3. 発達過程のフェレットLGNにおけるFoxP2発現を検討した結果、FoxP2はX細胞の機能的分化時期よりも早期に発現が始まっていた。これらの結果に加えてFoxP2は細胞分化制御機能を持つ転写因子であることから、FoxP2がLGNのX細胞分化決定因子である可能性があるとして今後の検討課題に提起している。

2-1. 従来解析手法がなく未検討課題であった「網膜自発発火阻害による眼特異的軸索投射の抑制には、LGN分化過程の進行阻害が関与している」との可能性を検討するために、LGN分化過程の検出マーカーとしてフェレットLGN内で時間特異的に発現が変化する遺伝子を探索した。その結果、PCP4, TCF7L2およびLhx9を単離し、これらの発現量の経時的変化がマウスLGNにも共通であることを見出した。

2-2. PCP4, TCF7L2およびLhx9の発現量の変化を指標に用いて、眼特異的軸索投射を阻害するepibatidine, clorgyline投与がLGN分化過程の進行を阻害するか検討した。いずれの薬剤投与においても眼特異的軸索投射は阻害されたがPCP4, TCF7L2およびLhx9の発現量変化は影響を受けないことを見出した。これらの結果から、epibatidine, clorgyline投与においてもLGN分化が完全に停止している可能性は低く、従って眼特異的軸索投射の阻害効果は、LGN分化過程の停止による二次的結果である可能性は低いことが示唆された。

以上、本論文は網膜-LGN間神経回路形成メカニズム解析において、フェレットLGNに時間特異的および空間特異的に発現する遺伝子解析を行い、続いてサルおよびマウスを組合わせた解析から「X細胞選択的に発現する転写因子FoxP2」と「眼特異的軸索分離時期のLGN分化段階の指標に利用できるPCP4, TCF7L2, Lhx9の同定」を示した。本研究は、これまで神経回路形成メカニズムの代表的モデル系に用いられている網膜-LGN間神経回路の形成分子メカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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