学位論文要旨



No 127019
著者(漢字) 石井,礼花
著者(英字)
著者(カナ) イシイ,アヤカ
標題(和) 注意欠如多動性障害患児に対する塩酸メチルフェニデートの効果を予測する近赤外線スペクトロスコピィを用いた補助診断法の開発研究
標題(洋)
報告番号 127019
報告番号 甲27019
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3629号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 坂井,克之
 東京大学 准教授 川合,謙介
 東京大学 教授 佐々木,司
 東京大学 教授 水口,雅
 東京大学 講師 湯本,真人
内容要旨 要旨を表示する

1.研究の背景と目的

注意欠如多動性障害(Attention deficit hyperactivity disorder;ADHD)は、小児期最も有病率の高い精神疾患であり、薬物療法を行う為の客観的指標の開発が望まれている。ADHDへの薬物療法としては、中枢神経刺激薬が第一選択薬として用いられており、日本では小児ADHD患者への適応を取得した塩酸メチルフェニデート(Methylphenidate;MPH)の徐放製剤(薬剤名:コンサータ)が使用できる。現在のところ、薬効を予測する客観的指標は使用されず服用を開始してみて1か月程度続けて効果があるかどうか見極めるという方法が一般的である。しかしながら、多動の症状に対してMPHを投与して過覚醒となったり、副作用による食欲低下、入眠困難、チックがおこったりと、MPHの試用は患児の負担が大きい。一方、MPHが有効であるにもかかわらず、依存性や副作用を懸念するあまり使用を避けてしまうことで、症状の改善が図られないという問題も生じている。そのため、ADHDにMPHを適用する際の客観的な判断基準を早急に整備し、MPH徐放製剤の長期投与による効果を明らかにする必要がある。

これまでの数々の画像研究によって、前頭葉、線条体、頭頂葉、小脳などがADHDの病態に関係していることが報告されている。また、ADHDに特徴的に問題があるといわれる実行機能のひとつとして、抑制反応が注目されており、抑制課題を課して、脳の賦活を健常者と比較する機能画像研究が多く行われている。そこで、申請者は精神生理検査および神経心理検査をMPH除放剤の投与前後に行い、ADHD患児に対するMPHの薬効を評価し、継続投与前に予測できる簡便で安全な客観的な検査の開発を行うことを考えた。その際,精神生理学的指標としては、拘束性が低く短時間での実施および繰り返し計測が可能な非侵襲脳機能計測手法である近赤外線スペクトロスコピィ(Near infrared spectroscopy;NIRS)を用いることにした。

近年NIRSを利用した脳機能画像検査手法が開発、発展してきている。NIRSは人体への侵襲が無く、装置の設置も容易なため、通常の臨床環境にて容易に設置、計測が可能である。これまでの研究により、精神疾患ごとの前頭葉機能異常をNIRSにて計測、比較可能なことが示されている。

試験は連続する3つの試験(パートA、パートB、パートC)から構成した。

パートA;薬物(プラセボを含め)未投与の状態の測定、パートB;プラセボとMPH単回投与クロスオーバー試験(2重盲検)、パートC;至適用量MPH4週投与による継続投与試験という構成である。主要目的は、(1)投与前のNIRS特徴量で薬物の継続服用後の行動、認知機能変化、医師の薬効評価を予測する可能性を検討する(パートA+パートC)、(2)単回投与後のNIRS特徴量変化で薬物の継続服用後の行動、認知機能変化、医師の薬効評価を予測する可能性を検討する(パートA+パートB+パートC)とした。副次的目的は、(1)薬物を継続服用した場合の、NIRS特徴量、行動、生活、認知機能への影響を検討する(パートA+パートC)、(2)プラセボと実薬の単回投与がNIRS特徴量と認知機能に与える影響について検討する(パートA+パートB)とした。

2.研究対象と方法

DSM-IVにおけるADHDの3サブタイプのいずれかと診断されている6~12歳のADHD児、ADHD児と年齢およびIQを一致させた定型発達児を対象とした。本研究は東京大学医学部の治験審査委員会、研究倫理審査委員会において承認された(受付番号P2007009、630-5)。本試験では6歳から12歳までの被験患児を対象としたため、同意取得を患児の代諾者(親または保護者)に、文書にて説明し試験参加への同意を文書で取得した。また患児本人にもアセント文書を用いて説明し、試験参加に対する本人のアセントを得るように努めた。

ADHD児に対しては、(1)MPH投与前、(2)MPH単回投与5時間後、(3)プラセボ投与5時間後、(4)MPH継続投与1ヵ月後の計4回NIRS検査を行い、(1)、(4)において行動評価(ADHD-RS-J-IV:ADHD-RS)、神経心理検査(DAS-Naglieri Cognitive Assessment System:DN-CAS)を実施した。(2)、(3)は二重盲検法を用いた。繰返し計測による学習効果を統制するため、定型発達児に対してもADHD児と同じ時間間隔で計4回NIRS検査を実施した。継続内服後のResponderの定義としては、ADHD-RS、DN-CAS、Clinical Global Impression-improvement scale (CGI-I)を用いた。

被験者は前頭前野領域を覆う部位に、24チャネルNIRS装置(HITACHI ETG-4000)のプローブを装着し、賦活課題中の脳皮質ヘモグロビン濃度([oxy-Hb] [deoxy-Hb])を測定した。

賦活課題には抑制課題を使用した。計測時間は全体を181秒間とし、その間を課題前30秒、課題施行(SST)81秒、課題後(Post SST)70秒間の3区間に分割した。課題前後の30秒、70秒の区間は、ベースライン課題として刺激呈示として犬が呈示されるが、犬の向きをできるだけ早くボタンで押すという課題を行う。抑制課題としてはベースライン課題と同じ課題を続けるが、Stop信号がなった場合には反応を抑制するという課題である。NIRS特徴量としてSST[oxy-Hb]平均変化量、Post SST[oxy-Hb]平均変化量、[oxy-Hb]始め5秒間傾き、[oxy-Hb]重心値を用いて解析を行うこととした。

内服前のADHD児、定型発達児1回目の測定における2群間の差について前述したそれぞれのNIRS特徴量についてt検定を用いて比較検討した。

次にADHD患者群の内服前、MPH継続内服後のNIRS特徴量の変化について学習効果を考慮した解析を行うため、定型発達児の4回目のNIRS信号から、1回目のNIRS信号を差し引いた差分波形を算出した。次に、ADHD患児群の継続内服時から内服前のNIRS信号を差し引いた差分波形を算出した。ADHD患児群の継続内服―内服前の差分波形と定型発達児の4回目―1回目の差分波形のNIRS特徴量についてT検定を行った。このように学習効果を考慮して、内服前から継続内服後に有意な変化のあるチャネルを算出した。

実薬投与時、プラセボ投与時のNIRS指標について、対応のあるt検定を用いて、有意な変化が認められるか検討した。

投与前、または実薬単回内服後との差の前頭葉機能変化で薬物の継続服用後の行動、認知機能変化、医師薬効評価の予測可能性については、DN-CAS、ADHD-RSの各スコアについて、投与試験前と継続服用後の変化量を算出した。CGIとこれら各スコアの変化量と投与試験前のNIRS指標とのSpearmanの順位相関係数を用いた相関解析を行った。またROC(Receiver Operating Characteristic)曲線の算出を行い、AUC(Area under the curve)を用いて臨床応用の妥当性について検討した。また、最も左上の座標に近いcut off値を求め、それを用いたResponderを予測する感度、特異度を求めた。AUCを用いて、それぞれの評価項目(ADHD-RS-J-IV、DN-CAS、CGI-I)によって最も高い値であり、臨床応用の妥当性が高いものを選択した。なおこれらの解析における有意水準は5%としたが、それと共にFDR多重比較補正も行った。

3.結果

ADHD患児群においては定型発達児群と比べて、内服前の一回目の計測での[oxy-Hb]初期5秒間傾きの差が、3チャネルにおいて有意な増加を認めた。Post SST [oxy-Hb]平均変化量は7チャネルにて有意差を認めた。

ADHD患児群においては定型発達児と比べて、継続内服後の4回目の計測から内服前の一回目の計測での、SST[Oxy-Hb]平均変化量の差が、10チャネルにおいて有意な増加を認めた。Post SST[Oxy-Hb]平均変化量の差が、1チャネルにおいてに有意な増加を認めた。[oxy-Hb]初期5秒間傾きにおいては、2チャネルにおいて有意な差が認められた。

実薬内服時、プラセボ内服時のNIRS特徴量の変化を比較したところ、実薬内服時2チャネルにおいてSST[oxy-Hb]平均値がプラセボ内服時よりも有意に増加した。Post SST [Oxy-Hb]平均値がプラセボ内服時よりも優位に増加した。はじめ5秒間傾きについては、Ch15において有意にプラセボで急峻な高値となった。

内服前、実薬単回内服後の[Oxy-Hb]変化特徴量を用いたMPH薬効予測可能性について次に述べる。CGI-Iについては、Channel 14の内服前の初期5秒間傾きを連続変数としてROC曲線を作成したところ、AUCは0.70で、カットオフ値を0.0000025とすると、Resonder予測の感度は81.7%、特異度は68.8%となった。Channel 14の内服前[Oxy-Hb]平均変化量を連続変数としてROC曲線を作成したところ、AUCは0.71で、カットオフ値を-0.0011とすると、Resonder予測の感度は81.8%、特異度は62.5%となった。Channel 8において[oxy-Hb]初期5秒間傾き傾きを連続変数とし、感度・特異度を計算し、ROC曲線の作成を行った。AUCは0.91であった。カットオフ値を0.0022とすると、継続内服後のADHD-RSにおいてのResponderの感度は75%、特異度は100%となった。なお、上記の結果における有意とはuncorrected p<0.05であった場合であり、FDR多重比較補正を行った場合には有意とはいえなかった。

4.考察

本研究では、次の2つの主要な新しい知見を認めた。

1)内服前のADHD患児群の[Oxy-Hb]変化特徴量の検討において、定型発達児との有意な差を認めた。継続内服後には、内服前と比較して [Oxy-Hb]変化特徴量の検討において左右腹外側前頭皮質、また左右背外側前頭皮質にて変化が認められ、定型発達児の賦活パターンに似た傾向となった。

2)内服前の[Oxy-Hb]変化特徴量、また内服前と実薬内服時の[Oxy-Hb]変化特徴量の差が、MPHの継続内服治療による行動指標であるADHD‐RS総得点改善度、また神経心理学的指標であるDN-CAS総得点の改善度、CGI-Iとの相関を認めた。Responder、Non-responderの予測に用いる有用性についてROC曲線を作成した検討を行ったところ、AUC0.70、0.91と中から高値を示しMPHの反応性の予測に有用と考えられた。

本研究で、MPH継続内服前に行った簡便で非侵襲的なNIRS検査がADHDの診断、薬物治療の効果予測に役立つ可能性を示したことにより、今後ADHD患者や家族に負担をかけないで治療選択を行うことができる可能性が示唆された。

今後は数年にわたる内服による長期予後の予測ができるような指標を開発することが課題と考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は小児期最も有病率の高い精神疾患である注意欠如多動性障害(Attention deficit hyperactivity disorder:ADHD)への薬物療法を行う為の客観的指標の開発を目指したものである。本研究では、塩酸メチルフェニデート(Methylphenidate:MPH)継続内服の効果を予測する客観的指標開発を目指し、ADHD患児29名に対して、MPH内服前、プラセボとMPH単回投与のクロスオーバー試験、継続投与試験にて、近赤外線スペクトロスコピィ(Near infrared spectroscopy:NIRS)を使用し、抑制課題遂行中の酸素化ヘモグロビン濃度の変化量を測定した。試験は連続する3つの試験(パートA、パートB、パートC、)から構成した。パートA;薬物(プラセボを含め)未投与の状態の測定、パートB;プラセボとMPH単回投与クロスオーバー試験(2重盲検)、パートC;至適用量MPH4週投与による継続投与試験という構成で行われ、下記の結果を得ている。

1.内服前のADHD患児群の[oxy-Hb]変化特徴量の検討において、ADHD患児群においては定型発達児群と比べて、内服前の一回目の計測での[oxy-Hb]初期5秒間傾きの差が、Ch13,14,18の3チャンネルにおいて有意に増加をしていた(uncorrected p:0.007 to 0.038)。Post SST [oxy-Hb]平均変化量はCh2-4, Ch6-7, Ch9-10, Ch19の8チャンネル(uncorrected p:0.005 to 0.028)にて有意に増加していた。またMPH未内服群のみと定型発達児群とで内服前(パートA)の平均NIRS信号変化の比較を行った。SST[oxy-Hb]平均変化量については2チャンネルで有意に定型発達児において増加を認めた(Ch18,20,uncorrected p=0.021-0.027)。[oxy-Hb]初期5秒間傾きについては1チャンネルで有意に未内服群において増加を認めた(Ch14,uncorrected p=0.017)。

継続内服後には、内服前と比較してADHD患児群においては定型発達児と比べて、継続内服後の4回目の計測と内服前の一回目の計測での、SST課題[oxy-Hb]平均変化量の差が、Ch20の1チャンネルにおいて有意な増加を認めた(uncorrected p:0.009)。Post SST課題の[oxy-Hb]平均変化量の差が、Ch3の1チャンネルにおいて有意な増加を認めた(uncorrected p: 0.021)。[oxy-Hb]初期5秒間傾きにおいては、Ch13,14の2チャンネルにおいて有意に傾きの低下が認められた(uncorrected p:0.015 to 0.020)。

3.内服前の[Oxy-Hb]変化特徴量、また内服前と実薬内服時の[Oxy-Hb]変化特徴量の差が、MPHの継続内服治療による行動指標であるADHD‐RS総得点改善度、また医師の薬効評価CGI-Iとの相関を認めた。Responder、Non-responderの予測に用いる有用性についてROC曲線を作成した検討を行ったところ、AUC0.70、0.91と中から高値を示しMPHの反応性の予測に有用な可能性があった。また重回帰分析を行い、他の変数の影響を考慮してもなお、内服前の[oxy-Hb]変化特徴量、また内服前と実薬内服時の[oxy-Hb]変化特徴量の差がADHD‐RS総得点改善度、またCGI-Iに強く影響を与えていることを示唆した。

以上、本論文はNIRSがADHD患児に特徴的な抑制課題に対する賦活パターンを評価し、また、MPHの継続内服後の効果を予測する非侵襲的臨床検査法として有望な可能性を示唆した。本研究は児童精神科領域の臨床応用につながる生物学的指標の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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