学位論文要旨



No 127020
著者(漢字) 橋,健二
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,ケンジ
標題(和) 成長ホルモンが海馬興奮性シナプスに及ぼす作用に関する研究
標題(洋)
報告番号 127020
報告番号 甲27020
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3630号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 斎藤,延人
 東京大学 教授 廣瀬,謙造
 東京大学 特任准教授 河崎,洋志
 東京大学 教授 三品,昌美
 東京大学 教授 狩野,方伸
内容要旨 要旨を表示する

ヒトが成長する上で必須となる成長ホルモン (growth hormone: GH)は下垂体前葉にあるGH分泌細胞により産生され、血液を介して全身に作用する。GHは胎生期より発現が見られ、生後徐々に分泌量が増加し、思春期にピークを迎え、以降年齢と共に低下していく。このように、GHは成長していく過程で適切な時期に適切に分泌されていることが必要であると考えられており、実際、分泌不全により成長ホルモン分泌不全型低身長症や成人成長ホルモン欠損症が引き起こされる。興味深いことに、これらの患者は成長異常だけでなく、認知機能の低下や不安障害が見られており、その症状はGH補充療法により改善するという報告がある。このことから、GHはヒトの成長過程だけではなく、認知機能とも密接に関与していることが考えられ、動物実験においては、認知機能の障害を示す野生型老齢ラットにGHを投与することで認知機能が回復したという報告がある。しかし、この再現性については異論とする報告もあり、GHが認知機能に関与しているメカニズムについての一定の見解は得られていない。また、GHを欠失させた遺伝子改変マウスの報告は未だないが、GHが成長過程に必要であることを考慮すると、胎性致死であることが予想される。そこで、本研究では、スプライシング異常によりGHの産生が大幅に減少している自然発生型矮小ラット (spontaneous dwarf rat: SDR)を用い、内因性のGHが認知機能に及ぼす作用を調べた。中枢神経系の中でも、GH及びGH受容体が存在し、認知機能と関わりが深いと考えられている海馬CA1領域における興奮性シナプスについて、電気生理学的手法および生化学的手法により解析を行った。本研究の成果により、GH関連疾患でみられる認知機能低下やその改善メカニズムについての理解を深めることが期待できる。

SDRの体重はコントロールとして用いたSprague-Dawleyラット (SD)に比べ小さく、海馬重量や海馬のサイズも減少している。海馬のニッスル染色により層構造を観察したところ、大きさは小さいものの、層構造の割合は変化していなかった。続いて、SDRの海馬における基本的なシナプス伝達の特性を見るために、細胞外電位記録法によりイオンチャネル型グルタミン酸受容体であるα-amino-3-hydroxy-5-methyl-4-isoxazole propionic acid (AMPA)受容体が介するシナプス応答の入出力関係 (input-output relationship)を検討した。その結果、SDと比較すると、SDRにおけるシナプス伝達効率が増加していることが示唆された。伝達効率は、量子仮説によれば、シナプス後細胞における応答、すなわち量子サイズ、シナプス前終末における放出確率、そして伝達物質放出部位の数で決定される。海馬抽出液のウェスタンブロット解析を行ったところ、AMPA受容体の発現量は変わっておらず、またホールセルパッチクランプ記録法による海馬CA1領域の錐体細胞における微小シナプス後電流 (miniature excitatory post-synaptic current: mEPSC)の測定では、SDとSDRの間で振幅やkineticsに差が認められなかった。このため、SDRで見られる伝達効率の増加にシナプス後細胞が関与している可能性は低いと思われる。一方、シナプス前終末からのグルタミン酸放出機構に異常が認められるかどうかを調べるために、細胞外電位記録法により2発刺激促通 (Paired-pulse facilitation: PPF)を比較検討したところ、SDRにおいて増大が見られた。PPFの増大は放出確率の減少を反映しているとされており、伝達効率の増加とは一見矛盾している。さらに、mEPSCにおける応答間の時間、すなわち応答の頻度も放出確率を反映することがあるが、SDRにおいては変化が見られなかった。このような矛盾した結果が得られたひとつの要因として、mEPSCと活動電位により誘発されるEPSPでは神経伝達物質放出メカニズムに違いがあるという可能性が考えられるが、今後はこのような結果が得られた神経生理学的背景を解明することが必要である。

さらに、海馬抽出液のウェスタンブロット解析により、SDRにおいてもうひとつのイオンチャネル型グルタミン酸受容体であるN-methyl-D-aspartate (NMDA)型受容体の発現が増加していることが明らかとなった。また、ホールセルパッチクランプ記録法により、NMDA受容体を介した電流とAMPA受容体を介した電流の比 (NMDAR/AMPAR比)がSDRで増大しており、SDRではNMDA受容体を介した電流が増加していることが明らかとなった。このように、SDRでは生化学的にも電気生理学的にもNMDA受容体の増加が認められた。続いて長期可塑性のひとつである長期増強 (Long-term potentiation: LTP)を調べたところ、SDRにおいて有意に増大していた。単純にNMDA受容体の増加による可能性が高いが、GHが成長に関する因子であることを考慮し、SDRでシナプスの発達が未熟であるとすれば、幼若期に多く見られNMDA受容体のみを発現するサイレントシナプスの増加がLTPの増大の原因である可能性も考えられる。この他、GHの分泌を制御している因子である、胃から分泌されるghrelinや、性ホルモンのひとつであるestradiolの外部投与により、LTPの増大やスパイン密度の増加が報告されていることから、これらGH関連因子によりLTPが増大している可能性も考えられた。

続いて、SDRにおけるシナプス可塑性の亢進がGHや下流因子であるインスリン様成長因子1 (insulin-like growth factor-1: IGF-1)の投与によってどのように変化が見られるかを調べたところ、灌流による急性投与ではGHによるfEPSPの増大を過去の報告と同じく再確認した。IGF-1投与ではfEPSPに変化が見られず、GH受容体を介した応答であると考えられた。一方、GH、IGF-1の急性投与ではLTPに変化は見られなかった。SDRへの皮下投与による8週齢から3週間の慢性投与では、基本的シナプス伝達の異常は回復せず、GH投与時のみLTPがさらに増大するという結果となった。GH投与によりIGF-1シグナルが活性していると考えられ、IGF-1投与によりLTPに変化が見られなかったことから、LTPの増大には、GHRにより活性化するMAPKやPI3Kの他、GHの分泌制御に関わるghrelinなど、GHRのみが関与するシグナル系や各制御因子が関与している可能性が強いと考えられる。

GHやIGF-1の慢性投与でシナプス伝達異常の回復を認めなかったことは、投与時期や期間が妥当でなかった点や、生後よりGHの減少しているSDRにおいて、何らかの補償機構が働き、それによるシナプス応答の変化が考えられた。その場合、若齢で投与開始することにより、補償機構についてはGHによる全身成長の回復程度により完全には否定できないが、SDRとGH、及びシナプス伝達で見られた異常の関係を明らかにすることができると思われる。もうひとつの可能性として、SDRが自然発生的であることから、GH以外の遺伝子における変異も考えられる。この場合、他のGH関連遺伝子のノックアウトマウスを用い、SDRで行った実験と同様の実験を行うことで明らかになると思われる。

GH関連疾患に認知機能低下などの精神症状が見られることから、GH及び関連因子の中枢神経への作用が長年議論されている。今回はSDRにおける海馬の興奮性シナプスに着目したが、SDRに関わらず、様々なGH関連遺伝子の改変動物を用い、抑制性シナプスをはじめ、海馬全体に対して、GH及びGH受容体がどのような作用を及ぼしているのかを検討すべきであろう。また、海馬以外の中枢神経系にもGH受容体は発現しており、認知機能には海馬以外の部位も深く関わっていることから、中枢神経系全体におけるGH、及び関連因子の作用についても調べるべきであると思われる。GHは年齢と共に分泌が低下することから加齢に伴う認知機能や記憶の低下との関連も指摘されている。中枢神経系におけるGHの作用に関する研究は未だ十分発展していないが、高齢者へのGH投与による認知機能改善の可能性の検討など、本研究が将来的にGH関連疾患や高齢による認知機能低下のメカニズムの解明、ならびにその治療への第一歩となることを期待する。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、動物が成長する上で必須となる成長ホルモン(growth hormone: GH)が、認知機能に与える影響を明らかにするため、自然発生的に成長ホルモンが減少したラット(spontaneous dwarf rat: SDR)において海馬興奮性シナプスを電気生理学的、生化学的に解析したものであり、下記の結果を得ている。

1. GHが減少しているSDRは、11-13週齢時点での体重でSpurague-Dawley rat (SD)に比べ20%程度と大幅な減少を示すことを再確認した。海馬重量及び海馬の長さは70%程度であった。SDRで見られる海馬サイズの減少が海馬の各層構造に与える影響を調べるため、ニッスル染色による評価を行った。その結果、CA1領域の厚さに対する各層構造の割合に変化はなく、単純に層構造を保ったまま大きさが小さくなっていることが明らかとなった。

2. SDRの海馬スライスを用い、SDをコントロールとした電気生理学的解析を行った。まず、細胞外電位記録において入出力関係 (input-output relationship)を測定したところ、SDRで有意な増大が見られた。SDRの海馬興奮性シナプスにおいて、伝達効率が増大していることが明らかとなった。

3. 伝達効率の増大が何に由来するかを調べるため、細胞外電位記録により2発刺激促通 (paired pulse facilitation: PPF)を測定したところ、SDRで有意な増大が観察された。PPFは伝達物質の放出確率を示しているとされており、この場合放出確率はむしろ減少している可能性が示唆された。続いて、ホールセルパッチクランプ法により、微小興奮性シナプス後電流 (miniature excitatory postsynaptic current: mEPSC)を調べた。その結果、振幅に変化はなく、応答の頻度も差は見られなかった。細胞外電位記録で観察されたInput-output relationshipやPPFとの結果に矛盾が生じるが、その原因の一つとして、mEPSCと活動電位依存性の細胞外電位記録とは神経伝達物質の放出メカニズムに違いがある可能性が考えられた。

4. 海馬抽出液によるウェスタンブロットにて、シナプス関連タンパク質の発現量を単純比較した。シナプス後細胞におけるAMPA受容体やpost synaptic density protein 95 (PSD95)はSDRで差はなく、シナプス前終末に存在する、放出関連タンパク質であるシナプシン1やシナプトタグミン、シナプトフィジンにも差は見られなかった。一方、もうひとつのグルタミン酸受容体であるNMDA受容体のサブユニットであるGluN2A及びGluN1はSDRにおいて有意な増加が見られた。さらに、NMDA受容体の発現が多いと考えられているCA1領域を取り出し、ウェスタンブロットを行ったところ、上記NMDA受容体のサブユニットの他、GluN2Bも発現の増加が見られ、SDRではNMDA受容体の発現が増加していることが示された。

5. NMDA受容体発現の増加がNMDA受容体シナプス電流を増加させているかを調べるため、ホールセルパッチクランプ法により、NMDA受容体電流とAMPA受容体電流の比を測定したところ、SDRでNMDA受容体電流の有意な増大を観察した。SDRではNMDA受容体の発現の増加に伴い、NMDA受容体シナプス電流が増加していることが明らかとなった。

6. SDRにおける可塑性の変化を調べるため、細胞外電位記録により、長期可塑性のひとつである長期増強 (long term potentiation: LTP)を測定した。その結果、NMDA受容体が増加しているSDRにおいて、LTPは有意に増大していた。

7. これらのSDRで見られた電気生理学的な変化が、GHや下流因子であるインスリン様成長因子-1 (insulin like growth factor-1: IGF-1)の投与により回復するかどうかを調べた。SDRの海馬スライスに対し灌流投与を行い、GHやIGF-1の急性効果を観察した。GHの急性投与により、fEPSPは増大し、これまで言われていた急性効果を再確認した。またこの変化はIGF-1では見られなかったことからGH特有のものであり、SDとSDR間での差は見られなかった。しかし、GH、IGF-1の急性投与によりLTPに影響は見られなかった。

8. 続いて、慢性投与による効果を見るために、8週齢のSDRに対し週に3回、3週間、GH及びIGF-1の皮下注射を施行した。3週間後の体重増加率はコントロールである生理食塩水投与群と比較し、GH、IGF-1投与群ともに有意な増加を認めた。投与後のSDR海馬スライスを用い、電気生理学的解析を行った。SDRで増大が見られたinput-output relationshipやPPFは変化がなかった。海馬のウェスタンブロットでは各シナプス関連タンパク質に変化はなく、SDRで増加していたNMDA受容体も変化は見られなかった。NMDA受容体シナプス電流も回復は認めかなった。

9.慢性投与後のLTPは、GH投与群においてのみ、さらなる増大が観察される結果となった。GHの慢性的な作用としてのLTPの増大が考えられた。慢性投与による回復を認めなかった点は、投与時期の妥当性や他の補償機構が考えられた。

以上、本論文はGHが減少しているSDRの海馬興奮性シナプスにおいて伝達効率や長期可塑性の変化を明らかにした。また、NMDA受容体の増加や、それに伴うNMDA受容体シナプス電流も増加していることが示された。投与による完全な回復は認めなかったが、SDRで見られたこれらのシナプス伝達の異常が、GHが認知機能に与える影響の一因となっている可能性が示唆された。SDRでの中枢神経についての研究は本研究が最初であり、GHの中枢神経への関与の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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