学位論文要旨



No 127021
著者(漢字) 高橋,雅道
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,マサミチ
標題(和) 複数の腫瘍モデルを用いた第三世代遺伝子組換え単純ヘルペスウイルスI型の治療効果の検討
標題(洋)
報告番号 127021
報告番号 甲27021
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3631号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 辻,省次
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 山下,直秀
 東京大学 准教授 川合,謙介
 東京大学 講師 井垣,浩
内容要旨 要旨を表示する

【序文】

悪性腫瘍の治療法は近年めざましい進歩を遂げ、完治するがんも散見されてきた一方で、難治性の悪性腫瘍においてはその生存率はほぼ変化しておらず、新しい治療法の開発が求められている。

ウイルス療法はウイルスゲノムに遺伝子組換えを施してウイルスが正常細胞の中で複製できないように改変し、その一方で目標とするがん細胞の中でのみ複製できるようにデザインした遺伝子組み換えウイルスを用いることで正常細胞を傷害することなくがん細胞を特異的に殺傷する。現時点で有効な治療法のない難治性悪性腫瘍においては最も期待される次世代の治療法の一つである。

第三世代遺伝子組み換え単純ヘルペスウイルスI型(HSV-1)であるG47Δは、そのゲノムに三重変異を持たせたがん治療用遺伝子組み換えHSV-1であり、これまでに欧米で既に臨床試験が行われた第一世代HSV-1、第二世代HSV-1と比べて更に安全性と抗腫瘍効果の双方を高める事に成功したがん治療用ウイルスである。

一方、近年種々の固形がんの組織中に、放射線療法や化学療法などの従来の治療に抵抗性を示して再発の原因になっていると考えられる細胞集団が存在する事が明らかになった。このような細胞はがん幹細胞と呼ばれ、神経膠腫の中で最も悪性度が高い膠芽腫にも脳腫瘍幹細胞が含まれているとの報告が相次ぎ、その治療標的としての重要性が高まってきている。脳腫瘍幹細胞についてはいまだ厳密な分離方法が確立しておらず、現時点では(1)自己再生する、(2)神経細胞系統、および神経膠細胞系統の細胞に分化する能力を持つ、(3)免疫不全マウスの脳内移植にて腫瘍形成能を持つ、の3点を満たす細胞とされる。

本研究では、膠芽腫患者の臨床検体から脳腫瘍幹細胞を分離培養し、樹立した脳腫瘍幹細胞ラインを用いてマウス脳腫瘍モデルを作成してG47Δの抗腫瘍効果を検討した。更に、近年米国で医薬品として再発膠芽腫に対して承認されたvascular endothelial growth factor(VEGF)中和抗体であるベバシズマブとの併用による効果を検討した。また、これらの実験に先行して、難治性がんである悪性胸膜中皮腫に対するG47Δの抗腫瘍効果について、ヒト悪性胸膜中皮腫細胞株によるマウス胸腔内腫瘍モデルを用いて検討した。

【方法】

1.ヒト悪性胸膜中皮腫細胞株のマウス胸腔内腫瘍モデルにおけるG47Δの抗腫瘍効果の検討

G47Δのヒト悪性胸膜中皮腫細胞株に対する殺細胞効果を調べるため、MSTO-211H、NCI-H226、NCI-H2052、NCI-H2452、NCI-H28の5種類を用いてin vitroにてG47Δによる殺細胞効果、及びG47Δの増幅能について検討した。続いて、ヌードマウスの胸腔内にMSTO-211H、またはNCI-H226を移植(day 0)して胸腔内腫瘍モデルを作成し、各々後述の実験スケジュールに合わせたタイミングでmockまたは各実験で設定した量のG47Δを胸腔内投与してマウスの生存を観察した(各群6匹)。また、前述のモデルにおける胸腔内でのG47Δの分布、動態を病理学的にも観察した。生体内でのウイルスの分布と動態を観察するため、G47Δとほぼ同じ骨格を持ち、luciferaseを発現するT-lucCMVを用いてin vivo bioluminescence imagingを行った。

2.ヒト膠芽腫由来がん幹細胞を用いたマウス脳腫瘍モデルにおけるG47Δの抗腫瘍効果の検討

27例の脳腫瘍患者の手術検体を無血清培地で培養し、sphereとして5回以上継代して樹立したラインをTGS-01、TGS-02…と順に名付けた。また同時に、同じ検体の半量を血清を含む培地で培養し、継代した細胞をTGS-serum細胞と名付けた。これらの細胞におけるCD133陽性サブセットの測定をフローサイトメトリーにて行った。また、TGS細胞を血清存在下で培養し、免疫細胞染色を行って発現する蛋白質を前後で比較した。更にTGS細胞とTGS-serum細胞をヌードマウスの脳内に移植して腫瘍形成を観察した。その上でin vitroにてG47ΔとベバシズマブがTGS細胞の増殖と幹細胞性に及ぼす影響を検証した。これらin vitroの実験に続き、in vivoでのG47ΔとベバシズマブのTGS細胞由来脳腫瘍に対する抗腫瘍効果を検証した。TGS細胞をヌードマウスの脳内に移植(day 0)し、TGS-01とTGS-04はday 10に、TGS-02はday 20にmockまたはG47Δを腫瘍内に投与して生存期間を観察した(各群10匹)。更に、TGS-01またはTGS-04を用いた同様の脳腫瘍モデルに対して、G47Δとベバシズマブの併用効果を観察した。また、TGS脳腫瘍モデルの脳におけるG47Δ複製能に対するベバシズマブの影響を評価するため、in vivo viral replication assayを行った。最後にG47Δとベバシズマブ併用治療がin vivoにおいて脳腫瘍幹細胞のSOX2発現に及ぼす影響を評価するため、治療後のマウスの脳から蛋白質を抽出し、SOX2蛋白発現量をWestern blot法で比較した。

【結果】

1. ヒト悪性胸膜中皮腫細胞株のマウス胸腔内腫瘍モデルにおけるG47Δの抗腫瘍効果

調査した5種類の細胞株のうち、NCI-H28を除く4種類においてG47Δは著明な殺細胞効果を示し、MSTO-211HとNCI-H226内では感染48時間後に約200倍のtiterを示し、良好に増幅した。MSTO-211Hを用いた胸腔内腫瘍モデルにおけるG47Δ胸腔内投与実験では、day 5に1.0×105、106、107 plaque forming units (pfu)のG47Δを投与したマウスは、mock投与群が全例day 35までに死亡したのに対してG47Δ治療群は3群ともday 107まで死亡例が出現せず、著明に生存期間が延長した(p<0.001)。次にG47Δの量を1.0×105 pfuに固定し、投与日をday 5、day 8、day 11、day 14、day 21としたところ、day 21群以外の全ての群でmock群に比べて有意に生存期間が延長した。類似の実験をNCI-H226でも行ったが結果は同様で、day 5に1.0×105、106、107 pfuのG47Δを投与した群は3群ともmock投与群に比べ生存期間が延長し(p<0.001)、1.0×105 pfuのG47Δをday 10、day 20、day 30に投与したところ、全ての群で有意に生存期間が延長した。病理学的にもG47Δが腫瘍に一致して複製している事が確認され、MSTO-211Hを14日前に胸腔内へ移植したマウスへ5.0×106 pfuのT-lucCMVを投与して発光を観察したところ、ルシフェラーゼはday 14でも発現しており、胸腔内でウイルスの新たな感染が起こり続いていることが示された。

2. ヒト膠芽腫由来がん幹細胞を用いたマウス脳腫瘍モデルにおけるG47Δの抗腫瘍効果

27例の脳腫瘍患者のうち、13例の膠芽腫患者の臨床検体からsphereを継代培養することが出来た。このうちTGS-01、TGS-02、TGS-04について検討を進めたところ、フローサイトメトリーにてTGS細胞は全てCD133陽性であったが、TGS-serum細胞はCD133陰性だった。また、免疫細胞染色ではTGS細胞は血清存在下で培養すると、陰性だったTuj1が発現するようになり、GFAPを発現する細胞も認め、神経細胞系統と神経膠細胞系統に分化していると考えられた。TGS細胞とTGS-serum細胞をヌードマウスの脳内へ移植すると、TGS細胞では5.0×103個を移植すると腫瘍を形成してマウスが全例腫瘍死したのに対し、TGS-serum細胞は5.0×105個を移植しても腫瘍の形成を認めなかった。以上からTGS細胞が脳腫瘍幹細胞の性質を満たしていることを示した。in vitroの実験結果では、G47ΔがTGS細胞を強く障害する事が示されたが、ベバシズマブはTGS細胞の増殖に影響を及ぼさなかった。しかしin vivoでは、ベバシズマブの併用によってTGS脳腫瘍モデルに対するG47Δの抗腫瘍効果は増強し、マウスの生存期間が有意に延長した。治療後のSOX2蛋白発現量は、G47Δ治療群で有意に低下し、ベバシズマブの投与によって差は認められなかった。

【考察】

MSTO-211H及びNCI-H226胸腔内モデルに対するG47Δの胸腔内投与による抗腫瘍効果は、これまで報告された遺伝子組換えHSV-1による結果よりもはるかに優れた結果を示し、悪性胸膜中皮腫に対する有効な治療法と考えられた。

ヒト膠芽腫由来の複数のがん幹細胞ラインに対してG47Δは顕著な殺細胞作用を示した。またがん幹細胞を用いた脳腫瘍モデルにおいてもG47Δの脳腫瘍内投与は単独で有意に生存期間を延長した。更にベバシズマブとの併用ではその効果が増強することを見出した。G47Δで治療後の脳ではSOX2蛋白発現が有意に低下した。これらの結果はいずれも、G47Δが、がん幹細胞にも高い治療効果を発揮し、膠芽腫の根治的治療になり得ることを示唆している。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、次世代のがん治療法として注目されているものの一つである第三世代遺伝子組換え単純ヘルペスウイルスI型(G47Δ)の、難治性悪性腫瘍に対する抗腫瘍効果を複数の動物モデルを用いて検討したものである。難治性悪性腫瘍としては悪性胸膜中皮腫、及び膠芽腫を対象とした。悪性胸膜中皮腫についてはヒト由来の細胞株を用いた免疫不全マウスの胸腔内腫瘍モデルを用いて検討し、膠芽腫については近年その存在が明らかになりつつある脳腫瘍幹細胞を患者検体より樹立し、それを用いた免疫不全マウスの脳腫瘍モデルを用いて検討し、下記の結果を得ている。

1. 5種類のヒト悪性胸膜中皮腫細胞株に対してG47Δのin vitro cytotoxicity assayを行ったところ、4種類においてG47Δは著明な殺細胞効果を示した。また、このうちヌードマウスへの移植で腫瘍を形成する事が知られているMSTO-211HとNCI-H226へG47Δを感染後、48時間後に回収してtiterを測定したところ最初のtiterに比べて約200倍の値を示し、これらの細胞内でG47Δが良好に増幅する事が示された。

2. MSTO-211H、またはNCI-H226をヌードマウスの右胸腔へ移植した胸腔内腫瘍モデルを作成してG47Δの胸腔内投与による抗腫瘍効果を検討するべく、コントロール群とウイルス治療群での生存期間を比較した。いずれの細胞株を移植したマウスも、複数の条件で行ったG47Δの単回治療により、コントロール群に比べてウイルス治療群は統計学的有意に生存期間が延長した。第三世代遺伝子組換えHSV-1による悪性胸膜中皮腫胸腔内腫瘍モデルの抗腫瘍効果検討の報告は我々の報告が初めてであり、第一世代、第二世代の遺伝子組換えHSV-1による従来の報告に比べ、その効果は非常に高かった。また、その際の病理学的検討にてG47Δが腫瘍内で増幅していることが示された。

3. G47Δと同様の骨格を持ち、ウイルス感染時にluciferaseを発現するように設計したT-lucCMVを用いたin vivo bioluminescence imagingの実験では、胸腔内腫瘍をもつマウスの胸腔へ投与されたウイルスは、腫瘍に持続して感染、増幅を繰り返していることが示された。

4. 膠芽腫患者の手術検体から得た細胞を無血清培地を用いた浮遊培養法にて培養してsphere cellsを獲得し、これらが脳腫瘍幹細胞の必要条件を満たしている事を確認した。この細胞をTGS(Todai Glioma Stem)細胞と名付け、TGS-01、-02、、、と番号をつけた。

5. TGS-01、TGS-02、TGS-04に対してG47Δのin vitro cytotoxicity assayを行ったところ、何れの細胞に対してもG47Δは著明な殺細胞効果を示した。また、これらの細胞へG47Δを感染後、48時間後に回収してtiterを測定したところ最初のtiterに比べて約20倍~600倍の値を示し、これらの細胞内でG47Δが良好に増幅する事が示された。

6. TGS細胞をヌードマウスの右大脳半球へ移植した脳腫瘍モデルを作成してG47Δの脳腫瘍内投与による抗腫瘍効果を検討するべく、コントロール群とウイルス治療群での生存期間を比較した。TGS-01、TGS-02、TGS-04を用いた脳腫瘍モデルマウスにおいて、いずれもG47Δの単回治療によりコントロール群に比べてウイルス治療群は統計学的有意に生存期間が延長する事を示した。また、その際の病理学的検討にてG47Δが腫瘍内で増幅していることが示された。

7. 膠芽腫の発育と脳腫瘍幹細胞のin vivoにおける増殖に重要な役割を担うvascular endothelial growth factor (VEGF)について、TGS細胞がin vitroでVEGFを分泌していることをELISA法で確認した。また、TGS-01、またはTGS-04を移植した脳腫瘍モデルにおいて、G47Δの単回腫瘍内投与とベバシズマブ(VEGFの中和抗体である分子標的薬)の腹腔内投与の併用によってマウスの生存期間が延長する事を示し、脳腫瘍幹細胞を用いた脳腫瘍モデルに対してこれらの併用が有効であることを初めて見出した。

8. 脳腫瘍幹細胞に発現する事が知られるSOX2について、TGS-01を用いた脳腫瘍モデルマウスにおけるG47Δの腫瘍内投与、及びベバシズマブの腹腔内投与後でのSOX2蛋白質の脳内変化をWestern blotting法によって比較したところ、SOX2はG47Δ治療群で有意に減少しており、G47Δによって脳腫瘍幹細胞が死滅したことが示された。

以上、本論文は第三世代遺伝子組換えHSV-1であるG47Δが、悪性胸膜中皮腫細胞株を用いた胸腔内腫瘍モデルに対して著明な抗腫瘍効果を示す事、及び脳腫瘍幹細胞を用いた脳腫瘍モデルに対して単独でも抗腫瘍効果を示し、更にベバシズマブとの併用によりその効果が増強する事を明らかにした。本研究はこれまで明らかにされていなかったG47Δの悪性胸膜中皮腫、及び膠芽腫に対する治療開発に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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