学位論文要旨



No 127023
著者(漢字) 戸田,智久
著者(英字)
著者(カナ) トダ,トモヒサ
標題(和) マウス一次体性感覚野におけるバレル形成の開始時期制御
標題(洋) The developmental timing of barrel formation in the mouse primary somatosensory cortex
報告番号 127023
報告番号 甲27023
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3633号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 真鍋,俊也
 東京大学 教授 廣瀬,謙造
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 森,憲作
 東京大学 教授 三品,昌美
内容要旨 要旨を表示する

高次脳機能の基盤となる脳神経回路の形成メカニズムの理解は、神経科学の重要課題である。神経回路の形成メカニズムを理解するためには、二つの要因が重要である。第一には神経回路の空間的パターン形成に関与する機能的遺伝子の同定であり、従来、この視点からEph-Ephrinなどの多くの遺伝子が見出されてきた。第二には、特定の回路形成プロセスの時期制御の理解である。即ち、ある特定の回路形成プロセスは、適切なある特定の時期に生じることが重要であるが、これまで、どのようなメカニズムでその時期を制御しているか不明な点が多かった。そこで私は神経回路形成研究の代表的なモデル系であるマウス一次体性感覚野に存在するバレルに着目して解析を行った。

マウスではヒゲを用いた体性感覚系が発達しており、ヒゲからの感覚情報は脳幹、視床VB核を介して、一次体性感覚野に伝達される。一次体性感覚野には一本一本のヒゲに対応したバレルと呼ばれる神経回路構造が配置されている。バレル形成やバレル可塑性はいずれも出生直後の1週間ほどで生じるが、どのようなメカニズムで出生直後という特定時期にこれらが引き起こされるのか不明であった。私は実験ノートを丹念に検討した結果、マウスの出生時期とバレル形成時期が相関する事に気付き、「出生」がバレル形成を制御しているとの仮説を立てた。

この仮説を検証するために、人為的に出生時期を早めたところ、早産で生まれたマウスでは正期産マウスと比較してバレルが早く形成されることを見出した(図1)。一方、視床VB核バレロイド構造の形成時期や、バレル形成と同時に進行するヒゲ傷害バレル可塑性臨界期の終了時期は、早産マウスと正期産マウスの間に差が無かった。これらの結果は、出生がバレル形成を選択的に制御している事を示唆している。

続いて、出生の下流でバレル形成を制御するシグナルを探索した。過去の研究から、脳内の過剰な細胞外セロトニンはバレル形成を抑制する事が知られていた。このことから私は、正常発達過程ではセロトニンはバレル形成を抑制しており、セロトニン濃度が低下することによりバレル形成が開始するのではないかと考えた。新生マウスの細胞外セロトニン濃度を測定した結果、予想通り、細胞外セロトニン濃度はバレル形成より前に低下すること、および早産マウスでは正期産マウスに比べて細胞外セロトニン濃度の低下が早く進行することを見出した(図2)。さらに薬理学的方法を用いて、バレル形成時期制御には、セロトニン濃度低下が必要かつ十分であることを明らかにした。以上の結果は、出生がきっかけとなり、脳内セロトニン濃度が低下し、その結果、バレル形成が始まることを意味している(図3)。

これらの結果を考察すると、神経回路形成の時期制御という観点から、その制御メカニズムの一端が明らかになった。また出生という観点から、出生は単に胎児を体外に出すだけでなく、神経回路形成の制御をするという、より積極的な役割を担っていることが明らかになった(図3)。

(図1)早産によりバレルが早く形成

(図2)早産により細胞外セロトニン濃度が早く低下

(図3)本研究のまとめ

審査要旨 要旨を表示する

高次脳機能の基盤となる精確な神経回路の形成メカニズムの解明は、神経科学の重要な研究課題である。神経回路を正確に形成するためには、個々の形成過程が発生過程における正しい時期に進行することが重要であるが、その時期制御メカニズムの解明は遅れている。

本研究は、神経回路形成の時期制御に「出生」が重要な役割を担っているとの仮説のもと、マウス一次体性感覚野バレルを用いて解析を進めた結果、下記の結果を得た。

1. 出生がバレル形成の開始時期を制御するとの仮説を検討するために、薬理学的手法、および卵巣切除を用いて人為的に早く出生を誘導した結果、早産マウスでは正期産マウスと比較してバレルが早く形成されることを見いだした。バレル形成の定量的解析の結果から、出生はバレル形成の速度を増加させるのではなく、バレル形成の開始時期を制御することが示唆された。

2. 出生が作用する神経回路レベルを同定するために、早産マウスと正期産マウスの大脳皮質一次体性感覚野バレル細胞構築、視床皮質軸索クラスター、および視床VB核バレロイドの形成時期を比較検討した結果、出生は視床皮質軸索レベルに作用することが示唆された。

3. 出生がバレル形成を選択的に制御するかを検討するために、バレル形成と同時に進行するヒゲ傷害バレル可塑性臨界期の終了時期を検討した結果、早産マウスと正期産マウスとの間で臨界期終了時期には差が無かった。この結果から、出生がバレル形成を選択的に制御していること、さらにバレル形成とバレル可塑性は全く異なる時期制御を受けている事が示唆された。

4. 出生の下流でバレル形成を制御するシグナルとして、セロトニンシグナルの可能性を検討した。バレル形成抑制因子として知られる脳内の細胞外セロトニンの濃度変化を新生マウスで測定した結果、細胞外セロトニン濃度はバレル形成より前に低下すること、および早産マウスでは正期産マウスに比べて細胞外セロトニン濃度が早く低下することを見出した。

5. バレル形成の開始制御に、セロトニン濃度低下が必要かつ十分であることを、薬理学的方法を用いて示した。即ち、セロトニン濃度低下を抑制した場合、早産マウスにおける早期バレル形成は抑制された。一方、セロトニン濃度を早く低下させた場合、正期産マウスにおいて早くバレルが形成された。

これらの結果を総合すると、「出生が脳内セロトニン濃度を低下させ、その結果、バレル形成が開始する」ことを意味している。

以上、本論文はマウス一次体性感覚野バレル形成の開始制御において、出生が重要な役割を担っていること、及び出生の下流シグナルとしてセロトニンシグナルが重要であることを明らかにした。本研究は、これまで未知な点が多かった神経回路形成の開始時期制御メカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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