学位論文要旨



No 127025
著者(漢字) 東原,真奈
著者(英字)
著者(カナ) ヒガシハラ,マナ
標題(和) 球脊髄性筋萎縮症における運動ニューロン障害の定量評価についての研究
標題(洋)
報告番号 127025
報告番号 甲27025
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3635号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 川合,謙介
 東京大学 准教授 坂井,克之
 東京大学 教授 齊藤,延人
 東京大学 講師 湯本,真人
 東京大学 准教授 田中,栄
内容要旨 要旨を表示する

球脊髄性筋萎縮症 (Spinal and Bulbar muscular atrophy; SBMA)は、X連鎖劣性遺伝形式をとる、運動ニューロン病で、アンドロゲン受容体 (androgen receptor; AR) 遺伝子のCAGリピートの異常伸長を原因とするポリグルタミン病である。主症状は緩徐進行性の四肢筋力低下・筋萎縮と球麻痺である。

近年、SBMAにおいて分子標的治療の開発研究が進んでおり、本邦でもLHRH-analogを用いた多施設での治験が実施された。このような状況において、より感度が高く、信頼性の高いsurrogate markerの重要性が高まっている。SBMAの電気生理学的マーカーとしては、これまで複合筋活動電位 (compound muscle action potential, CMAP)や運動単位数推定 (motor unit number estimation, MUNE)が下位運動ニューロン (lower motor neuron, LMN) 障害の評価に用いられてきたが、いずれも異常検出感度や再現性についての問題点が指摘されている。

我々は先行研究において、表面筋電図(Surface electromyography, SEMG)の新しい定量解析パラメータである、Clustering Index (CI)法を開発した。この新しい手法は簡便かつ非侵襲的に、神経原性変化と筋原性変化を鑑別することができ、特に慢性神経原性疾患において異常検出感度が高いことが期待された。

【目的】

CI法がSBMAにおけるLMN障害の指標として有用であるかについて検討する。これまでにSBMAのLMN障害の定量評価に用いられた電気生理マーカーの代表的なものにはCMAP振幅とMUNEがあげられるので、我々はCMAP振幅、MUNEとCI法の感度、再現性について比較・検討した。

【方法】

(1)対象

対象は29名のSBMA患者と27名の健常男性。SBMA患者の年齢は53.4±10.6歳 (36-71)で、AR遺伝子のCAGリピート解析により確定診断がなされた。CAGリピート長は48.2±3.6 (43-58)であった。筋力低下発症からの罹病期間は12.3±7.9年 (2-37)であった。健常男性の年齢は51.8±16.3 歳 (30-80)であった。

(2)SEMGの記録

設定: SEMGの記録に際しては、フィルター設定は50Hz-1kHzを用い、増幅ゲインは100μV-5mV/divで信号サイズにあわせて調節した。記録電極はAg-AgCl表面電極を用いた。

電極配置: 記録電極を小指外転筋 (ADM)筋腹上 (belly)、基準電極を小指末節 (R1)、記録電極の2cm近位 (R2)、尺骨茎状突起 (R3)に配置し、belly-R1, belly-R2, belly-R3, R1-R3の4誘導を記録し、比較・検討した。belly-R2は、遠隔電場電位 (far-field potential, FFP) および前腕筋由来のMUPの混入が少なく、MUPの分離にもっとも優れていた。そのため、SEMGの記録にはbelly-R2誘導を用いた。

記録の実際: 被検者に、様々な強さで小指を外転してもらい、収縮強度が一定の1秒間のSEMG記録を保存した。この1秒間のSEMG信号をepochとして用い、それぞれの被検者につき、20-50個のepochを集めた。

(3) CIの概念と計算法: 最弱収縮を除き、正常での表面筋電図信号は多数のMUPがほぼ干渉した波形となるが、高度の神経原性変化では少数の巨大MUPが分離して出現し、その間に基線部分が残存した波形となる。つまり、同じtotal areaを持つ正常と神経原性変化の筋電図信号において、時間軸に沿って筋電図信号を適切なwindow幅で分割すると、正常では筋電図信号が個々のwindowにほぼ均等に分布するが、神経原性疾患においては巨大MUPを含むごく少数のwindowに信号が集中(cluster)する。CIはこのclusterの程度を定量的に表現するための指標である。本研究ではwindow幅を7.5msに設定し、各window areaの値からなる数列の階差数列、1つおきの階差数列、2つおきの階差数列の2乗和をそれぞれ計算した。この3つの階差数列の2乗和の総和を、元の数列の2乗和の6倍で除して標準化したものがCIである。CIは0から1の値をとり、神経原性の変化が強いほど高い値をとる。

(4) 各個人の代表値の算出方法: 健常者の全epochをCIとlog (area)の2軸上にプロットして線形回帰を行い、その±2.5 SE(標準誤差)を正常クラウドとして設定した。さらに、この回帰直線からの個々のepochの残差と、各被検者ごとの残差平均(Rm)を計算した。正常被検者全員のRmの平均と標準偏差を元に、個々の被検者のRmのZ-scoreを計算し、CI法の代表値として用いた。

(5) 検者間の再現性の検討: CI法での同一被検者における検者間の再現性について検討した。対象はSBMA患者3名と正常コントロール3名で、1名の筋電図専門医と、1名の非専門医により検査を行った。Z-scoreの検者間での相関と系統的な差の有無について調べた。

(6) CMAP振幅とMUNEの評価: CI法の記録後に、同じ記録電極・接地電極の配置のまま、CMAP振幅の記録とMUNEを施行した。MUNEについては、多点刺激法を用いた。さらに、先行研究から得た、尺骨神経支配の各筋由来の波形パターンをもとに、MUNEで得られた個々の単一運動単位電位 (single motor unit potential, SMUP)の起源の同定も試みた。

(7) 臨床パラメータとの相関: CI、CMAP振幅、MUNEの3つの電気生理パラメータと、ADMの筋力、筋力低下発症からの罹病期間、CAGリピート数との関係について検討した。

(8) 経過フォローアップ: SBMA例においては、およそ3ヶ月ごとにCI、CMAP振幅、MUNEを評価した。

【結果】

(1) CI法

正常者: 正常者から975epochを得た。Z-scoreは-2.11から1.66で、全例±2.5 SEの範囲内であった。

SBMA患者: SBMA患者からは1035 epochを得た。SBMA症例のZ-scoreは7.07±2.18 (3.3-12.4)で、全例で異常だった。

検者間での再現性: 2検者間のZ-scoreに有意差はなく、検者間のZ-scoreの差の絶対値も0.70以下で、相関係数は0.990であった。CI法では、検者間の再現性は良好で、専門家と非専門家で系統的な差がなく、電気生理検査の技術にも依存しないと言える。

(2) CMAP振幅とMUNE: CMAP振幅はSBMA症例の72%、MUNEでは93%に異常を認めた。

(3) 臨床指標との相関: どの電気生理パラメータも検査時年齢、CAGリピート数とは相関しなかった。CI、CMAP振幅はADMの筋力と相関したが、MUNEは相関しなかった。CIは、筋力低下を認めない2例のSBMA患者でも異常高値であった。筋力低下発症からの罹病期間については、CMAP振幅とMUNEは罹病期間と有意に相関したが、CIは相関を認めなかった。しかしながら、筋力低下発症からの罹病期間が10年未満と10年以上の2群に分けると、CIにおいて2群間の差が最大だった。

(4) 経過フォローアップ: SBMAにおいて、初回検査の6ヶ月後のデータは15例、12ヶ月後のデータは10例で得られたが、どの電気生理パラメータも有意な変化を示さなかった。各被検者内の再現性を、群内SD/群間SD比率、群内SD/(正常患者間の平均値の差)の比率の2つの指標で評価したが、両指標ともMUNEが最大(再現性が不良)で、前者の指標ではCMAP振幅が、後者ではCI法が最も良好な再現性を示した。

(5) MUNEにおけるSMUP起源の検討: 評価した全SMUPの70%以上がADM由来ではなく、中にはサンプルされたすべてのSMUPがADM由来ではない症例も見られた。これらADM以外の筋由来のSMUPは、ADM由来のものより有意にサイズが小さく、SBMA例において、ADM以外の筋由来のSMUPの割合が増えると、MUNEの異常の程度はCIよりも有意に小さくなった。

【考察】

本研究では、CMAP振幅およびMUNEも過去の報告より高い感度を示したが、その理由として、評価に対数値を用いたこと、我々の正常値のばらつきが少ないこと、対象とした患者群の重症度が高かった可能性が考えられる。しかし、同じ患者群においてもCMAP振幅、MUNEともに、CIより感度が低かった。

SBMAのような慢性経過の運動ニューロン病では、神経再支配による代償が十分生じるため、CMAP振幅の感度は低くなるが、MUNEも、CMAP振幅より感度は高かったものの、CIよりは低く、さらに再現性が最も低かった。その原因として、骨間筋など小指球以外の筋由来のFFPが不定の割合で混入するという機序が、本研究により初めて示唆された。

CI法は簡便で、検査技術に依存せず、電気刺激を使わない点で既存の方法より非侵襲的である。SBMAにおけるLMN障害の検出感度にすぐれ、再現性も良好で、筋力とも相関した。一方で、軽い異常を鋭敏に検出する能力に優れていたが、ある程度強い異常になると、LMN障害の実際の重症度と並行しない可能性があり、この点が本法の現状での欠点といえる。しかし、治験において効果が期待できるのは軽症から中等症の患者であることを考えるとCI法の有用性は高いと考えられる。

【結論】CI法はSBMAのLMN障害の電気生理マーカーとして有用であり、治験などへの臨床応用が期待できる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、近年信頼できる電気生理マーカーが必要とされている、球脊髄性筋萎縮症(spinal and bulbar muscular atrophy; SBMA)における下位運動ニューロン障害の定量化を試みたもので、以下の結果を得ている。

1.先行研究で開発した定量表面筋電図解析法であるClustering Index (CI)法を小指外転筋(abductor digiti minimi; ADM)に応用する方法を開発した。これまで表面筋電図は、運動単位電位の重なりが非常に大きいために、臨床応用は困難であったが、本研究では、ADMに含まれる遠隔電場電位を除くなど電極配置を工夫することにより、運動単位電位を良好に分離記録することに成功した。

2.CI法では、Clustering Indexとtotal areaの2軸上に、得られた1秒間の筋電図シグナル(epoch)をプロットすることで、一被検者の1回の検査による筋電図プロファイルを作成するが、さらに、各被検者の一回の検査を代表するCI法のパラメータとして、得られたepochの回帰残差の平均のZ-scoreを用いた。27例の正常コントロールと、29例のSBMAとを比較すると、SBMA例のZ-scoreは7.07±2.18 (3.3-12.4)で、全例で異常であった。

3.CI法における、検者間での再現性について検討するため、筋電図専門医と非専門医の2検者間で独立して検査を行った。正常対照3例、SBMA3例の6例における、2検者間のZ-scoreの差は0.13±0.51で有意差はなく、両検者に系統的な違いがないことが示唆された。CI法では、検者間の再現性は良好で、電気生理検査の技術にも依存しないと考えられた。

4.既存の下位運動ニューロン障害の定量評価法である、複合筋活動電位(compound muscle action potential; CMAP)振幅と運動単位数推定(motor unit number estimation; MUNE)と、CI法を比較した。±2.5SDをカットオフ基準として用いると、SBMA29例における異常検出感度はCI法100%(29/29)、CMAP振幅72%(21/29)、MUNE93%(27/29)であり、CI法で最も高かった。

5.CI (Z-score)、CMAP振幅、MUNE valueのいずれも、検査時年齢およびアンドロゲン受容体のCAGリピート数とは相関しなかった。CI (Z-score)、CMAP振幅は被検筋であるADMの筋力 (MMT grading)と相関したが、MUNEは相関しなかった。2例のSBMA患者ではADMの筋力低下を認めなかったが、CIのZ-scoreはそれぞれ3.3と3.9と異常であった。一方で、MUNE valueは1例のみで異常となり、CMAP振幅は2例とも正常であった。筋力低下を認める症例で、CI (Z-score)が正常だった例は皆無であった。一方で、MUNEでは1例、CMAP振幅では6例において臨床的に筋力低下を認めるにもかかわらず、運動ニューロン数の低下を検出することができなかった。

6.筋力低下発症からの罹病期間についての検討では、CMAP振幅とMUNE valueは罹病期間と有意に相関したが、CI (Z-score)は相関を認めなかった。しかしながら、筋力低下発症からの罹病期間が10年未満と10年以上の2群に分けると、CI (Z-score)において2群間の差が最大であった

7.重症度の指標に患者のADLを用いて、電気生理パラメータと重症度の関係について検討した。CI (Z-score)、CMAP振幅、MUNE valueのいずれも、ADLとは相関を認めなかった。

8.CI (Z-score)、CMAP振幅、MUNEについて、初回検査の6ヶ月後のデータは15例、12ヶ月後のデータは10例で得られたが、3つの電気生理パラメータのいずれも有意な増加ないし減少を示さなかった。

9.各被検者内の再現性を、群内SD/群間SD比率、群内SD/(正常患者間の平均値の差)の比率の2つの指標で評価したところ、両指標ともMUNEの値が最大(再現性が不良)で、前者の指標ではCMAP振幅が、後者の指標ではCI法が最も良好な再現性を示した。

10.MUNEがCIと比べて感度が低く、再現性が不良であった理由のひとつとして、MUNEにおける遠隔電場電位の影響が考えられた。すなわち、SBMA例では、正常よりもADM由来の単一運動単位電位(single motor unit potential; SMUP)の割合が減少し、ADM由来のSMUPサイズは遠隔電場電位由来のものより大きくなるため、MUNE valueを過大評価(=異常を過少評価)することで、MUNEの感度が低くなっているのではないかと考えた。

以上、本論文は、SBMAにおける下位運動ニューロン障害を、新しい定量表面筋電図解析法であるCI法を用いて定量的に解析し、本法が既存の方法より下位運動ニューロン障害の異常検出感度に優れていることを示した。本研究は、SBMAにおける治験開発などの臨床研究において重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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