学位論文要旨



No 127026
著者(漢字) 田,今日子
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,キョウコ
標題(和) ニホンザル前頭葉内側部における自己・他者の行動情報表現
標題(洋)
報告番号 127026
報告番号 甲27026
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3636号
研究科 医学系研究科
専攻 脳神経医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 笠井,清登
 東京大学 准教授 山末,英典
 東京大学 准教授 坂井,克之
 東京大学 教授 宮下,保司
 東京大学 准教授 小西,清貴
内容要旨 要旨を表示する

社会生活を適応的に送るためには、自己の行動に基づく情報を処理するだけでなく、他者の行動を観察し、そこから得られる情報を自己の行動にいかす能力が求められる。本研究では、このような高次脳機能のメカニズムを明らかにするため、2頭のニホンザルを同時に用いた行動課題を考案し、課題遂行中のサルの前頭葉内側部から単一神経細胞活動記録を行った。

前頭葉内側部は、環境の変化に適応し、最適な行動をとるために必要な、様々な機能に関与しているといわれている。具体的には、動作計画の切り替え、動作の誤り(エラー)の検出、あるいは報酬の予測と予測誤差の検出などである。さらに、特に最近になって、この脳領域が他者の心的状況を推測するときに活動することが知られるようになり、社会的認知機能を担う脳部位として注目され始めている。これらをふまえ、前頭葉内側部が、自己と他者を区別し、他者の行動情報を利用して自己の行動をコントロールする機能にも関与しているという仮説を立てた。この仮説を検証するため、本研究では2頭のニホンザルを用いた新しい行動パラダイム(役割交替課題)を考案した。この行動課題は、2頭のサルを向かい合わせ、交互に動作選択を行わせるもので、他者の行動を観察する局面と自己の行動を実行する局面とを持つ。そして、この行動課題には、他者の動作選択とその結果を正しくモニターすることによって、自己の正しい動作選択が可能となるような設定がなされている。

この課題を遂行中のサルの行動解析を行ない、サルが他者の行動に注意を向け、他者の行動情報を自己の行動選択に用いていることを確認した。その上で、前頭葉内側部の計1039個の神経細胞から細胞外活動電位を記録した。記録部位は、主として前補足運動野と帯状皮質運動野吻側部を含む部位であった(以下では、前者をMFC-convexity region、後者をMFC-sulcus regionと表す)。そして、統計学的検定の結果をもとに、(1) 動作の主体に関連した情報を表現する神経細胞、(2) 他者の動作選択エラーに応答する神経細胞、(3) 動作計画を切り替える過程に関与する神経細胞、を同定した。

動作の主体に関連する情報を表現する神経細胞(動作主関連細胞)は、359個(全記録細胞の35%)に認められた。その内訳は、動作主が自己のときのみに活動が上昇するもの(self type)が112個(31%)、動作主が他者のときのみに活動が上昇するもの(partner type)が173個(48%)、動作主が自己・他者どちらの場合にも活動が上昇するもの(mirror type)が74個(20%)であった。Partner typeは MFC-convexity regionにおいて、MFC-sulcus region よりも有意に多かった。

本研究で記録された mirror type neuron が、サルの腹側運動前野(F5)で発見され、その後頭頂葉や側頭葉にもその存在が報告された、いわゆるミラーニューロンと同一のものであるかどうかについては、その定義が確立していないため断定できない。しかし、サルの前頭葉内側部において「自分の動作遂行時にも他者の動作観察時にも活動が上昇する神経細胞」を同定したのは、本研究が初めてである。Mirror type neuronは、報酬の期待や、他者の動作理解に関与している可能性がある。一方 partner type neuronは、他者の動作を自己の動作から区別して処理する上で有用な細胞と考えられる。このような細胞の存在を明確な形で証明したのは、本研究が初めてである。Partner type neuronの機能が、他者の動作のモニターや自己の動作の抑制とどのように関係しているのかは、大変興味深い問題である。

他者の動作選択エラーに応答する神経細胞は、解析対象となった552個の細胞のうち97個(18%)に認められ、2つの領域間に有意差を認めなかった。しかし、これらの細胞が持つ機能については次のような差異が認められた。すなわち、MFC-convexity regionの他者の選択エラー応答細胞は、次の試行で自分が正しく動作選択できるかどうかに関わらず活動を上昇させたのに対し、MFC-sulcus regionの他者の選択エラー応答細胞は、次の試行で自分が正しく動作選択できた場合にのみ活動を上昇させていた。MFC-convexity regionは他者のエラーの検出に関与し、MFC-sulcus regionは他者のエラーを検出後、自分の正しい選択を導く過程に関与している可能性が示唆された。

動作計画を切り替える過程に関与する神経細胞は、解析対象となった1023個の細胞のうち217個(21%)認められた。本研究で用いた役割交替課題では、ある連続した試行から構成される試行ブロック内では、2色のうち一方の色のボタンを選択した場合にのみ報酬が与えられるように設定した。新しい試行ブロックに移行する際には外的な合図を伴わないため、色と報酬の連合についての情報は予告なく切り替わることになる。したがって、各試行ブロックの第1試行は通常無報酬となり、サルはこの無報酬を検出して動作計画を切り替え、次の試行でもう一方の色を選択する。動作計画を切り替える過程に関与する細胞は、丁度このタイミングで有意な活動上昇を示した。このタイプの細胞は、領域間で分布に有意差を認めなかったが、次のような機能的差異が示唆された。すなわち、MFC-convexity regionの細胞は、次の試行で自分が正しく動作計画を切り替えられるかどうかに関わらず活動を上昇させたのに対し、MFC-sulcus regionの細胞は、次の試行で自分が正しく動作計画を切り替えられた場合にのみ有意な上昇を示した。このことは、MFC-convexity region が動作計画を切り替えることが必要な状況の検出に関わり、MFC-sulcus region がその情報をもとに、動作計画の切り替えを実行する過程に関わっていることを示唆する。

以上まとめると、本研究では前頭葉内側部から、動作の主体に関連した3種類の神経細胞を同定した。さらに、他者の行動モニタリングやそれに基づく自己の行動コントロールに関与する細胞も同定した。このような様々な神経細胞の存在から、前頭葉内側部が自己と他者の動作を区別し、他者の行動の観察から学習するメカニズムを提供していると考えたい。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、適応的な社会生活において重要な機能の一つである、他者の行動の観察により得た情報を自己の行動に利用するメカニズムを神経細胞レベルで明らかにするため、2頭のニホンザルを使用し、課題遂行中の前頭葉内側部の神経細胞活動を記録・解析したもので、下記の結果を得ている。

1.2頭のサルが対面して交互に行動選択を行うという、新しい行動課題(役割交替課題)を考案した。行動解析により、サルが他者の行動に注意を向け、他者の行動情報を自己の行動選択に用いていることが示された。

2.前頭葉内側部に動作の主体に関連した活動を呈する3種類の神経細胞が存在することを示した。自己の動作時に活動が上昇する self type、他者の動作観察時に活動が上昇する partner type、自己・他者両方の動作の際に活動が上昇する mirror typeの3種類である。Partner typeは、前補足運動野を主に含む MFC-convexity regionにおいて、帯状皮質運動野を主に含む MFC-sulcus region より有意に多かった。

3.前頭葉内側部から、他者のエラー(選択エラー)に反応する神経細胞を記録した。このような細胞は、MFC-convexity region、MFC-sulcus regionの両者に同様の頻度で認められた。統計学的検定によると、MFC-convexity regionの細胞は、次の試行で自身が正しい選択をできるかどうかに関わらず活動を上昇させたが、MFC-sulcus regionの細胞は、次の試行で自身が正しい選択をできた場合のみ活動を上昇させた。この結果は、MFC-convexity regionの細胞は、他者のエラーの検出に関与し、MFC-sulcus regionの細胞は、他者の行動エラーの後に自己の正しい行動選択を導くことに関与している可能性を示唆するものである。

4.前頭葉内側部から、状況の変化に対応した動作の切り替え(スイッチ)の際に活動する神経細胞を記録した。このような細胞は、MFC-convexity region、MFC-sulcus regionの両者に同様の頻度で認められた。このような細胞の大部分は、動作の主体に関わらず活動を上昇させたが、MFC-sulcus regionの細胞の一部は、動作の主体により活動を変化させた。統計学的検定によると、MFC-convexity regionの細胞は、次の試行で自身が正しくスイッチできるかどうかに関わらず活動を上昇させたが、MFC-sulcus regionの細胞は、次の試行で自身が正しくスイッチできた場合のみ活動を上昇させた。この結果は、MFC-convexity regionの細胞は、スイッチが必要な状況の検出に関与し、MFC-sulcus regionの細胞は、自己の正しい行動選択を導くことに関与している可能性を示唆するものである。

以上、本論文は2頭のニホンザルを用いた課題を遂行中の前頭葉内側部の神経細胞活動を解析し、動作の主体に関連した情報を表現する神経細胞、他者の選択エラーに応答する神経細胞、動作計画の切り替えに関与する神経細胞の存在を明らかにした。本研究はこれまで未知に等しかった、神経細胞レベルでの他者の行動情報処理のメカニズムの解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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