学位論文要旨



No 127028
著者(漢字) 折橋,洋介
著者(英字)
著者(カナ) オリハシ,ヨウスケ
標題(和) 行政による死因調査の法理と法医学的意義
標題(洋)
報告番号 127028
報告番号 甲27028
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3638号
研究科 医学系研究科
専攻 社会医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,廉毅
 東京大学 准教授 山本,隆一
 東京大学 講師 永田,智子
 東京大学 教授 矢作,直樹
 東京大学 教授 宇賀,克也
内容要旨 要旨を表示する

1.背景

死因調査法制の見直しに関する議論が活発になっている。2010年の第174回国会において、衆議院議員法案として死因究明推進法案が提出された。この死因究明推進法案は、我が国における死因究明の実施に係る体制の充実強化が喫緊の課題であるとした上で、死因究明の推進に関する施策の在り方を横断的かつ包括的に検討するための基本理念を掲げている。同じく衆議院議員法案としては2007年の第166回国会に非自然死体の死因等の究明の適正な実施に関する法律案及び法医科学研究所設置法案が提出されている。死因調査に関する法制度の見直しについては、2010年現在、警察庁において犯罪死の見逃し防止に資する死因究明制度の在り方に関する研究会が行われているほか、厚生労働省は2010年2月26日開催の全国医政関係主管課長会議資料「実施要綱及び交付要綱(案)」のなかで実施要綱案「異状死死因究明モデル事業実施要綱」及び交付要綱案「異状死死因究明モデル事業委託費交付要綱」を示し、「監察医制度が適用されている一部の大都市圏等を除き、死因究明のために必要となる解剖が、極めて低い実施率にとどまっている現状にかんがみ、解剖を行う医療機関等へ財政的支援を実施することにより、死因究明の体制づくりを支援する」としている。ここにいう死因とは、特に、死が犯罪に起因するか否かの振分時点における死因の調査に主眼が置かれる。

しかし、死因調査についての法理論的研究はこれまであまり顧みられることがなかった。近時の法学における死因に関する議論のほとんどは民刑事事件の責任追及に関するものであった。そしてまた法医学においても法医鑑定などは刑事手続の一環としてのみ理解される傾向にあった。

そうした状況のなかで、死因調査に関する法制度の法理論的研究があらためて求められている。死因究明推進法案のように死因調査法制の体系的見直しを進めていくにあたっては、医事衛生行政や刑事手続などこれまで分断的に扱われてきた死因調査の仕組みを横断的に見渡す理論の構築が重要であると考えられる。

2.方法

国立情報学研究所の提供するGeNii学術コンテンツ・ポータル及び法学分野の学術論文検索データベースであるD1-Law.comにおいて検索した結果、本研究と趣旨を同じくする先行研究を見出すことはできなかった。そこで、本研究においては今後の議論の叩き台としての役割も担うべく、現行の死因調査法制における論点をなるべく広く収集・整理することとした。具体的には法医学、医史学、行政法学、刑事法学、医事法学、憲法学など幅広い学問分野から、関係すると考えられる文献資料を調査し分析することとした。そして、法制や裁判例を分析するに当たっては、法学的法医学方法論の観点から、主として法解釈論的方法に拠った。

3.結果および考察

関連法案の提出等、現実に死因調査の適正を求める動きがあるなかで、まず現行死因調査法制について、死体解剖保存法を軸に、検案と解剖について、それぞれの法制と問題点を整理し、その法律上の性質について検討した。

検案については、死因調査法制における検案を医師法21条にいう警察届出前の検案と行政機関の要請による検案の2つに分け、さらに後者については、検視規則5条の検視立会検案、死体取扱規則6条2項の死体見分立会検案、そして死体解剖保存法8条の監察医による検案の3つがあるとして、それぞれの法律上の性質について検討した。そして検視規則5条による検視立会検案についても、検視自体が捜査そのものではなくあくまで捜査の端緒とされるのであるから、その補助として立ち会う検案についても犯罪捜査手続には属さない性質のものであることが思料された。そして、解剖については、医事衛生行政としての解剖と刑事手続における解剖と題して、各種の解剖について、その目的と解剖実施における遺族承諾の要否から分類・整理を行った。

次に、死因調査法制を分析する一視角として情報の法的性質に着目した。解剖情報の取扱いについては、司法解剖によって得られた情報の取扱いについて、東京地裁平成17年6月14日民事34部決定を素材として検討した。これは司法解剖を受託した鑑定人に対して、鑑定書の控え文書の提出が命じられた事例であり、司法解剖で得られた情報をいかに遺族等へ開示することができるのかについての課題を提示した。別の事例として、行政検視にかかる死因調査の情報について遺族が開示を求めた公表裁判例(愛知県個人情報保護条例に基づく死体見分調書等の開示請求・名古屋高判平成20年7月16日及び同原審名古屋地判平成20年1月31日)について判例評釈というかたちで分析した。本判決については、遺族からの死体見分調書等の開示の義務付け等が認められた原審名古屋地裁判決から一転してその請求を退けたもので、その不開示情報該当性についての判断枠組みの整理、開示により支障が生じるおそれについての予測的判断評価、死体見分調書等の法的性質についてそれぞれ検討した。

これらの分析を通じて、死因調査法制の分析視角として情報の法的性質に着目することが有益であると考えられたとともに、医事衛生行政と刑事手続の錯綜した状況下にあって、それらを貫いて死因調査の適正を期することの意義についてさらに法理論的に深めるべきであると考えられた。

最後に、憲法25条の生存権規定と行政による死因調査の関係について試論的考察を行った。それは、死体解剖保存法にいう死因調査の適正を期すことが憲法25条の生存権の保障を具現化すると捉えるものであった。生存権については、これまで生活を営む権利として形成されてきたものであるが、ここに死因調査を受けるものの権利を読み込む場合、死因調査を死するときの最期の生存権保障として捉えることになるとしたものである。

4.総括

本研究を通じて現行死因調査法制の課題として抽出されたのは、行政がなぜ死因を調査するのかという目的が明らかではなく、そして死因調査の適正を期することによってそこにどのような利益が法律上認められ得るのかについて明らかでないということである。そのことによって、たとえ医事衛生行政と刑事手続の錯綜した状態が生じていたとしても、死体解剖保存法にいう死因調査の適正がどのように保障され得るのかについて判然としないがために錯綜状態を解消することができないのである。

つまり、行政による死因調査がなされたとして、その結果得られた情報はいかなる法益が認められ、そして誰に帰属するものであるか今後詰めて議論をすべきであるということが明らかになったといえる。このことは、例えば行政による死因調査が公衆衛生の向上を目的とするものであるとしても、そこで得られた調査結果たる情報は専ら公益としてのみ利用されるのか、もしくは私益としても認めることができるのかといった問題を解消することに繋がる課題を提起している。

これらの成果は、今後さらに死因調査法制の体系的な見直しに向けての議論が進められるに当たり、その議論の成熟化に資するものと考える。

もっとも、本研究にも限界がないわけではない。本研究はあくまで法理論的な研究に拠ったために、法制度の執行にかかるマンパワーや予算といった視点を反映できていない。特に現行の死因調査法制の見直しに当たっては、全国の地方自治体ごとに異なる行政による死因調査の仕組みの実態を明らかにした上で、必要解剖数の推定式を立てて制度運用にかかる諸経費等の試算を行う必要があると考える。これらは今後の課題である。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、行政による死因調査に関する法制度に関して、死体解剖保存法、医師法、検視規則、関連の判例等を取り上げ、検案、解剖、検視について、法理論的及び法制度の観点から分析を試み、次のような結果を得ている。

1. 検案については、死因調査法制における検案を医師法21条にいう警察届出前の検案と行政機関の要請による検案の2つに分け、後者については、検視規則5条の検視立会検案、死体取扱規則6条2項の死体見分立会検案、そして死体解剖保存法8条の監察医による検案の3つがあるとし、それらの法律上の性質について検討した。その結果、検視規則5条による検視立会検案について、検視自体が捜査そのものではなく、あくまで捜査の端緒とされるのであるから、その補助として立ち会う検案についても犯罪捜査手続には属さない性質のものであるとした。そして解剖については、その目的と解剖実施における遺族承諾の要否から、各解剖の分類及び整理を行った。

2. 死因調査法制を分析する一視角として、情報の法的性質に着目した検討を行った。解剖情報の取扱いについては、司法解剖によって得られた情報の取扱いが問題となった東京地裁平成17年6月14日民事34部決定を素材として分析し、司法解剖で得た情報をどのようにして遺族等へ開示できるかについて課題を提示した。

3. 行政検視にかかる死因調査の情報については、遺族が開示を求めた公表裁判例(愛知県個人情報保護条例に基づく死体見分調書等の開示請求・名古屋高判平成20年7月16日及び同原審名古屋地判平成20年1月31日)を素材として分析した。当該判決は、遺族からの死体見分調書等の開示の義務付け等を認めた原審から一転してその請求を退けたもので、その不開示情報該当性についての判断枠組みの整理、開示により支障が生じるおそれについての予測的判断評価、死体見分調書等の法的性質に係わる課題を提示した。

4. これらの分析を通じ、死因調査法制の分析視角として、情報の法的性質に着目することが有益であること、そして医事衛生行政と刑事手続の錯綜した状況下にあって、それらを貫いて死因調査の適正を期することの意義、つまり、行政による適正な死因調査が保障されることについて、さらに法理論的に深めるべきであることを示唆した。

5. 憲法25条の生存権規定と行政による死因調査の関係について、従来、生存権は生活を営む権利として形成されてきたものであるが、行政による適正な死因調査を受けることは、死するときの最期の生存権保障として位置付けることが可能ではないかと試論的に考察した。

以上、本論文は、これまで法医学において、また広く法学領域においても、ほとんど研究されてこなかった行政による死因調査について、法理論的分析を加えたという点で独創性があり、且つ本研究は死因調査の目的についての議論の成熟化に資するための理論的基礎を築かんとするものであり、法医学及び隣接する法学領域における学問的価値のみならず、昨今の死因調査法制の体系的見直しの論議にも有用であり、学位の授与に値すると考えられる。

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