学位論文要旨



No 127030
著者(漢字) 栗田,尚佳
著者(英字)
著者(カナ) クリタ,ヒサカ
標題(和) 胎生期低亜鉛環境が引き起こす仔におけるエピゲノム変化の解析
標題(洋)
報告番号 127030
報告番号 甲27030
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3640号
研究科 医学系研究科
専攻 社会医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 栗原,裕基
 東京大学 准教授 石川(山脇),昌
 東京大学 教授 吉田,謙一
 東京大学 教授 渡辺,知保
 東京大学 講師 新井,郷子
内容要旨 要旨を表示する

【背景・目的】

発展途上国において胎生期、幼若期の亜鉛欠乏が問題となっている。実際、ラテンアメリカ、アフリカ、アジアにおいて、6~65ヵ月齢の子供の死亡率の約4.4%が亜鉛欠乏に起因するという報告がある。また、このような地域では潜在的に5歳未満の亜鉛欠乏のリスクが高い(Figure 1)。また、これらのブラジル、インド、エジプト、南アフリカ、フィリピンなどの国々では1990年代から胎生期、幼若期の微量栄養素欠乏の問題と、一方で肥満や生活習慣病の増加の問題とが共存している。これらの問題は、胎児期並びに幼若期において亜鉛、鉄、ビタミンAなどの微量栄養素欠乏の影響が子供たちに何らかの負の刷り込みとして残り、近年の食生活の欧米化による微量栄養素の不足、高カロリー食の過剰摂取、運動不足などのこれらの要因が引き金になって、生活習慣病などの罹患率が上昇しているのではないかと考えられている_ENREF_39。

近年、Developmental Origins of Health and Disease(DOHaD)説が国際的に注目されている。これは、胎児を取り巻くあらゆる環境が子の生育後の健康と状態を規定する起源になるという概念である。またDOHaD説で説明される影響は胎児のゲノムにおけるDNAメチル化、ヒストン修飾のようなエピゲノム変化によって引き起こされ、その影響は世代を超えて継承される可能性がある。

これまでに実験動物を用いた研究において、胎生期・幼若期の低亜鉛環境が成熟してからの個体の健康状態に影響を及ぼすDOHaD説との関連性を示唆する報告がある。例えば、周産期に低亜鉛状態で育ったラットで成熟後に高血圧症状、学習記憶異常が確認されている。また胎生期に低亜鉛環境を経験したマウスにおいては、血漿中IgM産生能の低下が世代を超えて続くことが3世代まで調べられ報告されている。また、これらの実験動物において、亜鉛の代謝の重要性を示す報告もある。すなわち胎生期低亜鉛環境を経験し、出生後に通常食により通常の亜鉛環境で生育したマウスでは、重金属毒性軽減、亜鉛の恒常性維持に重要な役割を持つメタロチオネイン(MT)タンパク質の誘導能が増強することが認められている。

そこで、本研究では胎生期の低亜鉛という環境が子供のゲノムに対して、エピゲノム変化という形で刷り込みを起こし、そのゲノムへのプログラミングが成長してからの疾患発症や環境化学物質に対する感受性を変化させている可能性を考えた。そこで本研究では、重金属毒性軽減、亜鉛の恒常性維持などに重要な役割を担っているMT遺伝子に焦点を当て、胎生期低亜鉛環境が引き起こす仔へのエピゲノム変化の解析を行った。

【方法】

胎生期低亜鉛環境が引き起こす仔でのエピゲノム変化を解析するために、次の様な動物実験を中心に検討を行った。妊娠C57BL/6Jマウスを2群に分け、妊娠8日目から分娩時まで低亜鉛食(Zn 5ppm)及び 対照食(Zn 35ppm)を自由摂取させた。これらの母マウスから生まれた仔マウスを用いて以下の2種類の実験を行った。

1)胎生期低亜鉛実験(生後5週齢)

分娩ならびに離乳以降、両群とも通常固形飼料で飼育した。その後、5週齢の雄仔マウスにCd 5.0mg/kgを単回経口投与した。投与後6時間で肝臓を採取し、肝臓中Zn, Cd蓄積量、遺伝子発現量、タンパク発現量、DNAメチル化、ヒストン修飾ならびに転写因子結合量の解析を行った(Figure 2)。

2) 胎生期低亜鉛実験(生後1日齢)

生後1日目の雄性マウスの肝臓を採取し、遺伝子発現量、DNAメチル化、ヒストン修飾解析を行った(Figure 3)。

胎生期低亜鉛環境で育った5週齢雄マウスでの、カドミウム曝露によるMT1 mRNA発現量は、胎生期低亜鉛食群において対照食群に比べて増加傾向にあったが有意な差は認められなかった(Figure 4A)。一方、MT2 mRNA発現量は胎生期低亜鉛食群のほうが対照食群に比べ統計的有意に誘導レベルが高いことがわかった(Figure 4B)。MTの主要な転写因子であるMTF1のmRNA発現量には胎生期低亜鉛食による変化は認められなかった(Figure 4C)。

この時点における肝臓中亜鉛、カドミウム蓄積量は胎生期低亜鉛環境による変化は認められなかったことから(Table 1)、胎生期低亜鉛環境で育ったマウスへのカドミウム曝露によるMT2遺伝子の発現上昇は肝臓中亜鉛及びカドミウム蓄積量の違いによるものではないと考えられる。

次に、仔マウスのMT2遺伝子におけるエピゲノムに変化が生じていることを想定し、胎生期低亜鉛環境で育った1日齢と5週齢マウスの肝臓中MT2遺伝子のDNAメチル化とヒストン修飾解析を行った(Figure 5)。

胎生期低亜鉛環境で育った5週齢雄マウス肝臓におけるMT2遺伝子プロモーターのDNAメチル化変化をバイサルファイトシークエンス法で解析した(Figure 5A)ところ、MTF1が結合するMREを含む領域においては、胎生期低亜鉛食群ならびに対照食群ともにメチル化されているCpGはほとんど観察されなかった。しかし、上流 -800bp近傍の3か所のCpGでメチル化が検出できた。特に、-821bpのCpGのメチル化が胎生期低亜鉛食群(12.1%)で、対照食群(2.5%)に比べて増加していた(Figure 5A、赤矢印)。

このバイサルファイトシークエンス法による解析でメチル化変化が認められた-821bpのCpGは、Methylation sensitive 制限酵素Aci Ιの制限酵素サイトに含まれているため、Aci Ιを用いた定量PCR法での検証解析を行った(Figure 5B)。胎生期低亜鉛食群と対照食群との間で統計学的有意差が確認でき、Figure 5Aを支持する結果となった(Figure 5B)。1日齢の仔マウス肝臓では-821bpのCpGのメチル化に変化はなかった(Figure 5C)。しかし、この-821bpのCpGを含む領域は、本研究でのレポータージーンアッセイの結果(博士論文本文参照)によれば転写活性化にとって重要な領域ではなかった。

胎生期低亜鉛環境で育った5週齢雄マウスの肝臓中MT2プロモーターのMRE配列を含む領域を中心に、カドミウム曝露前ならびにカドミウム曝露6時間後のヒストン修飾をChIP qPCR法により解析した。その結果、いわゆるヒストン修飾仮説(Figure 6)から考察すると、胎生期低亜鉛食群におけるMT2プロモーターは、遺伝子転写活性化状態で見られるオープンクロマチン構造に近いことが示唆された。(Figure 7)。1日齢マウスにおいてAcH3レベルは胎生期低亜鉛食群のRegion 1とRegion 2において有意な上昇が認められた(Figure 8A)。また今回の解析対象であるMRE注を含むプロモーター領域は、レポータージーンアッセイの結果(博士論文本文参照)から遺伝子転写活性化に重要であることが確認された。

これらのことから、胎生期低亜鉛環境によって引き起こされたヒストン修飾がエピジェネティクメモリーとして成熟後まで残り、成熟後のMT2遺伝子誘導能の増強に関与することが示された。

Figure 7の結果より、今回解析したMT2プロモーターのMREを含む領域においては、胎生期低亜鉛環境で育った5週齢雄マウスで遺伝子転写活性化状態を示す比較的オープンクロマチン構造になっていることが示唆された。これまでにin vivoでカドミウム曝露時のMT2プロモーターへのMTF1の結合量変化を検討した報告はない。そこで胎生期低亜鉛環境で育った5週齢マウスにおける同領域における転写因子MTF1の結合量をChIP qPCR法で解析した(Figure 9)。

胎生期低亜鉛食群、対照食群ともに今回の検討対象の三つのRegionにおいて、カドミウム曝露1時間後でMTF1のMT2プロモーターへの結合量が増加し、6時間後では曝露前のレベルに戻ることが示された(Figure 9)。カドミウム曝露後6時間において、Region 2とRegion 3の胎生期低亜鉛食群でのMT2プロモーターへのMTF1結合量が、対照食群に比べて有意に増加していた(Figure 9B、C)。カドミウム曝露後1時間ではRegion 2で、胎生期低亜鉛食群のMTF1結合量が対照食群に比べて増加傾向が認められた(Figure 9B)。一方、Region 1ではカドミウム曝露後のどの時点においても、MTF1結合量は両群間で有意な差は認められなかった(Figure 9A)。これらのことから、胎生期低亜鉛食群ではカドミウム曝露後のMT2プロモーターへのMTF1の結合時間が長くなり、この変化がMT2遺伝子発現量を増加させていると考えられる。

【結論】

本研究から、胎生期に低亜鉛環境で育ち、出産後に通常食で育った仔が成熟後にカドミウムに曝露するとMT2の誘導が増強することが明らかとなり、このメカニズムとして、MT2プロモーターでのエピゲノム変化、特にヒストンのアセチル化が亢進し、それがエピジェネティックメモリーとして成熟後まで残ることによる可能性が明らかとなった(Figure 10)。これまでに低タンパク質食などの栄養環境が胎生期においてエピゲノム変化を引き起こすことが示されているが、本研究において、胎生期における微量元素環境も仔へのエピゲノム変化を引き起こすことが初めて明らかとなった。本研究で得られた知見は、DOHaD仮説を胎生期微量元素の作用という観点から支持するものであり、疾患の予防と健康の増進にとって、胎児期環境の重要性を示す証拠のひとつとなると考える。

脚注MRE(metal responsive element): MTの主要な転写調節因子であるMTF1が結合するコンセンサス配列

Figure 1. 5歳未満の子供における亜鉛欠乏のリスクの分布(Black et al., 2008, Lancet)から引用

Figure 2. 胎生期低亜鉛実験(生後5週齢)の実験スケジュール

Figure 3. 胎生期低亜鉛実験(生後1日齢)の実験スケジュール

Figure 4. 胎生期低亜鉛環境で育った5週齢雄マウスへのカドミウム曝露によるMT1、MT2、MTF1 mRNAの発現量変化

Table 1 胎生期低亜鉛食による5週齢雄マウス肝臓中の亜鉛、カドミウム蓄積量

Figure 5. 胎生期低亜鉛環境による雄マウス肝臓のMT2プロモーター領域のDNAメチル化への影響 (A)5週齢雄マウスのバイサルファイトシークエンスによる解析、(B)5週齢および(C)1日齢雄マウスの-821bpのDNAメチル化解析

Figure 6. ヒストン暗号仮説 ヒストン暗号仮説はヒストンテールの修飾が機能的タンパク結合部位に成り得るという仮説である。ヒストンのN末端はアセチル化、メチル化、リン酸化などのような修飾を受ける。ピンク色のマークは遺伝子活性化の修飾、水色のマークは遺伝子不活性化の修飾を示す。ヒストンH3セリン10のリン酸化は細胞分裂間期において遺伝子活性化、ヒストンH3セリン28のリン酸化は細胞分裂M期における染色体分配と染色体凝縮、ヒストンH4セリン1のリン酸化は精子形成時のクロマチン圧縮や、DNA損傷応答に関与するとされている。

Figure 7. 胎生期低亜鉛環境による5週齢雄マウス肝臓中MT2プロモーターのヒストン修飾の変化。(A)ヒストンH3アセチル化、(B)ヒストンH4アセチル化、(C)ヒストンH3リジン9アセチル化、(D)ヒストンH3リジン14アセチル化、(E)ヒストンH3リジン4トリメチル化を示す。

Figure 8. 胎生期低亜鉛環境による1日齢雄マウス肝臓中MT2プロモーターにおけるヒストン修飾変化 (A)ヒストンH3アセチル化、(B)ヒストンH4アセチル化、(C)ヒストンH3リジン9アセチル化、(D)ヒストンH3リジン4トリメチル化を示す。

Figure 9. 胎生期低亜鉛環境による5週齢雄マウス肝臓中MT2プロモーターのMTF1結合量の変化 胎生期低亜鉛環境で育った5週齢雄マウスにCd 5.0mg/kgを単回経口投与し、投与後0、1、6時間の肝臓中MT2プロモーターの転写因子結合量を解析した。

Figure 10. 本研究で得られた胎生期低亜鉛環境によるMT2遺伝子のエピゲノム変化のまとめ

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、重金属毒性軽減、亜鉛の恒常性維持などに重要な役割を担っているメタロチオネイン(MT)遺伝子に焦点を当て、胎生期低亜鉛環境が及ぼす仔へのエピゲノム変化の解析を目的として行い、下記の結果を得ている。

1. 妊娠マウス(C57BL/6J系統)に妊娠8日目から分娩時まで低亜鉛食(Zn 5ppm)を与え、仔マウスを出生後から5週齢まで通常飼育食で育てた。これら雄仔マウスにおいて、カドミウム曝露時のMT2 mRNA誘導能の増強が確認された。この増強は肝臓中の亜鉛およびカドミウム蓄積量の差によるものではないことが示唆された。

2. 上記1.の胎生期低亜鉛環境を経験した5週齢マウスでのMT2誘導能の増強には、MT2プロモーターのMRE配列を含む領域におけるヒストン修飾の変化が寄与することが示唆された。すなわち胎生期低亜鉛食群におけるこの領域のヒストン修飾変化のパターンから判断すると、ヌクレオソーム構造が遺伝子転写活性化を促進するオープンクロマチン構造になっていることが分かった。さらに、同領域における胎生期低亜鉛食群でのカドミウム曝露後の転写因子MTF1の結合時間の延長も、MT2 mRNA誘導能増強に寄与すると考えられた。

3. 上記1.の胎生期低亜鉛食群のマウスにおいて、MT2プロモーターの上流-821 bpのCpGの高メチル化が認められた。しかし、MT2プロモーター領域を対象にしたレポータージーンアッセイの結果から、このCpGを含む領域は遺伝子の誘導に重要ではないことが示唆された。

4. 上記1.の胎生期低亜鉛環境で育ったマウスにおいて、出生直後のエピゲノム変化を検討したところ、MT2プロモーター領域のヒストンH3のアセチル化のレベルが上昇していた。このことから、胎生期低亜鉛環境を経験したマウスは出生直後から、ヒストン修飾が変化しており、それが成熟後もエピジェネティクスメモリーとして残る可能性が示唆された。

5. 10週齢の雄C57BL/6Jマウスに上記1., 4.の胎生期低亜鉛食実験と同じ期間である12日間低亜鉛食を与え、MT2プロモーター領域におけるエピゲノム解析を行った。低亜鉛食群においてヒストンH3、H4のアセチル化レベルの上昇傾向が認められたものの、-821 bp CpGのDNAメチル化およびその他のヒストン修飾に顕著な変化は認められなかった。以上のことから、低亜鉛環境が引き起こすMT2のエピゲノム変化は胎生期の方がより感受性が高いことが示された。

本研究の結果、胎生期低亜鉛環境で育ち、出産直後に通常食で育った仔が成熟後にカドミウムに曝露するとMT2の誘導が増強することが明らかとなり、このメカニズムとして、MT2プロモーターのエピゲノム変化、特にヒストンのアセチル化が亢進し、それがエピジェネティクスメモリーとして成熟後まで残ることが明らかとなった。本研究で得られた知見は、DOHaD説を胎生期微量元素の作用という観点から支持するものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/51473