学位論文要旨



No 127031
著者(漢字) 橋,麻衣子
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,マイコ
標題(和) マルチプレックスSNPタイピングによる法医学的試料のための民族推定法の開発
標題(洋) Development of practical multiplex SNP typing system for inferring ethnic background of forensic samples
報告番号 127031
報告番号 甲27031
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3641号
研究科 医学系研究科
専攻 社会医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 橋,孝喜
 東京大学 教授 渡辺,知保
 東京大学 准教授 石川,昌
 東京大学 准教授 大迫,誠一郎
 東京大学 准教授 馬淵,昭彦
内容要旨 要旨を表示する

英文要旨

This study is the first practical method for inferring the ethnicity of forensic DNA samples. The globalization of society and economy has resulted in a serious increase in the number of crimes committed by foreign nationals visiting Japan. In criminal investigation, the successful estimation of the ethnic origin of an individual from low-quantity or low-quality DNA specimens helps focus the investigation on specific suspects. We aimed to establish an ethnic estimation kit for these forensic specimens. To discriminate individuals of three major continental populations, 32 loci among the autosomal single nucleotide polymorphisms (SNPs) were selected from the HapMap project database. Principal components analysis confirmed that these SNPs can discriminate Yoruba, European, and Asian populations, but could not discriminate Han Chinese from Japanese in the Asian population. We applied the DigiTag2 method for forensic SNP typing by amplifying 32 SNP loci in a single PCR reaction and detected SNP alleles by a DNA chip. The DigiTag2 kit could successfully discriminate three ethnic groups by using a small amount of DNA template (1ng) and could genotype a larger portion of the 32 SNP loci even from highly degraded DNA (call rate 83.7%, concordance rate 90.0%). These results indicate that 32-locus SNP typing with the DigiTag2 method is useful for discriminating three major ethnic populations from low-quantity or degraded DNA from forensic specimens. In addition, estimation of the optimal number of SNP loci necessary for differentiation of the Asian populations was performed, revealing that Japanese could be distinguished from other Asian populations by analyzing 500 informative SNPs. This result indicates that a population-inferring system for Asian individuals could be established with 500 SNPs.

和文要旨

事件の初動捜査においては、現場に遺留された被疑者の血痕、体液などの試料が由来する民族を推定するために、捜査現場で簡便・迅速・低コストに使うことができ、かつ信頼性の高い民族推定法を早急に開発することが求められているが、国内外ともに、この必要性を満たす技術は開発されていなかった。本研究で用いた単一塩基多型(SNP)は、ゲノム中に500~1000万種類、平均して約300~600 bpごとに1個のSNPがあると推定され、種々の遺伝子多型の中で最も種類数が多い。さらに、多型情報のデータベースが充実しており、膨大な数の多型情報を得ることができる。本研究では、数十~数百のSNPを同時に高い成功率でタイピングできる新規マルチプレックスSNPタイピング技術DigiTag2法を用いた。

第一段階として、HapMapプロジェクトによるヨーロッパ系アメリカ人、ナイジェリアのヨルバ族、東アジア人(漢民族系中国人・日本人)のSNPデータに基づき、これらの3大人類集団を識別するためのSNP数を検討するため、8、16、32、96個のSNPによるセットを構築し、近隣結合法による系統樹解析及び主成分分析により分離精度を確認した。8個のSNPセットでは誤分類が生じたためSNP数不足と判明したが、それ以上の数のセットでは、3大人類集団が明瞭に区別できていた。検討の結果、実用的なSNPセットとするため、分離度及び簡便性、経済性を考慮し、32個のSNPセットが適していると判断した。2回の試行を経て、32個のSNPによる3大人類集団識別用SNPセットを構築した。本研究においては、DNAが分解している可能性の高い法医学的試料に適用することが目的であるため、通常のDigiTag2法で用いるよりもPCR増幅産物が短くなるようにプライマーを設計した。クオリティの良いゲノムDNAに対しては、マルチプレックスPCRのテンプレートとして用いるDNA量がDigiTag2法の至適量25ngより少量のわずか1ngでも、高い成功率でタイピングが可能であった。また、分解DNAをテンプレートに用いた場合でも、1つのSNPを除き、タイピングに成功した。一方、微量DNAから大量のDNAを得ることができる全ゲノム増幅法 (WGA)により増幅したテンプレートDNAを用いた場合には、タイピング成功率は向上しなかった。

民族推定のシミュレーションとして、32個のSNPのうち、20個しかタイピングできなかった漢民族系中国人のサンプルについて、この20個のみのSNPタイピングデータによる主成分分析を行ったところ、3大集団のクラスターが明瞭に分離され、本サンプルは漢民族系中国人のクラスターに含まれることが確認された。これより、本研究により構築された3大集団識別のためのSNPセットは、法医学的試料のための民族推定法として、正しく機能していることが示唆された。

第二段階として、日本人と遺伝的に近縁にあるアジア系民族5集団のSNPデータに基づき、アジア系民族を識別するためのSNPを選択し、アジア系民族識別用SNPセットを構築するため、系統樹解析及び主成分分析によるシミュレーションを行い、必要SNP数の検討を行った。この結果、500個のSNPを使用した場合、日本人集団を他の東アジア系民族集団から分離できることが判明した。しかし、現行のDigiTag2法では500個のSNPをタイピングすることができないため、今後、この500個のSNPをタイピングする方法についての研究を行いたい。あるいは、現在のデータベースに掲載されていない新しい有用なSNPが発見され、SNPセットに追加することができれば、アジア人の識別に必要なSNP数を減らすことが可能となるため、SNPセットの改善も併せて検討していく。

SNPタイピングは、DNAの混合を判別できないという欠点がある。そのため、実務では、本研究で構築された民族識別法を行う前に、STR検査等で混合の有無を確認する必要がある。また、民族の混合(いわゆるハーフ等)が疑われるサンプルの場合の実験はまだ行われていないため、今後データを収集し、判定方法について検討したい。

本研究によって開発された民族・集団識別法が実用化されることにより、事件の初動捜査で犯人の民族集団が明らかになれば、その後の捜査方針が決まり、事件の早期解決が見込まれる。さらに、外国人が関与したと考えられる過去の未解決事件(コールドケース)のサンプルについて民族識別法による検査を行うことによって、解決の一助となることが期待される。また、犯罪捜査以外に、シベリア、南方地域等における海外戦没者の遺骨収集において、DNA型による個人識別や血縁鑑定の前段階として日本人と外国人を識別することができると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、犯罪現場に遺留された被疑者の血痕、体液などの試料が由来する民族を推定するため、捜査現場で簡便・迅速・低コストに使うことができ、かつ信頼性の高い民族推定法を開発したものであり、下記の結果を得ている。

1. HapMapプロジェクトによるヨーロッパ系アメリカ人、ナイジェリアのヨルバ族、東アジア人(漢民族系中国人・日本人)のSNPデータに基づき、これらの3大人類集団を識別するためのSNP数を検討するため、8、16、32、96個のSNPによるセットを構築し、近隣結合法による系統樹解析及び主成分分析により分離精度を確認した。8個のSNPセットでは誤分類が生じたためSNP数不足と判明したが、それ以上の数のセットでは、3大人類集団が明瞭に区別できていた。検討の結果、実用的なSNPセットとするため、分離度及び簡便性、経済性を考慮し、32個のSNPセットが適していると判断した。2回の試行を経て、32個のSNPによる3大人類集団識別用SNPセットを構築した。

2. 本研究では、DNAが分解している可能性の高い法医学的試料に適用することが目的であるため、通常のDigiTag2法で用いるよりもPCR増幅産物が短くなるようにプライマーを設計した。クオリティの良いゲノムDNAに対しては、マルチプレックスPCRのテンプレートとして用いるDNA量がDigiTag2法の至適量25ngより少量のわずか1ngでも、高い成功率でタイピングが可能であった。また、分解DNAをテンプレートに用いた場合でも、1つのSNPを除き、タイピングに成功した。一方、微量DNAから大量のDNAを得ることができる全ゲノム増幅法 (WGA)により増幅したテンプレートDNAを用いた場合には、タイピング成功率は向上しなかった。

3. 民族推定のシミュレーションとして、32個のSNPのうち、20個しかタイピングできなかった漢民族系中国人のサンプルについて、この20個のみのSNPタイピングデータによる主成分分析を行ったところ、3大集団のクラスターが明瞭に分離され、本サンプルは漢民族系中国人のクラスターに含まれることが確認された。これより、本研究により構築された3大集団識別のためのSNPセットは、法医学的試料のための民族推定法として、正しく機能していることが示唆された。

4. 日本人と遺伝的に近縁にあるアジア系民族5集団のSNPデータに基づき、アジア系民族を識別するためのSNPを選択し、アジア系民族識別用SNPセットを構築するため、系統樹解析及び主成分分析によるシミュレーションを行い、必要SNP数の検討を行った。この結果、500個のSNPを使用した場合、日本人集団を他の東アジア系民族集団から分離できることが判明した。

以上、本論文は犯罪捜査現場や戦没者遺骨返還事業等において、血痕、体液等の法医学的試料に対して迅速、簡便低コストに使用できる民族識別法を開発したものである。本研究はこれまでに実現していないSNPを用いた民族識別法の実用化に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものであると考えられる。

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