学位論文要旨



No 127038
著者(漢字) 茆原,雄一
著者(英字)
著者(カナ) チハラ,ユウイチ
標題(和) 生体肝移植術後呼吸器合併症に対する非侵襲的換気療法の検討
標題(洋)
報告番号 127038
報告番号 甲27038
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3648号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長瀬,隆英
 東京大学 准教授 中島,淳
 東京大学 准教授 四柳,宏
 東京大学 講師 大石,展也
 東京大学 講師 二藤,隆春
内容要旨 要旨を表示する

[背景]

肝移植は非代償性肝硬変・急性肝不全・肝細胞癌などに対する治療法として確立されているが、本邦においては肝移植の大部分が生体肝移植によって行われている。しかし肝移植後の呼吸器合併症の頻度は高率であり院内死亡に対する危険因子と報告されている。

非侵襲的換気療法(Noninvasive ventilation, NIV)は臓器移植後の呼吸不全を含む急性呼吸不全に対する呼吸管理法として有用である。しかしNIV療法の治療成否が院内死亡に寄与するかについては十分に検討されておらず、予後が特に悪いとされる重症例に対するNIVの有用性についても検討がされていない。

本論文ではまず特に予後が悪いとされる重症肝肺症候群における周術期呼吸管理としてのNIVの有用性を報告する。肝肺症候群は肝疾患、肺内血管拡張に伴う低酸素血症に特徴づけられる疾患群であり、根本的治療として確立されているものは肝移植のみであるが、術前の室内気吸入時動脈血酸素分圧(Partial pressure of arterial oxygen, PaO2)が60 Torr以下の重症例は肝移植後の生存率が低いことが示されている。

我々は術前PaO2 48.8 Torrの重症肝肺症候群の4歳男児に対し、肝移植後呼吸管理にNIVを使用した。肝移植後、患者は高濃度酸素投与にも関わらず低酸素血症を呈したが、NIVを導入後速やかに呼吸不全は改善した。その後、この経験から重症肝肺症候群患者4名に対し肝移植後呼吸管理にNIVを使用し、良好な術後経過を得たので報告する。

次に生体肝移植術後呼吸器合併症に対するNIV療法の有用性を検討した。NIV療法の治療成否が院内死亡と関連することが報告されており、特に免疫抑制状態の患者群において、NIV療法が失敗に終わった場合の院内死亡率は非常に高いと報告されている。しかし肝移植後の呼吸器合併症に対するNIV療法の有用性を多数例で検討した報告はなく、NIV療法の治療成否が院内死亡に影響を与えるか否かについても知られていない。そこで本研究において、肝移植後呼吸器合併症に対するNIV療法の治療成否が院内死亡に対する独立した危険因子であるか否かを多数症例でレトロスペクティブに検討した。

[方法]

(1).重症肝肺症候群における周術期NIV療法の検討

2003年6月から2009年3月までの期間で生体肝移植術が施行された441名のうち、診断基準に基づき10名(2.3%)が肝肺症候群と診断された。このうち連続した術前PaO2 60 Torr以下の重症肝肺症候群5症例すべてに対し肝移植後の周術期管理にNIVを使用した。5症例中4症例はPaO2が50 Torr以下であり、肺血流シンチにおけるシャント率が40%以上であった。

(2).生体肝移植後呼吸器合併症に対するNIV療法の有用性の検討

1999年8月から2008年7月までに京都大学医学部附属病院肝胆膵移植外科にて、13歳以上の532名の患者に対し生体肝移植術が施行され、術後呼吸器合併症を併発した200名(37.6%)に対しNIV療法を施行した。200名の患者のうち、21名は呼吸状態に関わらず再手術のためにNIV療法を中止したため除外することとし179名を対象とした。

NIV療法の治療成否に関しては、胸部レントゲン異常を含む患者の呼吸状態が改善したためNIV療法を中止することができた患者群をSuccess group、再挿管またはNIV療法によるいくつかの合併症により継続不能となった患者群をFailure groupと定義した。

[結果]

(1).重症肝肺症候群における周術期NIV療法の検討

症例1は先天性胆道閉鎖症の4歳男児であり、術前の室内気吸入時のPaO2は48.8 Torrであった。生体肝移植術施行後、全身状態は安定しており術後1日目に抜管したが高濃度酸素投与下でも経皮的酸素飽和度(percutaneous oxygen saturation, SpO2)は90%以下と著しい低酸素血症の遷延を認めた。そのため術後9日目にNIVを導入した。NIV導入後、動脈血酸素分圧/吸入気酸素濃度比(PaO2/ Fraction of inspired oxygen, FIO2)は75.4から179.2に改善し呼吸数は45回/分から34回/分に減少した。その後、呼吸状態は安定し術後34日目にNIVから離脱、術後83日目に退院となった。

症例1の経験から術前室内気吸入時PaO2 60 Torr以下の重症肝肺症候群4症例に対し、肝移植後呼吸管理のため抜管後直ちにまたは早期にNIVを施行した。4症例は症例1のような頻呼吸・低酸素血症の増悪を認めず、また症例1を含む5症例すべては、再挿管・術後感染症・再手術といった合併症は認めず退院することができた。

(2).生体肝移植後呼吸器合併症に対するNIV療法の有用性の検討

NIV導入基準別の人数は、PaO2/FIO2 250未満が95名(53.1%)、動脈血二酸化炭素分圧(Partial pressure of arterial carbon dioxide, PaCO2)45 Torr以上が40名(22.3%)、呼吸数25回/分以上が28名(15.6%)、一葉以上の無気肺が31名(17.3%)、コントロール不能または大量の胸水が96名(53.6%)、その他が27名(15.1%)であった。

NIV治療結果はSuccess groupが127名、Failure groupが52名で、Failure group52名のうち36名が再挿管、16名がNIV継続不能であった。再挿管となった36名中30名が呼吸器系合併症によるものが原因であった(13名が肺炎、12名が排出困難な粘性喀痰)。またNIV継続不能となった16名のうち7名が結果的に再挿管となりこのうち5名が院内死した。院内死はSuccess groupが8名(6.3%)に対しFailure groupは22名(42.3%)であった(p<0.0001)。

院内死亡に対する各因子の単変量解析の結果、11の因子が院内死亡と有意に関連していた。これら11因子による変数選択的多変量解析では、術前ICU管理(odds ratio [OR] 3.52; p=0.005)、術前感染症合併(OR 4.22; p=0.007)、術後総ビリルビン高値(OR 1.05; p=0.004)、およびNIV failure(OR 3.24; p=0.009)が院内死における独立した危険因子であった。

[考察]

本研究のオリジナリティとしては、まず重症肝肺症候群の術後低酸素血症に対するNIVの有用性を示した初めての報告である点である。本研究の結果から肝移植後のNIV使用は従来の酸素療法などと比べ、より効果的に低酸素血症をコントロールでき、再挿管・術後感染症といった深刻な合併症を回避し、重症肝肺症候群の患者の移植後死亡率を改善する可能性があると考えられ、新しい周術期呼吸管理法になり得ると考える。また生体肝移植後呼吸器合併症に対するNIV療法の有用性の検討ではレトロスペクティブではあるものの、最も多数の肝移植後の患者を対象として行った研究であり、再挿管またはNIV継続不能によるNIV failureが院内死亡における独立した危険因子であることが初めて示された。

(1).重症肝肺症候群における周術期NIV療法の検討

本研究の結果、肝移植後のNIV使用は酸素療法などと比べ、より効果的に低酸素血症をコントロールでき、再挿管・術後感染症といった深刻な合併症を回避し、重症肝肺症候群患者の移植後死亡率を改善する可能性があると考えられる。

肝肺症候群患者における術後低酸素血症の要因として、周術期の輸液過多・無気肺・胸水や腹部膨満による拘束性肺障害などが挙げられる。これらに加え、肝肺症候群の低酸素血症の特徴として低酸素性血管攣縮の障害を伴った肺血管緊張の減少または消失は術後低酸素の要因になると考えられる。しかしながらNIVはこれらの要因が存在するにも関わらず酸素化を改善することができた。

我々は以前に生体肝移植後の21名の肝肺症候群について報告したが、このうち14名が術前室内気吸入下のPaO2 60 Torr以下であり、周術期にNIV療法は施行されなかった。本研究の患者と比較し重症度などに差は認められなかったが、14名中11名(78.6%)が再挿管となりこのうち6名が院内死となった。周術期管理の改善が本研究との結果の差に影響を及ぼしているかもしれないが、術前低酸素は予後の重要な予測因子であり、肝移植後のNIV使用が再挿管の回避を通して院内死の減少に寄与したと考える。

また14名中11名は術後感染症を併発したが本研究の患者では認めなかった。低酸素血症が細菌感染への抵抗性を減弱させることが示唆されており、酸素化の改善が術後創感染を予防することも報告さている。従って我々はNIV導入による早期の酸素化改善が術後感染症を予防し得ると考えている。

本研究の結果、重症肝肺症候群の肝移植後呼吸管理において、NIVは深刻な術後合併症を回避することで予後を改善する可能性があることが示されたので、我々はこれらの患者に対して抜管後早期にNIVを使用すべきと考える。

(2).生体肝移植後呼吸器合併症に対するNIV療法の有用性の検討

NIV failureのうち再挿管の患者は36名であったが、その原因の大部分は肺炎や排出困難な粘性喀痰による呼吸器系合併症であった。Golfieriらは肝移植後の患者において再挿管の原因で最も高頻度だったのは肺炎であり、再挿管は生存率低下と有意に関連していたと報告している[15]。自力喀出困難な粘性喀痰に対しては、Squeezing(呼気圧迫法)などによる肺理学療法や器械による排痰介助の併用が有用である可能性がある。またNIV failureの患者52名のうち16名がNIV継続不能であったが、NIV中止後7名が再挿管となりそのうち5名が院内死している。NIV療法に伴う圧力や気流に対する患者の不快感を軽減するような新しい器械やヘルメットマスクのような新しいインターフェースにより、NIVの継続率が改善し成功率向上の一助になる可能性があると考える。

本研究において気胸・低血圧・誤嚥性肺炎といったNIV療法に伴う深刻な合併症は認めなかった。また本研究の患者群は肝移植術前から比較的重症であったがNIV成功率は70.9%であり、これは以前の報告における免疫抑制患者におけるNIV成功率と同等ないし高値であった。本研究の結果からNIV成功が肝移植後合併症コントロールのキーファクターの一つと考えられ、NIV療法に伴う深刻な合併症を認めなかったことから、患者の呼吸状態が悪化しすぎる前に早期にNIVを導入することが成功率の向上に寄与する可能性があると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は肝移植後に高頻度に合併し院内死亡とも関連する移植後呼吸器合併症に対する有効な呼吸管理法を明らかにするため、特に予後が悪いとされる重症肝肺症候群および生体肝移植後呼吸器合併症に対する非侵襲的換気療法(Noninvasive ventilation, NIV)の有用性を検討したものであり以下の結果を得ている。

1. 術前PaO2 48.8 Torrの重症肝肺症候群4歳男児に対し肝移植後NIVを導入した。患者は移植後著しい低酸素血症が遷延し頻呼吸を呈していたがNIV導入後、速やかに低酸素血症・頻呼吸は改善し呼吸状態は安定した。再挿管・術後感染症を合併せず経過良好に退院可能であった。

2. この症例の経験をもとに、術前室内気吸入時PaO2 60 Torr以下の連続した重症肝肺症候群4症例に対し、肝移植後呼吸管理のため抜管後直ちにまたは早期にNIVを施行した。4症例は症例1のような頻呼吸・低酸素血症の増悪を認めず、また症例1を含む5症例すべては、再挿管・術後感染症・再手術といった合併症は認めず退院することができた。

3. 5症例中、2症例は抜管後呼吸不全に対して3症例は予防的に抜管後直ちにNIVを導入した。予防的にNIVを導入した3症例は抜管前と比較し低酸素血症の著しい増悪は認めなかった。

4. 生体肝移植後呼吸器合併症を併発した179名の患者のNIV導入基準別人数は、PaO2/FIO2 250未満が95名(53.1%)、動脈血二酸化炭素分圧(Partial pressure of arterial carbon dioxide, PaCO2)45 Torr以上が40名(22.3%)、呼吸数25回/分以上が28名(15.6%)、一葉以上の無気肺が31名(17.3%)、コントロール不能または大量の胸水が96名(53.6%)、その他が27名(15.1%)であった。

5. 179名の患者のNIV治療結果は、Success groupが127名、Failure groupが52名で、Failure group52名のうち36名が再挿管、16名がNIV継続不能であった。再挿管となった36名中30名が呼吸器系合併症によるものが原因であった(13名が肺炎、12名が排出困難な粘性喀痰)。またNIV継続不能となった16名のうち7名が結果的に再挿管となりこのうち5名が院内死した。院内死はSuccess groupが8名(6.3%)に対しFailure groupは22名(42.3%)であった(p<0.0001)。

6. 院内死亡に対する各因子の単変量解析の結果、11の因子が院内死亡と有意に関連していた。これら11因子による変数選択的多変量解析では、術前ICU管理(odds ratio [OR] 3.52; p=0.005)、術前感染症合併(OR 4.22; p=0.007)、術後総ビリルビン高値(OR 1.05; p=0.004)、およびNIV failure(OR 3.24; p=0.009)が院内死における独立した危険因子であった。

以上、本論文は重症肝肺症候群の移植後呼吸管理におけるNIVの有用性を初めて報告した。また生体肝移植後呼吸器合併症に対するNIVについて多数例をレトロスペクティブに解析しNIV failureが院内死亡に対して独立した危険因子であることを初めて示した。これらの結果は新規であり、肝移植後呼吸管理に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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