学位論文要旨



No 127040
著者(漢字) 早河,翼
著者(英字)
著者(カナ) ハヤカワ,ヨク
標題(和) 胃癌におけるApoptosis Signal-regulating Kinase 1の役割
標題(洋)
報告番号 127040
報告番号 甲27040
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3650号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 畠山,昌則
 東京大学 教授 瀬戸,泰之
 東京大学 准教授 藤城,光弘
 東京大学 准教授 池上,恒雄
 東京大学 講師 多田,稔
内容要旨 要旨を表示する

Mitogen-activated protein kinase (MAPK) 経路は発癌・細胞増殖などに重要な役割を果たしており、胃癌においても活性化が認められている。Apoptosis Signal-regulating Kinase 1 (ASK1)は生体内で様々な機能を持つMAPKKKの一つであり、消化器領域においては肝細胞障害や大腸炎などの疾患で重要であることを報告してきた。本研究では、胃癌におけるASK1の役割を検討した。

ヒト臨床検体を用いた解析の結果、健常者と比較してHelicobacter陽性胃炎ではASK1の蛋白発現量が増加しており、胃癌ではさらに増加していた。発癌剤MNUを経口投与し、40週後の胃発癌を比較するマウスモデルの解析では、野生型マウスの腫瘍部でASK1の増加がみられ、ASK1ノックアウトマウスでは野生型マウスに比し腫瘍数・腫瘍サイズの減少が認められた。胃癌細胞株を用いた検討では、特異的siRNAによるASK1の阻害により細胞増殖が抑制された。細胞増殖に関連するリアルタイムPCRアレイの結果、ASK1の阻害によりサイクリンD1の発現が抑制されることが示された。ASK1をプラスミドおよびアデノウイルスベクターを用いて過剰発現する系の検討では、反対にサイクリンD1の発現は増加したが、キナーゼ能欠損型ASK1発現ベクターのトランスフェクションではASK1の発現量は増加せず、ASK1によるサイクリンD1の制御はリン酸化能依存的であると考えられた。ルシフェラーゼアッセイを用いた検討により、転写レベルでのASK1によるサイクリンD1の調節が認められた。サイクリンD1のプロモーター領域中のAP-1結合部位に変異を持つプラスミドを用いたルシフェラーゼアッセイにより、これらの調節機構はAP-1サイトを介して行われていることがわかった。

次に、H.pyloriとASK1の関連について検討を行った。胃癌細胞株をH.pyloriで刺激すると、ASK1のリン酸化が認められ、H.pyloriによりASK1が活性化することがわかった。ASK1特異的siRNAをトランスフェクションした細胞では、下流のc-Jun-N-terminal Kinase (JNK)のリン酸化が減弱しており、この減弱は刺激後2-6時間経過した遅延相のみで認められた。H.pyloriによるアポトーシスをカスパーゼ3の分割で観察したところ、ASK1のノックダウン・JNK阻害剤投与により細胞死が抑制されたことから、ASK1-JNK経路はH.pyloriによるアポトーシスに関与していると考えられた。

これまで、サイクリンD1の標的転写因子の一つであるE2FのターゲットとしてASK1が存在していることが報告されている。Epidermal Growth Factor (EGF) やH.pyloriによる刺激はASK1を活性化と下流のJNKの活性化を通じサイクリンD1の発現を誘導するが、引き続きASK1自体の発現も増加が認められた。このASK1の誘導は、サイクリンD1の特異的siRNAをトランスフェクションした細胞では認められなかった。サイクリンD1をプラスミドベクターにより過剰発現させた細胞では、ASK1蛋白が増加した。恒常的活性化能を持つ変異型ASK1を過剰発現させた細胞では、サイクリンD1の誘導を介して内因性ASK1の誘導が認められた。

ASK1はサイクリンD1の発現を介して癌細胞の増殖に関与しているだけでなく、auto-regulationによりASK1自体の発現を増加させていた。また、ASK1-JNK経路はH.pyloriによるアポトーシスにも必要な経路であった。ASK1は胃上皮細胞において、細胞増殖・アポトーシスを制御するきわめて重要な分子であると考えられる。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、胃癌およびH.pylori感染胃炎において、MAPK経路を構成するMAP3Kの一つであるASK1の役割を明らかにするため、臨床検体、ASK1ノックアウトマウス、胃癌細胞株を用いた解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. 臨床検体を用いた解析の結果、健常者と比較してH.pylori感染胃粘膜、および胃癌組織ではASK1の蛋白発現量、および、下流に存在する活性化JNKの発現が増加していた。

2. MNUマウス胃腫瘍モデルを用いた解析の結果、ASK1ノックアウトマウスでは腫瘍の減少が認められた。また、ヒトと同様に野生型マウスの腫瘍部ではASK1の増加が認められ、下流のリン酸化JNK、c-Junの発現も亢進していた。

3. 4種の胃癌細胞株を用いた検討では、ASK1特異的なsiRNAによるノックダウンにより、細胞増殖が抑制され、細胞周期が遅延した。ASK1ノックダウン細胞のcDNAをReal-time PCRアレイで解析した結果、サイクリンD1の発現が減少していることが示され、蛋白レベルでも減少が確認された。一方、ウイルスおよびプラスミドベクターによりASK1を強制発現すると、逆にサイクリンD1の発現が増加し、これはASK1のリン酸化能依存的であった。サイクリンD1のプロモーター領域に変異を生じさせたプラスミドを用いたルシフェラーゼアッセイにより、サイクリンD1の発現がAP-1サイトを介して行われていることがわかった。

4. 胃癌におけるASK1の発現増加機序として、サイクリンD1の標的転写因子の一つであるE2FのターゲットとしてASK1が存在している可能性を考えた。サイクリンD1を誘導するEGFで細胞を刺激すると、ASK1-JNKの活性化を通じサイクリンD1の増加が認められるだけでなく、サイクリンD1を介してASK1自体の発現も増加した。活性型ASK1をトランスフェクションすることにより、JNK、サイクリンD1の活性化を経て、内因性ASK1が誘導されることを確認した。ChIP法により、サイクリンD1およびASK1の強制発現によって、E2F1とASK1プロモーター領域との結合が増強されることを示した。これらより、胃癌においてASK1→サイクリンD1→E2F1→ASK1という正のフィードバック機構が存在し、癌細胞の増殖に寄与している可能性が考えられた。

5. 大腸癌、膵癌細胞を用いた検討では、ASK1によるサイクリンD1の発現制御は限定的であり、細胞増殖への影響は認められなかった。ヒトおよびマウス大腸癌組織においては、胃癌でみられたようなASK1発現量の増加は認められなかった。マウス胃上皮細胞、ラット胃正常上皮細胞株においても、ASK1の細胞周期や細胞増殖への関与は認められなかった。これらより、ASK1の細胞増殖調節能は、胃癌で特に顕著であることが示された。

6. 胃癌細胞株にH.pyloriを感染させることにより、ASK1のリン酸化が認められるだけでなく、サイクリンD1の誘導を介しASK1蛋白が増加した。同様に、マウスH.pylori感染モデルにおいても、ASK1およびサイクリンD1の発現増加が認められた。ASK1はH.pyloriによるJNKの活性化に関与し、アポトーシスを誘導することをin vitroの検討で明らかにした。

以上、本論文は、これまで詳細な分子メカニズムの明らかでなかった胃癌においてASK1の発現が増加しており、細胞増殖に働くシグナル経路の一つとして、ASK1・サイクリンD1の正のフィードバック機構の存在を明らかにした。また、ASK1は、胃癌の代表的な原因因子であるH.pyloriによる細胞死にも関与していることを示した。本研究はこれまで発見されていなかったASK1の新たな機能を発見しただけでなく、分子標的治療の確立されていない胃癌における新たな治療標的薬の開発にも重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク