学位論文要旨



No 127043
著者(漢字) 石田,純一
著者(英字)
著者(カナ) イシダ,ジュンイチ
標題(和) KLF6は脂肪生成を制御し、耐糖能異常、糖尿病の病態形成に関与する
標題(洋) Kruppel-like factor 6 (KLF6) regulates adipogenesis and is involved in the pathogenesis of glucose intolerance and diabetes mellitus
報告番号 127043
報告番号 甲27043
学位授与日 2011.03.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第3653号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 門脇,孝
 東京大学 教授 黒川,峰夫
 東京大学 教授 小野,稔
 東京大学 特任准教授 宇野,漢成
 東京大学 特任准教授 窪田,直人
内容要旨 要旨を表示する

現代社会において、肥満や耐糖能異常、糖尿病は増加の一途をたどっており、心血管病発症の危険因子として非常に重要な位置を占めている。心血管病の予防と言う観点から、これらの病態の形成機序を解明し、治療、創薬につなげていくことは大きな価値がある。このような背景から近年肥満や耐糖能異常に関する研究は世界中で熱心に進められている。

今回私は転写因子群Kruppel like factor(以下KLF) familyに属するKLF6という転写因子に着目し、KLF6が脂肪形成や肥満、耐糖能異常や糖尿病といった病態形成にどのような役割を果たしているかについて探究した。

KLFは細胞の分化や増殖など生体における様々な反応において重要な役割を果たす転写因子群で3つのジンクフィンガーを有することを特徴とし、現在までにKLF1からKLF17までの17因子がヒトで同定されている。脂肪分化においてはKLF2、KLF3、KLF4、KLF5、KLF6、KLF7、KLF9、KLF11、KLF15の9因子が関与することが今までに報告されており、脂肪分化におけるKLFの重要性を窺い知ることができる。例えばKLF5は3T3-L1脂肪前駆細胞を用いた研究において、脂肪分化の初期に発現し、CCAAT/enhancer- binding protein(以下C/EBP)βとC/EBPδの2つの転写因子と関与しながら、脂肪分化の鍵分子であるperoxisome proliferator-activated receptorγ2(以下PPARγ2)の発現を誘導し、脂肪分化を正に制御する。ただし、それぞれの因子について培養細胞やノックアウトマウスを用いた研究が進められている一方で、KLF全体として脂肪分化にどのような関与をしているのかについては未だに不明な部分が多い。

KLF6は全身性に発現が認められるが、脂肪分化においても重要な役割を果たしていること示唆されている。3T3-L1 脂肪前駆細胞を用いた研究により、KLF6が分化初期においてDelta like protein 1(以下 DLK1)の発現を抑制することによって、脂肪分化を正に制御することが報告されているが、KLF6が生体で果たす役割や上記以外の分子学的機序については明らかにされていない。

そのため、まずKLF6の生体での代謝系における役割を探究するために、KLF6のノックアウトマウスを準備した。KLF6のホモノックアウトマウスは胎生致死であるため、ヘテロノックアウトマウス(以下KLF6 +/- mouse)を使用した。

まず通常食を食餌したうえで、KLF6 +/- mouseを野生型の対照群と比較したが、体重や各臓器の重量、組織所見、血液検査値に有意な差は認められなかった。そこで生後6週から高脂肪食を投与したところ、両群で摂餌量は有意な差が認められないにもかかわらず、KLF6+/- mouseは野生型と比較して体重増加が有意に抑制されていた。しかし意外なことに白色脂肪組織の重量は野生型と比べて有意差を認めなかった。共焦点顕微鏡を用いて白色脂肪組織を観察したところ、KLF6+/- mouseでは、野生型と比較して血管の集簇を伴う小型脂肪細胞が数多く認められた。また白色脂肪組織に発現しているmRNAを解析したところ、C/EBPαやPPARγ2といった脂肪分化に関連する転写因子の発現に野生型とKLF6 +/- mouseで有意な差は認められなかったものの、Fatty acid binding protein(以下aP2)やLipo-protein lipase (以下LPL)といった脂肪マーカーの発現がKLF6 +/- mouseにおいて有意に低減されていた。その他の組織所見では、褐色脂肪組織や肝臓は高脂肪食負荷により野生型で著明に脂肪変性が認められる一方で、KLF6+/- mouseではその変化はより軽度であり、また肝臓の重量もKLF6+/- mouseでは有意に軽かった。このことからKLF6は脂肪分化だけでなく、褐色脂肪組織や肝臓におけるエネルギー代謝にも関与していることが示唆された。

また同様の高脂肪食負荷条件下では空腹時の血糖、インスリン値においてKLF6+/- mouseは野生型と有意差を認めなかったが、ブドウ糖負荷試験を施行してみると、KLF6+/- mouseは野生型と比較して血糖値の上昇が有意に抑制されていた。ブドウ糖負荷後のインスリン値について比較してみると、野生型では負荷30分後に有意なインスリン値の上昇を認める一方、KLF6+/- mouseではインスリン値は負荷前と同じレベルに保たれており、KLF6+/- mouseがインスリン抵抗性を示しにくいことが判明した。しかしインスリン負荷試験の結果は野生型とKLF6+/- mouseで有意な差は認められなかった。血中アディポカインを比較してみると、KLF6+/- mouseにおいてアディポネクチンの血中濃度は有意に高値である一方で、レプチンの血中濃度に有意な差は認めなかった。

KLF6が脂肪分化に深く関与する因子であることをさらに追及するために、KLF6+/- mouseと野生型のマウス胎児繊維芽細胞(以下MEF)を準備し、これらに対して脂肪分化誘導をかけ、比較検討した。KLF6 mRNAの発現は野生型と比較してKLF6+/- MEFでは終始半分程度であった。分化誘導開始後8日時点でオイルレッドO染色にて脂肪分化の程度を比較したところ、KLF6+/- MEFで脂肪分化が有意に抑制されていた。さらにオイルレッドOを溶出し、細胞内脂質を定量化したところ、KLF6+/- MEFでは野生型と比較して70%抑制されていることが判明し、KLF6の脂肪分化における重要性が再認識された。

さらに3T3 L1脂肪前駆細胞を用いて培養細胞におけるKLF6の転写制御システムを検討した。3T3 L1脂肪前駆細胞の脂肪分化誘導において、KLF6は早期(分化誘導直後)と晩期(day5近辺)の二峰性の発現パターンを示すことが知られている。既出の論文から、早期においてKLF6はDLK1の抑制を介して間接的に脂肪分化を促進する。が、一方で晩期における役割は明らかにされていなかった。この役割を検討するために分化誘導day5の3T3 L1 脂肪前駆細胞においてsiKLF6によるKLF6 knockdownの効果を検討した。RT-PCRによるmRNA発現レベルの解析を行ったところ、KLF6は60%程度のknockdown効果が得られていた。PPARγ2 mRNAの発現レベルはコントロール群と比較して有意な差は認めないものの軽度低下していた。一方でCEBPαなどの転写因子やaP2、LPLなどの脂肪特異的遺伝子の発現には影響が見られなかった。オイルレッドO染色にても脂肪分化の程度に有意な差は認められなかった。今回の検討からはKLF6は3T3-L1前駆脂肪細胞の脂肪分化過程後期においてPPARγ2の発現を促進もしくは維持する可能性があるものの、脂肪分化に与える影響は軽微であった。

以上の結果から、KLF6は培養細胞レベルでは脂肪分化を正に制御し、生体レベルでは高カロリーなどの負荷がかかった際に肥満形成、さらには耐糖能異常、糖尿病の発症や増悪にも関与することが示唆された。

今回検討した高脂肪食を負荷したKLF6+/- mouseの解析からそれぞれの組織におけるKLF6の関与は以下のように考察された。KLF6+/- mouseの白色脂肪組織では野生型と比較して小型脂肪細胞がより多く観察され、同細胞の周囲に血管の集簇を認めており、新たな脂肪細胞が産生されている場所である可能性が想定された。KLF6+/- mouseの血中アディポネクチン濃度が高値であったことや耐糖能が保持されていたこともこの仮説と矛盾しない。また高脂肪食を投与したKLF6+/- mouseの褐色脂肪組織においては、野生型と比較して脂肪変性が有意に抑制されており、同組織で熱産生が亢進している可能性、さらには褐色脂肪組織における熱産生亢進によってKLF6+/- mouseは野生型と同等量の摂餌をするにもかかわらず、体重増加が抑制された可能性が示唆された。またKLF6+/- mouseにおいては肝臓も褐色脂肪組織と同様に脂肪変性が抑制されており、原因としてKLF6の肝臓における未知の機能、もしくは熱産生が亢進した褐色脂肪組織の間接的な作用が想定された。筋肉については今回詳細に検討していないが、脂肪組織や肝臓と同様に糖代謝に関与する重要な臓器であり、KLF6ヘテロマウスを用いた今後の検討が必要であると考えられた。

今回はKLF6の代謝系における機能について探究したが、さらに心血管系の病態形成におけるKLF6の関与も検討中である。

血管系の病態形成においてはKLF6+/- miceを用いて頸動脈結紮実験を行い、平滑筋増殖におけるKLF6の関与を検討中である。本モデルではKLF6+/- miceは野生型と比較して内膜増殖や血管径の増大が著明であり、血管リモデリングが亢進していた。

心疾患の病態モデルとして、アンジオテンシンIIを持続的に投与するモデルを検討している。本モデルではKLF6+/- miceにおいて野生型と比較して心臓の線維化及び肥大化が有意に抑制されていた。

上記からKLF6の心血管系の病態形成における関与も示唆されている。このような病態形成におけるKLFの機能に関する研究はノックアウトマウスを用いて精力的に進められており、一例としてKLF5をあげる。KLF6同様KLF5-/- miceは胎生致死であるため、KLF5+/- miceが用いられる。興味深いことにKLF5+/- miceは代謝系や心臓の疾患モデルにおいてKLF6+/- miceと同様の表現型、すなわち代謝系においては耐肥満性や良好な耐糖能を有し、心臓においては肥大や繊維化が抑制されるのに対し、血管系の疾患モデルにおいてはKLF6+/- miceと異なる表現型、すなわち内膜増殖が抑制されていた。これらのことからKLFはその機能において互いに類似性を有する一方で多様性も有していることが改めて確認された。またKLF6に着目すると、KLF6は代謝疾患や心疾患のモデルにおいては病態の形成、進展に対して生体に保護的に働く一方で、血管障害モデルにおいては病態の進展に寄与していると考えられ、KLF6の機能の複雑性が示唆される。

今回の検討からはKLF6が脂肪分化において重要な因子であることが改めて確認され、また耐糖能異常、糖尿病といった代謝障害の発症にも関与することが示唆された。今後さらに詳細な機構の解明が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は高等動物の脂肪分化、肥満形成、耐糖能異常や糖尿病といった病態形成において重要な役割を演じていると考えられる転写因子KLF6の機能を明らかにするため、KLF6ヘテロノックアウトマウス(以下KLF6 +/- mouse)の解析と前駆脂肪細胞を用いた培養細胞実験を行い、下記の結果を得ている。

1.通常食投与下において、KLF6 +/- mouseは野生型と比較して体重や各臓器の重量、組織所見、血液検査値に有意な差は認められなかった。一方で高脂肪食を投与したところ、KLF6+/- mouseは野生型と比較して摂餌量は有意な差が認められないにもかかわらず、体重増加が有意に抑制されていた。

2.高脂肪食負荷条件における白色脂肪組織重量は両群で有意差を認めなかったが、共焦点顕微鏡を用いて観察したところ、KLF6+/- mouseでは、野生型と比較して血管の集簇を伴う小型脂肪細胞が数多く認められ、新たな脂肪細胞の産生が亢進している可能性が考えられた。後述する血中アディポネクチン濃度が高値であったことや耐糖能が保持されていたこともこの仮説を示唆する。またKLF6 +/- mouseの白色脂肪組織ではaP2や LPLなどの脂肪マーカーの発現が有意に低減されていた。

3.高脂肪食を投与したKLF6 +/- mouseの褐色脂肪組織や肝臓は野生型と比較して脂肪変性がより軽度であり、また肝臓の重量もKLF6+/- mouseでは有意に軽かった。KLF6+/- mouseの褐色脂肪組織において熱産生が亢進している可能性、さらにはこれによりKLF6+/- mouseの体重増加が抑制された可能性も示唆された。またKLF6+/- mouseの肝臓の脂肪変性が抑制されていた原因としてKLF6の肝臓における未知の機能、もしくは熱産生が亢進した褐色脂肪組織の間接的な作用が想定された。

4.高脂肪食負荷条件下では空腹時の血糖、インスリン値に関してKLF6+/- mouseは野生型と有意差を認めなかったが、ブドウ糖負荷試験ではKLF6+/- mouseは野生型と比較して血糖値の上昇が有意に抑制されていた。さらにブドウ糖負荷後のインスリン値に関して、野生型では負荷30分後に有意なインスリン値の上昇を認める一方、KLF6+/- mouseではインスリン値は負荷前と同じレベルに保たれており、KLF6+/- mouseがインスリン抵抗性を示しにくいことが判明した。またKLF6+/- mouseにおいてアディポネクチンの血中濃度は有意に高値であった。

5. KLF6+/- mouseと野生型のMEFを用いて脂肪分化誘導実験を行った。分化誘導開始後8日時点でオイルレッドO染色にて細胞内脂質を定量化したところ、KLF6+/- MEFでは野生型と比較して中性脂肪量が70%低減されており、KLF6の脂肪分化における重要性が再認識された。

6.3T3-L1細胞を用いた研究により、KLF6 mRNAは早期と晩期の二峰性の発現パターンを示すこと、KLF6が分化早期においてDLK1の発現を抑制することによって、脂肪分化を正に制御することが報告されている。分化晩期における役割を検討するために晩期におけるKLF6 knockdownの効果を検討した。RT-PCRによるmRNA発現レベルの解析を行ったところ、PPARγ2 mRNAの発現レベルは軽度低下していたが、コントロール群と比較して有意な差を認めなかった。またオイルレッドO染色にて脂肪分化の程度を定量的に評価したが有意な差は認められなかった。

7.心血管系の病態形成におけるKLF6の関与も検討した。KLF6+/- miceを用いた頸動脈結紮モデルの検討では、KLF6+/- miceは野生型と比較して内膜増殖や血管径の増大が著明であり、血管リモデリングの亢進を認めた。アンジオテンシンII持続投与による心負荷モデルの検討では、KLF6+/- miceにおいて野生型と比較して心臓の線維化及び肥大化が有意に抑制されていた。上記と併せてKLF6は代謝疾患や心疾患のモデルにおいては病態の形成、進展に対して生体に保護的に働く一方で、血管障害モデルにおいては病態の進展に寄与していると考えられ、KLF6の機能の複雑性が示唆された。

以上、本論文はKLF6ヘテロノックアウトマウスの解析と培養細胞実験を通じて、KLF6が生体レベルでは高脂肪食による負荷がかかった際に肥満形成、さらには耐糖能異常、糖尿病の発症や増悪に関与することが示され、また脂肪分化におけるKLF6の重要性が再認識された。本研究はこれまで未知に等しかった、糖代謝系におけるKLF6の機能解明、さらには心血管疾患の病態形成におけるKLF6の関与に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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